薄紅天女 阿高×苑上

その手に在る想い




 ――陽が短くなってきたな
 阿高は、あっという間に傾いていく夕日をぼんやりと眺めながら、家への道を歩いていた。珍しくも二連が一緒ではない仕事帰りだ。――藤太は千種に会いに行った、と言うのが本当のところなのだけれど。
 家に帰ったら最初に出迎えてくれるのは誰だろう。すっかり貫禄の付いたチビクロだろうか、それともまだ遊び足りずにはしゃぐ幼子たちだろうか、――あるいはすっかり家になじんだ鈴かもしれない。
 彼女なら、誰よりも先に阿高を出迎えてくれるかもしれない。聞きなれた少し高い声が自分の名を呼ぶのを想像して、阿高は口元にかすかに笑みを浮かべた。
 と。
「待って、阿高――!」
 幻でも何でもなく、その声は後ろから聞こえてきた。阿高が驚いて後ろを振り返ると、少し遠くから一生懸命手を振りながら鈴が駆けてくるところだった。反対の手には包みを抱えていて、もしかしたらお使いの帰りなのかもしれない。
 転びはしないかとひやひやしながらその場で阿高が待っていると、鈴はなんとか阿高の傍へ辿り着いて大きく息をついた。すっかり息が上がっている。
「阿高……やっぱり歩くのが速いのね。前を歩くのが見えたから、声を掛けようと思ったのだけれど、あまりに速くて追いつけなかったわ」
 息を整えながら鈴は笑って言った。おそらくは彼女が声をあげなければ、阿高は気付かずにそのまま歩いていたに違いない。鈴が走らなければならなかったくらいなのだから、彼女を完全に引き離していただろう。
「ごめん、気付かなかった」
 阿高が謝罪すると、鈴はなんでもないように首を振った。
「せっかく気付いてないなら後ろから脅かしてみようと思ったのに、駄目だったわ」
 少し悔しそうな彼女の口調に、阿高は思わず笑う。迷わず彼女の手を取って、軽く促した。
 陽はさらに傾いて、阿高と鈴の姿にも影が差し始めている。
「暗くなるから、もう帰ろう」
 一緒に。言葉にしないその想いに鈴はにこやかに頷き、二人は手をつないで歩きだした。
 女の子泣かせだった二連の片割れと都から来た皇女が、こうして手をつないで仲良く歩いているのも竹芝の当たり前の風景になってきたらしい。どれだけ見られているのかと阿高は呆れもするが、彼女がここに溶け込んでいるのならそれも嬉しいと素直に思えた。
「今日はどこに行っていたんだ?」
「美郷さんに頼まれて届けものに行ってきたの」
 そうして並んで歩きながら交わすのは、他愛のないこと。


 繋がる手と、そこに交わされる想いと。
 辛い思い、いくつもの悲しい離別、背負わされた枷に、すべてを諦める覚悟。そんなたくさんの苦しみを重ね合わせて、今鈴と一緒にいる阿高は存在する。それぞれを味わった瞬間にどれほど絶望しすべてを厭っていたとしても、たどり着いたのが『ここ』なら、それで良かったのだと、思う。


END
再掲2010.3.28


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