聖剣3 デュラン×リース

物語より切ない


4.運命の日―――前日。



 フォルセナに向かう船の中で、隣にいたジェシカに、訊いてみた。
「何?」
「お前さ……例えばの話な」
「うん」
「好きな男がいたとして……そいつには想いあってる別の人がいるんだが……。
 だけど、ある方法で一緒にいることができるんだ。
 たぶん、その男が想ってくれることはないんだが。お前なら、どうする?」
 ジェシカはクスクスと笑った。「それ、ひょっとして何か私に言いたい?」
「そうね……一緒にいても、好きになってはくれないのね?」
 俺が頷くと、ジェシカはしばらく考えて、こう答えてくれた。
「一緒にいるだけでいいくらい好きなら……愛してるなら、
 そのときは、その方法を使ってもいいから、一緒にいたいと想うわ……きっと。
 だから……たぶん、その人の気持ちもわかると思う……」
 あの人のことなんだよね、とジェシカは遠慮がちに訊いた。
 頷いて、遠く海の彼方に目を向ける。
 そう、俺にだってわかる。
 何をしたっていい、傍に居たい。そのくらいの気持ちなら。
 それだけでいいというあいつの想いなら。
 俺であっても、その立場に立たされればそうするだろう。
 だけど。
 わかるからこそ、何だかあいつが哀しく思えて仕方なかった。




「では、今日はこれで終わりです。あとは明日の朝までゆっくり休んでくださいね」
「ええ、ありがとう」
 装飾を担当する女官が恭しく礼をするのにアンジェラは応えた。女官が出ていった後、けだるそうに再び鏡の前に座り込む。明日のためにと磨き上げられた紫色の髪が艶やかに光っている。
 ―――いよいよ、明日。
 ずっとずっと、夢見ていたこと。
 鏡の中の自分を見ながら、アンジェラはそっと思った。
(あたし、デュランと結婚するんだわ……)
 一緒に旅をしていた頃から、そして今までずっと望んできたこと。離れたくない、―――ずっと傍に居たい、この命が果てるまで。
 それが、明日叶うのだ。
 でも、喜びにあふれる心の中に、ほんのわずかに有る、綻び。
 きっと彼女は、泣いているのかもしれない。
 アンジェラだけではなくて、仲間の誰もが知っていた、公然の秘密。二人の間に流れる穏やかな時間と、決して相手に告げることのない彼の想いと彼女の想いと。
(……その間に入ったのは、あたし)
 知っている。だけど、でも。
 コンコン。
 遠慮がちに扉が叩かれる。鏡の中の自分の、さらにその向こうをぼんやりと見つめていたアンジェラは、はっと我に返った。
「は、はい?」
「アンジェラ様、ナバールからホークアイ様が到着いたしました」
「わかったわ、通して頂戴」
 女官の声に、アンジェラは堂々とした、だが慈愛あふれる声で返す。外で何事か会話が交わされた後、静かに扉が開いた。
「よっ、久しぶりだね、姐さん」
 片手を上げて挨拶しながら入ってきたのは、ホークアイだった。
「久しぶりね……でも、遅かったじゃない、前日フォルセナ入りだなんて。シャルロットなんか2週間前にすでに来てたわよ」
 軽くにらみを聞かせながらアンジェラも言う。ホークアイはその様子にいたずらな笑みを浮かべていた。
「お、言ってくれるね。姐さんのためにとびきりいい花が咲くの待ってたっていうのにさ」
「こんにちわ、アンジェラさん」
 ホークアイの後ろから現れたのは、花束を抱えた少女、ジェシカだった。アンジェラが最後に会ったのは、旅の途中、美獣の手から彼女を助け出したときだ。旅の終わり頃にはすっかり回復していたというが、今はその頃の面影はなく、外見からも元気さがにじみ出てみえる。
「あら、それが砂漠の花? だいぶ進んでいるみたいね」
 ジェシカから花束を受け取りながら、アンジェラはその色とりどりの花を鑑賞する。暖かいところにいる魚は色鮮やかと聞くけれども、その花束も、様々な色があふれていた。
「ああ、おかげさまでね。まあ、砂漠がなくなるには、まだまだだろうけど」
 砂漠の盗賊ナバールは、今は砂漠を緑にするために奔走している。砂漠に残る緑を少しでも増やそうと様々な試みが行なわれているのだ。
「でも、おもしろいことを考える人がいますね。それぞれの国の花を集めて花嫁のブーケを作ろうだなんて」
 ジェシカの言葉にアンジェラとホークアイはわずかに笑った。誰が考えたのかは知らないが、世界がひとつになる印だと、女官が教えてくれたのだった。
「じゃあ、私は先に戻っているわね」
 そう言い残し、ジェシカはアンジェラに礼儀に乗っ取った礼をすると部屋を出ていった。
その彼女に同じく丁寧に礼を返して見送ったアンジェラは、ふとホークアイに向き直る。
「なんだかんだ言って、あんたもうまくやってるんじゃない、彼女と」
「まあ、いろいろとね」
 鏡の前にしつけられた花瓶に、今渡された花束をいれる。すでにそこには、4国分の花が飾られていた。
「だいぶ集まってるみたいだな」
「ん、まあね。あとは、―――ローラントからだけよ」
 その最後の言葉が、二人の間に沈黙を呼んだ。
 ―――ケヴィンはあたしを責めはしなかった。シャルロットは、あたしをただ祝福してくれた。……でも、あんたはきっとあたしに訊くんでしょうね。
(だって、ホークアイ、あんたはあたしの気持ち、わかるだろうから)
 きっと誰もが彼女を祝福して、でも複雑な気持ちを抱えているに違いない。
「訊くまいとは思ってたんだけどさ……それで、姐さんは幸せになれるのかい……?」
 幸せの定義は、何? 想う人に想われること? 想い想われる人と、一緒になること?
「ホークアイ……あんたの言っているような『幸せ』なら、……少なくとも、今のあたしは欲しくないわ」
 ―――ただ、一緒にいられれば、いいのよ。
 だってそうでしょう?彼は彼女を想っている。そんなこと、旅しているときから知っていた。
 彼女より愛される自信なんてないし、そんなことしようとも思っていない。
 傍に居ることが許されるから、だから傍に居たいだけ。背中を追いかけて、自分のできる限りで彼を支える。それがしたいだけ。
(失くしたものは、確かにあるけどね)
「姐さんは、後悔しないんだな?」
「ええ、そうよ」
 ホークアイは、そうか、とだけ言って部屋を出ていった。入れ代わりに女官がローラントの到着を告げた。
 欲しいもの全てを得られるわけがないことは、ずっと昔に知っている。
 これから先、未来の光と引き換えに、彼女の笑顔を失くしたのだ。
(まるで物語みたいね。ずっと昔に、城の女の子たちの間で流行っていた物語……)
 主人公の少女が、親友の相思相愛の恋人に恋をして、最終的に友人を失くすけれど、彼の愛を手に入れて、二人で幸せになる話。あのときは、辛い事を通り抜けて、これからどんなときも一緒に歩んでいくだろう二人を心から祝福して、憧れたりもしたけれど。
(それと同じようなことを、今はあたしがしている……)
 でも、物語のようには、いかない。あれはやっぱり、架空の世界に描かれる、『物語』なのだと。
(物語より、ずっと切ないわ……。あの話は、あそこで終わってしまったけれど、あたしは、これから先があるんだもの……)
 そして、あの物語では、決して描かれることのなかった、全てを失って、残された友人が、今は確かに存在する。あの物語では、少女は彼を手に入れたことだけ見つめて、他の全てから目を逸らしていたのだ。傷つけた、友人からも。
(でも、それだけは違う。あたしは、あの主人公とは違う。失くして、傷つけておいて、また修復できるなんて虫のいいこと、思ってない)
 ノックされる扉の音。アンジェラが応じると、ふわっとしたいい香りとともに、花束を持ったリースが入ってくるところだった。
「ごめんなさい、遅くなってしまって。……おめでとう、アンジェラ」
 女神のような笑みを浮かべるリースに、アンジェラも、最上の笑みで応じた。
「ありがとう。いいのよ、忙しかったんでしょう?」
 他愛もない話に興じながら、アンジェラは、今ここで交わされる会話の全てを、リースの声と表情の全てを記憶しておこうと思った。
 こうして会話を交わすのは、彼女と話せるのは、哀しいけれどこれが最後だと確信できるから。
(でもね、ホークアイ、それでもやっぱり、あたしは後悔はしてないのよ)
 失ったものは、たくさんある。そしてきっとこれからも失くしていくのだろう。
 それでも。
(他の誰が何を言っても、……それでもあたしは幸せなの)
 何より得たいものを得られるのだから。


 そして、夜が開けて、運命の朝が、来る。


-to be continueted……-
    2002.3.27


Index ←Back
Page Top