時の円環-Reconstruction-


25



 戦闘開始直後に、神族陣営は混乱に陥った。
 今までと同じようにそれぞれの軍が動き出すと同時に、鳳族側から砲撃が行われる。
 それは空を行く天馬部隊を狙ったものであり、かつ神族へ被害を与えるために狙いを定めずに撃たれるものでもある。
(飛び方が違う?)
 あらかじめ備えていた海苓だが、飛んでいるものが違うのだと気付いた瞬間、それは起きた。

 矢でも石でもない『何か』。
 気を取られ撃ち落とすべきか判断もつかないうちに、それは海苓の頭上すら越えていく。
 数ヶ所から放たれ、前線どころかその背後へも軽々と辿り着いたものすべてが、ほぼ同時に破裂したのだ。
 周囲が一瞬にして熱と煙に包まれる。音と熱を伴う衝撃が、神族の陣全体を襲った。



 ――我々は、何ひとつ奪われてはならない。

 それは命だけではなく、その体だけでもなく、持ちうる知識だけでもなく。
 神族の持つ力、魔術、技術、そのすべてへ繋がるものをも含む。
 たとえ、手放した武具たったひとつであっても。


(……!)
 熱と風に煽られ、その上予期しない突然の衝撃に恐慌を起こしかけた天馬の手綱をなんとか制御して、海苓は足元を見回した。
 破裂の真下、熱と衝撃をまともに受けただろうあたりの人々が倒れている。倒れていない人々も、慌てた様子でそこへ駆けつけるか茫然としているかだ。
 何かが焼けたような焦げたような嫌な臭い。焙られるような熱さ。
 しかし、戸惑っている暇はない。向こうからは、鬨の声をあげて鳳族軍がこちらへ向かってきているのだ。
「来るぞ!」
 声をあげて兵の注意を引き戻したのは、海苓だったかそれとも同時に叫んだ他の誰かだったか。遙か彼方からは凍冶の声も聞こえていたような気がする。
 海苓はつがえていた矢を先頭を切って向かってくる鳳族へ向けて撃つと、素早く印を結んで炎の術を結ぶ。本当は矢のように打つつもりだったのだが、優先してやるべきことができた。
 手持ちを弓から槍へと持ち変え穂先に炎を宿らせると、海苓は神族の前線を横切るように天馬を走らせる。
 同時に槍を旋回させて、炎を壁のように翻して向かってくる鳳族を牽制するのだ。海苓一人だけでは太刀打ちしかねるが、周囲の天馬部隊の一部でも同じように振舞ってくれれば、時間を稼げる。

 戦力は半減とはいかないまでも遙かに削られた。倒れた人々だけではない、それを護り、運び出す人々が要る。攻撃を受け動けなくなった兵士を、戦場にそのまま置いておけない。何をしても助け出さなくてはならない。
 何故なら――鳳族に奪われてはならないからだ。
 捕虜を取られてはならない。たとえ死者であっても、彼らに捕らえられてはならない。執念を持って神族の領地を得ようとする鳳族へ、わずかたりとも情報となるようなものを与えてはならない。それは使っている兵器や防具も含まれる――より頑強にするためや攻撃のために魔術が宿っているものも少なくないからだ。

 作戦は迅速に修正されたようだった。後方部隊が怪我人の救出に回り、前線は何とか立て直している。ただ、後方支援がない分、海苓たち天馬部隊が采配をふるわねばならなかった。
 あとで天馬が動けなくなるほど疲労困憊するのは目に見えていたが、海苓はいつも以上に戦場を動きまわる。少しでも手薄なところへ行き、支援しなければならない。
 天馬部隊の一部は怪我人運び出しに加勢していたから、どの天馬騎士も同様だったけれど、海苓のそれは異様なほど群を抜いていた。地上の危機に気付くのも誰より早かったし、そこへ飛び出すのも誰かに頼むより海苓が直接行く方が早いのだった。

 しかし、防いでいるだけではだめなのだ。鳳族にも大きな被害を与え、彼らを退かせなければならない。
(もしあの攻撃がまた来たら……)
 そうなれば完全に神族軍は体勢を崩してしまう。それだけは防がなければならない。
 前線は既に鳳族神族入り混じった状況にあったから、鳳族側の射撃も止んでいる。何かを装填している様子は感じられないが、あの砲撃がどこから来たのか、海苓も正確な位置を覚えていなかった。
 もうあの攻撃はないことに賭けてさらに前に出るか、どうするか――。
 競り合う兵士たちに援護の術を送りながら、海苓は逡巡した。



『……あれを使えとおっしゃるのですか』



 唐突に滑り込んできた言葉。自分の身に覚えのない、しかし『自分』の体験。
 それはいつも、何かを引き金にして起こっていた。鳳族の皇女を眠らせたときも、それをきっかけに関連する記憶が湧き上がってきたのだ。
 過去世の記憶の欠片は、いつも自由にならなかった。海苓はそれを戦や自分の立場を有利にするために使うつもりはなかったけれど、実際のところ自由に引き出せるものでもなかったのだ。
 海苓が思い出せるのは、龍炎の記憶の中でも"現時点"より前のことだけ。今この世界、この時間の流れでまだ起きていないことは、思い描くことさえできないのだ。たったひとつ、龍炎の死と海苓の誕生を告げるあの場面を除いては。
(こんなときに『記憶』の再生だと……!?)
 息をつく暇もなく魔術の印を描き続けながら、海苓は呻きそうになった。よりによって、一番気を逸らしてはいけないこのときに。なんという枷か。
 できれば今はそれをねじ伏せてしまいたい。注意を分散させてなどいられないのだ。しかし、そんな海苓の抵抗を余所に、脳裏にぼんやりと記憶が映りだす。



 ――思わず目の前の義父を見た。
 自分は皇位を禅譲され、鳳族の中で最も尊いものとなったけれど、未だに彼は先帝として実権を握っている。逆らうことは難しい。しかし、これは。
『急がねばならん。間者どもがこのことを神族に暴露する前にだ。一気に攻め入ってくれる』
 そう言うと、彼は怒りに口元を歪ませたまま笑う。鳳族が他部族へ間者を忍び込ませるように、神族がそうすることもあるだろうが、しかし今彼が口にした『間者』はある特定の人物たちを指している。
 龍炎と先帝は、薬師たちから報告された書類を挟み、次の戦に向けての話し合いを行っていたのだ。
 ようやく手に入れた、これで神族へ対抗措置を得た、と鳳族が歓喜しているうちに、その神族の娘は親子ともども姿を消していた。それを聞き、誰よりも怒り狂ったのは目の前にいる先帝だった。
 神族の血を持つ者として彼女を取り込もうとしていたのは誰だったか。それをまるで忘れたかのように、彼は彼女を罵り、神族を罵った。一番彼女をかわいがっていた自分の娘への怨嗟は一切口にしなかったのがせめてもの救いか。
 曰く、小娘如きが宮殿へと上がり込み、鳳族の機密を奪っていったと。
 実際、彼女は何も持ち出せてなどいないだろう。龍炎も芳姫も彼女をかわいがっていたけれど、周りは厳格に対処していたのだ。少なくとも、龍炎もその護衛も、芳姫に関することを除いた重要機密を彼女の同席する場で持ち出したことはなかった。
 そんなことを説明したところで先帝の怒りが静まるはずもなかったので、龍炎はあえて黙していた。この一件が神族侵略の野望をさらに燃えあがらせたようにも感じる。

『実用化するにはまだ安全面の確保ができていないとの報告もあったようですが』
『かまわん。神の力を手に入れれば、すべて我らの思いのままだ。今は耐えるときと心得よ』
 龍炎の前に置かれた書面には、火薬の配合と飛距離や爆発の程度といったものが細かく記されていた。薬師、鋳造師、職人たちが莫大な怪我人と引き換えにやっと得た結果だった。
 量が多ければ効果も大きい。しかし飛距離が短ければ、場合によっては自軍に大量の被害が出る。
 芳姫が眠りに落とされた半年以上前の大敗の被害は未だに残っていた。術士も兵士も激減し、しかも今回の戦は先帝の強行のため農閑期の遙か前に予定されている。自らの領土が戦地になるのではないにしても、兵力確保のため働き手を奪われるのは収穫期を前にした民にとっては痛手のはずだった。
 冷静にすべてを判断し、先帝を納得させながら臣下たちの理解を得る方法を探すのが、龍炎の役割。

『……では、これを』
 龍炎は報告書の中の一文を指す。それは、数十回の試行で得られた配合と飛距離の数値のうちのひとつ。
『今回は試験的に導入を。この数値であれば、開戦と同時の砲撃で自軍に被害を出さず神族の前線かそれ以上の位置に被弾するはず』
 前回の戦と同じ布陣であればだ。そして神族軍は龍炎の知る限りほぼ同じ陣形をとる。前回と同じ陣を敷き、この火薬砲を打ち出す砲身さえうまく隠せば、同様の戦術で来ると誤認させることも可能だろう。
 先制攻撃として、砲撃を行い神族を撹乱させる。
 本格的な採用はその結果を見た上で、火薬の扱いを心得た専属の兵士を育成していけばよい。
 陣の中でどのように砲身を配置するかなど具体的に龍炎が話を詰めていくと、先帝はひどく満足したような笑みで頷いてみせた。
『よい、そのように進めよ。さすがに戦神と崇められるだけはあるな。頼りにしておるぞ』
 どうやら、うまく事は運べたようだ。
 これで良いだろう――あとは実際に火薬砲を扱う者の安全を確保すれば、自軍の攻撃のために命や体を失う者が出ることだけは避けられそうだった。



(……何?)
 海苓は思わず突然再生された過去世の記憶へ注意を向けた。
 他部族の軍へ身を置く青年の記憶。それは『過去』のものではあるけれど、うまくすれば鳳族の様子をつかめるものでもある。
 実際、それを探ってきた者も過去いないわけではなかったが、海苓は誤魔化して切り抜けた。
 他の人々とは違い、過去世の記憶があることを尊いなどと思ってはいない。過去世の執念とも呼べる想いに踊らされるのが嫌で、過去世の記憶を利用して自分がのし上がるのも嫌だった。
 実際のところそうやって利用できそうな記憶が蘇ったこともなかったのだ。だから、本当は他人に指摘されるまでそんなことを考えつきもしなかった、というのが正しい。
 しかし、今思い浮かんだ記憶は、結果はどうあれ海苓にひとつの事実を知らせていた。
 憎たらしいことでもあるが、龍炎の記憶はおぼろげであることが多いものの、ひとつだけ確かなことがある。実際に起こった『事実』であることだ。
 そこでやり取りされた情報を考えてみれば――龍炎の言った『今回』というのは正に今のことではないのか。前回の戦と双方まるで同じ布陣。収穫期前という時期も一致する。ならば。
(次の砲撃はない?)


 遙か鳳族の陣を見る。今になって思えば、同じ布陣といえども、いくらか違う様子もある。今までは見たこともなかった大きな砲身が鳳族の陣の中ほどに見えたとき、海苓は覚悟を決めて前線を飛び出した。
「海苓!? どうするつもりだい!」
 咎めるかのような声が、今まで何度も聞いてきた友人の声だと確信して、海苓は背後も見ずに叫び返す。
「あれ以上の攻撃はないことに賭ける!」
 龍炎の記憶が、今この戦のことを示すという確固たる保証はない。それでも、判断が正しければあの砲撃はこの後絶対にないということだ。
 術の印を描きながら、海苓は神族軍には攻撃が及ばないであろう場所を選んで天馬を空高くへ飛翔させる。
 たとえあの攻撃を受けたとしても易々と屈する部族でないことを、鳳族に示さなければならなかった。そうでなければ、彼らの攻撃はひどさを増すばかりになる。
 神族は奪われてはならない。そして自らを護るのでない限り、相手の命や部族の血脈を奪ってはならない。
 ――あれほどの激しい被害を受けた以上、この制限には当たらないはず。
 そう海苓は判断する。生き延びて、生まれ育ったあの領地へ帰らなくてはならないのだ。
 鳳族軍の真上。完成した術を槍の穂先へ宿らせ、海苓は勢いよく槍を翻す。
 そして、今までで最大とも思われるほど魔力を宿した術を真下の鳳族軍へ叩き落とした。



2010.11.14


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