聖剣3 デュラン×リース

「If」




 彼は、異様なほどに張り詰めた空気の中にいた。
 辺りに響く金属の擦れる音。慌しく行きかう人々の足音。
 あちこちで陣の配置を指示する声が飛び交う中、デュランは静かに椅子に腰を下ろし、一通の書状に目を通していた。
 彼がかつて愛しさと共に見つめていた流麗な文字で、驚愕するような内容が綴られている。何度読み直そうとも、その中身が変わってしまうことはない。
 険しい表情でデュランはその書面を睨みつけた。
「……騎士殿」
 傍にいた男が、恐る恐るといった様子でデュランに尋ねてくる。ため息をひとつ吐いて、デュランはゆっくりと相手に答えた。
「急いで、陣を整えてくれ。和平は失敗した。明日にも奴らは攻めて来るぞ」
 憎しみの対象のように書状を握り潰したデュランの動作に、男の顔に緊張が走る。「直ちに」と短い応答を残し、素早くデュランの傍を離れていった。

 戦を控えた人々の喧騒は耳に遠く、目の前に突きつけられた事実も遠く―――まるで夢のようだ、とデュランは頭の片隅で思う。
「やっぱりこうなっちまったか」
 自嘲するように呟いた言葉を聞くものは誰もいない。
 できれば戦いたくはなかった。そのためにあらゆる手段を講じもした。苦手な文章すらも必死で書いて、双方をまるくおさめる方法を見つけたかった。
 だが、もう終わったのだ。お互いに退いて手を取り合う術はなく、どちらかが勝ち取るしかなかった。そうするしか、もう国を護る方法はない。最後通牒は彼女自身の手でデュランの前に提示されたのだった―――それがこの書状。
「けど、できるわけねぇだろう。それをやったら、俺たちが―――フォルセナが滅ぶ」
 デュランが愛するこの草原の国が。そこに住む大事な人々の笑顔が、生活が。失われてしまう。
 それを護るためには、彼女に刃を向け奪うしかなかった。
 風の国の王女は、今どんな気持ちでいるのだろうか。
 世界を守る旅の間、何度も交わしてきたその心を垣間見ようとしてみる。
 彼女もまた、迷っただろうか。いつでも心は傍にあると約束した人と戦わねばならないという事実に悩んだだろうか。それとも彼女が愛した国を護るために躊躇なく切り捨てただろうか。

 ふと思いついて、デュランはぐしゃぐしゃになった書状をもう一度丁寧に広げてみた。
 何度見直しても、それは彼女の筆跡だった。綺麗に整った字体はいつ見ても芸術のようだ。他愛ない自分の生活を綴るこの字が、こんな風にデュランを苦しめる内容を刻むとは想像もしなかった。
 その、字が。
(……?)
 見つけた。見つけてしまった。
 今まで決して崩れたことのない筆跡。最後の文章のその線が、ほんのかすかにではあったけれど震えている。
 それを目にとらえたデュランは驚き、そして次の瞬間笑っていた。
(あんたでも、やっぱり迷ったのか、リース?)

 古今東西、数え切れないほどある恋物語のように、すべて捨てて想い人を選ぶのは簡単かもしれない。この苦しさから解放されるかもしれない。
 けれど、そうしたところで結局は別の大事な人々を見捨てたことに互いに苦しむに違いないこともわかっている。
 この国に、大事なものがある。捨て去ることはできない。失うこともできない。
 きっと彼女も同じ気持ちでいるのだろう。
 自分はこの道を行く。そして彼女は彼女の選んだ道を行く。もしそこでぶつかり合わねばならないとすれば―――。



 何を考えているのかわからないリースの笑顔に、デュランは思わず目を瞬かせた。
「そりゃ、一体何の話だ?」
「だから、例えば、の話です」
 含みのある声で答えて、リースはテーブルの上にあった酒瓶をとり、空になっているデュランの手元のコップに向ける。溢れんばかりに注がれそうになって、デュランは慌ててリースの手を止めた。酒瓶を取り上げると、今度はリースのコップに注ぎ足してやる。
 一口飲むと、リースは気持ちよさそうに辺りを見回した。
「風が気持ちいいですよね」
 まったく以って先ほどの話題との関連性がない。デュランはため息をついて応じた。
「ローラント城の最上階のテラスだからな」
 今が冬じゃなくてよかったな、とデュランが意地悪く言ってやるとリースは楽しそうに笑う。城の結界に調節されているとはいえ、この高さでは意外と風が強い。本来なら酒など飲んで語り合う場所ではないと思うのだが。

「あんた、酔ってるだろ?」
 デュランは思わず確認してみた。彼女は酔いが顔に出ないから性質が悪いのだ。眠り込まれるのも困るし、さらに部屋に送っていく羽目になって下手に城の住人に勘ぐられるのも大変困る。
 リースはいつも通りの顔でにこやかに笑った。
「酔ってないですよ」
「だったら、さっきの話は一体何なんだ」
 デュランはつい先ほどリースがした彼女いわく「例え話」を思い返す。

 もし、フォルセナとローラントがかつて世界が陥ったように対立し争うことになったなら。どちらかが滅びなければ平和が訪れない事態になったら。
 果たしてどうするだろうか?

「デュランは、きっとフォルセナを護ろうとしますよね」
「そりゃ、あんたも同じだろ」
 微笑みを浮かべたままのリースにデュランはきっぱりと言い返した。
 容易に想像できるのだ。酔いのせいなのかいつもより口数の多いリースが先ほど鮮やかに紡ぎだした場面を、そのまま。

 自分も彼女も、国の中枢に関わる立場にいる。それぞれを頼る人々は多い。二人とも彼らが穏やかに幸せに暮らす光景を望む。そのために自分の力をいくらでも注ぎ込める。その中にささやかな我侭な想いが埋もれてしまうことすら厭いはしないだろう。
 その願いがぶつかり合ってしまうなら、それを避ける方法がないのなら、きっと自分は武器を手に取り、彼女と戦うことを選び取るに違いない。
 そして、リースもまったく同じことをするだろう。そうだと言い切れる自信がある。

 ―――現状だって根幹は同じだと思うからだ。
 デュランはフォルセナを護りたい。リースはローラントを復興させたい。その強い願いと、わずかな利己的な気持ちを折り合わせる方法は、こんな逢瀬の時間しかないのだから。
 不満は何ひとつない。むしろ、こうして大事なものをふたつとも得ている自分が欲張りなのではないかと思うことさえある。だから、どちらかしか選べない局面があったとしても納得できるのかもしれない。

「もし、本当にそうなった時は、デュランはどうします?」
「俺は戦うさ。そうしなけりゃフォルセナを護れないんだったら」
 一も二もない。そんな生き方しかできない。
 けれど、もしこのささやかな我侭を貫き通すとするならば。
「たぶん、一番最初にあんたのところに行くだろうけどな」
 デュランの返答に、リースは目を丸くした。よほど意外な回答だったのだろうか。
「他の奴じゃ足止めにもなんねぇよ。あんたの相手ができるのは、俺だけだ。他に敵う奴がいたとして、譲るつもりもないが」
 あまり、上手いことを言うのは得意ではない。それでも、デュランは自分の想いを込めて言ったつもりだった。少し考えた後、リースが綻ぶような笑顔を見せたのは、伝わったという証。

「そうですね……。私も最初にあなたを探すと思います。あなたと戦えるのも、きっと私だけですから」
 言いながら、リースは力を込めてコップを握り締める。
「もしそうなったら、あなたは必ず私が倒します。……他の誰も憎みたくはないから」
 その言葉が、デュランには何故かとても嬉しかった。空っぽになった互いのコップを示し、乾杯するかとリースを誘う。彼女はすぐに応じてコップを差し出してきた。
 瓶に残った残りわずかな酒を二人で分ける。ひそやかな宴も終盤に差し掛かっていた。
「そう簡単に倒されるつもりはないぜ」
「あら、私だってそんなに弱くはないですよ」
 二人が刃を向けあい戦わねばならない未来。今はそれがただの想像だと笑って済ませられる平和な世界だ。
 こうして二人で他愛ないことを話せるこの時間を護るために、何よりもこの平和が続くようすべてを捧げようと、デュランは静かに心の中に誓ったのだった。



 ……風がざわめく。
 辺りに満ちる血の臭い。刃のぶつかり合う音、人々の叫び声。
 デュランはただひとつの目的を探して大地を走り抜ける。
 この瞳に焼きついたまま消えることのない、流れるような金色の髪を翻し戦場を駆ける乙女。
 暗い場所にいながら光臨を放つように目立つ相手の姿を見つけて、デュランは口元に笑みを浮かべた。
 他の誰にも負わせられない。決して譲らない。
 相手を倒さなければ、自分の護りたい未来はない。ならば。
 この世界で最も愛しいこの乙女は、必ずこの手で―――。


END
2005.12.30


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