聖剣3 カップリングなし

旅路




 故郷を旅立ったとき。
 一体誰が思っただろう。
 これほどまでに長い、しかも世界の存亡まで巻き込んだ旅になろうとは。

 ―――それぞれが思いを胸に故郷を旅立ってから、悠に一年が過ぎようとしていた。
 それでもまだ、終着点は見えない。



 満月が煌々と光放つ夜空に、皮袋がひとつ、綺麗な放物線を描いて舞った。

 受け取った手の中でかちりと硬質な音がして、ケヴィンは慌てて紐を解き、中を覗き込む。中身が無事であることを確認すると、ケヴィンはその袋を投げた相手を見た。
「三分ので、いいのか、デュラン?」
「ああ、頼む」
 ケヴィンが受け止めたことを確認し、問いに頷くと、声の主はさっさと正面に向き直ってしまう。
 瞳に宿る光は鋭い。戦いに身を投じる者ならば、まとわりつく気配で既に彼が戦闘体勢に入っていることがわかるだろう。だらりと垂れた右手にある奇妙に歪んだ刃を持つ両手用の剣は、知らぬものが見ればそうは気付かないが、いつでも振るえるように準備されているのだ。

 骨で作られた鎧を纏う青年が見据えるのは、獣の皮で作られた防具に身を包む娘。
 もちろん、娘が青年を見返す瞳も、彼に負けずに鋭く冷たい。宿す気配は青年のものより静かではあるが、不用意に近付けば焼き尽くされるような恐れを感じることすらある。柄の先端を地面につけ、軽く両手を添えて持っている、彼女の愛用の槍の長さは悠に彼女の身長を越える。しかし、それを彼女は軽々と操るのだ。

 距離を置き対峙する二人のちょうど中間地点と向かい合っているケヴィンは、静かに息を吐くと袋の中から目的の物を取り出した。
 青い砂を閉じ込めた砂時計。
 通常は食事担当のデュランや菓子作りをするリースが使うものなのだが、たまにこんな使い方をされることもある。
 下に全部の砂が移動しているそれを、乾いた苔に覆われつつある石畳の上に置く。その前に姿勢を正して座っているケヴィンは、あらためて二人を見た。
「二人とも、準備、いいか?」

「ああ」
「いつでもいいですよ」
 気配は戦闘体勢に入っているものの、ケヴィンの声かけに対する返答はまだ二人とも優しい。
 ケヴィンは、静かに息を吸い込むと、目の前の砂時計をひっくり返しながら、鋭く叫んだ。

「……始めっ!」

 それは、試合開始の合図。瞬間、周囲の空気が戦士二人から発される殺気に凍りついた。
 砂が下へ向かって流れ出すのと同時に、離れて向き合っていた二人はそれぞれの武器を構えながら相手との距離を狭めていく。
 最初の一撃は、間合いの長いリースだった。
 ひゅん、という音と共に愛用の槍が旋回する。空気を裂いた刃は、そのまま相対するデュランの胸部を貫こうとした。
 だが、相手も百戦錬磨の手足れ、硬質な音と共に、持っていた刃でそれを受け止める。流れるような動作で槍を横へ流すと、デュランはそのまま剣ごとリースの懐へ飛び込もうとする。
 弾けるようにリースが後ろへ飛んだ。とん、という軽やかな音と共に、再び開く二人の距離。
 わずかな間をおいて、二人は再びぶつかり合った。

 唾を飲み込み無言で二人の打ち合いを見守るケヴィンの足元で、砂時計の砂が見る見るうちに下へ落ちていく。
 二人とも、振るう武器に迷いはなく、容赦すらない。仇敵やモンスターと戦うときとまったく変わらない勢いで相手へと向かっていく。本気で相手に傷を負わせる―――いやあるいは屠るつもりで戦っているのだ。
 再び二人の距離が近付いて、鍔迫り合いになった。―――たぶん、相手に武器を流された方が負ける。
 デュランも、リースも譲らない。二人の周囲に渦巻く闘気は、それだけで辺りのモンスターを蹴散らしそうだ。
 ちらりとケヴィンが下を見ると、砂の残りは後わずかになっていた。
 歪んだ曲線の剣を持つ青年が、ぐっと腰を落とす。狼の名をもつ娘が身を引く前に槍の穂先が剣の表面を滑り、横へ外れた。

 最後の砂の一欠片が、下に落ちる。

「―――そこまでッ!」
 ケヴィンの朗々とした声に、二人の動きがぴたりと止まる。デュランの剣は、リースに向かって振るわれる寸前だった。
 一瞬にして、辺りを包んでいた殺気が霧散する。もう彼と彼女の瞳に、危険な光は宿っていない。
 デュランは剣を投げ出すとその場に座り込んだ。
「だいぶ強くなったな、リース。……あと少しだったのに」
 肩で息をしながら、デュランはすぐ横にいる少女を見上げる。少女も先ほどとは嘘のような穏やかな笑みを浮かべて青年を見下ろしていた。
「あと少しで殺されるところでしたね」
 そうはいきませんよ、とばかりに言うところはまだ先ほどの気配が残っている気もしたけれど。
 砂時計を袋の中にしまいながら、ケヴィンは二人に駆け寄る。
 近くで見てみれば、二人とも汗びっしょりだった。わずか三分という時間だというのに、モンスターを相手にした以上の疲れ様だ。
「二人とも、怪我してないか?」
 ケヴィンは注意深く二人を見る。誤魔化すまでもなく、それぞれ魔法で癒す必要もないようなかすり傷程度だった。しかし、あと数秒終わるのが遅ければ、もっと酷いことになっていただろう。
 次の模擬戦では、もう三分計でも駄目かもしれないとケヴィンは心の中で考えた。

 共に旅を続けた一年の間、二人は何度も模擬戦を行っている。始めはどちらかの武器を落とすまで、それがいつしかお湯が沸くまでの時間になり、五分になり、……今は三分になっていた。
「でも、二人ともとっても強くなったな。オイラ、もう勝てないかも」
 ケヴィンは心の底からそう思う。自分だったら、仲間にあれだけの殺気を持って戦うことなど出来ないから。相手を傷付けるつもりで牙を向けることは出来なかった。
 彼の言葉を聞いて、デュランとリースは苦笑した。それは好意的な笑い。
 闇の力を手にし、戦う力を研ぎ澄ませることを選んだ青年と娘は、光を宿し皆を癒す道を進んだ半獣人の少年の真意を知っているのだ、たぶん。

 石畳の上に座り込んでいるデュランは、額の汗をぬぐうと仲間二人に声をかける。
「そろそろ、街に入るか。ゆっくり休もうぜ」
「疲れて先に進めないのでは、意味がないですからね」
 笑ってリースも賛同した。
 辺りの草に飲み込まれている石畳は、かつて存在した都市の名残。ただひとつだけ残る朽ち果てた建物の中に入れば、不思議なことに時を越えて在りし日の古代都市に降り立つことができる。
 長い旅の果てに、ようやくたどり着いたところだった。ペダンにたどり着くまでに、随分と戦ってきた。それでもここはまだ通過点でしかない。
ケヴィンはしばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口を開く。
「……ありがとう、二人とも。もう理由がないのに―――オイラに、ついてきてくれて」

 デュランが追い続けてきた紅蓮の魔導師は、もうこの世にいない。
 リースが捜し続けていた弟王子は、すでにさらった本人の手により、ローラントへ帰されていた。
 それぞれの理由で旅立ち、目指す目的が交差しているが故に共に旅を始めた仲間。
 マナの剣は仮面の導士の手に堕ちた。マナの女神、ひいては世界は彼らの手により滅ぼされようとしている。それでも、目的のなくなったデュランとリースには、いつまでもケヴィンについていく義理はないはずだった。
「いまさら、何を言ってる」
「そうですよ。私たち、一緒に戦ってきた仲間でしょう?」
 二人はにべもなく答え、ケヴィンの言葉を一蹴した。
 その言葉に、ケヴィンは笑うしかない。
 嬉しい、を超えた気持ち。なんと表現したらいいのだろう。ありがちな言葉なのかもしれないけれど、出会って、一緒に旅をした人たちがこの二人で、よかった。
 そう心の中で思い、ケヴィンは目の前に生い茂る原生林を見た。
 幻惑のジャングルと呼ばれる広大な樹海が広がっている。
 どこまで続くかもわからぬこの樹海の奥に、闇の神獣、そして仮面の導士がいるのだ。
 聖剣の勇者として、フェアリーの宿主として、ケヴィンは決着をつけなければならなかった。
 ふと気付くと、デュランとリースも同じように樹海を見つめている。ケヴィンがじっと二人を見ていると、視線に気付いたのか、二人同時にこちらを見た。
「まずは、ゆっくり休むことですね」
「そうだな。とっとと寝ようぜ、明日も早いしな」
 その言葉に、ケヴィンも頷く。荷物をまとめて、古代都市ペダンの入り口となる建物へと歩き出した。
 思い出したように、デュランがケヴィンを呼び止める。
「そういや、さっきありがとうとか何とか言ってたけどな」
 
 旅立ちを決意したとき、一体誰が想像しただろう。
 これほどまでに長い旅路になろうとは。

「俺は、お前と一緒に旅をしてきて、十分強くなったと思ってる。一人で修行の旅に出たところで、これほどになるのは無理だったはずだ。だから、感謝の言葉を言うなら、むしろ俺からお前にだろう」
 ケヴィンは、デュランの顔を見て唖然とした。そんなことを言われるとは、想像もしなかったのだ。さらに、そこにリースが割り込む。
「それを言うなら、俺たちが、ですよ」
 そう言ったリースの笑顔は、闇の名を冠していても、女神のように綺麗だった。
「ケヴィン、私も同じです。……だから、気にする必要なんて何もないんですよ」


 ―――それぞれが思いを胸に故郷を旅立ってから、悠に一年が過ぎようとしていた。
 まだ、終着点は見えない。


 ああ、やっぱり、旅の仲間が、この人たちで本当によかった。
「……うん。早く、仮面の導士のところにいって、全部終わらせよう」
 ケヴィンは誓うように呟く。
 この二人が傍にいて支えてくれる限り、聖剣の勇者として最後まで戦える。そんな気がした。


 それでも、共に戦う仲間がいれば、その道を明るく照らしていけるだろう。
 二年目の、旅が始まる。


END
2003.7.27


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