悠久の絆

第6章




 エルティスとデュエールの周囲には蔦や枝に捕らえられた兵士たちの姿がある。それを見つけたのだろう、王子の歩みが止まった。驚いた様子だ。その頬が引きつっているのが見てとれる。
「ほう……」
 その背後から、二人の黒髪の女性が走ってくるのが見えた。その容姿は何故か巫女姫やミルフィネル姫に似ている気がする。
「兄上! これ以上は無意味です!」
「もう、魔法はなくなるのですよ!」
 誰なのだろうとエルティスが首を捻ると、デュエールが王子の妹―――王女だと教えてくれた。
「王女様?」
「俺を牢から助けてくれた人たち。精霊の姿が見えるらしい」
 エルティスは納得した。確か、今の国王妃は巫女姫カルファクスの従姉妹ではなかったか。血縁であれば、ミルフィネル姫の面影があるのも頷ける。そして、その血のためにファレーナ王族はルシータの民と同じような力をわずかではあるが持っていることも思い出した。

 ―――だからなのか。
 強い魔法の力を得るためにルシータの民、殊に巫女姫の血脈と婚姻を繰り返してきたファレーナ王族。それが、もっとも強い魔力を継ぐ<アレクルーサ>を欲してもおかしくはない。
(……あれ? でも、何か変ね)
 王族とルシータは強く結びついている。それなら、ルシータを滅ぼした<アレクルーサ>が何なのか、決して彼らに有益なものではないことは知り得るはずだ。

 考え込んでいると、ふと肩に手が触れる。デュエールに前を促され、エルティスは顔を上げた。
「考えるのは後だ、エル」
 すっかり思考まで読まれていたらしい。エルティスは頭の中に浮かんだ疑問を振り払うと、こちらへ近づいてくる王子を見据えた。
 剣を抜いて、デュエールがエルティスの前に出る。王子は歩きながら、すでに剣を抜き放っていた。後ろから呼びかける妹たちの声に耳を貸す様子は全くない。
 数歩の距離まで近づいたところで王子の足が止まる。ゆっくりと剣が構えられた。
 たぶん、この王子の剣技はあの兵士たちの比ではないのだろう。エルティスの目で見てもそれくらいはわかる。

「私から……逃れられると思うな!」
 言葉と同時に王子が地面を蹴る。速い、とエルティスが思った一瞬でデュエールとの距離を詰め、剣を振り下ろした。僅差でデュエールが剣を受ける。あとわずか遅かったら、その豪剣を身体で受ける羽目になっただろう。
「……!」
 デュエールは両手で剣の重みを受けるのが精一杯だ。拮抗はしているけれど、返すことは無理だろう。下手をすれば、そのまま押し切られてしまうかもしれない。
 どうしたものかとエルティスは焦り、目の前にあった蔦に呼びかけて目一杯の加護を与えた。
(動きを止めて!)
 爆発的に成長した蔦は空を飛び、王子の腕に絡みつこうとする。
 だが、動きを封じられる前に王子は後ろへ飛び退くと、追いかけてくる蔦を勢いよく薙ぎ払った。滑らかな動きで一歩踏み出すと、体勢を立て直そうとするデュエールへ再び斬撃を振り下ろす。
「それが駄目ならっ!」
 エルティスは今度はすぐ傍の木々にも加護を与えて呼びかけた。エルティスの声に呼応して、力を受けた木々と立ち直った蔓草とが再び王子に手を伸ばす。

 鮮やかなものだった。王子は力ずくでデュエールの剣を押し飛ばすと、その反動で後方へ下がり、四方から襲い来る枝や蔦をすべて切り捨ててみせたのだ。今度は素早く飛び出したデュエールの剣すら、なんなく受け止めてしまう。
 一度ひるんだものの、また王子へ向かう植物たちをエルティスは慌てて収めた。たぶん繰り返しても仕方ない。彼らが傷付けられるだけだ。隙がない王子を、一体どうしたらいいのだろう。
 このままでは、デュエールが圧倒的に劣勢―――。

 エルティスはふと王子の足元に目を向けた。
「……もしかして……」
 剣の間合いの範囲にある枝や蔦はすべて落とされている。けれど、もし足元からだったら? 忍び寄るものを切り捨てられる?
(ああ、避けられちゃうかな……でも、もしかしたら)
 エルティスの思考は、精霊の悲鳴で遮られた。デュエールの危機を訴えるその声にエルティスは我に返る。

 王子の剣に押され、デュエールは限界だった。王子の剣の切っ先はデュエールの顔に到達しようとしている。
 エルティスと目が合うと、王子はにやりと笑った。嫌な笑い方だと、エルティスはぞっとする。
 押し潰さんという勢いでデュエールを押していた王子は、いきなり剣を退く。突然逃げられたデュエールは当然ながら体勢を崩し、そこに王子は勝ち誇ったように剣を振り下ろして―――。
「デュー!?」
 エルティスの口から漏れたのは悲鳴だった。剣を構える暇さえなかったデュエールの右肩に王子の剣が吸い込まれていく。

 ふと視界を横切った火霊にエルティスの脳裏に何かが閃いた。怒りを込めて、エルティスは火霊に向かって叫んでいた。
「火霊! あの時みたいに焼いて!」
 エルティスの頭の中に思い浮かんだものは、デュエールを護るために燃やされた槍。たとえ、燃えなくても急激に熱せられればどうなるか。
「何っ!?」
 火霊はエルティスの願いに瞬時に従い、王子の剣は熱を帯びて赤く輝き始めた。叫びとともに王子が手放した剣は地面に転がる。ほぼ同時に、デュエールも崩れるように膝をついた。

「絶対に許すもんですか……」
 ふつふつと沸きあがる怒りをみなぎらせたまま、エルティスは王子を睨みつける。迷っている暇はない。ここで止めなければ、デュエールを手当てする時間がない。
「デュー、ごめん、<器>の力使うからね!」
 怪我人には負担だとわかっている。けれど、今からやろうとすることは、<アレクルーサ>の力を限界まで使って理を歪めるしかないのだ。肯定の返事を聞く暇もなく、エルティスは周囲の木々に呼びかけた。
 エルティスの身体中に魔力が満たされていく。デュエールの器にも魔力が流れていくことがエルティスにはわかる。まだ、足りない。幼馴染みの身体に満たされた力もすべて使って、ようやく叶うこと。
 足元なら、邪魔されずに王子の動きを封じられるかもしれない。木々は、自ら動く身体を持たない。巨大なその身体を動かすには、それこそ膨大な魔力が必要なのだ。
 充分な魔力を手にしたところで、エルティスはそれを解放した。

 地響きのような重たい音とともに、周囲の土が盛り上がる。凹凸が激しくなり、足元が揺れ、次々とひび割れていく地面の中から、幾本もの木の根が飛び出してきた。
 不安定な足場でなんとか剣を拾った王子の足元にすべての根が近づき、脚を絡めとる。追いかけるように襲い掛かる蔦を、王子はこれだけは鮮やかに切り払った。
 エルティスは持っていた花を投げつけようとしていた手を止める。これでは、折角の花も切られかねない。

 そのとき、デュエールの声が聞こえた。
「いいから、投げろ、エル!」
 叫びとともにデュエールは立ち上がり、左手で剣を握って王子に向かって振り下ろす。利き手でもない片手での威力は大したものではないが、それでも足を封じられた王子は避けるわけにはいかなかった。
 剣がぶつかり合う音が響く。
 その意図を察したエルティスは王子に勢いよく白い花を投げつけた。
 犬神に教えてもらった、催眠効果を持つ花。普通なら気分を落ち着かせる程度だ。けれど、それを魔法で強化したなら。
「なんだと……」
 うめき声があがる。王子の身体がぐらりと傾ぎ、眠気に襲われたのは明らかだった。それを見て、エルティスはさらに魔法を使って花の効果を強くする。
 眠ってもらわなければ困るのだ。これ以上は何の手もない。
「ここまできて……」
 エルティスが睨みつけている中、糸が切れたように王子は膝から崩れ落ちた。抵抗しないとわかり、蔦や枝が退いていく。脚を絡めた根は王子が倒れるのに合わせて動き、足を捕らえたままだ。
 沈黙が落ちる。

 地面に伏した王子が動かないことを確かめると、エルティスは座り込むデュエールの傍に駆け寄った。
 傷は思ったほど深くないようだが、それでも胸まで切られている。
「大丈夫? 大丈夫?」
「なんとか」
 頼むから泣くなよ、とデュエールは息を吐くように囁いた。
 エルティスは傷を確かめると、すぐに傷を癒す魔法を使った。数秒の後には跡形もなく綺麗な肌に戻っている。着られた服は当然そのままだし、剣を受けたことによる衝撃はいくらか残っていると思うけれど、命を左右するほどではないだろう。
 安堵の息をついて、エルティスはデュエールに抱きつく。
「どうしようかと思った」
「うん、俺も危ないかもしれないと思った。けど、エルを護るための力が剣なのはこのせいだったんだな」
 納得した、とデュエールはエルティスにはわけのわからない言葉を言った。
「何の話?」
「あとで教えるよ」
 エルティスが尋ねると、デュエールは笑ってそれだけ言い、エルティスを促す。

 示された方向を見ると、倒れた王子の傍に二人の王女が立っていた。全く同じ容貌をした王女の一人がエルティスと目が合うと軽く礼をする。
「この度は我が兄が大変な無礼を致しました。代わりにお詫び致します。それで……」
 大変申し訳ないのですが、と彼女は言った。
「よろしければ、私たちにルシータのことやあなた方のことをお聞かせいただけませんか?」


初出 2007.6.2


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