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君がいなくちゃ




 本当なら、出会うことなんてなかった。それでも巡り会ったのなら、それは運命と呼べるでしょうか。
 とある時代のとある小さな国のお話です。



 本日めでたく十八歳の誕生日を迎えられた王子のために、お城では賑やかに宴が執り行われておりました。王子は現在の陛下の後をお継ぎになられるただ一人の方で、大臣たちはそろそろ妃を娶らねば……と思案の挙句、相応しい姫方を幾人かお呼びになっていたのでございます。
 宴が開かれているこの大広間ではあちらこちらで王子と年の近い姫が他のお客様と談笑されておりましたが、当の王子は一段高い座から一歩も動くことなくある場所をとても不機嫌そうな顔で睨んでいるばかりです。
「何をやってるんだあいつは……」
 王子はほんの小さな声でひどく不愉快そうに吐き捨てました。

 王子が見つめ……もとい睨んでいるのは今いる場所から一番離れた扉で、会場の入り口に使われているところです。
 そこには女官の姿をした一人の金髪の女性が立っているのでした。年の頃は王子よりずいぶんと上であるように思われます。大きな子供がいてもおかしくない年齢でありましょう。そちらこちらで話の花を咲かせている姫様方と並んでも遜色ない容姿なのは、さすが王宮付きの女官、といったところでしょうか。会場には幾人もの給仕の女官がおりますが、用を言いつける男性がことさら彼女に声をかけるのも気のせいではないようです。
 どうやら王子はそれが面白くない様子です。
 女官は用件を承ると、てきぱきと必要なものを用意し笑顔で相手に給仕しています。その回数が増えていくごと、王子の眉は吊上がり、瞳は険しくなっていくのです。もうとてもお祝いの主役とは思えない形相です。横に控える老大臣の顔が青くなるのも無理のないことでしょう。

 どうやら我慢の限界だったようです。女官が用を済ませ元の場所へ戻ろうと王子の傍を通りがかったとき、ついに王子が椅子から立ち上がりました。大臣が止めるのより早く下へ降りると、女官に声をかけたのです。
「酔いを醒ましてくる。外に水を持ってきてくれ。氷も入れてな」
 王子の歳で酒を飲むことはもちろんこの国では許されていますが、あいにくと今夜は一滴も入っていないので、王子の顔にはまるっきり酔った様子はありません。たとえ飲んでいたとしても顔に変化はなかったでしょう。王宮の中で、この王子の父親譲りの酒の強さはあまりにも有名なのですから。
「はい、ですが……」
 突然声をかけられた女官は困惑した声で返事をしました。急に命じられたことよりも、酒に強いはずなのに酔ったと言うことよりも、主役がこの場を辞そうとしていることを気にかけているようです。表情がかすかに曇っています。
「別に逃げるわけじゃない。落ち着いたらすぐに戻ってくる」
 王子は険しい表情のまま、さらに言いました。
 彼が一度こうと決めたら頑として譲らないということは、この城に仕える者には周知のことでしたから、女官も諦めたのでしょう、
「はい、かしこまりました」
と一礼すると、氷水を用意するべく王子に背を向け歩き出します。王子はその後姿を睨みつけたままでしたから、先ほど王子の座っていた椅子の傍に控えていた老大臣がさらに顔を真っ青にしたことにはまったく気付きませんでした。

 女官に言った手前ですから、王子は広間から続くテラスへと出ることにしました。
 扉を開けると温かい風が王子の短く切った髪をかすかに揺らします。空には雲ひとつなく、どこも欠けていないまんまるの月が空全体を照らしていました。
 テラスにあかりは灯されていませんでしたが、中の明かりと月の光とで充分辺りの様子をとらえることができます。昼間から訪れていたお客様を王妃がもてなすために用意されたままのテーブルと椅子が白く浮き上がって見えます。
 王子の後を追うように氷水の乗った盆を持って現れた女官の姿もはっきり見ることができました。
「氷水、お持ちしました」
 女官は王子の傍まで歩み寄ると、わずかに盆を高く持ち穏やかに微笑みました。広間にいる姫様方には決して真似のできない、年齢と経験を重ねた女性の笑顔です。
 女官は女性の中でも少し背の高い方であるようです。今はブーツを履いているのでさらに高くなっているはずですが、それでも王子は彼女よりもさらに頭ひとつ分身長があります。
 受け取りやすい絶妙な位置に差し出された盆からコップを受け取ると王子は一息に飲み干してしまいました。
「お下げします」
 空になったコップを王子が持ったままなので、女官は促すように声をかけます。しかし、王子は、
「まだ必要ない」
とにべもなく言い捨てると、女官の手から盆を取り上げ手近なテーブルにコップと一緒に置いてしまいました。

 すべき仕事を取り上げられて驚いている女官にちらりと視線を走らせると、王子はテーブルに手をついてこれ見よがしにため息をつきました。
「今日は、何の宴だった?」
「……今日は王子の生誕を祝う宴でございますね」
 唐突に質問され目を点にした女官でしたが、すぐににっこりと笑って答えます。そんな彼女の様子に、王子の表情がさらに険しくなったのは、気のせいではないでしょう。
「しかも、こともあろうに婚約者を選ぶ宴だ」
「遠方からも姫様方がいらしてましたから。どなたかお気の合いそうな姫君はいらっしゃいましたか?」
 女官の言葉に、一瞬王子の動きが止まりました。唖然とした表情で固まっています。が、すぐに立ち直ると歩幅も大きく距離を詰めて、一歩退こうとした女官の左手首をつかみました。
「仮にも俺の妃候補のはずのお前が、年増に変装した挙句に女官として給仕してるってのはどういう了見だコラ」
 我慢ならないとばかりに王子は息もつかずに一気に言い募ります。しかし、女官の方はまったく動じずに穏やかな表情を浮かべているばかりです。
「その言い草は、この年代の女性に失礼じゃありません?」
「話題を逸らすな」
「……」
「何で宴に出るどころか女官に化けてる」
 王子のひと睨みでも、女官の振りをしていた女性は笑顔を絶やしていませんでしたが、口調は先ほどと違って少しいらつきが含まれているようです。もっとも王子の方は怒りが外に出ているので、まだ女性の方には気付いていないようでありましたが。

「今日は隣国だけでなく遠方からもわざわざ姫君がいらっしゃるから丁寧にもてなしてくれと言い付かったのです」
「別に女官の格好までする必要ないだろう」
「まずは形からと言うでしょう?」
「お前は何でも徹底しすぎなんだ……!」
 さらりと言い切る彼女に、王子は口元を引きつらせました。
 そうなのです、彼女は何でもやると決めたら徹底してやる人なのです。決めたらてこでも動かない頑固さは王子自身と張れるほど。
「だいたい宴のときに女官になってもてなすことはないだろう? 宴に出るべきじゃなかったのか……」
「あら、その理由は王子がよくご存知なのでは?」
 すっかり笑顔が消えた女性はつんとそっぽを向きました。なんだか傍から見るとまだ若い母親に拗ねられた息子のようです。
「私、この宴の招待状はいただいていませんけれど」
 冷たく冴え渡った女性の言葉に、王子はひどく焦った様子でうめき声を漏らしました。すっかり先ほどまでの態度が霧散してしまっています。
「な……に?」
「ですから、私を婚約者にするつもりはまったくないのだと思いましたわ」

 女性が言い放った言葉に王子は眉をしかめ、そしてすぐに思い当たったようです。呪いの込められたような視線を宴の会場の奥、先ほど彼自身がいた場所へ向けました。
「あんのクソ爺……!」
(よくも抜け抜けと……!)
 王子はまんまとあの老大臣に出し抜かれたようです。心の中であらん限りの呪いの言葉で罵った王子でしたが、呪いたい気持ちは老大臣も同じだったに違いありません。予期していなかったことのせいで大筋の予定が崩れ、胃を痛くしながらこの宴の進行を見守る羽目になったのですから。
「どの姫様も知的で素敵な方々ばかりでした。きっとどなたを選んでもよい王妃になられますわ」
 王子がどの姫君を選ばれるのか、祝宴が終わるのが楽しみですわね。
 にっこりと怖いほどの笑顔で言い捨てられた言葉は、思い切り王子の心をえぐったようです。王子の顔からはもう怒りの欠片も読み取れませんでした。
 この女性にそのようなことを言われるのは、王子にとっては無視されるよりも辛いことだったのです。

「それは……お前、本気で言っているのか……?」
 王子は見捨てられた子供のような表情で呟きましたが、目の前の女性がまるで鏡のように自分と同じような表情をしていることに気付いて我に返りました。
「だって、王子は私を選択肢に加える気もないのでしょう?」
 女性はせめて誰を選ぶつもりなのか見届けてやろうと女官に扮して宴に入り込んだようなのです。招待状がない者は、ここに入ることすらできないのですから。
 王子の目の前で、女性の表情は見る見るうちに暗く沈んでいきます。自分で言った言葉に自分でひどく傷付いてしまったようでした。曇っていく女性の瞳を見て、王子は困ったように頭をかきました。
「――お前がいないんだったら、俺が選ぶ選択肢なんてひとつもなくなるだろうが」
 しかし、それも困った事態なのです。この宴はただの宴ではありません。この国の跡継ぎの婚約者を決める宴、この祝宴の最後に王子が自分の伴侶となる者を発表することになっているのです。
 誰を婚約者として見出すのか――それがこの宴の参加者の一番の気がかりでした。しかしながら、その王子自身が姫君たちの誰とも語らうことなく主賓席で不機嫌そうにしているのですから、もう既に相手は決まっているのではとひそやかに囁かれたりもしています。
 さらに、この宴が披露の場でもあるのだから、この場にいない者は紹介することができないのです。

「本当に、魔女のところに招待状は行ってないんだな……?」
「……来てないわ」
 王子の返答に答えた女性の声は、既にもっと歳若い、少女といってよいものに変わっていました。王子の目の前に立つ女性は、不思議なことに若返るように姿を変えていきます。金色の髪と美しい顔立ちはそのままに、王子と年齢的にも釣り合う少女の姿になっていました。
 実際のところ、向き合う二人はふたつしか歳が離れていないのです。正確に生まれた年で計算すると少女の方が遙かに年上になるという奇妙な関係であるのですが、とりあえず今のところ障害にはなりません。
「やられたな……どうやらお前を妃にさせたくないらしいぞ」
 王子はため息をついて向かい合う少女を見ました。年齢的に若くなりましたが、少女の姿は給仕の格好のままです。重苦しい気分が伝播したのか、少女もため息をつきました。
「また寒波に襲われるとでも思うのかしらね」
「『救国の乙女』なんて崇めといて、そんな様なんだからな」
 実は、この少女はかつて寒波に襲われた国を救うため生贄となった『救国の乙女』なのです。彼女が命を捧げたことで吹雪に覆われていたこの国は太陽と春を取り戻し、豊かな大地を取り戻すことができたのでした。けれど、悲しむべきことに、湖の神の下へ身を沈めた少女は、二度と姿を現さなかった――この国の歴史も物語も少女の行方を知らないのです。

 王子は何かを吹っ切ったような様子で、少女の手をとります。何事かと驚く少女を横目に、さっさと歩き出しました。
「どうするつもり?」
「どうするも何も、俺はお前以外を選ぶ気なんてない。あっちがその気ならこっちだって好きにさせてもらう」
 会場へ戻ろうとする王子の腕を、繋いでいた少女の手が勢いよく引っ張ります。急に動きを止められて、王子は不機嫌そのものの顔で少女を見下ろしました。
「――なんだよ」
「私のこと、いつから気付いていたの」
「あん? ずっと入り口のところにいただろ。どいつもこいつも鼻の下伸ばして話しかけやがって……どれだけ切り捨てたかったか分かるか!?」
 そう言う王子の様子はまるで拗ねた子供のようです。年を重ねた女性に姿を変えていたとはいえ、彼女に話しかける人々の存在がひどく癪に障っていたのでした。
 王子の周囲を憚らない態度に少女は一瞬目を瞬かせ、そして笑い出しました。その様子がとても嬉しそうで幸せそうに見えて、王子は思わず動きを止めます。
「私、魔女たちに魔法をかけてもらってきたの。王子が望むなら、給仕じゃなくて姫の姿になれるように、って」
「……あいつらは反対しないのか?」
 あいつら、というのは先ほど話題に上がった魔女たちのことです。この二人の知り合いであり、また少女の後見人でもある彼女らは、この少女が王子の妃になることに大賛成でした。
 何しろ彼女に出会ったことで、勉強嫌いで有名だったこの王子が跡継ぎになるべく真面目に修行を始めたのですから。勉強や修行から逃げ出した王子が魔女の森へ逃げ込む度、王や大臣たちから嫌味を言われ続け、彼女たちもずいぶん肩身の狭い思いをしていたのです。この変化は大変に幸いなことでした。
 何より『救国の乙女』が目覚めたせいでまた国中が雪に埋もれるなどという世にはびこる噂を、より深く世界のことを知る魔女たちは鼻で笑い飛ばすほど信じていなかったのです。
 少女の説明に、王子は眉を寄せます。けれどすぐに笑顔になりました。
「まあ、祝福してくれるのが一人でもいるならいいか。で、どうすればいいって」

「――私の名前を、呼んで?」
 緊張した面持ちでそう告げた少女を見て、王子は彼女にしか見せた事のない優しい笑みを浮かべました。こんな表情を向けるということそのものが、彼女が選ばれたのだということに他なりません。老大臣たちの画策は、どうやら無駄であったようです。
「……アイリア」
 想いの込められたその声が、魔法の鍵です。あたりに光が溢れ、その眩い光が消え去る頃には、アイリアという名の少女は給仕の格好ではなく、会場の中で笑いさざめく姫君たちと同じようにドレスを纏った姿になっていました。
 これが魔女たちの仕掛けた魔法のようです。正確には、王子が名を呼ぶことで、魔法が解けて給仕の格好の幻が消えるようになっていたのでした。
 アイリア。150年前、確かに存在した姫。『救国の乙女』と謳われる王女の名です。国のため、神の下へ召されたと誰もが信じた彼女は、何故なのか時を越えてこの世界へ戻ってきたのでした。
「アイリア……俺の名前も、呼んでくれるか?」
 姫となった少女を傍に引き寄せて、王子はねだるように小声で囁きました。めったにない事ですから、アイリア姫は驚いて目を白黒させています。けれど、王子の言葉を聞いて、姫はほころぶような笑顔を見せました。
「――フェイト」
 その澄んだ声音で自分の名を呼ばれること。王子にとってそれは何よりも幸せなことでした。何事もなければ隣に立つことなど有り得なかった存在。彼女を護るためなら、それこそ王子はどんなことでもやってのけてきたのです。

 王子は姫の手を引いて、テラスから会場へ戻るべく歩き出しました。
 おそらく王子に導かれる姫の存在を見た途端に中は大騒ぎになるでしょう。顔を青くしていた老大臣などもしかしたら卒倒するかもしれません。
 けれど、王子はもう二度と姫の手を離すつもりはなかったのです。
 誰より頼れる存在に護られて、アイリア姫は楽しそうに笑いました。
「大騒ぎになるでしょうね、不幸を呼ぶ姫だ、なんて」
「150年前のことなんざ知ったことか。難癖つけてくる奴がいるなら、黙らせるだけだ」
 王子は少しだけ困った様子で姫を見下ろします。その視線に、姫は少しだけ含みのある笑みで答えました。
「……お前だって、覚悟はできてるんだろ?」
「私、義母上と色々あって生贄になったのは、こうしてフェイトと会うためだったと今は思ってるの。だから、それができなくなったらここにいる意味もなくなってしまうでしょ?」
 だから、覚悟とかそういう問題じゃない――それが姫の答でした。王子も姫も、もう互いの手を離すことなどできないとわかっていたのです。そして、互いの力があれば、どんな壁があったとしても怖いものなんてなかったのでした。
「よし、じゃあ行くか」
 気を取り直して、二人は宴の会場へと続く扉を開けました。今回の主役たる王子の登場を待ち望んでいた会場から、多くの目がそこへ向けられます。その中を、王子と姫は完璧なる振る舞いで堂々と登場してみせたのでした――。


ーおわりー
初出 2008.5.7


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