4.
あれから、ケヴィンは何度となくリースのところを訪れていた。他愛ない世間話をして帰る日もあったし、仕事の一環として訪問のついでにお茶を飲むこともあった。
最初の頃は、リースはその場からいつも見送っていたけれど、数ヶ月経つうちに、城門のところまで見送りに出てくるようになっていた。
今日も、そんなある日の午後。
「じゃあ、オイラ、帰るね。リースも元気で」
「ケヴィンも、道中気をつけてくださいね」
リースも心配そうに声をかけてくる。彼女が心配しているのは道中現れるモンスターではない―――世界最強の勇者の一人だ、そんな心配は無用。
ケヴィンはビーストキングダムの後継者。人間と獣人の架け橋として、世界を巡ることも多い。時には心無いものから罵声を浴びせられたり、酷ければ命を狙われることもある。
彼女が心配するのは、そのこと。
「あの、ケヴィン」
「何?」
「その……、忙しくないときでいいんですけど」
リースは途中で言葉を切り、視線をあちらこちらへ彷徨わせた後、言いにくそうに切り出した。
「いつか、ビーストキングダムを訪ねてみてもいいでしょうか……? いつもケヴィンに来てもらうのは申し訳ないし、私も獣人たちが今どんな様子なのか見てみたいですから……」
獣人王と話したいこともありますから。言い訳のように、リースは慌てて付け加える。
ケヴィンは思い切り頷いていた。
「……うん、いいよ。いつでも、連絡くれれば大丈夫」
「じゃあ、そのときは、連絡しますね……」
また、彼女の時間は動き出すのかもしれない。
ケヴィンはリースに大きく手を振って、麓への道を下り始めた。
ローラント城を出れば、すぐ洞窟が見える。くぐれば、もう彼女の姿は見えなくなる。
ケヴィンは、そこへ入る前にもう一度だけ振り返る。
そして、確かに見た。
リースが、その顔に、彼の大好きな優しい笑みを浮かべてこちらに手を振っているのを。
洞窟の中は、昼でも暗い。が、獣人の血を持つケヴィンにはさしたる問題はない。
隙間からこぼれてくる光でも十分だ。
そこを歩きながら―――彼の発する闘気に怯えてなのか、辺りには魔物の気配は一切ない―――、ケヴィンはふと考えていた。
彼の自室に大切にしまってある、あれを使うときが来たのかもしれない。
それは、婚姻の儀の全てが終わり、来賓たちが続々と帰る中、ケヴィンが帰り支度をしていたときのことだった。
同じくウェンデルへの旅支度を整えていたはずのシャルロットがケヴィンを訪ねてきたのである。
『これ、しばらくの間、あんたしゃんに預けておくでち』
シャルロットは、彼女が預かることになっていた風の太鼓を差し出してそう言ったのだ。
『フラミーにね、ケヴィンしゃんかリースしゃんが呼んだときは、ある場所へ連れて行ってって伝えておいたでち。だから、リースしゃんが落ち着いたら、行ってみるでちよ』
よくわからず、ケヴィンは尋ねていた。
『―――どこ?』
『結婚式の三日前に、デュランしゃんが行った場所でち』
行けば、デュランの気持ちがわかるから、とシャルロットは言った。
『シャルは、デュランしゃんの気持ち、とってもよくわかるでちよ。……だから』
ケヴィンを見上げた彼女は、寂しそうな笑みを浮かべて笑う。
彼には、彼女の抱えるものが何なのかまではわからなかったけれど、ただ黙って次の言葉を待った。
そして、彼女は続ける。
いつもの幼い言葉遣いでなく、年相応の、あるいはそれ以上の大人びた口調で。
『―――そこに行くまでは、デュランのこと、まだ憎まないでね』
今なら、きっと。
今度、リースと一緒に行ってみよう。
それがどこなのかは、全然わからないけれど。
シャルロットは、そこに行けばデュランの気持ちがわかると言った。
きっと、それはリースを不幸にするものじゃない。
ケヴィンは確信にも似た気持ちで、そう思っていた。
彼の知っているデュランは、リースを泣かせるはずがなかったから。
彼の知っているリースは、デュランの傍にいるだけで、幸せそうに笑っていたから。
漁港パロを目指して、天かける道を勢いよく下るケヴィンの背後から。
乾いた爽やかな風が、はるか下の海へ向かって吹き抜けた。
それは、未来へと続く、風かもしれない。