二人の物語

第9章 行方




 焦げ臭さが未だ残る森の入り口で、デュエールは空を見上げた。東の空に、満月にはまだ足りない月が昇っている。月の光で足元はだいぶ明るくなっており、歩くのに不自由はなさそうだ。
 ふと足元に視線を向けると、真っ二つに割れた石盤のようなものが転がっている。
 神官たちが森に火をつけた騒ぎのとき、どさくさにまぎれたのか荒らされてしまったエルティスの両親の墓碑だった。
 屈みこんで割れた墓碑を拾い上げると、月明かりにエルティスの父親の名が記されているのが見える。人為的に土を盛られたとわかる二人分の墓は足跡がいくつもくっきりと残り、無残にも踏み崩されてしまっていた。
 おそらくエルティスが供えたと思われる花も潰されて花びらが散っている。これを見て、彼女はどう感じただろう。

 デュエールは少し離れたところに剣を置き、作業するには邪魔になる装束の上着も脱ぐと、盛り土の前に戻り破壊された墓を修復し始めた。
 エルティスと再会したら、きっと一度はここに戻ってくるだろう。そのときにこんな無残な状態を見せたくない。
 この墓はかつてエルティスが姉と二人だけで作ったものだ。幼い二人でどれだけの時間がかかったのだろう。土を集めて盛り土を直しただけだが、道具がないせいか作業が終わって一息入れたときには、月はさらに中天に向かって高く昇っていた。
 割れた墓碑は何ともしようがないが、それでも綺麗になった二人の墓を見てデュエールはほっとする。
 ばらばらになった花も迷ったが片付けることにした。
 エルティスといる時間が長かった頃は、よく彼女と一緒に墓参りをしたような気がする。旅立つ前に花を供えに来ようと、デュエールは思った。


 家の前にたどり着いて、デュエールはひとつため息をついた。仕事を終えて、ルシータに帰ってきてから、なんと長い二日だっただろう。
 厳密には丸一日と数時間なのではあるが、あまりにめまぐるしい状況の変化に、本当は十日も過ぎているのではないかという気さえする。
 デュエールは、開け放したままのエルティスの家の入り口に目を向けた。
 ここでエルティスとやり取りをしたのは二ヶ月ほど前のこと。デュエールはそのときと同じ場所に立って、家の中を覗いてみた。
 明りが灯っていないせいもあるが、中はしんと静まり返り冷たい空気が満ちている。
 かつてここに四人が住んでいた。まだデュエールも幼い頃に住人が半分になり、数年前に一人になって、―――ついには誰もいなくなった。

「誰もいなくなってしまったな」
 彼の心を呼んだかのように突然背後から聞こえた声に、デュエールは慌てて振り返る。そこに立っていたのは彼の父親、ジュノン・ザラートだった。
「そんなに驚くことはないだろう? 二ヶ月ぶりだな。お帰り、デュエール」
 デュエールの様子にジュノンは苦笑している。彼は数歩デュエールに近付くと、懐かしいものを見るようにエルティスの住んでいた家を見上げた。
「あの夫婦の代わりに二人を育てようとしたときに、こんな風になるとは考えもしなかったなあ」
 デュエールが幼い頃、流行り病でエルティスの両親とデュエールの母親が命を落としている。自身も妻を失いながら、ジュノンは三人の子供たちを見守り育ててきたのだった。
 自分の母親やエルティスの両親がどんな人だったか、デュエールは曖昧な人物像しか描けない。その姿も記憶にはっきりとあるし、滅びと繁栄の神託を背負わされた自分を普通の子供と同じように扱ってくれたことも覚えているのだが。

「家へ帰ってくるまでに、神官たちの姿を見たよ。魔力が感じられないと言っていたけれど、<アレクルーサ>が何かしたのだね」
 父親が知っているとは思わなかった単語を聞いて、デュエールは目を見開く。ジュノンは笑いながら挑むように尋ねてきた。
「何故自分が魔法を使えないか、精霊の存在を感じられないのか、聞かなかったか? 魔法を使えないのは<器>だから。自分が<器>なら、同じように魔法を使えない私もそうだとは考えなかったかい?」
 確かにそうだった。
 巫女姫は、デュエールが魔法を使えないのは<アレクルーサ>の<器>だからであって血のせいではないと言っていた。
 犬神は過去にも<アレクルーサ>がいたのだと話していた。<アレクルーサ>がいるならば、呼応する<器>もいるはずなのだ。それがつまりジュノンであって、デュエールたちの使命は父親から受け継がれてきたということだ。
「エルが<アレクルーサ>になって、<結界>を壊したんだ。だから魔法はなくなるって……」
 デュエールの言葉は説明には不充分だったが、ジュノンはそれでも納得したらしかった。
「そのあとに、エルちゃんはいなくなったのか」
「……どこかに消えたんだ」
 目の前で。言いかけたその言葉をデュエールは呑み込んだ。何故父はそのことを知っているのだろうと考える。あの騒ぎのとき、彼はどこにいたのだろう。

「あれだけ身近にいい見本がいたというのに、どうしてお前たちは真似をしなかったんだろうな」
 ジュノンは遠くに思いを馳せるように目を細めて呟いた。一瞬思考を巡らせて、デュエールは思い当たる。
 巫女姫や神官たちに婚姻を強行に反対され、全ての地位を捨ててこのルシータを出て行った、神官でありエルティスの姉であるリベル・ファン。そして彼女の夫となった同じく神官だったドラーク。
 幼馴じみの姉とその恋人として、彼が親しく付き合っていた人たち。
 ―――ここにいられないなら、捨ててもかまわなかったのに。
 それができなかったからこそ、この結末。
 しかし、ジュノンは全てを知っているかのように寂しく笑ったのだった。
「私がいることで、ずいぶんと辛い選択をさせてしまったようだ。エルティスよりも私を選ぶ羽目になるなら、あまり話しておくのではなかったな」
『父さんはルシータが好きなんだ。母さんが眠っている街だからね。きっとここで一生を終えるよ』

 デュエールは絶句した。父が、巫女姫の出した選択肢を把握しているとは、思いもしなかったのだ。
「どうして、それを」
「カルファクス殿の考えることならば、だいたいはね。お前がエルちゃんと天秤にかけられるとしたら、家族の私くらいだろう?」
 そう言うとジュノンは会話を中断し、デュエールを自宅へ誘う。たいしたものはないが体が温まるものを用意しているからとの言葉に、デュエールは自分の身体がすっかり冷え切っていることに気付いたのだった。
 風が強いわけではないが、夜も遅い。露出した腕や肌から熱が奪われていく気がする。
 父に伴われて、デュエールは久しぶりに自宅の玄関をくぐった。

 家の中は二ヶ月前デュエールが片付けた状態よりいくらか散らかっていたが、思ったよりは綺麗だった。家具や食器が減っている様子もない。
 エルティスが最後まで頻繁に様子を見て片付けていたのかもしれなかったが。
 椅子に腰を下ろして、デュエールは父親に入れてもらったお茶を一口飲んだ。内側から身体全体に温かさが広がっていく。
 卓を挟んでデュエールの真正面に腰掛けた父は、真っ直ぐ瞳を見つめて言った。
「捜しに行くんだろう?」
 その質問にデュエールは言葉を詰まらせる。犬神の前ではそう断言してきた。森を出て、ファン夫妻の墓を直したときもそう思っていた。
 しかし、父を目の前にしてデュエールはようやく思い出したのだ。自分がエルティスを助け、そして父を守るために選択した方法を。
 エルティスがルシータから姿を消した。約束は守られなかったとデュエールが姫との婚約を破棄したことで、今度は父がルシータにいられなくなるのではないか。

「なあ、デュエール」
 ジュノンは言い聞かせるように話しかける。巫女姫とデュエールの会話を聞いていたはずもないのに、彼はデュエールが沈黙した理由を正確に把握しているようだった。
「お前が生まれてくるまで、ルシータで魔法が使えないのは私だけだったんだ。迫害されるのには慣れているんだよ」
 誰もが魔法を使えて当然の魔法都市ルシータ。そこで魔法が使えないことでどれほど冷遇されるか、デュエールはよく知っていた。ここでは魔法が使えなければ価値がないのだ。
「ここで生きていくには誰にもできない技術を持つしかない。私が料理人になろうと思ったのはそれも理由のひとつなんだ。そうまでしてここにいたいほど、私はルシータが好きだったんだよ」

 ルシータは生まれた故郷。若くして亡くなった母の眠る街。男手ひとつで自分を育ててくれた父が愛する街。
 そこに住む神官たちが憎むほど嫌いでも、デュエールは必ずルシータに帰ってきた。
 けれど、それはここにエルティスがいたからだ。今まで生きてきた時間の大部分を一緒に過ごした彼女がここにいたから。
 たぶん自分は父ほどにはルシータに価値を見出していないとデュエールは思った。

「だが、お前までここに縛られることはないんだ。それこそここを出て行った二人のように、別の場所で暮らしてもかまわない」
「父さん……」
 デュエールが驚いた様子で見返すと、ジュノンは穏やかに笑う。この人も自分とエルティスを見守ってきた一人なのだと、デュエールは今更ながらに気がついた。
「私にかまわず行くがいい。大事なものを捜して護る旅だ」
 父のその言葉が、デュエールの背中を押す。決意を込めて、デュエールは頷きで答えを返した。


 エルティスを捜しに行く。そして必ず彼らに会いに戻ってくる。
 再び彼らの前に立つときは、きっと二人で。


(初出 2004.10.31)


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