聖剣3 デュラン×リース

おんなじ気持ち




 それは、ずいぶんと長い戦いだったと思う。

 デュランは、ぎりぎりのところに立っていた。こちらに向かってくる二つ首の巨大な鳥を見据えて呼吸を整える。
 後一歩踏み出せば、彼は間違いなくフラミーの背からまっさかさまに落ちる。
 動き回るフラミーのせいで足場は悪く、辺りには強風が吹き荒れていて、バランスを崩せば立ち直るのは不可能だろう。下は雲に覆われ、果たしてそこは大地なのか海なのか、見当もつかない。
 飛び道具があるホークアイや魔法が使えるアンジェラなら、もっと安全な場所から攻撃できるのだ。現に彼らがいるのはフラミーの背の中央部である。
 しかし、彼が目の前の生き物―――風の神獣ダンガードに攻撃するにはそこでなくてはならなかったのだ。
 ダンガードも既にぼろぼろの状態だ。なるべく攻撃は食らいたくないから、あまりこちらへも近寄ってこない。デュランがいるのは神獣が攻撃してくる限界の場所で、彼は攻撃の合間を縫って切りかかるという戦法をとっているのだった。
 チャンスは、一瞬。
 デュランは両手の中でわずかに剣を持ち替えた。持っていた盾は既にホークアイに向かって投げ捨ててある。かすかに文句も聞こえてきたが、そんなことを聞いている場合ではない。
 肉薄してくる神獣をにらみつけると、静かに一歩後ろへ下がる。
 攻撃のために接近したときが最後のチャンスだ。これ以上長引けば、悪い足場の上で戦わざるを得ない三人の方が分が悪い。ダンガードが弱りきっているのは明らかだ。次の接触で勝負をつけなければ。
 鋭い爪が迫ってくるのを視界にとらえると、デュランは勢いよく一歩を踏み出して思い切りフラミーの背を蹴った。
「だああああっ!」
 襲い掛かる爪を紙一重でかわすと、デュランは力一杯剣をダンガードの腹部に叩き込む。その勢いのまま剣を翻し同じ場所を切りつけると、デュランはさらに剣を振るってバランスを崩したダンガードの翼を攻撃した。
 わずかな隙もない、見事な三段切り。
 この世のものとも思えない、思わず耳を塞ぎたくなるようなすさまじい絶叫があたりに響き渡る。
「デュランっ!」
 背後からアンジェラの悲鳴が聞こえてきた。デュランが足を着こうとしたその先は、何もない空中だったのだ。勢いよく踏み出したせいで、デュランはフラミーの背の上から飛び出していた。
 景色が異常な速度で上へ流れたのも一瞬で、デュランは誰かに腕と首根っこをつかまれて宙吊りになる。上から呆れた声が降ってきた。
「あのなあ、あいつに勝ってもここから落ちたら意味がないでしょーが」
「……悪い」
 心底呆れ返っているホークアイの姿が眼に浮かぶようだ。ため息のような言葉に、デュランは憮然として謝った。
「本当にしょうがないねぇ」
 ホークアイがアンジェラに呼びかけ、二人がかりで何とか引き上げようとしてくれている。足場のない空中にぶら下がっているデュランは、ふと思い出したように前を見た。
 ダンガードの巨体は見当たらない。他の神獣の最期と同じく、膨大なエネルギーを溢れさせて四散してしまったのだろう。
 残骸の羽が数十枚、デュランの目の前を流れていく。雨のように降る羽根。
 彼はその向こうに、空中にそびえる白亜の城を見た。


 いつの間にかバストゥーク山脈まで戻ってきていたのだ。三人中最も体重のあるデュランを二人で何とか引き上げたところで、彼らは天かける道の適当なところに降り立った。
 辺りにモンスターの気配はない。
 アンジェラは勢いよく地面に座り込んだ。普段ならなにか敷物でも敷かない限り絶対地べたに座ることなどないのに、今はそんなことを気にしている余裕すらないようだ。
「あーもう、足ががたがたよ。ここでしばらく休んでから行きましょうよ!」
「んー、そうだな。どのみちこの状態で次には行けないだろ、デュラン」
 たとえ休まないと言ったとしても絶対に聞き入れない、とばかりに叫ぶアンジェラに、ホークアイも反対する気はないらしい。デュランに問いかけながら、彼も手ごろな岩に腰を下ろした。
「いいんじゃないか。俺もさすがにしばらく休みてぇ」
 デュランも頷くと、荷物を置いて地面にどさりと腰を下ろす。今まで色々な敵と戦ってはきたけれど、動く足場で戦うなど初めてだ。足がひどく緊張していたことが分かる。
 足を投げ出し、両手を後ろにつくと、デュランは自分達がいる場所よりもさらに上の天かける道を眺めた。はるか上には世界で最も高いところにある王城―――ローラント城がある。ここと城との距離を同じだけ登れば、フラミーのいる天の頂だ。
 ローラント城で思い出すのは、ナバールとの戦い。そして、金色の髪をなびかせる、王女でありながらアマゾネスを束ねる軍団長でもある、少女。
 ―――必ずエリオットを連れて帰ります。
 あの王城の玉座の前で仲間にそう誓った彼女は、どうしているだろうか。
 ―――散り際はわきまえているつもりだ。
 聖域でそう言ったあの女性の話が正しければ、彼女の捜す弟は既にあの城に無事帰り着いているはずだった。
「あ、ホークアイ、水ちょうだい」
「へいへい。……どうした、デュラン」
 アンジェラとやり取りをしていたホークアイが、デュランの様子に気付いたらしい。不思議そうに尋ねてくる。
「いや、ローラント城を見て思い出した。―――リース、どうしてるかと思ってさ。たぶん、捜してる弟王子はもう城に戻ってるだろう?」
「そういや、美獣はそんなこと言ってたな」
 デュランの言葉に答えるホークアイの表情はやや複雑そうだ。親友イーグルの敵として必死で追っていた、魔女。同じようにマナの剣を求める連中とぶつかり合いになり、そしてあっさりと敗れてしまったのだ。彼女の最期を思い出せば、そうなるのは仕方ないかもしれない。
「リース自身は知らなくても、城の人たちは知っているでしょ? リースがどこにいるかわからなくても、何とか連絡するんじゃない。そりゃあ、ずいぶん遅くなるでしょうけどね」
 水を一口飲んで満足そうな表情をしたアンジェラが気楽そうに答えた。アンジェラの言葉にホークアイも賛同する。
「まあ、知る前に俺たちが会うことがあれば、教えればいいんだしな」
 そうだな、とデュランは納得した。
 出会うことがあるかどうかは、わからない。三人は人が行くことのできない場所を巡り歩く旅を続けている。リースと再会する確率は限りなく低い。
 それでも、もし偶然会えて、彼女がまだひたむきにエリオット王子を捜し歩いていたら、そのときは教えればいいだろう。初めてジャドの街角で言葉を交わしたときの必死の様子を、デュランは思い出した。
 きっと彼女は喜ぶだろう。弟の無事の帰還を。もし美獣の散り様を知れば、ホークアイと同じく複雑な顔をするに違いないとは予測できたけれど。
 その喜ぶリースの姿を想像して、デュランはまるで自分のことのように嬉しくなって、口元にわずかに笑みを浮かべた。


 が、それが間違いだったらしい。
「で、なんで突然そんなことが気になりだしたのかしらね?」
「は?」
 アンジェラの妙な声音にデュランが我に返ると、彼女は楽しそうにこちらを見つめていた。隣にいるホークアイも似たような顔をしている。
「……なんだよ、二人して」
 嫌な表情だ。二人がこういう顔をした後は、たいていデュランにとってろくなことはない。デュランは身構えながら、極力無感情に答えた。
「いやいや、デュランが世の女性を気にするなんてことがあるんだなと思って」
「そうよね、この朴念仁がそんなことありえないって」
「そんな奴の口から女の子の名前がでりゃ、そりゃあ邪推するってもんで」
 二人の口元にはますます危険な笑みが浮かんでいる。
「あのなあ……」
 意図的に半眼になって二人を見返すと、にこやかな笑顔のままホークアイが近付いてきて、デュランの肩をぽんぽんと叩いた。
「まあ、リース王女は美人だし、お前もやっぱり男だったんだなあ」
「お前ら、なんか勘違いしてるだろ?」
「でも、相手は王族だからな、身分ってのは重いぞ。お前ならよくわかってんだろうけど、頑張れよ」
「人の話を聞けよ!」
 デュランは怒りもあらわに叫んだが、ホークアイには届いた様子はない。横ではアンジェラがわざとらしく泣き真似をする始末。
「ああ、うちのデュランもとうとう大人になったのね……」
「いずれ俺たちの傍から巣立っていくんだねぇ……」
 顔をうつむけて手で覆い涙をぬぐう真似をしているが、その肩が震えていた。ホークアイも悪乗りしてハンカチで涙を拭く動きをしながらしみじみと呟く。ついにこらえきれなくなったのか、アンジェラは笑い出した。
「お前ら、人の話を聞けっつーの!」
 爆発したデュランの絶叫が、辺りに響き渡った。


 先ほどまでの疲れはどこへやら、ぜいぜいと肩で息をするデュランをよそに、アンジェラは遠くの景色を眺めて呟く。
「でもさあ、やっぱり、どうしようもなく会いたくなるときって、あるよね」
 その顔に、からかいの表情はない。唐突に話題を変えられて、デュランは目を点にした。ホークアイはうんうんとばかりに頷いている。
「そういうことって、ない?」
「いや、あるねぇ、ありすぎるくらいだ」
 アンジェラの問いに答えて、ホークアイも顔を上げて遠くの海を見下ろした。彼の表情と、彼女の表情はとてもよく似ている。
 抱く思いは、きっと同じ。たぶん、二人は同じことを考えている。
「……でも、会えないけど、さ」
 表情を曇らせて、アンジェラはぽつりとこぼした。途端に寂しそうな表情になる。
 どうしようもなく会いたくなる。でも、会えない。 ―――誰に?
 しばらく考え込んで思い当たったデュランは、はっと顔を上げた。彼女のことを思い出して、自分もこんな顔をしていたのだろうか。
 ホークアイとアンジェラの二人には、共通する想いがある。
 アンジェラは竜帝とともにいるだろう紅蓮の魔導師に。ホークアイは砂漠のオアシスで苦しむジェシカに。
 それぞれ会いたかったのだ。
 だが、二人には、それぞれ会えない理由もある。
 アンジェラと紅蓮の魔導師は敵対する立場だった。今度出会うことがあれば、それは雌雄を決するときで。おそらくはどちらかが生き残る以外に結末はなく、会えば全てが終わるだろう。
 ホークアイは、むしろ今すぐジェシカのもとへ駆けつけたいに違いない。呪いを解かれた彼女は命の危険からは逃れたものの、呪いによるダメージと精神的な疲労ですっかり衰弱していた。それにもかかわらず、イーグルの仇を討つまではと言って彼はニキータにジェシカを任せてここにいるのだった。
 全てが終わるまではジェシカのところに帰るわけにはいかないと、聖域から戻ってきたホークアイは言った。それは自身に課した制約のようなものなのかもしれない。


 初めて二人のその気持ちを聞いたとき、理解できなかった。理解したいとも思わなかった。
 けれど、今のデュランなら分かる。
 会う瞬間は終局の時だというのに、会いたくなる。会えないのだと自分に枷をつけたのに、会いたくなる。探している人の無事を、別に自分が伝えなくてもいいのに会って伝えたくなる。
 理屈には合わない、理不尽な気持ち。それが、王女の様子を思い返したときに心に灯るこのぬくもりのようなものから生まれるのだということ。
 悪くはない、とデュランは心の中で思った。
 静かな風が三人の間を通り抜けていく。心にぬくもりを灯す相手は違っても、三人は同じような想いを今ここで抱えているのだった。


「さぁて、ぼちぼち行きますか」
 立ち上がり、服についた砂埃を払い落としながらホークアイは言った。その声に応じてアンジェラも両手を挙げて伸びをする。デュランは放り出していた荷物を拾うと背中に背負いなおした。
「あと四匹ね……まだ半分かぁ。先は長いわね」
 アンジェラが背伸びしたままの格好でぼやく。
 そうなのだ。あまり哀愁に浸っている暇も実はなかったりする。まだ四ヶ所で、神獣は暴れまわっているのだ。しかも、闇のマナストーンはどこにあるかもわからないため、神獣がどこにいるのかすら分からない。
「ま、ゆっくり確実に行きましょうや。デュラン、フラミーを呼んでくれよ」
「ああ」
 ホークアイの言葉に応じて、デュランは風の太鼓を取り出した。

 それでも、三人の心に灯るぬくもりは、戦いの邪魔にはならないだろう。これからも三人を支えるものであり続ける。
 会いたいと思う誰かがいる。
 世界を救うために、この想いはきっと必要なものだと思えるから。

 天空に、翼あるものの父を呼ぶ美しい音色が一層涼しげな音で響き渡った。


END
2004.9.5


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