「こんなに傷だらけ……あんまり無茶しないでくださいね」
小言に聞こえなくもない、怪我の手当をしてくれている少女の言葉。凛と空気を震わせるその音色に、耳を澄ませて目を閉じた。
「……聞いてるんですか、デュラン?」
ちょっと不機嫌そうな響きが混じり、目を開けるとわずかに眉をしかめたリースが顔をのぞき込んでいる。
ふと、悪戯心が湧いてきて。
俺はぐっとリースに顔を近付けた。
「!」
視界全てがリースの顔で占められる。触れ合うまであと数センチという至近距離で、動きを止めた。
リースが硬直していたのはほんの数瞬のことで、慌てて俺を突き飛ばし後ろに逃げる。
近くにあった応急手当て用の道具の詰めてある箱に当たり、箱は悲惨な音を立ててひっくり返った。
口を開いて何か言おうとするが、何も言葉は紡ぎ出されない。
困ったような怒ったような表情を浮かべる顔は耳まで真赤だ。
「デュ……デュランっ!」
なんとか非難めいた言葉は言ってみるものの、声は上擦ってしまい、動揺していることはばればれだ。
「ん?」
笑みを浮かべて言葉を返す。おそらく彼女にはとても不敵で余裕のある笑いに見えているに違いない。
「どーか、したか?」
あえてたとえるなら、生まれて間もない子猫を飼い始めたときに似ていると思う。
爪を立てられても怒るどころか、逆に気を引こうとおもちゃで遊んでやったりする。
動き回ってる様子とか仕種がかわいらしくて、ついつい甘やかしてしまう。
ついからかいたくなって、目の前にあるのに絶対届かないように猫じゃらしを振って遊んだり。
けれど、すねられて外方を向かれると、今度は必死になって機嫌を取ろうとする。
結局、全部が愛しくて堪らない。
「……」
自分では墓穴を掘るだけだと気付いたらしいリースは、俺が絶対に逆らえない方法で報復してきた。
「もう、知りませんっ!自分で勝手に手当でもなんでもしてくださいっ!」
そう言って背中を向ける。ご丁寧に乱暴に中身を戻した治療箱をこちらに押しやって、だ。
こうなればこちらの負け。後は機嫌を取ってなんとか許してもらうしかない。
まあ、それも結構楽しいのだけれど。最終的には自分が屈するとわかっていて、それでもちょっかいをかけずにはいられない。
「リース」
耳を塞いで知らんぷりを決め込むリースに声をかける。
自分にもこんな声が出せるのか、と感嘆したほど、甘えを帯びた声で名前を呼ぶ。
戦闘の名残りで、金色の流れる髪を束ねる若草色のリボンからこぼれる髪を手で梳く。
「ごめん、リース。悪かったって」
我ながら悪いと思っているようには聞こえない口調だと思うが、実際反省もしていないのだから仕方ない。
恐る恐るリースが振り返る。
半信半疑どころか全疑くらいの、だがなんだか弱々しい目で俺を見てくる。
この瞳に俺は弱い。反省しようと殊勝に思うほど……それは誇張だが。
リースはゆっくりと向き直って、途中で放り出す羽目になった俺の手当を再開する。
しかし、心なしかその動作ひとつひとつがびくついているように見えるのは気のせいではないだろう。
「別に取って食おうって訳じゃないぞ?」
ひょいと顔を近づけてのぞき込むと、過敏に反応したリースはしかし学習したのか手で口の辺りをガードしながらあとずさろうとする。
応用力は悪くない。だが、その程度で防げるほど、こちらも甘くない自信がある。
間に置かれた手を、さっとすくい取るとその手の甲に軽く口づけた。
やっと赤さの引いた顔に、見る見るうちに朱がさしていく。
「~~~!!」
言葉にならない悲鳴が周辺に響き渡った。
ついでにこれで俺がどれだけ手痛いしっぺ返しを食らったかというと。
戦闘後よりわずかに増えた傷の手当は自分でする羽目になったし、リースには一週間口を聞いてもらえなかった。
とはいうものの、誰に言っても自業自得だと返事が返ってくるだろうけど。
それでも、止める気には何でかなれないんだよな。
END
2001.9.22