―――普通なら、叶うはずのない恋をした。ただ、それだけだ。
「どうするつもりでちか?」
沈黙を破って、夜の闇にシャルロットの問いが響いた。バルコニーに寄りかかっていたデュランはシャルロットを一瞥しただけで黙り込んでいる。
「時間は、ないんでちよ」
「……よけいお世話だ。どうしようと勝手だろ」
(何しらばくれてるでちか……)
シャルロットは心の中で溜め息を吐いた。
今宵は祝宴の宴だった。聖剣の勇者たち三人により世界が守られたことに対しての宴だ。つい先程まで賑わいの絶えなかったフォルセナも、日付が変わった今は、静けさに沈んでいる。
この夜が明ければ。三人の旅は終わりだ。シャルロットはウェンデルにいる光の司祭とヒースのもとへ戻り、デュランは聖剣の勇者の称号をも持つ黄金の騎士としてフォルセナに残り。
―――そして、リースは国の再建のため、ローラントへ戻るのだ。
おそらくシャルロットの生活は、旅の前とはさほど変わらない。そのうち、素質を見込まれて司祭のあとを継ぐべく教育が開始されるかもしれないが。
デュランもそうそう代わり映えはしない。黄金の騎士として、また聖剣を抜いた勇者として正式な場へ駆り出されることはあるだろうが、いつもと変わりなく、城の警護をする日々となるはずだ。
だが、リースは違う。統制者である王を欠き、幼い王子しか擁さないローラントを護るために奔走しなければならないはずだ。
彼女だけが、他の二人とは違う時間の流れの中に飛び込んでしまうのだ。旅の間は意識さえしなかった、彼女が王族であるという事実が、今になって急に感じられる。
この宴が終わった後も、また会おうと約束は交わしていた三人だが、そう簡単にはできないことを、―――あるいはできたとしてもまだまだ先であることを、誰もが、シャルロットですら認識していた。
「このまま何も言わずに別れるつもりでちか?」
(……あの時のあんたしゃんたちの行動に意味がないとは言わせないでち)
今度は少し突っ込んで質問してみる。シャルロットがつついて事を起こさない限り、二人の関係は滅多に動くことがない。派手な喧嘩も起こらない代わり、大きな進展もないというわけだ。
ただ、見えないところで深くどこかが繋がっていると、シャルロットは感じていた。
これでも恋する乙女(?)である。そういったことには敏感なのだ。
だが、いくら強く信頼関係で結ばれているといっても、肝心なときに何もなければ繋がっていても意味がない、とシャルロットは散々やきもきさせられてきたのであった。
デュランは痛いところを突かれたようでしばらく絶句していたが、しばらくすると口を開いた。
「……俺は一介の剣士で、リースはローラントの王女だろ。俺にどうしろって言うんだよ」
彼女がとても大切であることは認める。予想もしなかった人と対峙したときにはっきり自覚した気持ち。だが、それを表に出すことを、彼の立場が阻んでいた。
シャルロットはやっぱり、と心の中で盛大な溜め息を吐いた。
デュランとリースは性格がよく似ているのだが、もうひとつ共通点がある。
それは、『体面を気にする』ところなのである。
たぶん身分の差を気にするだろうとは思ったが、どうやらそれは的中したらしい。だが、シャルロットは同時にそれをうまくクリアする手立てを思いついた。思いついたら即行動。それがシャルロットの信条だ。
「デュランしゃんは、馬鹿でちね」
「誰が馬鹿だ!?」
いきなり予想もしていなかった言葉を浴びせられ、デュランは面食らった後に怒り出した。それを無視して、シャルロットは彼に教授するようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「いいでちか。確かにリースしゃんはローラントの王女様でち。普通の人なら無理でちょーけど、デュランしゃんは、フェアリーに認められてマナの剣を抜いて世界を救った勇者でちよ」
「……」
デュランは何も応じなかった。だが、わかる。身にまとった雰囲気が、ほんの少しだけ、変わった。手応えありだとシャルロットは思い、言葉を続けた。
「それに、デュランしゃんはナバールに占領されてたローラントも解放したんでちよ。しかも、あの有名な黄金の騎士しゃんのご子息でちからね」
シャルロットがふとデュランに目を向けると、デュランは何時の間にかシャルロットから視線を外し、フォルセナの眼前に広がるモールベアの草原に視線を彷徨わせていた。
普段の会話なら「どこを見てるでちか!」とシャルロットの鋭い突っ込みが入るところだが、今回の言葉がかなり効果てき面だったとシャルロットは満足していたため、そのようなことはなかった。
再び、二人の間に落ちる沈黙。
シャルロットはひとつ欠伸をすると、もう寝るでち、と言い残しバルコニーの入り口の扉へと向かった。一人一人にあてがわれた部屋へ戻り、おそらくは朝まで眠りをむさぼるに違いない。デュランは軽く相槌を返したが、視線を草原に向けたまま、そこを動かずにいた。
心地よい風が彼の横を滑り抜け、額髪を揺らしていった。
柔らかな風が大地を包んで、世界に朝が来た。
空から投げかけられた陽光が、誰の身にも等しく降り注ぐ。朝焼けが消え、水色に染まっていくはるかな天空を自由に飛び回る翼あるものの父―――フラミーの耳に、遠くから心地よい音が響いてきた。
幼子をあやすような、太鼓の音。
それが自分を呼んでいるとわかるなり、フラミーは一声高らかに鳴いて、呼び主のもとへと旋回した。
太鼓を鳴らして数分もしないうちに、フォルセナの王城の上空に影がさす。風が鳴って、フラミーが三人の前に舞い降りた。
「よし、行くか。最初にウェンデルだな」
デュランの指示を聞いて、フラミーは任せろと言わんばかりに鳴いて、みるみるうちに大空に舞い上がった。目指すは聖なる都、ウェンデル。
(どうするつもりなんでちかね……)
先頭に立つデュランとその後ろにいるリースを交互に眺めて、シャルロットはぼんやり思った。
一番最初にウェンデルに行くことになったのは、シャルロットが絶対二人にウェンデルに帰るのを見送ってもらうと駄々をこねたからだ。彼女自身としてはデュランとリースを二人きりにしようという野望があったわけなのだが。
「ったく、わがままな奴だな、おまえは」
「仕方ありませんよ、しばらく会えなくなってしまいますし」
デュランは呆れた視線をシャルロットに投げかけ、リースは笑顔で擁護する。デュランは昨夜のことがあるからともかく、リースはシャルロットの意図にはまったく気付いていないようだった。
雲がすぐ横を流れ、景色が背後に消え去っていく。あっという間に眼下にウェンデルが広がった。
「あそこでち、あの洞窟の前に降ろしてほしいでち」
シャルロットが言うと、フラミーはゆっくりとウェンデルとは目と鼻の先、滝の洞窟の入り口に舞い降りた。今頃上空にフラミーを目撃した神官たちがシャルロットを迎える用意をしているに違いない。
危なげなくフラミーの背から飛び降りると、シャルロットはデュランを呼んだ。
「デュランしゃん、ちょっと来てほしいでち」
「? 何だよ」
「いいから、でち」
不思議そうな顔をしながら、デュランはフラミーから飛び降りる。シャルロットはリースに声が聞こえないところまでデュランを引っ張っていって、そっと耳打ちした。
「ちゃんと言うんでちよ」
シャルロットの言葉に、始めはきょとんとしていたが、思い当たったのかデュランはうざったそうな目で睨み返した。
「……よけいなお世話だ」
その返答に言うことは言ったと満足そうな表情をして、シャルロットはフラミーの上できょとんとしているリースに叫んだ。
「リースしゃん、ローラントの再建の目処がついたら、遊びに来てほしいでち、歓迎するでちよ」
リースはにこやかに笑い、応じた。
「ええ、必ず来ます」
デュランは憮然としながらも、フラミーのもとへ戻り、地面を蹴って軽やかにフラミーに乗り移った。それを待っていたかのようにフラミーは一声鳴くと二対の翼を羽ばたかせ、大空へ舞い上がった。シャルロットは手を振って見送……ろうとして。
「およよ?」
あるものを見つけ、シャルロットは思わず素っ頓狂な声を上げていた。フラミーがローラントへ向けて舞い上がったとき、見えたもの。
デュランの腰に、剣がふたつ、束さんである。ひとつは旅の終わりに愛用していたもの。もうひとつは……、古い、年季の入った剣。その剣が何か、シャルロットは旅の間に聞いていた。
「さっき言ったのは、本当によけいなお世話だったみたいでちね」
そう言って、にんまりと笑う。そうするうちにフラミーは空の彼方へと駆け去り、その姿はすぐに見えなくなった。
(三人で会うときの楽しみが増えたでち♪)
ローラントでいったいどんな会話が展開するのか想像しながら、シャルロットは今度リースに会ったときは絶対に開口一番に聞こうと決める。
デュランは真赤な顔で怒鳴り返して絶対に教えてくれないだろうが、リースなら、ちょっと突っ込んで聞けば顔を真赤にして口走ること間違いなし。
しばらく先になるであろうそのときを楽しみにしながら、シャルロットは大好きな青年と大事な祖父の待つ光の神殿へと悠々と歩き出した。
ローラントまで、あとわずか。時間はもうない。
フラミーはローラント城の城門の前に舞い降りた。先にデュランが降り、彼にエスコートされる形でリースも続いて降りる。
「これから、毎日忙しくなるんだな」
「……ええ……、そうですね。やることはいっぱいありますし。三人で会えるのも、きっとまだまだ先ですね」
他愛ない話題で話しかける。辛いこともあったけれど楽しかった三人旅が終わることを、リースは心底残念に思っているようだった。デュランの視線が宙を彷徨い、そして意を決したようにリースに向けられる。
「あのさ」
「はい?」
「実は……リースに持ってて欲しいものがあるんだ」
そう言うと、デュランは腰に束さんでいた剣を取り出す。
今まで決して傍らから離したことのない、これからもそうであると思っていた、大切なもの。年季が入ったと一目でわかるひとふりの剣である。
「これは……」
リースはその剣を見たことがある。他の者にしてみれば、ただの古い剣だ。しかし、それがデュランにとってどれだけの意味を持つか、この旅の間に起こった彼にまつわる悲しい出来事と一緒に、彼女は知っているのだ。
彼を失いたくないと心から思った、その気持ちと共に。
「俺が持ってるものの中で、一番大事なものだ。……だから、リースに持ってて欲しいんだ」
差し出された剣を、リースは少しためらった後、そっと両手で受け取る。
壊れ物を扱うように大事に抱え込んで、リースは一瞬考え、背中に手を回してその金色の髪をまとめているリボンを引き解いた。
緩やかに流れる風に長い髪が翻る。若草色のリボンを握った手が、デュランの前に差し出された。
「このリボン……小さい頃からの私の宝物です。私の代わりに、あなたが持っていてください」
デュランは一瞬躊躇した。
「……良いのか? 俺なんかが持ってても」
自分を導いてくれるものだと、言っていなかったか?
「いいんです。デュランに持っていてほしいんです。それに……私にはこれがありますから」
リースは即答し、デュランに渡された剣を抱きしめる。この剣がデュランを支えてきたように、これからは自分を支えてくれると。
そして、デュランはリボンを受け取った。
二人が互いに渡したのは心。だから、遠く離れていても、―――きっとつながっている。
「汚さないように、大事に持ってるよ」
「ちゃんと、毎日手入れしますね」
微笑みあって、そして二人の声が重なった。
「「また、会うときまで」」
―――本当なら、出逢うことすらないはずの人を、好きになりました。ただ、それだけです……。
END
2001.7.17