時の円環-Reconstruction-


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 清蘭をはじめ、法術士たちは最近とみに忙しくなった。
 その第一の原因が鳳族だ。正確には<道>を狙う鳳族との小競り合いが増えたため、治療院に運び込まれる怪我人が増えたこと。
 治療院に設えられた簡易の入院設備はすべて埋まり、軽傷者は自宅送りにされている始末なのだ。戦直後よりもひどい状態である。重傷者が運び込まれれば、一番軽傷の者が退院させられる。施術が終わって元気に帰ることより、そうして自宅療養させられることの方が多いのだった。
 怪我人たちを効率的に治療するために、清蘭たちの仕事量は厳重に管理されることになる。法術士が力を使い切って倒れてしまえば、数日は復帰できない。それぞれの力量に合わせて、予定が組まれ、休養を取りながら治療を進めていた。
 治療を待つ人は数多いるのにほんのわずかずつしか治療できないことが歯がゆいが、無理をすれば後に響くことを、清蘭はよく知っている。
 統制されることに反発した法術士数人が予定を無視して治療を行ったのだが、結果倒れて数日寝込む羽目になった。今までと法術に注ぎ込む力が格段に違う。神族一の法術士とも呼び称される清蘭であっても、一人の怪我を一度にすべて治そうとすれば意識が遠のく思いがするくらいなのだ。
 順番を待つ人々には申し訳ないけれど、こちらの疲労が溜まりすぎないくらいにうまく御して治療を進めた方が、結果としてたくさんの人を助けられる。
 今も清蘭は二人の患者に施術をして一休みしているところだった。一人は大部屋の軽傷者で、今日無事に完治し容体確認のため安静させている。思ったより余裕があったので、小部屋の重傷者の治療の一部を引き受け、今に至る。
 あと一刻ほど休憩し、二名の治療を少し行って、明日は休み。今日は他に三人ほど法術士が出ているが、医務官がこれなら外回りに一人くらい出せると言っていたので予定以上に進んでいるのだろう。


 大部屋、と呼ばれている療養室は至って静かだった。時々物音が聞こえる他は声もせず、むしろ清蘭が資料をめくる音や別室の会話までも聞こえてきそうなくらいだ。お互いに気を遣わずに休めるようにと仕切りを作り十五名ほどがいるのだが、衝立やらがあって清蘭からその姿は見えない。
 建て増しされて見取り図がいびつなことになっている治療院だが、さらに建て増されて、重傷者用の小部屋がいくつか作られている。本日現在大部屋も小部屋も満床だ。
 治療が優先されるのは当然重症である小部屋の患者。だがいつ何時外に出ている兵士が怪我を追い担ぎ込まれてくるかわからないので、場合によっては患者を移動できるよう大部屋の患者を優先することもある。それから治療院に収容できず自宅療養になっている患者は数えるのも嫌になるほど。――このすべてが清蘭たち法術士の施術対象である。


 法術士たちの施術が管理されるように、患者の方も怪我が悪化しないよう管理されることが必要になる。医学を修め怪我の見立てをできる者が治療院に入り、日々患者を診るという体制をとっている。
 以前は鳳族医学の第一人者である光玉と鈴麗が医師を務めていたのだが、最近は他に江晋や凍治も医師と認められ入るようになった。まだほかに何名か同じように学んでいて、いずれ医師も日々交代で務めるようになるらしい。
 ――そして、今日の医師は鈴麗である。
 療養室の片隅で記録を眺める清蘭の横を、彼女は何度も行ったり来たりしている。
 衝立で一人分ずつ区分けされただけの部屋とも呼べない空間がそこに並んでいるが、鈴麗は水桶や薬を持ってそこを忙しなく動き回っていた。清蘭がこの場所に陣取ってから、一時たりとも休む様子がないのだ。衝立の向こうからは、時折静寂を破るように体調や痛みなどを聞くやり取りが聞こえてくる――問診というらしい。
 声をかけようと見計らっていたのだが、どうも難しそうだ。
 清蘭は机の上にある香時計を見やる。すべて燃え尽きて休憩終了を告げるまで残り三分の一。この時間中は無理かもしれない。
 仕方ないとため息をついて、清蘭は手元の書面に目を落とした。
 それは診療録と呼ばれるものだ。戦直後に光玉たちが怪我の様子や治り具合を簡単にまとめた覚書があったのだが、法術で治療するときもそれが参考になったので正式に導入された。傷の場所、状態から痛みなどの訴え、日ごとの経過なども細かく記載されている。
 施術前にも簡単に病状を聞くのだが、記録に目を通しておくと術の効率がすこぶる良いことに気付いたので、清蘭は休憩時間になるとここへ来るようになった。気になることがあったら、通りかかった医師に聞いてみればいい。
 結局鈴麗に声をかける暇もなく、休憩時間は終了してしまった。使った香皿を片付け、診療録を棚に戻したところで、ようやく一段落ついたらしい鈴麗が大部屋から姿を現したので、清蘭は遅刻を咎められること覚悟て彼女に声をかける。
「今から治療に戻るのだけど、病状で聞いておきたいことがあるの。いいかしら」
「はい。誰でしょう?」
 再度診療録を取り出して、気になった記述を示すと間髪入れず答えが返ってきた。他の医師たちも頑張っているが、やはり訊くなら説明の分かりやすい光玉か鈴麗に限る。
 これで大丈夫だろう、余裕を持って施術できそうだ。満足して診療録を閉じ、礼を言おうとしたところで、鈴麗がこちらを見つめていることに気付いた。とても何かを訊きたそうな目。
「あの……」
「もしかして、まだ何か補足がある?」
「……あ。すいません、なんでもないです」
 指摘するまで自覚してもいなかったらしい。自分の行動にひどく驚いた様子で鈴麗は慌てて手を振った。清蘭が何かを言う前に、彼女は軽く会釈すると急いで重傷者用の小部屋のある方向へ消えていく。
 ――わざと、ずらした。
 これが、初めてのことではない。ここ最近、何度か見かける行動だ。
 患者についての質問にはきはき答える彼女があんな態度になるとしたら、清蘭が思い当たる限り用件はひとつしかない。だからこそ逸らした。あの様子では彼女はこちらの意図には気づいていないだろうが、このくらいの意地悪は許されてもいいだろう、と清蘭は一人ごちる。
 海苓のことをわざわざ教えてあげようという気にはなれなかった。
 妙な態度をとるのは彼女だけではなくて、海苓もそうなのだ。同じくらいの時期から、清蘭に向ける態度がおかしい。
 厳密に言えば、昔に戻ったようである、と言ったらいいのか。
 近くを通りかかっても、海苓からは声をかけてこなくなった。他愛ない世間話も、清蘭が昔のように努力しないと前より続かなくなった。何かに気を取られているように、ぼうっとしていることもある。
 何より。
 何気なく声をかけた瞬間、海苓の動きと表情が固まる。一瞬躊躇い、そして安堵したように警戒を解くその反応を、清蘭はよく知っていた。親しくなり始めた頃のかつての海苓と同じだった。
(警戒している……何かを恐れているの、海苓は)
 それが何かはわからなかった。それでも、それが鈴麗に起因するものなのだと直感が告げている。存在するだけで、彼女は海苓の心を波立たせることが出来るのだ。
 だから、親切に教える気には到底なれない。
 ひどく悔しい気分で、清蘭は鈴麗の消えた先を睨み、身を翻した。




 
 通路を走る自分の足音の大きさに慌てて、鈴麗は急停止する。鼓動の音が忙しないが、これは走ったせいではない。落ち着かせるように息を継ぐ。
(……何聞こうとしてるんだろう、私)
 ついさっき、無意識に口走ろうとした内容を思い返して、鈴麗はため息をついた。
 海苓の様子が少しおかしい理由、なんて。一番理由を知っていそうな人ではあるが、鈴麗が尋ねるには一番不適切な人でもあるのだ。
 持っていた桶や布を片付けながら、鈴麗はここしばらくの海苓の様子を思い返してみる。
(やっぱり、いつもと……今までと違ってる、と思う)
 薬を頼みに施薬院に現れたときは、変わりなかった。笑ってくれたし、からかわれたりもした。しかし、三日後、薬を取りに来たときには、もう何か違っていたのだ。
 何が違うのかと記憶を手繰り寄せても具体的には説明できない。笑顔であったようにも思う。持ち運びしやすいように器を選んだことも含めて丁寧に礼を言われたのも特別妙なことではない。
 それでも、見せる笑顔に何か陰のようなものがあったのはわかる。本心から微笑んでるのではない、ということだけは。それがどうしてなのかはわからないまま。
 以降、二回ほど顔を合わせている。再度薬を頼みに来たときと取りに来たときと。傷薬の減りは意外と速くて、ずいぶん役に立っていることが嬉しくはあったのだけれど、やっぱり海苓の様子は以前と違っていた。
 海苓は外に赴くことが多く、鈴麗は治療院と施薬院とを走り回っている状態で姿を見る機会はなかったから、それ以上確かめる術はないままだ。
(……何か、怒らせたのかな)
 ――思うのは、自分の行動で何か彼の気分を損ねてしまったのかということ。
 しかし、その原因に何も思い当たらない。どれだけ考えても、心当たりがなかった。
 沈んでいく思考の奥底から、鈴麗はふと我に返る。こんなところでのんびりしている暇はない。全員分の診療録を書かなければいけないのだ。
 鈴麗は急いで大部屋の書き物用の机に戻る。机に診療録を積み上げたところで、玄関口がにわかに騒がしくなった。
 こういうときは必ず患者が運び込まれてくるときと決まっている。
 覗きに出ようとした鈴麗にぶち当たる勢いで医務官である秀連が駆け込んできた。
「急患だ! 優先で頼む!」
「! はい!」
 鈴麗の返答を聞かないうちに秀連は身を翻し、治療室へ飛び込んでいく。すぐに法術を使わなければいけないほどの重傷者ということだ。鈴麗は傍に掛けてあった前掛けを素早くつけて玄関へ走り出す。
 数日に一度はある光景だった。大抵は鳳族との小競り合いが原因だ。応急的に処置をし法術で治療する。その間に患者を各部屋から移動し、部屋を確保しなくてはならない。鈴麗が立ち会ったのも一度二度のことではなく、すっかり慣れてしまった事態だ。
 だが、今回は驚きのあまり一瞬動きを止めてしまった。
 満身創痍で運び込まれてきたのは、――海苓だったのだ。




2012.8.13


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