竜の王国シリーズ

番外編

いつかかなう願い事


 今年も、星空に願い事をかける季節がやってきた。今までとは少し違う今年。
 短冊に託す願い事も、少し違う。


 里珠の暮らす西封村は、森の辺縁を切り開いて出来た村だ。近くには大きな水辺も川もあって、比較的環境よく暮らしているが、竹林はない。
 この豊作を祈る祭りの間だけは、別の集落から竹が届けられるのだった。明日の祭りを目の前にして、集会所でもある村の中央の広場には、すでに足場が組まれ何本もの大ぶりの竹が建てられている。
 五穀豊穣を願い、技芸の上達を祈る日。年に一度、夫婦神が空を流れる星々の河を渡り出逢う日。空へ届くように竹に願いをかける日。
 大人たちにとっては大切な豊年の祭りだが、里珠たち若者や子供たちにとってはそちらはあまり重要でない。大切なのは、一番最後だ。神々の目に留まるように竹を飾るのは、子供たちと若手の仕事。そして一枚の短冊に、夢のような望みを、ささやかな願いを託して、おおっぴらに、ひそやかに星に願う。
 それは、毎年変わらずに続けられるお祭りだ。


 毎年、この日の前後は不思議なくらいに好天が続く。笹竹は子供たちの手によって昨日から飾り付けられて、
すっかり賑やかになっていた。早速いくつもの短冊がつりさげられていて、風に緩やかに舞っている。あまり見られたくない願い事は奥の方に、叶えたい願い事は空に見えるように高いところに――。
 里珠も昨日から悩み抜いてようやく書き終えた短冊と笹飾りを手に広場を進む。すでに竹の傍に寄って短冊を結び付けていた友人が、目ざとく里珠を見つけるとすぐにこちらに向かってきた。
「どれ、お姫様はどんなお願い事を書いたの?」
 目を輝かせて短冊を覗こうとする友人にぎょっとして、里珠は思わず両手を後ろ手に回す。
「別に大したことは書いてないわよ」
「まさか、いくらなんでも前みたいな色気のない内容じゃないでしょ。さすがに、今年は」
 いつも、みんなが元気でいられますように、のような当たり障りない願い事を書いていたら、一昨年に友人たちに嘆かれたのだ。それで去年は槍術がもっと上手になりますようにと書いたら、一昨年以上に呆れられた。信じられない、せめて針の上達くらいにしときなさいよ、気になる人とかいないの!? などと。
 それが、今年はいろんなことがあって、この国で一番強い人と巡り合って、妻問いまで受けた。だから、里珠の色恋事をずっと気にしていたこの友人たちがこの機会を逃すはずがなかった。
「へー、なかなか健気なお願い事じゃない」
 里珠は今すっかり忘れていたのだが、そうやって彼女をつつく友人は二人いるのだ。声は背後から聞こえてきた。慌てて手を戻して振り返る。
 もう一人の友人が、にやにや笑いでこちらを眺めていた。
「いやー、里珠がこんなに一途な思いを短冊に書くようになっただなんて!」
「どれどれ……うわぁ、去年とは大違いだわ」
「仕方ないじゃない、去年はそれどころじゃなかったもの!」
 結局二人に挟み撃ちにされて、短冊を覗かれる羽目になる。
 本当に大したことは書いていない。いつかは叶う願い事だ。それもそんなに遠くはない、はずのいつか。
『早く、一緒にいられるようになりますように』
 短冊だけ見れば、誰のかは一瞬わからない――里珠のひと騒動は周辺の集落にまで広まっている有様なので、だいたいの人には看破されるだろうが。それに、隠れるように笹飾りをつけて飾るつもりだった。祭りが終わったら、笹飾りはお守り代わりにしようと思って。
「この紙人形は? すごい手が込んでるわね」
 隣から覗き込む友人が、感心したように笹飾りを指差した。様々な色の紙を切り貼りして作られた男女の人形。
「三日前に、王都から届いたの……」
 魔物騒動があってから、獅苑の命令によって西封村周辺は竜騎兵が定期的に巡回を行うようになっている。伝令役も果たしているようで、休憩がてら立ち寄るときに里珠の様子を見ていく。何かあれば手紙などをやり取りすることもあって、この紙人形はそうして届けられたものだった。
 王都でも明日は祭りがあって、豊年を祈り希望の成就を願い、笹竹を飾る。小さな笹にいくつかの飾りがつけられたものが、現国王妃である女性から里珠あてに届いたのだ。獅苑からの手紙も添えられていた。
 いずれ義理の妹になる人に、ということで手ずから作ってくれたのだという。
 二人の友人のにやにや笑いは止まるどころかますますひどくなる。
「ね、これ、こっちの女の人形はあんたで、男の人形は王弟殿下でしょう」
「うん、そうだって手紙に書いてあった。王妃様が作ってくれたんだって」
 髪の色と長さ。判別の基準はそれしかないけれど、少なくとも里珠にはそう見えていたし、友人たちもそう見えたらしい。獅苑の説明だけから作ったという里珠の人形は、きちんと髪型が再現されていた。どんなふうに描写したのかとと考えるとなんとなく微笑ましい。
 友人たちにからかわれながら、里珠は短冊を笹に飾った。目線より少し高い位置に、二つの人形は短冊の陰に隠して目立たないようにして。
 空を見上げて、獅苑はどうしているのだろうと里珠は一人思う。きっと忙しいのだろう。国中を魔物から守るために、彼は今日も頑張っているはずだった。



 翌日の祭りの日も、気持ち良いくらいの好天。
 豊作を祈る日とはいいつつも、里珠くらいの若者たちにとってはそこから派生した男女の縁を結ぶお祭りの方が主である。といっても既にお相手のいる里珠はお呼びではないので、ごくいつも通りの朝だった。
 今日が祭りだといっても、いずれ王族となる身だとしても、母は容赦ない。当然のように洗濯を命じられて、お祭りに向けてはしゃぐ娘たちの横をすり抜けてきた次第である。
 大の苦手というほどではないが、槍や長刀を振るうのに比べたらやはり洗う手際は悪い。人の倍くらいの時間をかけて何とか洗い終えたところで里珠は大きく息をついた。見上げれば、陽射しはなかなかの高さに上がっている。洗うだけでこれほど時間をかけてしまったので、戻ったらきっと母に呆れられるだろう。
(そういえば、今日は巡回の日だったよね)
 洗濯物の詰まった籠を抱えて川辺を戻りながら、里珠は空を見上げる。王都から贈り物が届けられた日から五日目で、王都から竜騎兵の誰かがこの集落周辺を見回りに来る日だ。王妃様へのお礼の手紙を忘れずに渡してもらわなくては。
 思い出して里珠は少し小走りになった。兵士が里珠に会わずに立ち去るということはないが、もしも待たせていたなんてことになるのはまずい。ついでに遅くなって母の小言が増えるのもよろしくない。
「あ! やっぱりここにいた!」
 土手を上がったところで、向こうから駆けてくる友人二人の姿が見えた。確か今日は何色の飾りをつけるかどんなふうに髪を結うか盛り上がっていた輪の中にいたと思ったのに、素晴らしい勢いでこちらに迫ってくる。
「もー、折角なのに何してるのよ!」
「……どうかしたの?」
 何事かと問うと同時に持っていた洗濯籠をぶんどられた。もう一人にぐいぐいと背中を押されて、前に転びそうになる。
「もう! 急に何よ?」
「これは届けておいてあげるから、とっとと広場までいってらっしゃい! 急いで全力で!」
 訳も分からず言われるがまま、ふらふらと動き出す。けれど、背後から聞こえた言葉に、里珠は慌てて体勢を立て直して走り出した。
「王弟殿下がいらしてるわよ!」



 どうしてだろう? 何かあった? 頭の中で疑問はぐるぐる回るけれど、半分くらいはそんなことどうでもいいような気分で、里珠は村の中を走り抜けた。急ぐ理由を知っているのか、人々は道を開けていて、幸いにして誰にもぶつかることなく目的地にたどり着く。
 今夜の祭りの会場になる広場に人気はなかった。中央、一番目立つところに枝ぶりのいい竹がいくつも立てられていて、通り過ぎる風に笹飾りを揺らしている。
 ――その下に、青年の後ろ姿。
 笹を見上げているその立ち姿だけですぐにわかる。必ず迎えに来ると言って飛竜で去っていったその背中を、忘れないように何度も心の中で繰り返していた。けれど、本物を見ればそれは色鮮やかに記憶に塗り重ねられる。
 広場の入り口で立ち止まってしまってた自分に気付いて、里珠は呼吸を整えてから歩き出す。
 辺りに青年以外の人影はなく、とても静か。別段音を立てて歩いたつもりはないが、気配を感じ取ったのだろう、その顔がはっきり見える距離まで近づいたころ、ちょうど青年がこちらを振り返った。
「――ああ」
 その瞳に里珠をとらえた途端、優しく微笑む。
「変わりないな、里珠」
「獅苑様」
 目に映る光景が信じられず、里珠は目を瞬かせた――それでもその姿は消えない。
 次会うときは、すべての準備が終わって王都に行くときなのだと思っていた。まだ何も事態は動いていない。
 すぐ会える距離にいるわけでもない想い人にまさかここで会えるとは思いもしなくて、里珠は獅苑から視線を動かせなかった。全身が震える気がして、泣きたいとはこういう気分かもしれないと思う。
 夢じゃない。もっと姿をよく見せて。声を聴かせて。一瞬の姿でも、一言でも、逃したくない。
 勢いよく地面を蹴って、里珠は獅苑の傍へ走り寄る。
「どうして、ここに」
「今日が定期巡回の日だっただろう。今日の担当と交代してもらった」
 混乱したままの里珠の問いに、獅苑は悪びれた様子もなく答えた。厳密にいうと、里珠が聞きたい答えとは少しずれていたのだけれど。つまり獅苑が巡回兵の役回りであって、結果待たせていたということになるのだろう。
「待たせているのはこちらの都合だとは分かってるんだが……あまり兄上のことは言えないな。俺も堪え性のない方だったらしい」
 声が途切れて、獅苑はこちらを見下ろしてきた。里珠は彼の次の言葉を待って息を詰める。風に鳴る笹の葉の音も、笹飾りの立てるかさかさという音も、聞きたい声の前では耳障りに感じるほどだ。
「里珠の顔が見たくなった」
 だから、役目を交代してまで来た――。
「どのみち長居は出来ないからな、少し様子を見れればいいと思っていたんだが」
 当然ながら飛竜は目立つ。降りる場所を見定めているうちに広場で祭りの支度をしていた諸々の人に目撃され、村のはずれに飛竜を下した頃には、気の利いた人々が行動を起こして獅苑を広場に案内し、友人二人が里珠を呼びに行くということになったらしい。道理で広場に人がいないわけだ。
 とりあえず、今夜の里珠に関する話題は絶対にこれだ、と里珠は暗澹たる気持ちで悟った。
「少し大事になってしまったな」
 獅苑の言葉に里珠は慌てて首を振る。友人たちからつつかれるのは少し疲れるが、それと獅苑に会いたいかどうかは別だ。
「いいえっ、私も……獅苑様に会えて嬉しいです」
 会いたいと思っていたのが自分だけではないことに、里珠は安堵した。なかなか叶わなくても、思っていていいのだということが嬉しい。そう思ったら、待っていられる気がした。
 獅苑は笹竹の方を振り返る。里珠も追ってそちらを見上げた。風に揺れていくつもの短冊がくるくると舞っている。里珠のかけた短冊もひらひらと踊り、ときどき後ろの紙人形が姿を見せていた。
「準備が進んでいなくて――あの願い事がかなうのは、まだ少し先そうだ」
 そう言った声は、とても申し訳なさそうに響いた。きっとあの短冊を見つけたのだろう。考えてみれば里珠が背を伸ばしてつけたあの位置は、見事に獅苑の視線の高さに合っていた。
「せめてお守り代わりに、というのはずいぶんな我が儘だな」
 それは手紙にあった言葉。傍にいられないから、せめて人形だけでも。想いの込められたたくさんの言葉の中に、その文章もあった。
 今夜のお祭りをごく普通に楽しめる恋人同士とは、違う。それをわかっていて手を取った。
「……あの、大丈夫ですから、獅苑様。最初に言った通り、私ちゃんと待っています。獅苑様がこうして会いたいと思ってくれているなら、平気です。でも……」
 里珠はそこで大きく息を継ぐ。人形だけを託されることを獅苑の我が儘というなら、今からちょっとだけ紛れ込ませるのは里珠の我が儘だ。それも獅苑のよりもずっと難題の。こちらから王都に行くことはできないから、こんな形でしか言えないけれど。
「でも、獅苑様が我慢できなくなったときにこうして会いに来てくれたら、もっと頑張って待てます」
 獅苑はこちらを見て目を瞠る。一瞬の間を置いて、破顔した。
「俺の竜珠の姫は、主を甘やかすのが得意らしい。それは随分な挑発だな」
「あっ、お仕事はきちんとして下さいねっ……!」
 里珠の方にかかりきりで、獅苑の仕事がおろそかになるのも、それで里珠を迎えるのが遅くなるのも、どちらも困る。里珠が眉を寄せてそう言うと、獅苑はますます楽しそうに笑っていた。




「獅苑様、今日は少し時間はありますか?」
「祭典には出なきゃならないが……まあ日が暮れる前にたどり着けばいいだろう」
「じゃあ、お茶くらいはゆっくりできますね」
「久しぶりに会ったのだから、少し楽しい話を聞かせてもらいたいな」
 二人で並んで歩くその姿は、笹に飾られた紙人形とそっくりだったと、後日友人たちから教えられた。


2012.7.17

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