聖剣3 デュラン×リース

Elaborate wedding


1.結婚式前におけるそれぞれの動向について




「―――汝、黄金の騎士デュランよ。貴方は、マナの女神のもとに絶えることない永遠の愛を誓いますか?」
 シャルロットは、神官たちから借り出してきた聖書を片手にもういい加減空でも言えそうなほどに繰り返した言葉をよどみなく唱えた。ご丁寧に、開いた片手で祈りのしぐさの真似事をしながら。
 彼女の目の前の椅子に座っている茶色の髪をした青年は、ひどく緊張した様子で視線を周囲に彷徨わせたあと、観念したように口を開く。だが、その喉から言葉は出てこなかった。
 本人、必死になって何か言おうとはしているのだが―――。
 と、青年はやおら立ちあがり、無造作に伸びた髪をかきむしりながら絶叫した。
「だあぁぁっ! ちくしょう、言えっかよそんなこと!」
 しかも公衆の面前で! とにわか司祭に背を向け叫ぶ。窓の外に人がいたら、突然の叫びに驚いたに違いない。
 その様子に、シャルロットは呆れたような表情で聖書を閉じた。


「デュランしゃん、そんな調子で本当に大丈夫なんでちか……」
「ああ、うるせぇなあ、そんなこたぁわかってら!」
 顔を赤くしつつ吐き出す言葉はいつもより乱暴だ。それもただ一言が言えない照れと混乱のせいなのかと思うと、さほど指摘する気も起きないが。
 そんなに難しいことではないと思う。今のシャルロットのように長い台詞を覚えなければならないわけではないし、式での立ち振る舞いはむしろ完璧に覚えていた。
 ただ、一言。
「何にも考えなくていいから、一言『はい』って言えばいいだけなんでちけどねぇ」
 まあ、それを言えないのが彼らしいといえば彼らしいのだけど。それもデュランがシャルロットが唱える言葉の意味を、真剣にとらえているからなのだろうと思う。
「……それが言えりゃ苦労はしねぇんだよ」
 今までこちらに背を向けていたはずのデュランは、いつの間にか振り返って恨みがましそうな視線を向けていた。
「……まず、目があっちこっち行くのを直すのが先でちね」
 冷たく返すと、デュランはぐっと黙り込む。その様子を見てシャルロットは笑い、聖書を小脇に抱えた。
「また、来るでちよ。時間はまだありまちから、あせることないでち」
「……ああ、また頼むわ」
 そう言いながら、デュランは既に窓の外に視線を向けている。開け放した窓から心地よい風が入り、二人の間をすり抜けていく。
 シャルロットは一言挨拶を残して部屋を出た。




 まずは、この小脇に抱えた、小柄な彼女にとっては明らかに重くてかさばる聖書を返しに行かなければならない。
 花婿の控え室から神官たちの控え室まで、シャルロットはのんびりと歩いていた。
 普段は静けさに満ちて時間の止まったような厳粛さに覆われる光の神殿だが、ここ数日、静けさは変わりないものの、やけに物々しい雰囲気が漂っていた。
 今も、シャルロットとすれ違い軽く会釈をしたのは、洗礼された白装束をまとった神官や女官ではなく、皮鎧を身に着けた女性である。―――ローラントを守るアマゾネス。
 窓から見える外を眺めれば中庭を巡回しているフォルセナの兵士も見えて、とりあえず、普段重装備の人間の姿がないここで何かが起ころうとしていることは一目瞭然である。
(表立って反対している国もないんでちけどねぇ。念には念を入れてってことでちか)
 いつもは穏やかな空気がわずかにぴりぴりしているのにやや辟易としたシャルロットは、軽くため息をつくと気を取り直して目的地へと向かった。


 三日後、マナの祝日に、聖都ウェンデルの光の神殿で、
 光の司祭と神官ヒースの下に
『黄金の騎士』デュランと『風の王女』リースの婚姻の儀が執り行われる。


 双方の国の重鎮であるがゆえに、ウェンデル、特に光の神殿は花婿、花嫁が数日前到着したのを境に厳重な警備が敷かれていた。
 といっても、シャルロット自身は式に参加するだけであり特に重要な役目もないため、主役二人のところを訪ねたり、早々にウェンデル入りしていたホークアイやアンジェラ、ケヴィンと遊んだりと、好きなように過ごしていたのだが。
 そして、今はほぼ日課になったデュランへの訪問を終えたところなのだった。
 借りた聖書を神官に渡し重い荷物から解放されたシャルロットは、腕と背中を思い切り伸ばしながら部屋を出た。
 と。


「シャルロット」
 やや遠慮がちな声が背後から響く。シャルロットが振り返ると、そこにいたのはどこか落ち着かない様子の獣人と人間の混血の少年。くせのある金髪が、窓の外からかすかないい香りと共に入り込んでくる風に揺れている。
「オイラ……ちょっと相談、ある。今、大丈夫か?」
「いいでちけど……」
 答えながら、シャルロットは両手を腰に当て、ケヴィンを頭の天辺からつま先までゆっくりと眺めた。
「やっぱり、この花の匂い、落ち着かないでちか?」
 光の神殿の彼らが部屋をもらっている一角、そして今いる廊下の周辺は、ちょうど今季節の花が満開だった。風に揺れる薄紅色の花と辺りに溢れる香が人気で、結婚式さえ控えていなければ、今頃は花見に訪れる人でいっぱいになる。
 シャルロットにとってはほのかに香る甘い匂いに過ぎないが、嗅覚の鋭いケヴィンには、もしかしたらきつい匂いかもしれない。
 尋ねられたケヴィンは、慌てた様子で首を横に振った。
「ううん、それは、だいぶ慣れた。大丈夫」
 その返答にシャルロットは驚いた。相談というから、てっきり匂いが辛いので部屋を変えられないかという話なのだと思っていたから。


 では、一体相談とはなんだろう。そう思いシャルロットがケヴィンに尋ねてみると、彼はしばらく言葉を選ぶように視線を彷徨わせた後、意を決したように口を開いた。
「オイラ、昨夜、ホークアイとアンジェラが話してるの、聞いた」
「ホークアイとアンジェラが?」
 シャルロットは目を瞬かせる。確かに年頃の男と女だが、別に二人が話していたからといっておかしくもない。旅の間も、いかに楽しく過ごすかを二人で話していたものだ―――そしてそのいたずらの犠牲者は、たいていデュランだったりしたのだが。
「オイラ、全部は聞いてない。ただ……さらう、とかリース、とか、結婚式前、とかは聞こえた……」
「ははぁ……」
 確かにその断片的な言葉から察する限り、どうも不吉な計画のようだ。シャルロットは静かに唸った。
 フォルセナの兵士もいる、ローラントのアマゾネスも控えている。光の神殿の神官たちも二つの国の結びつきに友好的で、警備を敷くことに賛成していた。そのど真ん中でよからぬ計画を立てていてもそう簡単に実行は出来まい……とは思うが、あの二人のこと、その点においては常識は通用しない。
 ケヴィンも共に旅をした二人のことはよく知っている。聞き取った会話から想像して、心配しているのだろう。
「オイラ、デュランとリース、結婚する、嬉しい。……でも、あの二人は違うのか?」
「んー、まあ、フクザツな気持ち、ってところでちかねぇ」
 複雑、をやけに強調してシャルロットは言った。


「オイラ、結婚式、無事に済んで欲しい。……どうしたらいい?」
 ケヴィンにそう尋ねられ、シャルロットは頭を抱える。
 確かにホークアイとアンジェラなら、何か起こしそうな予感はする。けれど、あまり大事にするわけにもいかないだろう。ホークアイはナバールの代表で、アンジェラはアルテナの王女なのだ。それぞれ国を背負っているのであり、よからぬ詮索は余計な騒動になる。
 そもそも、まだ『何か』起こったわけではなかった。
 シャルロットがそう説明すると、ケヴィンはますます不安そうになる。しばらく悩んだ末、彼女はこう言った。
「表沙汰には出来ないでちけど、一応おじいちゃんやヒースには言付けて、気をつけるようにするでち」
「……うん」
 ―――このことは二人だけの秘密。光の司祭と神官ヒースにのみこっそり連絡するが、他の人々には決して漏らさないこと。
 そう約束を交わし、シャルロットはケヴィンと別れようとした。
「シャルロット、オイラになんかできること、ないか?」
「うん?」
「オイラ、黙って待ってるだけ、嫌。何かできること、したい」
 そう呟くケヴィンの顔はこわばっている。
「えーと、そうでちね……。デュランしゃんの近くにいるとか、……リースしゃんに何もないように見張ってるとか……でちかねぇ」
 しばらく固まったままの少年は、ふと何かに思い至ったのか、力強く頷いた。穏やかな瞳に冴えた光が宿り、まるでモンスターと相対するときのような表情になる。
「うん、わかった。オイラ、やってみる」
 もう一度約束を確認して、シャルロットは元気よく走り出すケヴィンを見送った。




 窓から入り込むほのかな花の香り。そしてそれを殺さない程度にカップから零れる紅茶の香り。
 それらに包まれていてもなお、部屋の主は浮かない顔をしていた。
 腰までを悠々と隠す蜂蜜色の髪は外からの陽光を浴びてつややかに輝いていたが、その翡翠の瞳には影が落ちている。
 彼女と向き合う相手も、自然と冴えない顔になる。慶びを控えているにも関わらず何か悪いことでもあったような様子の乙女に、シャルロットは眉間に寄せた皺を戻しながら声をかけた。
「……リースしゃん」
「……えっ? は、はい、どうかしましたか、シャルロット?」
 数秒の間を置いて、リースはうつむき加減だった顔をはね上げ、声の主に尋ね返した。
 シャルロットは思わずため息をついてしまう。別に黙ってここに入ってきたわけではないのだが、どうやら忘れられていたらしい。
「……どうかしたでちか、主役が」
「いえ、何でもないです」
 即答。シャルロットが最後の言葉を言ったか言わないかのうちに返事が返ってくる。とてもではないが、「そうでちか」で終わらせられる状態には見えなかった。
「確か……求婚してきたのはデュランしゃんからなんでちよね?」
 シャルロットがなにげなく尋ねてみると、一瞬の間をおいて、リースは耳まで赤くなった。金魚のように口をぱくぱくさせている。
 しばらくして、観念したのか真っ赤な顔のまま彼女は無言で首を縦に振った。
 もちろん、シャルロットはそんなことは承知済みなのだが。
「リースしゃんはデュランしゃんと結婚するの、嫌でちか?」
 次の質問には、反応は早かった。リースはぶんぶんと首を横に振る。ふわりと蜂蜜色の髪が舞った。
「……いいえ。とっても嬉しかったです。デュランも、私のこと想ってくれるとは思わなかったから……」
 頬を朱に染めたまま、リースは幸せそうに微笑んで言う。……聞く者が聞けばただの惚気である。
 シャルロットはリースをからかいはしなかった。ただ腕を組んで考え込んだだけである。
(ふぅむ。ちょっと困ったものでちねぇ……)



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