二人の物語

第6章 真実




 <アレクルーサ>。
 ルシータを裁く者。裁くが故にルシータを滅びに導く者。かの者は、何のためにいるのだろう。何のために地上に降り立ったのだろう。
 エルティスは犬神に問い返していた。
「罪?」
『さよう。世界が魔法を失いつつあることは知っているだろう?』
 いきなり話題が違う方向へ飛んだような気もしないではないが、こういったときに犬神が意味のないことを話すことはまずない。

 それはこの世界に生まれ、魔法を知っている者ならば誰でも知っていること。
 世界に満たされていたはずの魔法の源は、ここ百年ほどのうちに急速に減少していた。魔法を使うための源が薄くなった中では、魔法の力も落ちていく。今は、強い魔法の素質を持つごく限られた者だけが、魔法を使うことができる時代だった。

 犬神の言葉に、エルティスは静かに頷く。
「知っているわ。今になっては、魔法を自由に使える者がほぼルシータにしかいないこともね」
 ルシータは特殊な場所にある街である。神々が地上に魔法の源を送り出すために作り上げた扉の中に成立する、神々に最も近い場所。世界で最も魔法の源が濃い場所。
 かつて最も魔法に親しんだ巫女が、神に仕えその声を聞くために作られた街なのだ。
 神の声を聞ける巫女、そしてその女性に仕える同じく魔法を使う神官たち……ルシータにはもともと魔法の素質を強く持つ人々が集まっている。

 世界の魔力が薄れても、何故かルシータが存在するこの場所だけはこの百年間魔法の源の密度が変わっていないという。
 魔法が最もよく使われた時代と変わらぬ濃度の魔力に抱かれて育つルシータの民は、大部分の者が幼い頃から魔法を使うことができる。魔力の源を感じ、干渉する素質を持つ上に、少なからず魔法の源を身体に帯びているのだ。
 だからこそ、ルシータではもちろんのこと、他の場所へ行っても何の支障もなく強力な魔法を使うことができる。それはルシータ以外に住む人々には決して手に入れることのできない能力だ。
 それ故に、ファレーナ王国の中にありながら、ルシータはほぼ独立した形で存在しており、その首長には強い権限が与えられている。

「ルシータがこれだけ贅沢な暮らしができるのは、ルシータの民以外に魔法を使える者がいないからよ」
 エルティスは吐き捨てるように言う。その顔にははっきりと神官たちに対する嫌悪がにじみ出ていた。
 治療院を建て考えられないほどの高額の治療費を請求するのも、その金であれだけの食料品や装飾品などの贅を尽くすのも、その権限があるからだ。そして、その権限とルシータの民だけが魔法を使えるという事実が、ルシータの民の中に選民思想を生み出した。
 ルシータから魔法が失われれば、今の繁栄は恐ろしいほどの勢いで失墜するに違いない。

『不審には思わぬかね?』
 唐突な犬神の質問に、エルティスは眼を瞬かせた。
「何を?」
『世界から、魔法が使えぬほどに源が失われていながら、ここだけは以前と変わらぬ魔法の源があることを』
「それは……<柱の結界>があるからじゃないの?」
 エルティスはやや眉をしかめながら犬神に確認した。
 ルシータの周りを取り巻く巨大な柱を思い描く。中央に一本、そしてその周りを円状に囲む六本の柱。はるか昔の建造物とされるその柱の中に、ルシータは作られているのだ。
 伝説によれば、その柱は<柱の結界>と呼ばれ、神々が魔法の源を地上へ送り出す扉の役割を果たしたという。柱によって区切られた空間の中に魔法の源を溜め込み、調整しながら世界中にそれを送り出していたと、伝承は伝えている。
 それゆえに、<柱の結界>の中に満ちる魔法の源は世界中のどこよりも濃い。だからこそ、かつての巫女と神官は、この結界の中に街を作ったのだ。

 犬神の表情は、先ほどからまったく変化がなく、答える声も淡々としている。
『魔法の源は、大量に消費されて失われたのではない。そもそも神々から送り出される量が減っているのだよ。それにもかかわらず、この場所にある魔法の源は、ずっと昔から変わっていない』
 世界に満ちる魔法の源は、百年ほど前から急速に失われた。世界は魔法を失いつつある。そんな時代にあっても昔と変わることなく神から神託を受け、強力な魔法を使いこなすルシータは、とても特殊な存在である―――。
「……魔法の源が、結界から外に出て行かない、ということなの?」
 世界に振り分けられるべき、魔法の源の量が減った。それでもルシータにある魔法の源は昔と同じ。他の場所に行き渡る魔法の源の量が減るのは当然。

「<柱の結界>は神々が人間に与えてくださったものでしょう? そんなことがあり得るの? 普通なら、神々が世界に与える魔法の量が減ったのなら、<柱の結界>の力だって調整されるはずじゃ……」
 質問する相手が違うかもしれないとは思いつつ、エルティスは矢継ぎ早に犬神に問いかける。だが、その途中でエルティスは気付いて言葉を失った。

 もしかしたら、あり得るのだろうか。
 神々が<柱の結界>の力を調整したのではないとしたら。
 魔法が失われることにより、巫女姫と神官の権威が失われるのだとしたら。
 だが、それは神々を信じ奉るものにとって最低の振る舞いではないのか。

 犬神の返答は簡潔で、だがエルティスの考えたことを正確に言い当てていた。
『<柱の結界>の力は、ルシータの民により強められた。彼らが変わることなく魔法を使い、その権威を維持するために』
「……!」
 エルティスは驚愕に目を見開く。怒りはその後から静かにわきあがってきた。
 それは魔法や神託といった神の領域に親しみ、神々が存在することを知っているからこその怒りかもしれない。そしてその怒りの対象が、本来神々に仕え従うはずの神官や巫女であるからだろう。
 叫びそうになるのをかろうじて抑えてエルティスは呟く。
「神々に仕えていながら、神々の意に反することをしているの……!?」
『それは既に百年以上も続けられている。今さら気にすることはあるまい』
 犬神の返事は、酷く侮蔑のこめられた声で吐き捨てられた。しばらくの沈黙の後、再び口を開いた犬神は、今度は先ほどとは違う柔らかな口調で話し出す。
『ルシータの民は、魔法に依存している。それを考えれば、彼らの反応は当然のことであろうな。誰であっても、今ある繁栄が失われるのは恐ろしい』

 それはエルティスにも分からないことではない。
 今まで当たり前のようにあったものが一瞬にして失われること。これまでの生活が崩壊してしまうこと。つい先ほど身をもって体験したことだ。
 自分はどこへ行ったらいいのだろう。これからどうしていけばいいのだろう。先が何も見えてこない。明りひとつない暗闇に何の前触れもなく放り込まれたような気分。
 確かにこの気分を好き好んで味わいたいとは思わない。それでも、それは神々を裏切る理由になりうるか。
「でも、それは許されることなの?」
『許されるかどうか、という問題でもないのかも知れぬ。彼らは当然の対応をした、……その方法が問題であり、故に神々の愁いに触れたというだけのこと』

 木々が風にざわめく。その風がいつもより耳にうるさい気がしたが、風霊は慌ただしく通り過ぎていくばかりでエルティスに何かを伝えてくる余裕はないようだ。エルティスもそんな様子の精霊たちを引き止めてまで聞きだそうとは思わなかった。
 そのざわめきにも動揺することなく、犬神の声が響く。
『問題は抵抗する方法だった。エルティス、彼らは何を以て<柱の結界>の力を強化したと思うかね?』
 エルティスは沈黙した。頭の中に引っかかる何かがある気もしたが、何も思いつかない。彼女が素直に首を振ると、犬神は静かに目を閉じた。
『彼らは……人の身体に宿る魔力と、その人の持つ魔力の源への親和性を利用して<柱の結界>を強化した。つまり、<結界>に生贄を捧げたというわけだ。それは魔力の源が減少し始めた百年前から続いている』

 エルティスの脳裏に、先ほど引っかかった『何か』が思い返される。

 ―――強い魔力を持つ高位の神官は皆出払っていて、その役目を担える者がいないのです。

 ―――奥の祭壇まで行き、神具を供えて祈りを捧げてくるだけでいいのです。あなたが持つ魔力が祠を満たし、明日わたくしが儀式を行う助けになります。

 この洞窟のことを、この一番奥にある祠の意味を、知っていたら絶対に誘いに乗ったりはしなかったのに。

 それは、神に祈りを捧げるものではない。何かを祀るものではない。それは―――。

 思い返される炎の記憶。自分のものではないのに、自分のものであるかのように鮮明な記憶。
 エルティスは自分の身体が目覚めたときと同じように震え始めるのを自覚した。目の前に鮮やかな炎がちらつくような気さえする。
 ここはあの祠ではない、犬神の守る森なのだと必死に言い聞かせて、エルティスは顔を上げた。
「あたし、生贄にされるところだったの……!?」
 犬神のいうことが本当ならば、五精霊を操り空間すら飛んでみせるほどの魔力を持つエルティスは、生贄として最適の存在であるということだ。
 ばらばらだった断片が少しずつ繋がっていく。彼女が閉じ込められたあの祠こそが、<結界>を強化するために生贄を捧げていた場所に違いない。記憶として焼付くほどの鮮明な夢の中の人物は、それを知りながら自身が生贄にされることを酷く憤っていた―――。
 デュエールがあのとき帰ってこなければ、自分は間違いなく祠に閉じ込められたまま命を落としていただろう。彼が祠の前に現れたからこそ、エルティスは神官たちが彼女を助けず放置していることを知ったのだ。

 エルティスは全身が総毛だっていくのを感じた。『彼女』の激しい怒りがよくわかるような気がする。
『これまでに何十人と生贄が捧げられてきた。既に魔法は失われるという神託を受けていながらだ』
 犬神の言葉が、エルティスの怒りをさらに煽る。
 その何十人の生贄のうち、自ら生贄となることを選んだ者はどれくらいいたのだろう。ルシータの繁栄のために命を投げ出した者も、あるいはいたのかもしれない。
 だが、少なくとも夢の中の『彼女』のように、憤りながら生贄にされた者もいるだろう。そして、エルティスのように何ひとつ知らされないまま生贄にされた者も、きっと。
『神々は無駄に失われる命を憂えた。そして、地上に一人の神族を降臨させ、全てを終わらせることを決意したのだよ。それが<アレクルーサ>。天より降り立ち、ルシータの民の罪を裁く者』
「それが、あたしなのね……」
 エルティスの呟きに、犬神はゆっくりと頷いた。

 風の音は一切聞こえない。いつの間にか辺りには風霊の姿は見えなくなっていた。耳に痛いほどの無音の中に犬神とエルティスは座り込んでいる。
「あたしが<結界>の生贄になるとしたら、ルシータの人たちには好都合なのよね」
『<アレクルーサ>は裁きを与えるがために膨大な魔力を抱いて生まれる。<結界>を強めるために強力な魔法の素質を持つ者を求めていたルシータの民にとって、<アレクルーサ>は生贄として格好の存在なのだ』
 エルティスは口元に笑みを浮かべた。ここまで来て、笑いを浮かべる他になかったのだ。
 彼女を生贄にすることで、ルシータは利益のみを得る。滅びを呼ぶ<神の子>、そして<アレクルーサ>たる彼女を生贄として捧げて<結界>の力を強める。そうすることでルシータは滅びから逃れ、さらに強くなった<結界>の力で繁栄するというわけだ。
 だから、生贄として選ばれた。エルティスが祠に閉じ込められたのはそういう理由があったのだ。ただ、デュエールとの関係を断ち切り、エルティスを孤立させるためだけではなくて。
 助かって本当に良かったと、エルティスは心底安堵した。神官や巫女姫に好きなだけ利用された挙句命を落とすなど、冗談ではない。

 エルティスはそこで眼を瞬かせた。基本的な疑問に気付いたのだ。
「……神官たちは、あたしが<アレクルーサ>ということを知っているのよね。神々が滅ぼす相手にそれを教えるとも思えないけど……」
『そうだな。そもそも<アレクルーサ>とは先の巫女姫が名付けたものだ。彼らは自分たちを滅ぼす者が現れることを知っていた』
「それは、どうやって?」
『何故なら、エルティス、お前さんはこの世界で二人目の<アレクルーサ>だからだ。今の巫女姫を始めとして、神官たちは過去に一度、<アレクルーサ>を殺している』


初出 2004.3.18)


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