時の円環-Reconstruction-


15



 その日、凍冶は治療院の命を受けて、華瑛の自宅を訪れていた。目的は光玉と鈴麗が指摘した、怪我人に対する治療の件である。
 第一治療所には鈴麗がいて、彼女自身の法術により傷口から毒の入りこんだ兵士を治療した。
 第二治療所には、光玉と鳳族の医学を学び彼女を師と仰ぐ法術士がいたために光玉の診断と指示が速やかに術士たちに浸透して、そのような兵士は現れなかった。
 そして、問題の第三治療所にはその件に関する見識のある者が誰もいなかったために見過ごされ、法術士が異変に気付いたころには手の施しようがない状態まで進行してしまっていた、というわけである。
 鳳族に直接手を下されたわけではないが、戦による死者であることには間違いない。否、むしろ鳳族の兵によって倒された方がまだ受け入れられたかもしれないのだ。ついに出てしまった死者とあまりに多すぎる戦傷者についての報告を、軍部は無視できなくなった。
 凍冶が光玉と鈴麗を訪ねるのは、今回出た死者の死因と、それを防ぐ方法を知るためである。光玉ならばそれを説明でき、鈴麗は法術により治癒する術を手に入れている。これを神族が手にすることができればおそらくは同じ過ちはすまい。
 凍冶たち一派の主張が、わずがであるが通ったということである。認めざるを得なくなったというわけだ。

 凍冶は知り合いの法術士の青年――名を江普(こうしん)という――とともに華瑛宅に入った。出迎えた侍女に通された部屋ではすでに華瑛一家が準備を終えて待っている。
「すみません、こちらから申し出たというのに、遅れてしまったようですね」
「いや、こちらもそれほど待っていたわけではないよ」
 簡単なあいさつを済ませると凍冶たちも席に着き、早速本題に入ることにした。
「先日、軍部――治療院から正式な依頼がありました。今回の死因を分析し、治療法を確立しろ、と。光玉殿と鈴麗殿の話は治療所でもちきりでしたから、話に上がったというわけです」
「私の方にも話がきていたよ。散々否定してきた話だから、とても不愉快そうではあったけどね」
 凍冶が話すと、応じて華瑛も笑う。華瑛が中心となり凍冶が共鳴しているこの派閥は神族にはあまり浸透しておらず、肩身の狭い思いをしている期間が本当に長かったのだ。
 華瑛が光玉を促すと、彼女は手元にある医学書を繰りながらにこやかにほほ笑む。凍冶たちも用意してきたそれを開いた。
「まずは私から、簡単に説明しますね」
 普通ならなんでもない軽傷の兵士が、何故突然の熱を発し朦朧とするほどに苦しむことになったのか。第三治療所で凍冶が見たとき、かの兵士の体は四肢の末端がどす黒く変わっていた。
 問題になるのは、傷口の取り扱いなのだと。傷口の管理が悪いと、悪いものがそこから体にはいりこむ。それを光玉――否、鳳族は毒と呼ぶのだ。
 毒は血と気脈をたどり全身へとたやすく広がる。傷口は腫れて熱を持つが、それだけではない。回った毒は皮膚を黒く変え、四肢を腐らせる。臓腑に毒がまわればそこも同様だ。そこまで症状が現れたら、もう打つ手はない。命が失われるのをただなす術もなく見ているだけとなる。
 法術はどんな傷も病も癒すという。だが、それは本当だろうか。
 折れた骨を治す術があることは、そこまでの素質はないものの知識としてはある。しかしそれは複数の法術士の相当な消耗と引き換えだ。そう簡単に奇跡を起こせるほど、魔術も法術も万能ではないと凍冶は知っている。
 腐り失われた四肢を法術は取り戻せるか。毒に侵された臓腑を癒せるか。死の寸前まで歩み、現時点で最高の医学を持つ鳳族ですらなす術ない者を救うことができるか。
 光玉が語り、鈴麗が時折補足する話を、凍冶は感嘆の気持で聞く。ちらりと横を見ると、隣で話を聞いている江普も同様のようだった。真剣な表情で話を書き留めている。
「なるほど、そういうことなのですね……」
 今までの戦で、負傷者はありえないほどに少なかった。だからこそ、どんな軽傷の者であっても、即座に法術で治癒されていたのだ。応急手当に関しての知識も、決して豊かとはいえない。
「で、鈴麗殿はそれを法術で癒された、とそういうことになりますか」
 凍冶が話を振ると、鈴麗はひどく恐縮したように下を見た。
 ここからが本題だ。今のところ、この問題の解決策を持つのはただ一人、彼女だけだった。今光玉により説明されたことをもとに、今後同じような被害が出ないように注意することができる。だが、もし同様のことが起こった場合のことも考えねばならない。
 凍冶たち二人は、ここから先が苦労することだろうと覚悟してきたのだ。
 鈴麗は鳳族の医学に基づいて法術を使い兵士を救ったのだ。それはつまり、法術の使い方が神族たちと根本的に違う。彼女の説明をどれだけ神族にわかりやすくできるか、そこが最大の課題だった。
 考え込んでいる鈴麗はひどく緊張しているらしい。華瑛の穏やかな声が、彼女をなだめるように響いた。
「鈴麗、彼らにどんな風に考えて法術を使ったのか、説明してほしいんだ。ゆっくりでかまわないよ、どれだけ時間がかかってもいいから」
 昼前に彼女らを訪問したのにはそういう理由があるのだ。鈴麗の法術を理解するために一日使ってもいいようにと、華瑛が提案してきた。
 しばらくの逡巡の後、鈴麗は覚悟したかのように口を開く。
「ええと、最初はですね――」
 
 
 何度も休憩を差し挟み、大量の聞き書きを作り、今日は一段落しようと凍冶たちが結論を出したとき、すでに陽は沈みとっぷり暮れていた。
「……なかなか、途中を理解するのが難しいですね」
 自分が作った聞き書きを何度も見返しながら、凍冶の隣で江普が溜息をつく。彼は凍冶ほどではないにしても鳳族の医学への理解が深い人物である。その彼ですらこうなのだから、鈴麗の術の使い方はよほど特殊と言っていいだろう。
 かくいう凍冶も理解したというには程遠い。ただ、似たような説明をする人に心当たりがあるために混乱しないだけである。
「ところどころはわかるのですが、これを自分が再現するとなると自信がありませんね」
「すみません……」
 凍冶が苦笑しながらつぶやくと、向かい側から本当に申し訳なさそうな声が聞こえてきた。鈴麗は湯呑を持ったまま落ち込んでいる。なんとか彼女は彼女なりに理解してもらおうと必死に言葉や言い回しを選んでいたようなのだが、どうやらまだまだ理解の溝は深いようだった。
「いやいや、一朝一夕に得られるとは思っていません。ゆっくりやって行きましょう」
 凍冶の隣で江普が朗らかに笑う。凍冶も同様だ。そう簡単に得られるとは思っていなかった。
「海苓にも助力を仰ぐことにしましょう。彼も鈴麗殿と似たような発想で術を使います。彼に聞けば、さらに神族に理解しやすい言葉になるかもしれませんし」
「ああ、それは良い考えだね。彼の助力を得られるなら、だいぶ楽になるかもしれない」
 凍冶の提案に華瑛は頷き、隣の青年も表情を明るくする。希代の才を持つ武官・海苓の名とその稀有さは神族であれば誰もが知るところだ。その魔術を実に効果的に使って見せる能力もそのひとつ。
 ただ一人、劇的な反応を示した娘を視界の端にとらえて、凍冶はかすかに笑う。
 俯いていたはずの彼女は、海苓という名を聞いた途端に弾けたかのように顔をあげてみせたのだ。他の者のように、凍冶の語った内容に賛同したわけではない。眉間にしわを寄せ何かを考え込む様子の鈴麗をそっと観察しながら、凍冶は華瑛たちと談笑していた。
 動きがあったのは、凍冶たちが華瑛邸を辞そうとしていたときのことだ。別件の用事で一足先に邸を出た江普をよそに凍冶は新たな医学書についての話を門の前で聞いていた。
 ようやく刷り終わったという医学書についてどうするか、華瑛の話を聞いているとき、彼の向こう、玄関から荷物を抱えて鈴麗が現れたのだ。
 華瑛の後ろで律義に話が終わるのを待っている少女を見て、凍冶は話を促す。熱弁を振るっていた華瑛もそれで背後に娘がいることに気付いたらしい。
 鈴麗はわずかに逡巡すると、意を決したかのように持っていた包みを凍冶に向かって差し出してきた。
「あの、凍冶様。これを、海苓様に返していただけませんか?」
「海苓に……?」
 恐る恐るといった様子で紡がれた友人の名に、凍冶は思わず聞き返す。
 すべてが暴露された日に海苓が鈴麗に向けた感情を凍冶は知っている。そして戦の後に海苓が鈴麗を見たときの様子も覚えている。しかし、何かのやり取りをするほどの接触があったとは知らなかった。
「この間の戦のときに上着をお借りしたんです」
「この間……」
 第一治療所で海苓と会い、その後撤収時の騒ぎの合間に姿を見かけたとき何か妙だと思ったが、思い返してみれば服装が違っていたのだ。あのときか、と凍冶は納得した。
 一体どんな経緯で海苓の上着が彼女の手に渡ったのだろう。興味深く、ぜひ聞いてみたいところだったが、凍冶は全く違う言葉を紡いだ。
「私から返してよいのですか?」
「直接返すのが礼儀ですけど、でも……あまり、顔を合わせない方がいいような気がするので……」
 鈴麗の表情がわずかに苦しげなものに変わる。それは海苓の彼女へ向ける顔を踏まえたものだろう。凍冶は苦笑して、それ以上彼女の話を聞かず頷いた。
「わかりました。引き受けましょう、確かにあなたから返されたと、海苓に伝えておきますよ」
 包みを受け取ると鈴麗はあからさまにほっとした顔をする。その表情の変化を見つめて、凍冶は思考を巡らせた。
(一体、どんな顔をして『これ』を貸したんだか……)



 軍部棟の控室に行けば会えるだろうと踏んで、翌日凍冶は治療院へ届ける報告書とともに鈴麗から預かった包みを持っていくことにした。
 どこへ行ったものか、控室に荷物はあれど姿はなく、そこにいた他の武官も海苓の行方を知らないという。持ち歩くのにはなかなかかさばるし、早い話が誰かに預けたり書き置きごと置いていけばいいのだが、そうしなかったのはひとえにこの預かり物を返されたときの海苓の反応が見たかったからに他ならない。
 海苓を探すのは昨日の鈴麗の法術の件で彼の力を借りるという本来の目的があるのだが、すでに凍冶にとってはそれはおまけのようなものになっている。
 どの道彼の解釈を聞いてみなければこれ以上報告書もままならないのだし、と凍冶はゆったりと軍部棟を歩き回ることにした。荷物がある限りここにいるのだろうと思ったのだが、なかなかめぐり合わず、もしかするとお気に入りの東屋にいるのかもしれないと思い始めた頃、凍冶はようやく目的である友人の姿を発見する。
 すでに治療院は目の前だ。海苓は一人ではなく、何事か清蘭と談笑しているようだった。彼女の表情は他の誰といるときより目に見えて明るく、大方の者にはその感情は透かし見える。さすがの海苓も気づいているはずだが――。
(『これ』を持っていくと、面白いものが見れそうだ……)
 凍冶は自分の手にある大きめの包みを見下ろして笑みを浮かべる。
 静かに近付いて行くと、凍冶が声をかける前に海苓の方がこちらに気付き軽く手をあげてきた。応じて清蘭もこちらを向き――その表情が若干曇ったのは彼女と自分との微妙な人間関係のせいだろう。
 彼女と馬が合わないのはどうしようもないと思っている。基本的な考え方が全く正反対で、しかもお互い折り合いをつけることもできない。噛みつくような喧嘩にならないのは、弁えていることとどちらにとっても海苓は大切な友人であるからだ。
「珍しいな、また何かあったのか」
 海苓は不思議そうに凍冶に声をかけてくる。研究棟に閉じこもりがちな凍冶は仮にも武官の一人であるというのに軍部棟にいることが少ない。先ほども海苓を探し回っている間すれ違う人は皆一様に驚いた顔をしていた。
「ああ、少し君の力を借りたくてね。今日か明日のうちに空いている時間があれば頼みたいんだが」
 凍冶が尋ねると、すぐに諾と返事がある。一体何かを訊く前に応じてくれるのだから、ありがたい友人だと思う。それを見届けてから、凍冶は思い出したようなふりをして小脇に抱えてきた包みを海苓に差し出した。
「これを鈴麗殿から預かってきたよ。何だか君から借りた上着だそうだが、どの道会う用事があるからと私が代わりに持ってきたんだが……」
「ああ……」
 凍冶が言うと、海苓はすぐに思い当たったようだった。なんでもないように手を伸ばし包みを受け取る。対してそこに挙がった名に過敏に反応したのは清蘭の方だ。海苓の表情を確かめるように、そっと横目で様子を窺っている。
 それぞれの様子は全く正反対と言っていい。
 (なるほど……)
 そこに立つ二人の表情を見て、凍冶は笑みを深くした。

 ――『彼』が存在するために、時間はあたかも円を形作るかのごとく捻じれているという。
 それが初めから定まっていることならば、それはすでに始まっているはず。

 きっと自分の望みは叶う。そう、確信した。



2009.9.29


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