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カルファクスへ向けていた視線をデュエールへ向けると、<アレクルーサ>と呼ばれた少女はふっとその顔に笑みを浮かべる。見つめてくる瞳は違う雰囲気を放つというのに、それでもエルティスが笑いかけたようなそんな気さえした。
ゆっくりと瞼が降りて、銀の瞳が閉じられる。
『お前たちが"神の子ら"にどのように対するのか、ゆっくりと見せてもらおう……』
楽しそうに一言残し、<アレクルーサ>は沈黙した。一瞬のうちに銀の髪は色を失い、もともとのほとんど癖のない亜麻色の髪へと変わっていく。彼女を暗がりの中に浮き上がらせていた光臨は消え、少女の姿は濃くなりつつある闇の中へ沈み込んでいく。
既に神官たちを見下していたような雰囲気もなくなっていた。
これでもとのエルティスだ。ぐらりと彼女の身体が揺れたのを見たとき、デュエールは思わず飛び出していた。
滑り込むように腕の中にエルティスの身体を受け止める。ぐったりとして意識を失っているが、息はしているから特に問題はないはずだ。明りもない薄暗がりではあるが、傷などもどこにも見当たらない。
デュエールはほっと安堵の息を吐いた。
彼女自身の力でこの土砂をどけたせいなのだろう、魔力でも使い果たしたに違いない。
懐かしい、二ヶ月ぶりに間近で見る幼馴染みだった。
薄暗闇の中で見ても、その顔は間違いようもない。二ヶ月前、別れたときより幾分か髪が伸びてはいるけれど、変わりないエルティス。
自分の着ていたマントをはずすと、そのまま、デュエールはゆっくりと片膝をつく。地面に敷いたマントの上に、エルティスを横たえた。上半身だけは立てた自分の膝と腕とで受け止めて。
一息入れたデュエールの頭上に、影がさした。
一瞬にして、辺りに殺気が満ちる。明らかに彼らに向けられた害意。
周囲の空気の変化に、何事かとデュエールは背後に視線を向けた。その瞳がそのまま鋭さを増す。
「デュエール・ザラート。<アレクルーサ>を助けるつもりか……」
いつの間にか、遠巻きに見守っていたはずの神官たちが、デュエールとエルティスを囲んで立っていたのだった。
手に手に杖や棍棒を持って。剣やら鍬やらの刃物がなかったのは幸いかもしれない。
神官たちの目には、狂気にも似た光が宿っていた。怯えと、殺意と。
デュエールはエルティスを完全にマントの上に横たえると、彼女を神官たちから隠すように後ろにかばい、しゃがみこんだまま彼らと向き合った。
「やはりお前たちはルシータを滅ぼす"神の子"なのだな」
誰かのその一言が、神官たちを抑える最後の糸を切ったらしい。
「<アレクルーサ>と<器>を近付けるな!」
「"神の子"を引き離せ!」
熱に浮かされたような口調で、口々に神官たちが叫ぶ。堰を切ったように、数十人の神官たちがデュエールとエルティスに向かって殺到した。
「……っ!」
杖や棍棒を持っている神官たちは、全員がエルティスに襲い掛かる。デュエールはその間に割り込んで、足を引っかけたり自分の身体を盾にして、何とかエルティスをかばおうとした。
最も力のある年代の中年男性たちではあるが、力仕事をするわけでもなく身体を鍛えているわけでもない、神殿勤めの神官たちである。懇親の力で振り下ろされるそれらも、山を降り、国を移動して歩くデュエールには、耐えられないものではない。
たとえどれだけ傷付こうとも、後ろにエルティスがいる限り、自分は絶対に引かないし、倒れられない―――。そんな決意もあったからかもしれない。
数名に叩かれ殴られた報復をし、棍棒を受け止めるデュエールの腕もそろそろ痺れ始めてきたとき。
「<器>を押さえ込め! <アレクルーサ>を引きずり出せ!」
神官たちの誰かが叫び、彼らは攻撃の方法を変えた。エルティスに向かって襲い掛かろうとしていた棍棒が、翻ってデュエールの頭上に一閃する。
「……!」
不意をつかれたデュエールの頭部に勢いよく杖の先端が命中した。強打された一瞬、デュエールの意識は靄がかかったように朦朧とし、視界が揺らぐ。地面に昏倒し、そのまま意識を失おうとしたデュエールの片隅につい先ほどしたばかりの決意がよぎった。
もし自分が気を失ったら。無防備に眠り続け、自らを守るすべのないエルティスも、自分と同じ目に―――いや、あるいはもっと酷い目に―――合うに違いない。
頭部の皮膚をゆっくりと下に流れ落ちていく暖かい感覚が、デュエールの意識を完全に引き戻す。
もし顔を覗き込んでいる人がいたら驚いて身を引いただろう素早さで眼を開けたデュエールは勢いよく身体を起こそうとして―――誰かに頭を強く地面に押し付けられた。
気を失いかけたのは一瞬のことだったのだが、その間にデュエールは両手を後ろ手に回され、二人がかりで押さえ込まれていたのだった。無理やり地面から顔を起こしたデュエールが見たものは、自分が敷いたマントから転がり落とされたエルティスの姿。
もともと祠の中にいたせいで汚れた服は、地面に放り出されたせいでさらに土で汚れ、美しい亜麻色の髪も埃にまみれて色褪せてしまっている。デュエールのマントは、エルティスの下から引き抜かれた後、投げ捨てられたのだろう、彼らがいる場所よりやや離れた場所に落ちていた。
デュエールはもがいたが、男二人に押さえつけられた身体は、顔を上げるのがせいぜいでびくともしない。
「連れて行くぞ!」
神官の一人が叫び、別の神官がエルティスの片足をつかむ。そのまま引きずろうとするのを見て、デュエールは目を見開いた。頭部を押さえつける力を跳ね飛ばすように息を吸い込む。
すっかり闇に沈み、エルティスの表情は見えない。だが、彼女はまだ眠っているはずだ。
「乱暴に扱うなッッ!!」
誰も明りをつけず、闇に沈んでいく街に響く声。
吠える、と表現できるような勢いで、デュエールは叫んだ。怒りは起爆剤にもなるのかもしれない。デュエールは今までとは比べ物にならない力で押さえつけている神官たちを跳ね除けようとした。慌てた神官たちが全体重をかけようとしなければ、あるいはデュエールの力がもう少し打ち勝っていたなら、彼は今頃神官二人を跳ね飛ばし、エルティスの元へ駆け寄っていたに違いない。
再び、デュエールは頬を地面に押し付けられるはめになる。
明りが灯されたのか、急に辺りが明るくなった。
「あなたたちもその辺でお止めなさい」
静かな声が響き、神官たちは全動作を停止する。緩んだ力のおかげで、デュエールも顔を上げてそちらを見ることができた。
付近にある街灯に魔法の明りが灯されている。周囲には火のつけられた松明が掲げられ、手元に魔法の明りを灯す者もいた。
「確かに彼女は<アレクルーサ>ですが……、少なくとも、女性に対する扱い方ではありません」
動じる様子もなく、エルティスの脚をつかんで引きずろうとした神官を諌めたのは巫女姫だった。瞳の輝きは、デュエールが謁見し姿を見るときとまったく変わらない。
「仮にも"神の子"と呼ばれた、神々に愛されし娘です。丁寧に扱いなさい」
その言葉に、神官はしぶしぶ手を離す。彼がもう一人の神官と協力し、二人でエルティスを抱えあげるのを見届けると、巫女姫はデュエールに背を向け、神殿の方向へ歩き出した。
エルティスを抱えた神官たちもそれに続く。
「エルティス!」
横を通り過ぎていくエルティスに、デュエールは呼びかけた。
それが、彼がルシータに帰ってきてから初めてエルティスにかけた言葉。だが、それに答えるべきエルティスは穏やかに瞳を閉じ、規則的な寝息を立てるだけで、デュエールに応じることはなかった。
デュエールは代わりに巫女姫に向かって叫ぶ。
「エルティスをどこに連れて行くつもりだ!?」
長い装束を地面にわずかに擦りながら歩いていた巫女姫は、ふと足を止めた。ゆっくりと振り返る。しかし、彼女が言った言葉は、デュエールの質問に対する答えではなかった。
「デュエール、後で今回の仕事の報告を聞きます。明日、私のところへ来てください」
冴えた言葉が静かに響き、巫女姫は再び前を向いて歩き出してしまう。
「そんな、ことより……」
エルティスをどこへ―――。
小さく呟いたデュエールの言葉は、それ以上声にならなかった。
頬をゆっくりと伝っていく感触。先ほど叩かれた場所が熱を持ち、がんがんと思い出したように痛み出す。再び朦朧としていく意識の中で、デュエールは最後に一言叫ぶ。
「エルティス……!」
渾身の呼び声も、徐々に離れていくエルティスの眠っている心には響かない。
ルシータに降りてくる闇と一緒に、デュエールの意識も沈んでいった。
(初出 2003.10.2)