悠久の絆

番外編


隠し事



 珍しく一人で買出しをしてきたデュエールが宿に帰って最初に発見したものは、いたく機嫌を損ねた様子の幼馴染みだった。

 傍目にもわかるほど拗ねている。どう声をかけるべきか考えあぐね、デュエールはとりあえずお馴染みとなっている言葉を言った。
「……ただいま」
「……おかえりなさい」
 返ってくる言葉もあからさまに刺々しい。それ以降エルティスは一言も発さずにデュエールの持っている荷物を受け取り広げ始める。
 それを無言で手伝いながら、デュエールは向かい合うエルティスの様子を伺った。
 必要なものがすべて揃っているか確認し、持ち運びしやすいようにまとめ直す作業をてきぱきとこなしながら、エルティスの眉間には思いきり皺が寄っている。
 その顔を見つめて、デュエールは解せない、と一人首を捻った。

 確かに、ここのところいつも買出しは二人で行くから、デュエールがエルティスを置いていった形ではある。けれどそれも彼女がいつの間にか午睡を貪っていたからで、起こすのも忍びなく伝言だけを残して出かけたのだ。夕方からは用事があったから、今でなければならなかった。
 だからといってその程度でエルティスが不機嫌になるとはデュエールには到底思えなかったのだ。どちらかというと彼に対してはわがままを言う彼女ではあるけれど、そこまで理不尽でもない。
 一体何が原因か。

 そう思ったところで、エルティスがいきなり顔を上げてこちらを睨んだ。
「置いていかれたからじゃないからね!」
 思考を読まれたかのような突然の言葉にデュエールは目を瞬かせる。一瞬の間の後、デュエールは肩の力を抜いて、幼馴染みに声をかけた。
「じゃあ、一体どうしたんだ?」
 極力労りをこめた声に、エルティスはとても悔しそうな顔をしてみせる。そして、彼女は手に持っていた携帯用の食料を勢いよくデュエールの目の前に突き出した。
「これ、買ったんじゃないでしょ?」
 あまりの勢いにデュエールはわずかに身を引く。
 その通りだ。彼女が持っているその包みは実は本来買うはずだった数量よりふたつ多い。店先で番をしていた少女が、デュエールが断るにもかかわらずおまけだと袋に入れてくれたのだ。
 相手のこちらを見つめる熱っぽい視線の意味はわかったから、礼も兼ねて軽く笑顔を見せてきたのだが。
「あの人、ものすごく嬉しそうな顔してたよね」
「追いかけてきてたのか?」
 デュエールの問いかけにエルティスは返答しない。けれど、それは肯定の沈黙だ。目覚めて一人だということに気付いた彼女は、慌てて彼を追いかけて来たに違いない。買出しをする店はいつも同じだから、すぐに見つけ出せる。そしてその光景を目撃したのだろう。
 ついでにいうなれば、腹を立てた彼女はそのまま力を使って『飛んで』帰ってのだろう。誰かに見られてなければいいのだが―――とデュエールの意識はほんの少しだけ今の状況から逸れた。

 だが、かなり飛躍したエルティスの質問が、デュエールをその場に引き戻す。
「一人のとき、ああいうことやってたの?」
 仕事で王国を回っていたときも、彼女を探す旅の途中でも、愛想は良くしていたつもりだ。その方が何かあったときに助けを得られやすいし揉め事も少ない。長い期間付き合うわけでもないから、この程度のことはいつもやっていた。
 デュエールが答える前にエルティスは顔を伏せる。質問したのは彼女だが、たぶんその答を聞きたいわけではないのだ。

「あの人絶対デューに気があるもの。……だから、一人で行かせたくなかったのに」
「別に、社交辞令みたいなものだぞ?」
「だって! あたしの前であんな風に笑ったこと一度もないでしょう!?」
 ふくれ面で愚痴るエルティスの言葉にデュエールは納得した。笑ってしまえば彼女の機嫌はさらに悪くなるとはわかっているが、それでも笑みがこぼれるのは何ともしがたい。その子供のような態度も可愛らしいと思う。
「あれは他人とやり取りするときの顔なんだから、エルの前でする必要はないだろ?」
 デュエールが言うと、エルティスは呆気にとられた顔で固まった。
「それは……そうだけど」
「妬いてたのか?」
 悪戯心を発揮してデュエールがたたみ掛けると、エルティスは困ったような顔で黙り込む。その様子にデュエールは笑った。 
「そんな必要もないんだけどな」
 長く求めていたものをようやく得て、彼自身それを手放すつもりなど毛頭ないし、その心がわずかたりとも揺らがない自信がある。今更エルティス以外の女性に興味を持つことなどない。
 しばらくして自棄になったのかエルティスは声を張り上げた。
「そーです、妬きました! ミルフィネル姫のときもそうだし、今もそうだし、いっつもあたしばっかり!」
 デューが妬いたところなんて見たことない! とエルティスは八つ当たりのように叫ぶ。
「あー……妬かないわけでもなかったけど」
 すでに遠くなりつつある記憶を手繰ってデュエールが呟くと、返ってきたのは驚きの声。
「嘘! 誰に!?」
 エルティスの反応は当然だった。

 少なくとも、恋を争う相手がいた覚えはない。デュエールやエルティスと同年代の子供はルシータにそう多くはなかったし、神の子―――滅びの予言を抱え持つ<アレクルーサ>だった彼女を恋の相手とする者などいるはずがなかったから。
 しかし、妬いた覚えはある。しかも、確実に恋敵だったミルフィネル姫に嫉妬していたエルティスよりもさらに性質の悪い妬き方だ。

 エルティスは興味津々といった体でデュエールを見つめている。その瞳の煌めき具合を見るとひどくばつが悪い。さっきのは失言だった。
 これだけは絶対に知られたくない。

 いつも一緒だった時よりも少し距離が遠くなっていたあの期間。
 最も近い場所にいる証だった互いの愛称を失っていたあの時間。
 心に根差してしまった想いのために、かつての幼い頃のように無邪気に振舞うことができず、どうしてもその名を呼ぶことができなかった。
 だからこそ、妬いたのだ。
 何の変わりもなくその愛称を呼び続けることのできる彼女の姉やその恋人、果ては自分の父親にまでも。
 しかも、当に大人と認められていたごく最近までその気持ちはあったのだから。

「ねえ、誰に?」
「……まあ、おいおいに」
「あ、それ絶対に教えないつもりでしょう? デュー、いつもそればっかりなんだもの!」
 絶対に聞き出してやるといわんばかりのエルティスを見つめて、デュエールはさて何と誤魔かすかと頭を悩ませる。

 たぶん、明らかにした方が彼女に自分の想いの強さは伝わるのだとは思うけれども。
 ―――そんなこと、格好悪くて言えるはずがない。


初出 2007.8.18


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