聖剣3 デュラン×リース

-涙雨-(前編)
He had pointed the sword at his regarding person to defend her




 それは、彼から話を聞いていた誰もが、そして本人すら予想していなかった光景と言葉だったに違いなかった。
 目の前に悠然と立つ影の鎧が鈍く光を弾く。全身を覆う鎧のために表情もよく見えないはずの黒耀の騎士の口元に柔らかな笑みが浮かぶのを、デュランは確かに見た。
「デュラン、私の息子よ…こっちへおいで。会いたかったよ」
 ゆっくりと手を差し伸べる姿に、幼い記憶の中の父の姿が重なる。その腕に抱き上げられた遠い記憶はわずかしかなく、思い出せるのはいつも見送った背中だった。
 記憶の中の父の口調と同じ声色で、それより鮮明に響く声。投げかけられるのは夢のような言葉。
「……と…父……さん?」
 心のどこかで、―――おそらくは理性が、そんなことがあるはずはないとささやく。
 父はずっと昔に死んだのだ。死者は生き返らない。そんなことができるのは女神くらいのものだろう。何の代償も要らないそんな魔法には、必ず魔が潜む。
 だが、デュランは感性のままにそう呟いていた。
 いくら自分に言い聞かせたところで、父親がいない空虚さは埋められない。母がいない代償は、叔母のステラがいることで救われる。だが父の代わりは―――。
 呆然と立ちすくむデュランの後方で、シャルロットはリースにささやいていた。
(……リースしゃん……、何だか、デュランしゃんの様子がおかしいでちよ……。目を離さない方がいいでち……)
(ええ……)
「しばらく見ないうちに、大きくなったな……」
 幻の如く、だが確かに黒耀の騎士に重なって映る父が、優しげな笑顔でデュランに話しかける。熱に浮かされたように、デュランは黒耀の騎士―――父・ロキに向かってゆっくりと歩き出していた。
『デュラン! 行っちゃ駄目っ!』
 フェアリーがデュランの中で叫ぶ。普段ならそんな大音量で叫べば頭の隅から隅まで響き渡り、間違いなく不興を買うところだが、今のデュランはまったく意に介していないようだった。
 一番近いところにいるフェアリーの叫びでさえ、彼の心には届かない。
(駄目、魅入られちゃってる……!)
 その時にフェアリーが見たもの。
 黒耀の騎士の手に握られる、闇よりもなお昏く、あらゆる光を吸い込んで暗く沈む剣。
 それが高々と振り上げられる光景。
『「デュラン!」』
 彼の外と中で、―――同時に名前が呼ばれた。
 デュランの視界を遮るように翻った金色の波。暗い洞窟の中でも失われないその輝きにぼんやりとデュランが焦点を合わせたその時。

 ガキィィン!

 金属のぶつかり合う嫌な音が響き、激しく火花が散る。その圧倒的な存在感のある音に、デュランは遠くへ流していた意識を慌てて傍に引き戻した。
 リースが愛用の槍身で黒耀の騎士の斬撃を受けとめたのだ。感覚が無くなりそうなほどにじぃんと手が痺れるのを感じながら、リースは心の中で安堵した。
 危ないところだった。もう少し自分が飛び出すのが遅ければ、デュランは、この一閃で……そんなこと、考えるのも恐ろしい。
「騙したな!!」
 自分が気を許したことが何を招こうとしたか理解し、デュランは黒耀の騎士を睨めつけた。その手は既に腰に束さんだ剣の柄を握っている。
「騙してなどいない」
 リースと打ち合わせた武器で鍔迫り合いを展開しながら、黒耀の騎士は淡々と話す。
「おまえが闇の力を得るために魂を抜き出そうとしただけだ」
「なんだと!?」
「さあ、デュラン! 私と一緒に来い!」
 叫びとともに、黒耀の騎士は思いきり剣を旋回させる。
 あっと思う間もなく、リースの身体が宙を舞った。その勢いのまま、背中から洞窟の壁に叩き付けられる。小さな悲鳴が聞こえて、リースの身体は力なくずり落ちた。
「!」
 シャルロットがリースに駆け寄るのを横目で見ながら、デュランは剣を抜き放っていた。
「やっぱりオヤジは死んだんだ! お前は、あの強くて優しかった俺の父親―――黄金の騎士ロキじゃない!」
 あらん限りに叫んだ声に、だが空虚な響きがあることを、シャルロットは聞き取った。
 そう、デュランは心の底からそう思って言ったわけではないのだ。打ち合わされる剣の響きもどこか鈍い。
「…残念だよ、デュラン。では、お前達にはここで死んでもらおう……」
(本気でやらなきゃ、負けるでちよ……!)
 黒耀の騎士の言葉を聞いて、シャルロットは心の中でそう思ったが、今はリースの方が先だ。洞窟の床にくずおれたまま動かないリースに駆け寄って、軽く肩をたたきながら呼ぶ。
「リースしゃん、大丈夫でちか!?」
「う……」
 リースは軽く声を上げて目を開けた……と思った途端、貧血を起こすのではないかと思うほどの勢いで跳ね起きた。
「デュランはっ!?」
「今は『まだ』無事でちよ」
 シャルロットは面食らいながらも答える。
「でも、危ないでち……本気になれなかったら、デュランしゃんはきっと負ける……」

 彼が、負ける? 負けると言うことは即ち―――死ぬこと。

 安否を気遣うシャルロットの声より早く立ち上がったリースは、素早く呪文を唱え始めた。ウンディーネから力を借り受けて唱えた魔法が、三人の精神に潤いをもたらして、神経を磨ぎ澄まさせる。
「デュランしゃん、危ないでち!」
 リースのことを気にしているうちに満身創痍になりかけていたデュランに、シャルロットは回復魔法をかける。水の精霊によってひんやりと潤され集中しやすくなったため、魔法はいつもより冴えを増して、あっという間にデュランが負った傷の全てを拭い去った。
 その間にも、リースは唱えられる限りの呪文を唱え続けて、力を、素早さを仲間達に賦与し続けた。
 デュランの剣が振るわれる速度は増し、与える一撃の重さは大きくなる。だが、それでも黒耀の騎士が傷付くより倍の速さで、デュランの身体は再び傷付いていく。
 デュランが振るう剣は、自分の身を守るためにしか、使われていなかった。
「どうした、攻撃してこないのか?」
 休みなく襲い来る斬撃を、必死で受けとめる。気を緩めれば、受け損ねて手酷い傷を受けることは目に見えている。それほどの豪剣だった。
「防ぐだけでもたいしたものだが……なまぬるい!」
 デュランが剣を受けとめたと見ると黒耀の騎士は剣を大きく翻して、デュランの剣を打ち飛ばした。
 弾かれた剣が宙を舞う。リースたちがいる方向へ向かって落ち、凸凹の地面を跳ねるように滑った。
「く……っ」
 剣を弾かれたときの振動が痺れとなってデュランの両手を襲う。その視線の先の黒耀の騎士に浮かぶ、勝利の笑み。
「これで終わりだな、デュラン」
 それを見たとき、リースは何を考えるより早く。

 その手に握られた槍を。
 投げていた。

 丸腰のデュランに黒耀に騎士が握る剣が振りかざされたとき、その横合いで、何かが動いた。
「何!?」
 思わず後ろに退いた黒耀の騎士が立っていたところを、デュランとの間を割くように貫いて、地面に深々と槍が突き立った。寸分違わぬ狙いと恐ろしいほどの勢いだった。あそこに立ったままなら間違いなく貫かれていただろう。
「……とんでもない伏兵がいたか」
 黒耀の騎士が視線を向けた先には、視線を向けられ慌てて武器を構えるシャルロットと、槍を投げ切った姿勢で固まっているリース。
 自嘲的に笑い、黒耀の騎士は静かに二人に向き直った。
「……!?」 
「自分の無力さを思い知れ、デュラン。そこで見ているといい」
「……やめろっ!!」
 黒耀の騎士が何をしようとしているか理解し、二人に向かって剣を振りかざし突撃したのを見たとき、デュランの中で、糸が切れるように、何かが弾けた。


 後日、壮大な旅を思い出す度、シャルロットはまず最初にこのことを思い出すことになった。それ以上の不思議な経験は、ついぞしなかったからである。
 黒耀の騎士がこちらに向かってくることがわかり、リースに突き飛ばされた後。
 シャルロットが見たものは、まさしく時間がゆっくり進むような光景だったのだ。
 あの黒耀の騎士の走る姿さえ、スローモーションのように見えた。その後をデュランが追う。
 始めは明らかに黒耀の騎士のほうが速かった。だが、行く途中に転がる剣を拾いあげた瞬間、デュランは爆発的に加速して、リースと黒耀の騎士との間に滑り込み、リースに打ち下ろされた剣を受けたのだ。
 激しい音とともに、時間が再び動き始めた。
(あれは……?)
 その時シャルロットが見たもの。デュランの瞳。色はいつもと同じ、青みがかった灰色なのに。
 輝きが、いつもと違っていた。


 身を守るようなものはなく、召喚魔法も間に合わず、ただとっさにシャルロットを安全圏へ突き飛ばして、リースは黒耀の騎士が肉迫してくる様を見ているだけだった。
 自分の傍から急速に音が遠のいていく。剣が振り上げられたとき、彼女の前に風が巻き起こった。
 否、風が巻き起こるほどの勢いで、デュランが現れて、その剣を受けとめたのだ。その後デュランは何か叫んでいたが、それは遠くから聞こえてくる幻のようで、内容を理解することはできなかった。
 さっきの一騎討ちとは別人のように、デュランは黒耀の騎士を攻めたてていく。あの黒耀の騎士ですら、受けるのが精一杯なのだ。半歩……一歩……少しずつ黒耀の騎士が退いていく。
 風が鳴って、音がすぐ傍に戻ってきた。
 デュランが気合いとともに上段から振りかぶった剣はかろうじて受けとめられてしまう。
 だが、翻った剣が、再び黒耀の騎士を狙っていた。
「でぃやあああっ!」
 剣を真っ直ぐに構えて、デュランは全体重をかけて突進する。渾身の力に、リースから与えられた力が混ざり合い、一つになる。
 それは、鎧すらも粉砕して、黒耀の騎士の左胸部を貫いた。


 始めに意識したのは、感触だった。肉を切っているという感触。
 フォルセナに仕える兵として、モンスターや盗賊と戦うことなど幾度もある。心地よい感触とは間違っても言いがたいが、もう慣れてしまったはずの感覚だった。
 だが、今日のは、今のは、何かが違う……?
 そこで、デュランは我に返った。そして目の前の光景に気付く。
 すぐ目の前にいる黒耀の騎士。自分が握っている愛用の剣。自分はそれに全体重をかけていて、その切っ先は、鎧をも貫通して、黒耀の騎士の胸に突き刺さっていたのだった。
「……!」
 何が起こった? 自分はいったい何をしたのだ。確かな事実は……自分が黒耀の騎士の胸に剣を突き立てたということ。
 黒耀の騎士の身体が地面へと崩れる。引き抜けた剣に、血は……ついていなかった。
 鎧の奥に見える瞳に優しさの輝きが宿る。それを見たとき、デュランは剣を投げ出して叫んでいた。
「デュラン……、我が息子よ……」
「父さん!」


 空間に満たされていた闇が色褪せていく。それは闇の力が消え去ることの証だった。
「デュラン……強くなったな」
 優しい声は、彼がもはや黒耀の騎士などではなく、黄金の騎士、ロキであることを示していた。
「それくらい強くなったのなら……おまえに国を任せても、……きっと大丈夫だな……」
 それは、貴方を目指していたからだとデュランは思った。
 だが、口が動かない。どんな言葉も紡げずに、デュランはただ冷たさ、という域を通り過ぎている父の手を握り締めた。
 体温の無い手、血の通わぬ身体。一度命を落とし、闇の力により生かされていたロキは、その力が消えれば、消える運命にある。
「竜帝に……呪いをかけられて……暗黒に染まってしまった私の魂を……解放してくれてありがとう……」
 声はぼそぼそと小さくなり、やがてどんな言葉も生まなくなった。微かな力さえも抜けて、重みがずしりと乗ってきた手を握り締め、デュランは表情を歪める。
 と、その肩にそっと手が置かれた。小さな温もり。
 デュランがはっとして顧みると、シャルロットが静かに前方を指さしていて、その後ろではリースが心配そうに彼を覗き込んでいた。
『デュラン……私が見ないうちに立派な剣士になったようだな……竜帝の闇の力は強大だ…気をつけるのだぞ……!』
 精神体となったロキが、三人を見下ろしていた。デュランが最後に見送った、あのときの姿で。
『さて……私はもう行かなければ……』
「シャルロットが、送るでちよ。また、闇の力なんかに染められたら大変でちからね」
 シャルロットが一歩進み出て告げる。
『すまない、頼んでもいいだろうか』
 任せておけ、とばかりにシャルロットは頷き、静かに聖なる言葉を呟き始めた。胸の前で組まれた手に、ほのかに明かりが生まれる。
 死者を行くべき場所へ正しく導くこと。それが彼女の力だ。やがて、明かりはある一点を指し示し、光の道を織り上げる。
『ありがとう……これで迷うことなく行けるだろう』
 シャルロットに礼を述べた後、ロキはデュランへと視線を向ける。
『デュラン……剣の道は険しいが、挫けるなよ』
 三人に背を向け、ロキは光の道を歩き出す。そこでデュランは弾かれたように立ち上がり、叫んでいた。やっと言えた言葉。
「! 父さん! 待ってくれ……!」
 いろんな感情がごちゃまぜになり、何を言いたいのかも分からない。二の句が告げなくなったデュランに、ロキは振り返り、一言だけ、呟いた。
『剣は心を映す鏡。どんなときも決して自分を見失わず、心を静かに保てよ! そうすれば、きっと見えてくる……おまえの道が』
「父さん……っ!」
 あとは振り返らず、ロキは光の道を進み、まばゆい光の中へ消えていく。遠ざかる魂の気配とともにシャルロットは光を解き、額の汗を拭った。


「デュラン、無理しないで……少し休みましょう」
 力なく立ちすくみ、ロキが去った方向を呆然と見ていたデュランが剣を拾おうとしたのを見て、リースは声をかけた。
 大丈夫だとデュランは頭を振ったが、リースが心配したのはその表情のせいだった。
 御世辞でも血色がいいなんて言えない、それどころかはっきり言って青白い顔に浮かぶのは、リースがよく知っている表情。
 喪失感。絶望。罪悪感。怒り。……それらはすべて、リースの中にある。
 ローラントを出立したとき、リースはこんな表情しかできなかったのだ。鏡を見たときのことを、今でも覚えている。あの時、彼女の旅は、すべてローラントを、弟を取り戻すため―――復讐のためにあった。
 デュランは剣を拾い、鞘に収めようとした。が―――。

 ガラン……ッ

 剣はデュランの手を擦り抜けて、再び地面へと落ち硬質な音を立てた。
「……デュラン?」
 どうしたのかとリースがデュランを見ると、デュランは目を見開き、信じられないというような表情で自分の右手を見つめていた。その手が小刻みに震え、力がうまく入らない。
(俺は……この手で……)
 頭ががんがんと鳴り響き、その身体が、ぐらり……と傾いた。
「デュランっ!?」
 慌てて支えに入るが、鍛えられた身体の男、しかも完全に力が抜けているのを支えるなど、いくらリースが女性にしては力があるとしても無理である。倒れるのを減速するような形で二人座り込んだ。
「デュラン、どうしたんですかっ!?」
 声をかけても応答はない。うめくような呟きが漏れ聞こえるだけだ。
「リースしゃん、デュランしゃんどうしたんでちか!?」
 リースの槍をなんとか引き抜いて二人のところへ戻ってきたシャルロットは、訝しげにデュランを見た。
「わからないんです。剣を取り落として、そうしたら……急に」
「剣を落とした……?」
 シャルロットはデュランを覗き込む。
「意識……ないでちね」
 リースは何かを感じて、三人が進むはずの道の先を見た。
 完全に暗闇に沈み、様子はまったく見えないものの、離れていても感じる嫌な気配と殺気。
 シャルロットも感じたらしい、リースと同じ方向を見ている。
「リースしゃん、このままじゃあ、デュランしゃんは戦うのは無理でち。いったん戻った方がいいでちよ……」
 シャルロットの第六感が、危険が近づいていることを告げている。荷物を開いて、しまっておいた魔法のロープを探していると……。
「シャルロット、敵が!」
 泣き声にも似た声でリースが悲鳴を上げる。暗闇の中から現れるモンスター。それを視界に入れながら、シャルロットは必死で探す。
「あったでち!」
 急いでロープを引っ掴むと、シャルロットはそこに込められた魔力を解放した。引っ張られるような、押し出されるような感覚があって、あっという間に三人は竜が口を開ける洞窟の入り口に現れた。
 これも荷物の中から見つけた風の太鼓を打ち鳴らし、フラミーを呼ぶ。
 リズミカルな音が、ガラスの埋もれる砂漠に響き渡る。静かだが不気味な雰囲気の中で鳴る太鼓の音は、不思議な音色がした。
 砂漠の中にもモンスターは蠢いている。この状態で見つかれば致命的だ。声を上げれば見つかることは間違いない。
 だが、リースは意識のないデュランを抱きしめながら、天空に向かって叫んでいた。
「フラミー、お願いっ!早く……早く来てえええっ!!」


つづく
2001.8.6


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