聖剣3 紅蓮の魔導師×アンジェラ

Knight of heart







 ねえ、アルテナが変わろうとしているわ。
 あんたが望んでいたような国になるよ。
 魔法を使えなくても、侮蔑されることも差別されることもない国に。
 もし、あたしたちがこの国にいるうちに、そんな風に変わっていたら。
 あんたとあたしの未来は、どうなっていたのかしら……?





『久しぶりにローラントに遊びに行くわ―――』
 
 世界を竜帝の手から救って、約一年が経った。ローラント復興のため、目まぐるしく働き回るリースのもとにアンジェラからの手紙が届いたのは三日前だった。
 世界が魔法を失いつつあり、アルテナも大変なことになっていて、アンジェラも忙しいはずではあったが、今までも度々あったことなので、リースはさして気にもとめず、アンジェラを迎える用意をし、迎えの者をパロへと送った。

 かくして。

「リース、久しぶり!」
 ローラントの門をくぐったアンジェラは、リースが出迎えているのを見つけると、大きく手を振った。
「こちらこそ、久しぶりね、アンジェラ」
 二人はそのまま思い出話にしばし花を咲かせる。
「だいぶローラントも落ち着いてきたみたいね」
 辺りを見回しながらアンジェラは感心したように言った。
 ナバールにより城を奪われ、そして取り返してからまだ一年程度しか経っていない。かつては明らかに残っていた侵攻の傷跡は、もうその事実を知らない者には嘘だったと思えるほどになくなっていた。
「ええ、私の留守の間に、みんなで頑張ってくれましたから。……まだやることはたくさんありますけど。アルテナだって大変でしょう、これから」
 王の不在を埋めるべく奔走するリースと、そしてこれから魔法を失っていく世界で生き抜かなければいけないアンジェラたちと。
「まあね、魔法だってなくなるし、寒さ対策だって大変だし……。でも、やってみると結構やりがいがあるのよね。とにかくのんびり昔を懐かしんでもいられないくらい忙しいのは確実だわ」
 そういってアンジェラは笑った。彼女は今、母である理の女王を補佐してアルテナの国政に関わっている。
 こんなところで話もなんだから、とリースはアンジェラを奥の私室へと招きいれた。


「へえ、じゃあ、デュランはデュランで黄金の騎士の称号を継いで頑張ってるのね」
 リースが入れてくれた自慢の紅茶とライザお手製のスコーンとを味わいながら、アンジェラはリースの話を聞いていた。
「ええ、聞いた話ですけど、なんだかんだ言いながらもうまくやってるみたいですよ」
「ねえ、リース、今度二人でからかいにでも行ってやらない?」
「いいですね、それ。フラミーでですか?」
「そうそう、警護してるところにいきなり真上から現れるってのはどう?」
 ……とても一国の王女、忙しい者同士とは思えない話で盛り上がりながら、二人は楽しい時間を過ごした。
 そして、あらかた話し尽くして、そろそろ話題も途切れようかという頃。
 急にアンジェラが居住まいを正してこう言った。
「実は、今日来たのはお茶を飲みに来ただけじゃないのよ。リースにお願いがあって来たの」
「私に?」
「リースじゃなきゃ頼めないことなのよ」
「何ですか?」
「一緒に行って欲しいところがあるの。あたし一人じゃどうしてもたどり着けないと思うのよ、モンスターだって結構強いままだろうし……」
 かつての聖剣の勇者の一人であるアンジェラが、マナが少なくなったとはいえ強力な魔法を使いこなすことのできる彼女が、一人では行けない場所?
「どうしても明日には着かなくちゃいけないのよ」
「明日、ですか?」
 そして、一年前の明日は。
 リースは機械的に次の言葉を紡いでいた。答えの予測できるその質問を。
「―――どこへ、ですか?」
「ドラゴンズホールよ。その、一番奥。―――あいつが眠ってる場所」
 一年前の明日は。
 紅蓮の魔導師と戦い、彼女たちが勝った日。彼の最期の日。



 一年ぶりに踏み込んだドラゴンズホールは、あの頃よりはずいぶんと落ち着いていた。主である竜帝が既に亡いせいなのか、モンスターたちはだいぶ大人しくなっており、わずかに血気盛んなものが襲ってくるくらいだ。
 戦いの連続で研ぎ澄まされた二人の気配は、むしろ並大抵のモンスターならただならぬものを感じ取り近寄ってこない。
 それでもたぶん、アンジェラだけでは最深部に到達することは難しかっただろうと、槍を振るいながらリースは考えた。魔法に親しんだ彼女は何とか肌で感じることができるが、明らかに洞窟を満たすマナは少なくなっており、それを証明するかのようにアンジェラは基本的な魔法を使うにとどまっていたのだ。
「大丈夫ですか、アンジェラ?」
「ええ、大丈夫よ。あの頃よりモンスターが寄ってこなくなったのがまだ救いね」
 やっぱりマナは少なくなっているんだわ、とアンジェラは呟いた。
 アルテナで寒さ対策、これから失われていく魔法への対策として、研究を続けていた理の女王とアンジェラはある結論に達したという。
 マナは少なくなっている。けれど今までと同様に魔法を使い続けているところは実在する。そして今までも魔法を使わないできたところもある。
 魔法を使っている場所は、言うまでもなくアルテナ。そして祝福や回復の魔法を与える神官たちのいるウェンデル。
 魔法を使ってこなかった場所は、剣士、戦士の国フォルセナ、ローラント。獣人の国ビーストキングダム。ナバールもこれに含めていいかもしれない。幾人かは魔法の使い手がいるであろうが、それでも大部分は魔法なしでやってきた国々だ。
 すなわち、残された少量のマナは、より必要とされる場所へ集まるのではないかと。
 その論理に従えば、竜族ばかりで魔法を使うもののほとんどいなかったこのドラゴンズホールではマナは他の場所より薄れている―――。彼女たちの考えは、あながち間違っていなかったらしい。
「リースと一緒に来て正解だったわね」
 アンジェラは笑った。
 辺りにモンスターの気配がないことを確認すると、二人はさらに奥へと進んだ。
 目的地はドラゴンズホール最深部。


「そういえば、デュランには声をかけなかったんですか?」
 ゆっくりと道を下りながら、リースはアンジェラにふと問いかけた。下るとは言っても、獣道とすらいえない、岩壁につかまりながら張り出した岩の上を歩いて降りているような状態である。何とか下へと辿り着いた後、アンジェラは今まさに降りてこようとするリースを見上げた。
「デュラン? 声はかけてないわよ」
 リースは岩から手を離すとアンジェラのいる床へと舞い降りた。とんっと音がして、二人の視線の高さがほぼ同じになる。
「デュランだって、いくら酷い境遇にいたからといって、国を滅ぼしかけた奴が死んだことを悼むことなんて、一年程度じゃ無理でしょ」
 そうじゃない? アンジェラの瞳が問いかけている。
 リースは答えなかった。痛いくらいによくわかる。美獣の黒の貴公子への想いはわかるつもりだった。それでも、ローラントを滅ぼし、仲間の命を奪ったことは許せない。
「それに、今日は野暮用も兼ねてだから。リースならたぶん判ってもらえるかな、と思ったの」
 ついたらきっと判るからと言い、アンジェラはその話題を打ち切った。


 昔は竜帝が座していたところだったのだろうか。岩に埋もれた空間に不似合いな扉が視界に大きく広がる。その扉の向こうが、あの日紅蓮の魔導師が三人を待っていたところだった。
 アンジェラが一歩先に出て、扉を開ける。扉の奥は天井が大きく広がり、今まで通ってきた空間と比べると遥かに広かった。
 さび付いた扉はきしんだ音を立て、それは室内いっぱいに響き渡り、不思議な雰囲気を生み出す。その音がどこかへ消えてしまうと、後には静寂が残された。
 耳が痛いほどの無音。この中で、竜帝は人間への復讐を誓ったのだろうか。
 リースが後からついて入ると、アンジェラは迷いもせず、洞窟の隅へと向かう。そこに、あるものが残されていた。
 あのとき紅蓮の魔導師がまとっていた、ローブとマント。竜帝に命を半分与えていた彼は、命を落としたとき、残り半分の命も竜帝に奪われた。彼の体すら、痕跡も残さずに消えてしまったのだ。
 彼がここにいたことを示すのは、その場に遺されたこの服だけだったのである。
「久しぶり、やっと来れたわよ……」
 懐かしいものを見るようなアンジェラの瞳は優しく、口調は愛しさに溢れていた。
『今はすることがあるから、平和になったら、またここに逢いに来るわ』
 彼女のその姿を見て、リースはあのとき理の女王をアルテナへと送るためにここから出ようとしたアンジェラが言い置いていった言葉を思い出したのだった。
 その約束を、彼女は果たしに来たのだ。一年の後に。



 彼が最期に倒れ付したその場所へ、アンジェラは取り出した一輪の花を置いた。
 アルテナにしか咲かない花。理の女王の結界の中で護られた、細く白い花弁を持つ美しい花。二人だけの秘密の場所に咲いている花。
「アルテナが、変わろうとしているわ。あんたが望んでいたような国になるよ」
 正面を見上げて、アンジェラは告げた。
 紅蓮の魔導師が立っていれば、たぶんそこに顔があるのだろうと思われる高さを見つめて。
「魔法はなくなる。魔力がある者が優位に立つ制度そのものが変わるわ。……もっと早く、変わることができたら、良かったのにね」
 まるでそこに彼がいるかのように、アンジェラは語りかける。
 けれど、その後ろで彼女を見守るリースには、確かに見えていたのだ。アンジェラの後姿の向こうに、確かに岩壁しかないはずのその場所に、―――紅蓮の魔導師が優しい笑みを浮かべて立っているのが。
 戦いの最中の追い詰められた瞳ではなく、最期に見せた穏やかな表情で。
 それは、彼が遺した想いだったのかもしれない。彼女が望んだ幻だったのかもしれない。
 ただ一度きりの儚い逢瀬が、目の前に広がっていた。
 
 
 互いに違う世界にいるはずなのに、確かに絡み合う視線。
 長い長い沈黙の後で、アンジェラは満足そうににっこりと笑った。
「……もらっていくね、そのマント。大事な、あんたの遺品なんだから」
 声は返ってこない。けれど、答のように紅蓮の魔導師の姿は消えてしまった。
 たぶん、もうここに幻を遺す必要がなくなるからなのだろう。
 アンジェラは壊れ物に触れるように、その足元にあるローブとマントを抱え上げた。
 後ろ髪をひかれる想いで置いていってしまったであろう彼の遺品。やっと会うことのできたそれを、アンジェラは愛しそうに抱きしめる。
 リースはそれをまるで自分のことのように、嬉しさをかみ締めていた。
 ―――やっと逢えた。
 許せないはずの美獣を憎むことができないのも、戦って止めを刺しもした敵を想うアンジェラに共感できるのも。
 リース自身がその感情を知っているから。
 立場も理屈も倫理も、自分の行動を決めるすべての束縛を凌駕するその想いを持っているからだった。



 ドラゴンズホールから抜け出した二人を待っていたのは眩しいほどの太陽の光だった。
 目的を果たしたアンジェラは気持ちよさそうに腕を広げて伸びをした。
「アンジェラは……ずっとあの人のことを忘れてなかったんですね」
「? 何よ、急に?」
 リースは一旦視線を彷徨わせ、言いにくそうに呟いた。
「……もう気にしていないかと思っていたんです。よくデュランを見ていたから」
 表情を険しくするリースに、アンジェラは一瞬言われていることを理解できず目を点にしたが、しばらくして笑い出した。思い切り手をひらひらさせる。
「あ……そういうことか。まあ、頼りになるとは思ってるけど、騎士ってこういう奴ばっかりなのかしら、っていつも思ってたのよね」
 アンジェラは急に寂しそうな表情になると、ため息をつくように言葉を紡いだ。
「あいつでも、騎士になってたら、デュランみたいな奴になってたのかな……そう思っていただけよ」
 それに、あいつはフォルセナの騎士でしょう?
 アンジェラはこうも言った。―――あたしの騎士は一人でいい。あたしはそいつに護ってもらうためにだけ、姫になるの。
 その言葉に、リースははっとした。
 もし、紅蓮の魔導師が、ドラゴンズホールで竜帝に会わずにフォルセナに行っていたら、二人の未来はどうなっていたのだろう。
 少なくとも、敵同士には―――。
 アンジェラはまた、いつものように明るく笑う。
「何年経っても、あたしは忘れない。あいつがいたことも、あたしと一緒にいたことも、あいつが選んだ道も。―――たぶん、それでいいと思う」
 たぶん、これから先何十年と、紅蓮の魔導師という存在は、アンジェラに寄り添っていくのだろう。
 それは、恋よりも愛よりも強く結びついた、絆だった。



 フラミーは、アルテナの城門の前に雪を舞い上げながら降り立った。
 旅の間にすっかり慣れてしまったが、意外と高いフラミーの背から飛び降りて、アンジェラはリースに声をかける。
「ねぇ、せっかくだから、うちでお茶飲んでいかない? リースやライザさんほどじゃないけど、うちのヴィクターのお茶とお菓子もけっこういけるのよ」
 少し躊躇したリースはしばらく考えた後、肯定の返事をした。せっかくもらった休暇だ、しばらくゆっくり休んでもいない。もう半日、いや一日くらい休んでも、たまにはいいだろう。
「じゃあ、決まりね」
 フラミーにまたあとで、と別れを告げ見送ると、二人は城門をくぐり、街を抜けて城へと向かった。

「そういえばさ」
「なんですか?」
「昨日訊き忘れちゃったんだけど、リースって、デュランとはどうなってるわけ?」
 びたっと音がしそうな勢いでリースが立ち止まる。一瞬のうちに顔に朱がさし、耳まで真っ赤になったリースは慌てて言った。
「な……なななんですか急にっ!」
「一緒に旅してて、知らないとでも思ってる?」
「べ、別になんでもありませんっ!」
 必死になって否定するリースに、アンジェラはふぅん……と笑みを浮かべた。
 嫌な予感がする。リースは軽いめまいに襲われた。
「そうかぁ……。ところで、聞いた噂なんだけど、どこぞの聖騎士様がどこぞの王女様に求婚したっていうのは本当なの?」
 リースには、にっこり笑って尋ねるアンジェラの笑みが悪魔の笑みに見えた。
「あ、あのっ、私、やっぱり帰って仕事をしなくちゃ……!」
 風の太鼓を手にアルテナ城に背を向けかけたリースの首根っこを、がしり、とアンジェラがつかむ。
「ほらほら、せっかくもらった休暇でしょ? ゆっくり休んでいきなさいよ。……いいのよ、じっくり聞かせてもらうから」
 ヴィクターの名を呼びながら、リースを引きずってアンジェラは城の入り口の門をくぐった。
 寒さを払うような心地の良い風が二人を出迎る。
 後ろに、リースの泣き出しそうな弱々しい叫びが響いていた。
 


 あたしはあんたを忘れない。
 それがあんたの生きてた証になる。
 いつか、もしかしたら別の人を想うこともあるのかもしれない。
 でも、一人で生きていくには、まだ時間が足りないから。
 今はまだ思い出に浸らせてよね。
 静かに眠ってるあんたには迷惑かもしれないけど。
 気が向いたら、時々見守っててよ。


 ね?


END
2002.12.23


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