時の円環-Reconstruction-


33



 その話をした彼の表情を、未だに鮮明に覚えている。
 だからあのとき、清蘭は言わずにはいられなかったのだ。
『それは、本当は誰の気持ちなの?』

 
 先の戦の負傷者の治療も一段落し、治療院にも平穏な時間が戻ってきた。
 次から次に舞い込んでくる怪我人とわずかな休養の繰り返しもしばらくはない。ただ、戦の度にこれなのかと考えると清蘭としては少々頭が痛かったのだが。
 少し変わったのは、治療院に訪れる人が少し減ったこと。まとめ役である医務官の秀連の報告では軽微な怪我や病で飛び込んでくる者が少なくなったらしい。
 その理由は明確だった――新たに街にできた施薬院のためだろう。法術士たちが戦傷者への治療にかかりきりの間、治療院の代わりに市民の医療を担うように設置されたものだ。
 あくまで一部の者が興味で研究するに過ぎなかったはずの医学、特に鳳族から取り入れられたというそれらに抵抗を示す者も少なくはないが、その効果は実証済みだ。兵士を始めとしてそれらを目の当たりにした者は一も二もなく受け入れた。現に清蘭もその一人だ。
 人伝で伝わっていき、それなりに利用者も増えているらしい。清蘭と付き合いのある女官や兵士も、時折それとなく施薬院のことを尋ねてくる。
 しかし、ある程度時間が経ってきて、何故か聞いてくる中身は同じなのに質問の仕方が変わり出したことに清蘭は気が付いた。
 ――海苓殿もよく出入りしていると聞くが、やはり薬というのは役に立つのか?
 尋ねる口は変わっても、言い方は変わっても、そこにいつも海苓の名が出てくる。
 聞けば、最近施薬院のあたりでよく海苓の姿が見かけられるらしい。袋を片手に施薬院から出てくることもあるし、中にいる店番の娘と話し込んでいる様子もあるらしい。変な話だが、あの海苓が評価しているのなら、医学というのもいいのかもしれないと興味を持ち出した神族もいるようなのだ。
 ある意味、清蘭には聞き逃せない話だった。


 ――それはやっぱり、記憶のせいなのだろうか。
 あんなに嫌悪して、未来を変えると繰り返しているのに、そうして彼と彼女の接点が不思議なほどに増えていくのは。過去世からの願いはそれほどまでに強いのだろうか。
 かつて、あの記憶のことを話してくれた海苓の様子を思い出して、清蘭は大きく首を振った。


 姿を実際に見る前から、彼の名は知っていた。神族の伝承を確かに証する、他部族の過去世の記憶を持つ者。
 法術の才を買われて教育を受けるべく王宮へ入る頃、海苓はすでに武官候補として軍部棟に出入りし、名を知らしめ始めていた。武術にも魔術にも才を持つ『証明者』。
 本人に会ったとき、すぐに惹かれた。容姿もよく才ある少年を慕う娘は多かったけれど、海苓はそのうちの誰も好まずにいるようだった。話しかけられても拒みはしないけれど、熱心に働きかけているうちに距離を置かれる。
 清蘭も同じように話しかけているうちに、やっと気付いたのだ。敬遠されるのは、彼のことを『証明者』として持ち上げるからなのだと。それは素晴らしいことだと思うのに、何故か海苓はそれを何よりも嫌っていた。
 変わるには、いくらかの努力が必要だった。子供の頃から、『証明者』に対する賞賛を聞き続けていたし、清蘭も自然とそう思っていたから、海苓自身のその気持ちがよくわからなかった。それでも、彼が望まないなら、と声をかけるときは気をつけるようにした。
 ほんの少しずつ、海苓の態度が周りの少女たちへのそれと変わっていく。清蘭が声をかけると、ほんの少しだけ動きを止めた後、ふと安堵したような表情に変わる。少女たちに声をかけられるのは、彼にとってはひどく緊張することであるらしい。
 清蘭も努力し続けた。海苓の様子を見ていれば、彼が恋慕の情を持って近づいてくる少女を避けていることは明白だったから。その努力が功を奏したのだろう、そのうち、清蘭が話しかけても海苓は緊張を見せなくなった。友人の顔を向けてくれるようになる。
 そうしてしばらくしてから、彼女は初めて、彼の中にある過去世の話を聞いた。
 他部族の人々の生活、その暮らす街並み。作り話ではないとわかる、『他の誰か』の物語。
 そして、『過去』なのに『未来』が見えている不思議な記憶。それを、彼は大切な宝物を見せるように話してくれた。

 彼の中ではすでに起こり、そしてこれから起きるある時間の出来事。
 場所はどこかの戦場で。『過去』の彼は『未来』の彼と出会い命を奪われるのだという、そのときのこと。
 過去の彼の名は『龍炎』、そして未来の彼の名は『海苓』――今の彼だ。
『龍炎』は戦場で『海苓』と対峙する。本来ならば、ひと続きの時間の線上にある二人が見えることなどないはずなのに、それは起こる。その理由を、『海苓』は語るのだという。
『――何故俺がお前とよく似た姿をしていると思う。長い長い旅路の果てに、お前の魂はここへ辿り着く――神族としてだ』
『お前がそれを望み、俺がここに生まれることで、これから先鈴麗は罪悪感で苦しむことになる。それでも傍で護ることを選ぶなら……幾度生まれ変わっても常に己を高めることを止めないことだ。魂がそれに見合えば、いずれここに辿り着ける』
 そして、『龍炎』は自らの死という運命を受け入れる……らしい。
 そこにあるのは、一人の少女の存在だった。『海苓』はその少女を守りたいかと『龍炎』に問い、『龍炎』はそれを願う。双方の中に在る、『鈴麗』という、未だ聞いたことのない名。

 ――その、今はまだ無い時間を、海苓は見たことのない表情で語ったのだった。
 少女たちには向けない、清蘭にも向けたことはない。もちろん、仕事中や男たちの中にいるときにしたこともない。
 そこに、負の感情はない。瞳の光は優しく、口元に笑みが浮かび、その『記憶』に思い入れがあることがすぐに分かる。そこに淡く宿る想いは――。
『とても嬉しそうね』
 清蘭はまずそう口にした。過去の自分の暮らしぶりや街の姿を語るときとは違うその姿に、清蘭の中にまず湧き上がったのは、何かもやもやとした重い気持ちだった。
『でも……それは本当は誰の気持ちなの?』
 言い方は、冷たかったのかもしれない。実際、その言葉を受けた海苓はその目を険しくしたのだから。一瞬にして警戒されたのだ。
 記憶の中に在るという、少女の存在を思う。
『その、鈴麗という人は、どういう人なの?』
 返答はなかった。海苓の表情には、戸惑いが浮かんでいた。語れないのだ、海苓の中に在るのはその名だけで、どんな容姿をしているのかどんな気立ての娘なのか、導くものは何もない。
 その名に、その存在だけに、彼は確かに想いを向けている。それは。
『姿も性格も分からないその人を、心待ちにしているようだわ。でもそれって、あなたの気持ちではないんじゃない? その、龍炎という人の気持ちだったりするのじゃないの?』
 海苓は愕然としたようだった。表情の変化は劇的だった。
 思い当たりもしなかったのだろうか。その変化の意味するところは――。


 そのときの会話をきっかけに、清蘭は彼と過去世についての、特にあの『最期』と思われる場面の話をすることが多くなった。
 いったいどんな場所か。いつと思われるか。どんな状況なのか。手がかりを得るために彼の記憶の許す限りを探る。それでも分かったことはそれほど多くない。海苓がもっと成長した先の、鳳族との戦の、いつか。確実に来る明日。
 未来を変えたいと、彼は言った。過去世のためにある自分ならば、要らないと。
『手伝うわ』
 清蘭はすぐに同意した。彼の無二の友人の顔で頷いた……つもりだ。


 未来を変える。運命を変える。そうすれば、その先に、きっと。



2011.8.7


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