悠久の絆

番外編


I swear by God



 ――ずいぶん妙なところにいるな。
 姿の見えないエルティスの居場所を追ったとき、デュエールはまず最初にそう思った。別に遠くにいるわけではない。今彼らが住家としている宿の裏庭。外に出て、建物をぐるりと回ってみると、そこに探していた姿があった。
 ちょうど西側だったから、昼下がり過ごすにはいいところだったのかもしれない。地面に厚布を一枚敷いてそこに腰を下ろし、宿屋の壁に寄りかかっている。力の抜けた手から膝の上に落ちているのは、昨日買い求めた本だ。
「エル……」
 思わずこぼれた呟きに十二分に呆れが含まれたのは仕方ないだろう。かすかな頭痛を覚えながら、デュエールは建物に身を預けて寝入っているエルティスを見下ろした。
(いくら精霊の加護があったって、不用心だろう、これは……)
 彼女としては、ルシータと同じ気分で過ごしているのかもしれない。しかし、森の恵みに溢れていたルシータとここでは精霊の力だって違うだろうし、街中が安全なわけでもないのだ。
「エル」
 デュエールは屈みこんで幼馴染の肩を揺らした。しかし、かすかに唸り声が聞こえるだけで目覚める気配はない。しかし、ここに放っておくわけにもいかない。
 確か入口の扉は開いたままだったなと思いだしながら、デュエールはエルティスの背中とひざ裏に手を滑らせて、彼女をそっと抱え上げた。落ちたらどうしようもないなと思っていた本は幸いなことにそのままエルティスの身体の上に転がる。地面に敷かれた布は後で取りに来ることにして、デュエールは割り当てられている部屋に戻るべく歩き出した。



 中に入ったところで女将と鉢合わせ、ありがたいことに部屋の扉を開けてくれたので、デュエールは無事にエルティスを寝台に寝かせることができた。平和なことに、エルティスは全く起きる気配もなく眠ったままだ。
(ここまでの間にけっこう揺れてるはずなんだけどな……)
 幼馴染の豪胆さというか鈍さを思ってデュエールは苦笑した。
 テーブルに本を置いて寝台の傍に戻る。何気なくエルティスの顔を覗き込んで、デュエールはそのまま目を見張った。
 つい先ほどまであどけなく寝ていたはずのエルティスの眉間にしわが寄っている。夢見でも悪いのか、嘘のように辛そうな表情をしていて、かすかにうめき声すら聞こえてくる。
 いったいどうしたのかとデュエールがエルティスの頬に向かって手を伸ばすと、勢いよくその手をつかまれた。大きく見開かれたエルティスの目がこちらをとらえる。
「……デュー、そこに、いたの?」
 呟きと同時に、エルティスの眉が悲しげに寄せられた。デュエールの手を握る力がぎゅっと強くなる。その手がわずかに震えていることに気がついて、デュエールは応えるように手を握り返して彼女に笑いかけた。
「ああ、ずっといたよ」
「どこにも行かない?」
 こんな子供のような、頼りなげな幼馴染の声を聞くのは、久し振りだ――とデュエールは思う。
「ずっと一緒にいるから、だから心配しなくていい」
 デュエールが力を込めてそう答えると、ようやく安堵したのだろう、エルティスの表情が一瞬にして柔らかく変化した。手から力が抜ける。
「そ、う。よかった……」
 語尾は寝息と混ざり合い、瞼が閉じられるとともにエルティスは再び眠りに落ちたらしかった。どうやら寝ぼけていたらしい。規則正しい呼吸が聞こえてきても、デュエールはエルティスの手を握っていた。
 彼女はいったいどんな夢を見ていたのだろう。それが、エルティスを独りきりにしてしまった約半年間に起因するのだということは、デュエールにも分かる。
 デュエールはふと窓の外に目をやった。風はない。外に置いたままの敷き布は、あとで取りに行ってもいいだろう。
 このまま、こうしていよう。彼女が目覚めたとき、傍に誰もいなくて寂しい思いをしないように。最初に笑って声をかけられるように。
 近くにあった椅子をなんとか引き寄せると、デュエールはそこに腰を下ろす。エルティスの手を握っているのとは反対の手で、彼女の額に掛かる前髪を梳いた。
 誰に言われなくとも、これから先彼女の傍を離れるつもりはまったくない。
 彼女はひとではない。ひとの世界に生まれ落ちた、神々の一族。尽きる命を持ちながら神に列する者。本来ならば天に帰っていたに違いない。けれど、彼はこの世界でただ一人、彼女と特別な絆を持つことを許された者だ。ひとでありながら、彼女の持つひとならぬ力を左右することすらできる、彼女を支える者。
 それが与えられたものだとしても、自ら選んだものだとしても、デュエールは手放すつもりなどまったくない。
 すくいあげた幼馴染の手に唇を寄せて、デュエールは静かに呟いた。
「――神かけて誓う」
 

 これから先何があろうとも、決して君を離さない。最後までずっと傍にいる。 


初出 2009.2.17


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