いつも、思うんだよね。
離れてて寂しくないのかな。どうしようもなく逢いたくならないのかな、って。
二階にある南側の部屋はお兄ちゃんの部屋。窓を開け放すと草原から吹き抜けていく風が気持ちよくて、いつも羨ましいと思ってた。ステラ伯母さんは、そのうちウェンディにも部屋を作りましょうね、なんて言ってたけど。
今日もフォルセナ晴れのいいお天気。窓から入り込んでくる陽射しも風も本当に気持ちよくて思わず昼寝をしたくなるほどの温かさで。
そんな昼下がりに、お兄ちゃんは珍しく机に座って書き物なんかしていたのだ。やだなあ。シーツ干してるんだから雨降られたら困るのに。
あ。……そういえば最近はそんなに珍しいことでもなかったっけ。
わたしは心の中でそっと訂正した。昔は知らなかったけれど、お兄ちゃんは意外としっかり文章を書く人なのだ。城の日誌とか報告書は立派なもんだって聞いたことがある。仕事の時はもちろん、この頃は私事の時も。
無頓着の典型のようなはねのひどい濃茶色の髪が南風に揺れていた。室内はかさかさと紙が触れ合う音と外の喧騒がわずかに聞こえるだけ。
ところでわたしさっきからずーっと見てるんだけど、気付いてないのかな、お兄ちゃん。
「お兄ちゃんって、意外と綺麗な字を書くよね」
微妙に動いていた肩が、声をかけた途端にびくりと跳ね上がった。ものすごい高速でお兄ちゃんは振り返り、いるのがわたしだとわかるとほっとため息をつく。
「……なんだ、ウェンディか」
脅かすなよ、ってお兄ちゃんはあからさまに安心した様子で言った。
ぜんぜん気付いてなかったみたい。本当にこの人「黄金の騎士」だなんて呼ばれるすごい人なんだろうか。
「昨日のお返事?」
そう言いながらわたしは昨日ポストから運んできた手紙の中の一通を思い出していた。二週間に一度くらいの間隔で届く、上質の真っ白い封筒。流麗な字でお兄ちゃん宛であることが記されたその手紙の差出人が誰か、わたしはちゃんと知っている。
「まあ、そうだな。前とその前の分もだけどな」
「珍しー。お兄ちゃんがそんなに溜め込むなんて」
「仕方ないな。泊まりだの警護だの出張だの行ってたから」
わたしが指摘すると、お兄ちゃんは苦笑した。髪形に似合わず、お兄ちゃんはまめなんだ。誰から手紙が来ても、よほどのことがない限り数日置かず返事を書いている。旅から帰ってきてからは手紙のやり取りが増えているから、休みの日や夜に机に座ってる姿を見ることも増えた。
引き出しの中に同じ差出人の白封筒が特に綺麗にしまわれていることはわたしたち兄妹の秘密。郵便が配達されたら伯母さんが覗く前にとりに行くのがわたしの役目。伯母さんに知られたらそれこそ大騒ぎだもんね。今だっていつまで独身でいるんだなんて言われてるんだから。
お兄ちゃんはいつも仕事で忙しい。ゆっくり自分のことをする時間も、自分がやりたいことのためにどこかへ行くこともほとんどない。
だから、『彼女』と会うこともないはずなんだ。
「お兄ちゃんはさ、逢いたいなーって、思ったりすることない?」
ペンを握り直してまた机に向かい合おうとしたお兄ちゃんに尋ねてみる。
お兄ちゃんは、思わない?
あの人もそんなことを言ったりしない?
言葉の足りない質問はわざとだったけれど、お兄ちゃんはちゃんとわかったみたいだ。真面目な顔になって、わたしにきちんと向き直る。
「まー、思わない、って言ったら嘘になるだろうな。……けど」
お兄ちゃんはほんの一瞬だけ遠い目をして、でもすぐにいつものように笑ってこう言ったんだ。
お互いやることがありすぎて忙しいし、共にその忙しさから手を退くつもりもない。
無茶しすぎてやしないかと心配にはなるけれど、それはこの手紙で伝えることもできる。
なにより、噂として聞こえてくるあの国の復興ぶりが彼女の頑張りを伝えてくれるから。
「だから、俺も頑張らなきゃなんないと思うんだよ。第一、そんな女々しいこと言うのは柄じゃないだろ?」
「うん、そうかも」
お兄ちゃんの茶化した言葉に、思わず間を置かず頷いてしまった。返ってくるのはとっても複雑そうな顔。だって、そう言ったのお兄ちゃんじゃない?
「でも、何だかそれってかっこいいね」
「そうか?」
「そうだよ」
わたしがきっぱり言い切ると、お兄ちゃんは首を捻りながらまた机に戻る。きっと手紙の続きでも書くんだろう。妹に変なこと言われた、なんて書かないでくれるといいけど。
でも、今のお兄ちゃん、わたしはかっこいいって思ったんだけどなあ。
だってね。
お兄ちゃん、きっと気付いてないでしょう? 自分が今どんな顔をして『彼女』のことを語ったか。
まるで英雄王様のことを語るかのような口調からは、お兄ちゃんがその人のことをどれだけ尊敬しているかが伝わってくるけど。
とても大切なものを思い出しているような綻んだ口元とか。
愛しくてたまらないものを見つめているような優しい瞳とか。
お兄ちゃんがその人のことをどれだけ想っているかとってもよくわかるそれは、敬う対象に向けるものじゃないよね。
完全に背中を向けて妹には目もくれないお兄ちゃんを見て声を出さずに笑うと、わたしはそっと部屋を出て階下に降りた。ステラ伯母さんに見つかると大変だから、庭に引っ張り出してお茶にでもしようかな。
規則正しく階段を鳴らしながら、わたしは不思議に弾んだ気持ちだった。
恋慕の情と敬慕の念。
ふたつの気持ちを同じ人に抱くことのできるお兄ちゃんを羨ましいと思ったってことは、黙っていよう。
END
2006.10.8