聖剣3 デュラン×リース

想いを込めて返し歌




 開け放しておいた窓から一陣の風が吹き込んで、前髪を揺らした。外の空気はまだ少し冷たさを帯びてはいるものの、こんな天気の日は陽の光を浴びて風もどこか温かい。
 羽根ペンを動かす手を止めて、リースは外を眺めた。目が覚めるような澄んだ青空を見つめて微笑む。
(もうそろそろ春ですね……)
 世界で最も天に近いこの城にもようやく春の気配が訪れようとしている。
 バストゥーク山脈のあちこちに自生する高山植物も城の庭に植えられた植物も、つぼみをふっくらと膨らませて花開く瞬間を待っているのだ。
 動物たちの姿も冬の頃より頻繁に見かけるようになった。
 山々が緑に包まれるのももうすぐ。
 ふと、リースは懐かしい風景に想いを馳せた。長い長い旅の間に訪れた、あらゆる場所の風景を思い返す。
 雪に覆われるアルテナは、まだ春の気配もないだろう。
 灼熱の砂に埋もれる砂漠地帯は、既に焼けるような暑さに包まれているだろうか。
 夜の冷気が常に空を覆いつくしていた獣人の地は、暖かな陽の光を眺めているだろうか。
 常春とも思えるような穏やかな陽気に包まれていたウェンデルでは、花々が色を増しているかもしれない。
 そして、平坦な大地が広がり季節の変わり目がはっきりしているというフォルセナでは、今が春真っ盛りに違いない。
 リースは風にたなびく草原がどこまでも続く光景を思い描いた。あそこに花が咲き乱れたら、いったいどれほど美しいだろう。
 彼に尋ねてみたら、教えてくれるだろうか。それとも、いつものように簡単な返事で済ませてしまう?

 いたずらめいた表情を浮かべて、リースは書きかけの便箋に目を向けた。羽根ペンを滑らかな動きで紙の上に走らせる。最後の一文をしめて、リースは満足そうに便箋を持ち上げた。
 さあ、どんな返事が返ってくるか?

 ―――このローラントの春風を、どうか貴方にも。




「まいった……」
 休憩室の窓辺の机に突っ伏して、デュランは降参とばかりに呻いた。その下には真っ白な便箋が潰されている。
 朝、手紙が届いているのを確認しただけで懐に突っ込んできたのだ。もちろん差出人が誰か、きちんと自分宛ての物であることも確認して。
 休憩時間に読むつもりだったのだが、それがまさか頭を悩ます内容だとは予想もしなかった。
 デュランは机から身体を起こしてもう一度便箋に目を向ける。
 丁寧な字で、細かな文章が綴られている。筆跡でわかる。差出人はリースだ。
 今はどんな仕事をしているのかだとか誰が遊びに来ただとか、そんな他愛もないようなことを、たぶんデュランよりも忙しいだろうにリースは頻繁に手紙で教えてくれる。生来の筆不精と仕事の忙しさとでなかなか返事ができないデュランを責める様子もなく、だ。
 もちろん、時々愚痴とも弱音とも取れる文章が記されることもある。そんなときはデュランも珍しく筆をとって返事を書いたりするのだ。
 今回の手紙は、そんな深刻な中身ではない。だが、返事を書かないわけにはいかないようだ。
 何度も最初から最後まで読み直して、デュランはため息をつく。

 そこに書かれているのはちょっとした近況だった。それも彼女自身というよりはそれを取り巻くローラントの、と説明した方が正しい。
 城を抜けていく風がようやく温かくなってきたとか。
 中庭の花のつぼみが色付いてきたとか。
 城の外を見回ると木々や地面の緑が濃くなってきたとか。
 虫や獣の姿を頻繁に見かけるようになってきたとか。
 何十行も使って事細かにローラントに春が訪れ始めている様子を書き記しているのだった。
 そして最後に「フォルセナの春はどんな様子なのか教えてくれませんか?」と結びの一文。

「……俺にこんな文章を書けってか……」
 再び机に崩れ落ちてデュランは呟いた。なんだかこめかみが痛くなってきたのは気のせいではないだろう。
 自慢ではないが、語彙の貧困さと文章力の低さは一緒に旅をした仲間随一という自信がある。とてもじゃないがこんな文はまず書けない。出るのはため息ばかりである。
「うー……」
 デュランは最後の署名のところに添えられた一文に視線を向けた。
『このローラントの春風を、どうか貴方にも』
 これだけで、決して彼女が悪戯目的だけでこんな手紙を送ってきたのではないことはわかる。
 彼女が願ったとおり、風はここに届いていた。
 デュランはそっと瞳を閉じる。
 リースが描いてくれた現在のローラントの様子を心の中で繰り返し、記憶にあるローラントと重ね合わせてみると、彼女が語ったバストゥーク山脈を吹き抜ける春の風がデュランの傍を通り過ぎていく気がした。
 そこに確かにあの山々が緑に溢れ生き生きとしている姿が見えた。
 
「仕方ねぇなあ。まあ、書いてみるか」
 諦めに似た気持ちでデュランは隅っこに追いやっていた便箋とペンを目の前に引っ張り出す。
 もともとはわざわざ長く取ったこの休憩時間に書けそうだったら返事を書くつもりだったのだ。
 自分と同じ感覚を、リースが味わうのなら悪くないと思った。
 デュランは窓から外を眺める。そこはフォルセナ城でも見晴らしのいいところで、彼方には領地の大部分を占める草原を見ることができる。ところどころに色鮮やかな赤や黄色を織り込んで風に揺れる緑。
 さて、自分のつたない文章で果たして彼女のように伝えられるだろうか。

 春萌え立つ、この草原の息吹を。


END
2005.7.3


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