1.「たぶん、デュランは、言葉にできないくらい、リースのことが大切なんだ」
前方に広がる空は、ところどころを白く染めながら、青く鮮やかに晴れ上がり、後方へ流れ行く空気は、わずかに潮を含み心地いい。
フラミーは、その背に一組の男女を乗せたままであるにもかかわらず、縦横無尽に空を飛び回っていた。
地上からは鳥にしか見えないだろう高みから街を見下ろしたり、かと思えば誰もいない海原を水面すれすれに飛んでみたり。
『フラミー。デュランとシャルロットの行った場所、連れて行ってくれるか?』
そう言って背に乗り、全てをフラミーに任せたケヴィンだったが、焦らされるようなフラミーの飛びっぷりに思わず急かしそうになり、慌てて深呼吸をして自分を落ち着かせた。
……しかし、この風景、さっきも見たような気がする。
「……一体どこに行くんでしょう?」
さすがのリースも少し心配になってきたらしい。ケヴィンの後ろから顔を覗かせた。
「わからない。知ってるの、フラミーだけ。任せるしかないよ」
陽射しは穏やかで心地いい。よく考えれば、足元に砂漠も雪原も見ないから、彼女は彼女なりにルートを選んで飛んでいるらしかった。
ふと後ろに視線を向けると、リースの顔が少しこわばっているのがわかる。
(オイラ……酷いことするのかもしれない)
ケヴィンはふと思った。
今から行くのは、シャルロットに言われたことを果たすため、だ。
デュランが残したという、想いを知るために。
まばゆい陽光に照らされていても、リースの表情はやや青ざめているような気さえする。もしかしたら、それは再び彼女の哀しみを引き出す行為なのかもしれない。
あんなに、屈託なく笑えるようになったのに。
ビーストキングダムを訪れ、獣人の青年や娘たちと、何の躊躇いもなく談笑していたリースの姿を、ケヴィンは思い出した。しかし、いまさら引き返す気はない。
それでも。
やっぱりリースには、デュランを想っていて欲しいから。
フラミーの動きが変わる。
旋回しながら飛んでいた彼女はいつしか、その軌跡を直線へと変えていた。ただ真っ直ぐ、本当の目的地へと向かう。
そして、二人の目の前に広がったのは。
草木の生えぬ、世界で最も天に近い地。
―――天の頂。
フラミーから降りる前にあるものを見て、ケヴィンは安堵のため息をついた。それは、リースにも見えていたはずだった。
彼と旅を共にしていた者なら、それが何であるかわかる。彼にとってどれほど大切なものであるか知っている。
―――だから、それがデュランの想いなのだと、理解できるのだ。
フラミーから飛び降りたケヴィンは、続いて降りてきたリースの背を押し、前に行くように促す。
されるがまま、のろのろ歩くリースに、ケヴィンは声をかけた。
「シャルロットが言ってた。これが……デュランの気持ちなんだって」
天の頂のその最も高い場所に、一振りの剣が突き刺さっている。刃を見、柄を見れば、明らかに使い込まれたものであることが見て取れる。
その剣は、黄金の騎士ロキから、息子のデュランへと継がれた、唯一の形見。彼が片時も離さず、心の支えとしてきたものだ。
それを、この地に残していったということは―――。
「たぶん、デュランは、言葉にできないくらい、リースのことが大切なんだ」
ケヴィンはそっと呟いた。この言葉が、リースに聞こえても聞こえなくてもかまわない。言葉なんて要らないはずだ。彼女には、この光景だけで充分のはずだから。
光放つ金髪が、ゆらゆらと風に揺れる。そのリースの背が、突然低くなった。
膝から力でも抜けたように、ぺたりと座り込んでしまう。
両手を口元に当てて、彼女は泣いていた。
「デュランがここに来たの、式の前だったって……。まだ、リースがローラントに居た時だよ―――」
ケヴィンは空を貫いて立つ剣を見つめる。
想いを言葉になんてほとんどしないデュランだから、余計その剣から想いが伝わってくる気がする。
彼は、ここに想いの全てを置いていったのだ、たぶん。
自分が心の支えとしてきた大切なものを残していくことで。
こんな恋が、あってもいいはず。
彼がそれで満足するなら、彼女がそれを受け入れ、応えるなら。
「―――ごめんなさい、ケヴィン」
掠れるような小さな声で、リースは言った。その右手が静かに背後に伸びて、艶やかに煌めく髪をまとめるリボンを引きほどく。
ふわりと風に揺らめく金色の波。
風にあおられ、右手にまとわりつく若草色のリボンを、リースはきつく握り締めた。
それは、彼女の選択。―――そして、想い。
デュランの剣へ歩み寄ったリースは、その柄にリボンを結びつけた。途端に、何故かリボンは周囲の風とは無関係に穏やかに揺れ始める。
―――また、『どこか』で巡り逢おう。
たたずむリースの後姿を見守るケヴィンの顔に浮かぶのは、優しい笑み。
彼女の上に広がる空を見上げれば、風に流れ行くのは白い雲。
(オイラたち、たぶん誰も間違ってないよ……)
デュランの選択も、アンジェラが貫いた道も。
リースが進もうとしている未来も。
―――そして、自分が紡ごうとしている人生も。
正しいかどうかなんて、誰にも言えない。
どうか、最後はみんな笑顔でありますように。