竜の王国シリーズ

番外編

たまにはわがままも


 里珠にとって、竜の王国の王城は広い部類に入る。否、大部分の国民にしてみれば国で一番大きな建物かと思うが、これでも他国に比べれば質素な方であるらしい。世界の中でもつつましやかな王城とのことだが、とりあえず里珠にとってはありえないほどの広さであることに変わりはない。ひそかに敷地内に西封村そのものがすっぽり入ってしまうのではないかとも思っている。
 城へと迎えられ一月になるが、最大の問題は目下この城の広さだった。
 最初の頃は獅苑や悠那に連れられて城の中を歩き回ったのだが、建物同士のつながりがさっぱり分からず、その上似たような扉にどこがどれだか一致しないのだ。何かを目印にしようにも、各々の建物の調度がそれほど異なるわけでもないのでうまくいっていない。
 移動するにもそれなので、侍女にお願いするか誰かが迎えに来るまで部屋から動けない。
 それではまずかろう、というので悠那に相談したところ、満面の笑みで城の見取り図を贈られた。暇を見つけてはこの見取り図を使ってなんとか城の中を覚えようと努力しているのであるが――

「え? 図を見る方向が違いますか?」
 思いもよらない言葉を聞いて、里珠は目を瞬かせた。目の前で見取り図を手にしている獅苑はやや脱力したように息を吐く。
(わ、呆れられた?)
「陽があっちに出てて、今の刻なら向こうが南ですよね? で、それなら……」
 慌てて弁解すると、困ったような顔で獅苑が見取り図を広げて見せてきた。
「いや、方向はそれで合っている。合ってはいるんだが、飛竜のいる場所に行くのならひとつ向こうで曲がるべきだったな」
「――あれ?」
 獅苑は里珠が通ってきた道を正確にたどり、さらにそれを戻って正しい道順を示す。どうやら自信を持って曲がった通路は間違いだったらしい。微妙にずれたまま見取り図を追った結果、里珠が今回目的とした竜舎とは違う、人気のないところへたどりついたというわけだ。
 そして一人混乱していたところを獅苑に発見されたのだった。里珠が一人紙を見ながら歩き回っているのはあちこちで目撃されており、それで獅苑は難なく彼女のところへ辿り着いたというわけだ。
「森で迷ったことはないんだろう?」
「それはないです、でもこう建物が大きいのには慣れていなくて……」
 森の中でなら、五感を活かして方向も進んだ程度もわかる。地図などなくても確実に村までは戻れる。しかし、こういう様式の建物自体が里珠にとっては初めてだ。
 即答すると獅苑が苦笑する。けれど、その視線はやわらかく、里珠の返答は好意的に取られているようだった。
「竜舎までは案内する。道を覚えて、帰りは一人で部屋に戻ってみるといい」
 里珠に見取り図を手渡し、獅苑は歩き出した。おそらくは多忙な時間の中里珠を探してくれたのだろう。朝食を国王夫妻と一緒にとったきり、今まで姿を見かけることもなかったのだ。その大部分は里珠が部屋から出ないせいでもあるのだが、それほどまでに獅苑との接点は薄い――もちろん、故郷の村にいたままであるよりずっと近いけれど。
 その背中を慌てて追いかけようとして、里珠の脳裏にふとあることが思い浮かんだ。
 ――断られるだろうか、どうだろう。
「里珠? どうした」
 ついてこないことを訝しんだのか、獅苑が里珠を振り返る。逡巡ののち、里珠は思い切って獅苑に頼んでみることにした。
「獅苑様、竜舎のところにいくまで、その、手を……つないでも、いいですか?」
 途中から声に覇気がなくなったのは、瞬間獅苑の表情が強張ったような気がしたからだ。すぐさま撤回したい気分にはかられたのだが、けれど、めったにある時間でもない。
「あの、迷子防止、ということで……」
 若干、周囲が微妙な雰囲気になったのは間違いない。誰もいない裏手でよかったと心底思う。
 ああ、やっぱりやめておけばよかったかも――そう思ったとき、静かに手が差し出された。
「そこまででいいのか?」
 見上げれば、困ったように獅苑が笑っている。少し緊張しながら里珠がその手を握ると、包み込むように握り返された。
 剣を握り続けた武骨な手だ。この国を護り続け、そしてこれからは里珠のことも護ってくれる手。
 自分のわがままがすんなり通ったことが嬉しくて、里珠は思わず笑顔になった。
「竜舎まで、な」
「はいっ」
 念を押す獅苑に笑顔のまま答える。獅苑に促すように手をひかれ、里珠は歩き出した。


 上機嫌な婚約者の手を引いて城内を歩く王弟殿下はとても困ったような顔をしていた、とは目撃した人の話。


2010.3.28

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