悠久の絆

章間




 その年初めての雪が、王都ライゼリアに舞い落ちた。
「今年は、いつもより早い初雪ね」
 途切れ途切れに踊りながら地上に向かっていく雪は、王城の出窓からもよく眺めることができる。そこに肘をつきながら、第一王女ミファエルは穏やかに呟いた。漆黒の巻き毛が緩やかに肩を包み込んでいる。黒褐色の瞳が窓の外に何かを見つけると、その表情が緩んだ。
 ミファエルは上半身で振り返ると、鏡のように自分と酷似した姿の少女に呼びかける。
「ねえ、ノーベラ。精霊でもやっぱり雪は嬉しいものかしら。なんだか楽しそうよ」
 名前を呼びかけられ、ノーベラは数歩踏み出して椅子に腰掛けるミファエルの隣に並んだ。
 二人で窓の外を眺める。ミファエルとノーベラには、そこに人間の少女に似た、手のひらに乗るほどの大きさの人影がぱらぱらと降る雪にまとわりつき踊る様子が見えていた。それは、大地に存在するものに宿るとされる精霊の姿。
「本当、楽しそうね」
 ファレーナ王国の双子の王女、ミファエルとノーベラは、幼い頃から精霊の姿を見る力を持っていた。ただし、彼女たちにできることは精霊の姿を目にすることだけで、彼らあるいは彼女らに働きかけることはできず、本当に雪が嬉しいのかどうか尋ねてみることはできない。
 精霊を見ることはできても、魔法は使えない。それでも、現国王の四人の子供の中では、この二人は魔法への親和性が強いとされている。そして、それ故に彼女らは兄二人を差し置いて次期王位継承者と目されているのだった。
「精霊と言葉が交わせたらよかったのに」
 ミファエルは純粋に憧れを持ってそう語る。しかし、その言葉にノーベラはかすかに眉をしかめた。
「……そうね」

 ほんの少し前にも、大臣の一人に言われたばかりだったのだ。あなた方はファレーナ王族の希望なのだと。皮肉めいた笑みを浮かべて、ノーベラは呟いた。
「精霊の姿しか見ることのできない王女に、一体どんな希望があるというのかしらね」
 言葉の響きに不穏なものを感じ取ったのか、窓の外を眺めていたミファエルがノーベラを見上げる。その表情から読み取ったのだろう、彼女は少しずれた、だがまったく筋違いでもない話題を振ってきた。
「ルシータからの伝令と母上の話は、まだ終わらないの?」
「ええ、神官も交えてずいぶん話し込んでいるみたい」
「……長いわね」
 ノーベラの答にミファエルは眉をしかめる。彼女たちの母親―――すなわちファレーナ国王妃はルシータの出身である。王宮にはルシータから派遣された王宮付き神官もいるが、こうしてルシータから使者が来たときなど、私的に話をすることも多かった。
 やはり故郷のことが懐かしいのだろう、と普通は思うがこの場合は少し違う。
「いつものことだけれど、そんなに何を話すことがあるのかしらね」
 そうこぼすミファエルの口調は穏やかとは言いがたい。ノーベラにも自分の片割れがそんなに剣呑なのは理解できる。

 ルシータ出身の王妃と神官―――あるいはルシータという街の存在そのものが、彼女たちを王位継承者に押し上げているそもそもの原因なのだ。
 魔法都市ルシータを抱えるが故だろうか、ファレーナ王国の王位は、常に魔力の強い者に継承されてきたのだ。幾度もルシータの血脈と交じり合いながら、受け継がれる魔法の素質をより強めるように。
 しかし、百年ほど前を境にその力は急激に失われた。世界中が魔法を使う術を失い、ルシータ以外に魔法の使い手がいなくなった頃から、ファレーナ王族の魔法の力も弱くなったのだ。ルシータの巫女姫の血脈から伴侶を得ても、魔法の力が消えるのをとめることはできなかった。
 彼女たちの祖父はまだいくらか魔法を使えたという。だが、現国王たる父は時折精霊の気配を感じる程度。そして、兄王子二人はまったく素質を持たず、末の王女二人がようやく精霊の姿を見ることができる。
 父よりも魔法の親和性の強い二人の王女に、王妃と神官たちは色めき立った。これでまた強い魔法の力を取り戻すことができると、かすかな希望にすがりついたのかもしれない。
 けれど。
 ノーベラとミファエルはいつも思っていた。
 この素質は一体なんの役に立つのか。過去の王族が天候を変え人々の病を癒したように魔法で民を守ることもできない。他国と交渉し民の生活をよくするためには精霊を見る力など役に立たない。自分たちが次期王位継承者に祭り上げられている意味は何なのか、と。



 乱暴に扉を叩く音がした。
 一体誰だろうとノーベラとミファエルは顔を見合わせる。女官たちであれば扉の向こうから用件を伝えてくれるだろう。
 しかし相手は沈黙したまま。しばらくして再び扉を叩く音がいらついたような響きで聞こえてきた。
「どなた?」
 ミファエルの誰何の声にも反応はない。首を捻りながら扉を開けようとノーベラが近付くと、取っ手に手をかけるか否かのところで先に扉が開いた。

 外に向かって開いた扉の向こうに、彼女たちの兄である第二王子グレイスが立っていた。
 国王の四人の子供たちのうちで最も長身の彼に悠然と見下ろされると、特にミファエルなどは萎縮してしまう。母の美質を良く受け継いだ端正な顔をしているが、穏やかな雰囲気の長兄とは違って冷酷な反応をすることが多いせいだろう。
「やはりここにいたか、王位継承者の有力候補殿」
 グレイスはにやりと表現できる笑みを浮かべてそう言った。あまり見ていて気分のいいものではないな、とノーベラは頭の片隅で思う。彼女たちへの呼びかけが既に嫌味めいているものだから、余計そう思えるのだろう。
「どうなさいましたか、兄上」
 背後で凍り付いているミファエルを思い、ノーベラはそう尋ねた。彼女たちが王位継承権一位になれば格は彼女たちの方が上になり、敬語を使わねばならないのは兄の方になるのだが、ノーベラはことさら意識して敬語を使う。
「いずれ王位継承権は私がいただくぞ。それまではせいぜい優越感に浸るがいい」

 ノーベラもミファエルも、始めはグレイスの言っている意味がわからなかった。
 王位継承を決定するのは魔法の素質の強さ。彼女たちよりも上の継承権を得るにはそれ以上の素質がなければならないが、グレイスは精霊を感じることもできない。
 妹二人が理解できないでいるのが楽しいのだろう、グレイスはおかしそうな笑みを浮かべると有り難くも説明してくれたのだった。
「ルシータから一人の娘が逃げた。誰よりも力の強い<アレクルーサ>を手に入れれば、私が王位継承権を得られるだろう」
 簡潔すぎる説明だがそこからひとつの意図を読み取って、ノーベラはなるほどと頷く。
 魔力の強い者と婚姻すれば、次世代に期待することができる。それが誰よりも強い魔法の力を持つ者であれば可能性はさらに高くなるかもしれない。少なくとも魔法の力を重視する人々はそう信じる。
 それが娘であるなら少なくとも今王位継承の候補とされる王女と娶わせることは無理だから、王子側に継承される可能性も出てくるというわけだ。

 ノーベラが顔を上げたときには、既にグレイスは楽しそうな笑い声を上げながら去っていくところだった。その背中が廊下の角の向こうへ消えると、ミファエルが恐る恐るノーベラの隣に並ぶ。
「一体なんだったのかしら……?」
 ミファエルの言葉に二人顔を見合わせる。
「少なくともルシータに何か関わることみたいね」
 ノーベラは兄の言葉を逃してはいなかった。おそらくは今王妃と神官たちが話している内容と何か関係していることなのかもしれない。それを兄は聞きつけたに違いないのだ。
 一人の娘が逃げた。誰よりも魔法の力の強い者だという。<アレクルーサ>……というのは聞きなれない言葉だった。
 母たちは一体何の話をしているのだろうか。
 グレイスが立ち去った角を見つめてノーベラは小さな声で呟いた。
「何もおかしなことが起きなければいいんだけど」
 

初出 2005.8.17


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