二人の物語

番外編


夢逢瀬



 朝ご飯を食べ終わったら、一緒に森へ遊びに行って、昼ご飯に戻ってきて、今度は犬神のところへ行って彼の昔話を聞いて、夕方家の前で明日遊ぶ約束をして。
 そんなことを繰り返す毎日。

 その夜、エルティスはとにかく不機嫌だった。姉のリベルに宥められても一向にふくれっ面で、呆れた彼女に夕食のおかずを分けられまでしたが、それでも寝台にもぐりこんでなお彼女の眉は吊り上ったままだ。
 そもそもの原因は、昼食後の遊び場所の選択にある。
 いつもは森や湖といったルシータのはずれで遊ぶことがほとんどなのに、旅の手品師が街の広場で芸を見せてくれるとデュエールが聞いてきたため、二人で行ってみたのだ。
 確かに手品は面白かった。瞬きの間にボールが増えたり、指を鳴らすだけで花が現れたり、ハンカチを被せたら帽子から鳥が飛び出してきたり……これが魔法でないということが信じられないくらいだった。
 夢中になっていてはっと我に返ると、デュエールも隣にいたはずなのにいつの間にか姿がない。辺りを見たら巫女姫の娘でひとつ下のミルフィネル姫に引っ張られていくところだった。ちらりとこちらを見た気がしたけれど、あっという間に手品師を囲む人垣の反対側へ行ってしまったのだ。
 そのまま待っていれば、帰り道くらいは一緒だったかもしれない。しかし、エルティスはなんだか無性に腹が立って、手品が終わると同時にデュエールを捜すこともなく一人で真っ直ぐ帰ってきてしまったのだった。
 当然ながら幼馴染みの明日の予定も聞いていない。会う約束もしなかった。
 エルティスはごろりと寝返りを打って掛け布にくるまる。
 つまらないことをしたなとエルティスは思った。夕ご飯の後でもいいから、ちょっと隣に行って謝ってくればよかった。デュエールは姫と遊ぶ約束をしてしまっただろうか―――。

 
「もう陽が沈むよ」
 デュエールにそう言われてエルティスは木々の遙か上に覗く空を仰ぎ見た。少し前までは蒼かった空にわずかに朱が滲んでいるような気がする。
「そろそろ帰ったほうがいいよね」
 そう言ってエルティスは足元を見下ろした。二人の間に置かれた手提げつきの籠には溢れんばかりに山菜やら野草やら茸やらが詰め込まれている。姉と父にそれぞれ遊びがてら食料確保を命じられ、犬神に教えられたばかりの知識を総動員して遂行に当たったのだった。
 いつもの遊び場よりも大分森の奥に入り込んでいる。家に戻るうちに陽は完全に落ちて暗くなってしまうだろう。
 もっとも迷うという心配はしていない。二人にとって森は馴染みのある場所だし、ここは二人を気に入っている犬神の統治する地だ。それに万が一帰り道がわからなくなっても、エルティスが精霊に聞けばいいのだ。森の中で夜になってしまうことを、デュエールもエルティスも畏れてはいなかった。
 エルティスの言葉にデュエールも頷く。
「帰ったら夕ご飯ができてるね、きっと。お腹すいたよ」
「うん、あたしもお腹すいた」
 言った途端に示し合わせたように腹の虫が同時に鳴いて、二人は一瞬目を見合わせたあと笑い出した。
「帰ろう」
 籠を持ち上げてデュエールが言う。籠をはさんで反対側に回ると、エルティスも籠をつかんだ。中身が重くても二人で持てば簡単に持っていける。
 エルティスは並んで歩くデュエールを見た。全く同い年の二人は今のところ目線の高さも同じだ。視線に気づいたのだろう、デュエールもこちらを見た。
「また明日も来ようね」
「今度はもっと奥まで行ってみる?」
「探検するの? お弁当持って?」
 思わず籠を握る手に力がこもる。二人の歩く動きに合わせて、籠の中で茸が揺れていた。
「お父さんに作ってもらう?」
「あ、小父さんのご飯食べたい! あたし大好き」
 エルティスが目を輝かせて言うと、デュエールも悪戯めいた表情を見せる。これで明日の予定は決定だ。

「じゃあ、決まり」
「約束ね!」


 エルティスは姉の声で起こされた。目を擦りながら寝台から降りる。
「準備ができたら、手伝ってね」
「はぁい……」
 てきぱきと朝ご飯を作る姉の横で顔を洗い、エルティスは布で顔を拭いながらぼんやりと考えた。
(お弁当があるなら、お茶も必要だよね)
 ……お弁当?
 自分の考えにエルティスはあれっと首を捻る。どうしてお弁当が必要なんだっけ?
 必死になって、記憶を探る。確かに、なんとなくお弁当を持って出かけようと話していた覚えがある。しかし昨日は手品を見に行って、一人で帰ってきたのだ。
(……そうだよ、昨日はデューと何の約束もしてないもの……)
 そしてエルティスは昨夜も味わった嫌な気分をしっかりと思い出してしまう。姉にはずいぶんと呆れられたから、なるべく顔には出さないようにしようと頬を引きつらせながら彼女を手伝った。
 出来上がった朝ご飯を皿に盛りながら、エルティスは恐る恐る姉に頼んでみた。なんとなく用意しておいたほうがいいような気がしたのだ。一人で飲んだっていいのだし。
「お姉ちゃん、遊びに行くときに持っていくから、お茶作ってくれる?」
「どうしたの、急に。……まあいいわ。とびきり美味しいの淹れてあげるから、デュエールと仲直りしてらっしゃい」


 ご馳走様、と食事終了の祈りを終えたところで、玄関から挨拶をする声が聞こえた。
「エル、見てきてくれる? ここは私が片付けるから」
 姉はさっと二人分の食器を盆の上に乗せると、エルティスが何かを言う前に台所へ消えてしまう。エルティスは椅子から飛び降りると玄関に向かった。
「はーい」
「おはよう、エル」
 エルティスが扉を開けると、そこに立っているのはデュエールだった。手には一人で持つにはいくらか大きい手提げ籠。布が被せられていて、何が入っているのかはわからない。
「おはよう……」
「迎えに来たんだけど……、どうかした?」
 エルティスがよほど驚いた顔でもしていたのか、デュエールは緑色の目を不思議そうに瞬かせた。
「迎えって」
「明日、森に探検に行こうって約束しなかった?」
 けれど昨日は最後までは一緒にいなかったのだ。
「うん、したような気がする。……でも昨日は、約束してないよね。だって、手品の途中で」
「そういえば、手品見に行ったんだっけ。でも、明日も行こうって言ったと思うんだけど……あれ?」
 昨日は約束をする暇がなかったはず。それなのに二人とも森へ行く約束をした覚えがある。しかもデュエールはお弁当を用意していて、エルティスはお茶を作ってもらおうとしていた。
 その妙な矛盾にデュエールも気がついたらしい。籠を下げたまま頭に手を当てて考え込んでいる。

『じゃあ、決まり』
『約束ね!』

 エルティスの中で何かが閃いた。そうだ。確かにあたしたちは約束していたんだ。
「はい、おまたせ。できたわよ、お茶」
 姉の声がして、エルティスの前に水筒が差し出される。声を追ってエルティスが振り返ると、姉が優しい笑顔を浮かべて立っていた。
「おはようございます。リベルさん」
「おはよう、デュエール。お弁当を持って、どこまでお出かけかしら」
 デュエールが挨拶するのを聞いて、姉もにこやかに挨拶を返した。
「ちょっと森まで」
「道理でエルがお茶を淹れてなんて言うはずだわ。気をつけて行ってらっしゃい」
 水筒もお弁当もまとめて入れた籠を二人で持って、姉に見送られてエルティスたちは出発した。
 ゆらゆらと籠を揺らしながら、森までの道を歩く。そう、『昨日』と同じようにだ。
 自分たちがどこで今日の約束をしたのかがようやくわかって、エルティスは嬉しくなった。
 昨夜、夢を見たのだ。デュエールと森の中でたくさんの山菜や茸を採って帰る夢。そこで明日も来ようと二人で話したのだった。どうしてそんなことができたのかはわからないけれど、デュエールもエルティスと同じ夢を見て、そして夢の中での約束を覚えていた。
 デュエールはエルティスの居場所をどこにいても知ることができる。神の子と呼ばれる二人の不思議な繋がり。
「小父さん、こんなにたくさん作ってくれたの? あたしたちだけで食べられる?」
「食べ切れなかったら、犬神のところに持っていこうよ」

 その繋がりはこれから先もずっと続いていくのだと、知らず知らずのうちに信じていた。



(初出 2006.6.26)


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