竜の王国シリーズ

女神に贈る竜の宝珠


弐 都から来た竜


 青年の言った通り、変化はすぐに訪れた。西封の村外れに飛竜が舞い降りるのが見えたとき、誰もが一瞬魔物の襲来かと焦ったほどだ。竜の王国の領地であるというのに、それほどまでに飛竜とは無縁のものだった。
 里珠は呆気にとられた顔で目の前の青年を見つめていた。
「……あなたが?」
「この辺まで人数は割けないというのが情けないが事実でな。実際に見たのは俺だから、下手に他の奴が来るより都合がいいだろう。俺の判断で動く許可も得ているから、特に問題はないぞ」
 数日前獅苑と名乗った青年は腰につけた木の札を示す。それが先ほど言った許可の印ということだろう。
 国の代理、ということを考えれば里珠の反応はぶしつけだが、獅苑は一向に気にした様子がない。むしろ横にいる村長の方が血の気を引かせていた。
「時間が惜しい、早速本題に入ろう。魔物が出るようになった経過をできれば詳しく教えてほしい」
 ふっと表情が変わる。真剣そのものになった獅苑を見て里珠も我に返った。


 見たことのない生き物を最初に見つけたのは、西封の隣の集落だった。秋口に収穫前の野菜がやられたのだ。たまに動物たちに狙われることはあったが、今まで被害がなかった種類のものだったから、人々は何か新しく住み着いたのかとその時は特別気にはしなかった。
 だがそれが始まりだったのだろう。
 寒さが忍び寄るにつれ、少しずつ被害が広がっていく。
 山に入った男たちが見たことのない獣を見る。何も仕掛けていないのに襲われそうになる。
 集落のはずれの建物が壊される。畑が荒らされる。
 飼っていた犬が首を噛まれて死んでいる。
 そしてついに魔物は村に押し入って人を襲った。
 飢えた獣の仕業かとも思える出来事ばかりではあるが、里珠が初めて魔物を退治したのがその頃だ。山犬かとも思ったが、目がひとつで角があって、明らかに異形の姿だった。
 それを境に魔物の数は増えていった。真昼間に獣の影を見たという報告も襲われかけたという話も数えきれない。
 村長たちは都に嘆願を頻繁に送るようになり、その頃から里珠は本格的に周辺の集落を回り魔物退治を行うようになった。そして刻一刻と狂暴になっていく魔物を見る羽目になったのだ。



「そうか……兆候は二年も前にすでにあった、と」
 すべてを取りまとめていた西封村の長と里珠の話を聞いて、獅苑は考え込んでいる。その手元には二人分の話が走り書きでまとめられた紙。
 こうしてみていると確かにこの地域の現状に対応してくれているのだとわかる。つい先日の魔物退治で危機感を味わっただけに、里珠は安堵の息を吐いて中央に広げられた地図に目を落とした。
 それは王国を地域ごとに分けた地図で、里珠の住む地域の部分である。
 両手で足りないほどの印がつけられているのは、各々の話の中で魔物を見かけた、あるいは襲われた、退治したといった場所を確認するためのものだ。
 特別に持ってきたという地図には、里珠たちの住む地域周辺も詳細に載っていて印がばらけていることが見てとれるが、規則性はないように思える。円を描くようでも、直線を描くようでもない。無理に線で結んだところで奇妙な曲線になるだけだった。
「今のところはほとんど畑やものの被害で済んではおりますが、里珠の話ですと徐々に魔物も強くなっているようですから、手に負えるかどうか……。我々も多少なりとも武器の扱いは学んでおりますが、とてもとても……」
 娘一人に負わせるつもりもないが、自分たちにはあまりに力がない。
 そうこぼした村長の言葉に、獅苑は力強く頷いた。
「そのためにも俺が来たんだ。なるべく早く良い方法を見つけるよう努める」
「よろしくお願いいたします」
 長の言葉に、里珠は一緒になって頭を下げる。早く何の心配もなくみんなが過ごせるようになってほしいと思った。
 少し確かめたいことがある、と獅苑は立ち上がる。
「魔物が出た場所について確認したい。不都合がなければ、案内してもらえないか、里珠殿」



 報告のあった魔物出現の場所を確認したい、という。そうなると移動は飛竜でということになった。
「あの、わたし、乗ってもいいんですか?」
 ふと疑問が頭を過り、里珠は思わず訊いてしまう。
「……そうだな。何も考えず一人用の鞍で来てしまったな……」
 思い当たったように獅苑はばつの悪い顔をした。馬にも乗ったことがない里珠には、飛竜の背にある鞍が一人用なのかもわからなかったが、どうやらそうらしい。
 後ろにずらせばとりあえずなんとかなるか、と獅苑は鞍を動かし始める。里珠は慌てて遮った。そう言われればそこも問題だが聞きたかったのはそこではない。
 幼い頃聞かされた昔話では、竜は誰でもその背に乗せるのではない、ひとつ身のように心を合わせられる者だけを乗り手を選ぶと言っていた。それはただの御伽噺ではあるが。
 里珠がそう続けると、返答は苦笑とともに返ってきた。
「……ああ、俺が乗せるつもりでいるから問題ない。まあ、里珠殿だけで乗っても大丈夫だとは思うが」
 いくらなんでも本来の主を差し置いて自分だけ乗ることはないのでは? 
 里珠の脳裏に新たな疑問がよぎったけれど、考えてもよくわからなかった。
 とりあえず、生まれて初めて竜に乗る。どうしたらいいだろうと悩んでいると、獅苑が鞍への上がり方を教えてくれる。手や足のかける位置を示されれば、岩をよじ登るような心持ちで上がっていけた。あとは……鞍の前の部分にでもつかまっていればいいだろうか。
 里珠があたふたしている間に獅苑は鞍をずらした前の部分、つまり里珠の前にあっという間に乗ってしまう。
「鞍なしで大丈夫なんですか」
「長時間は無理だが、このあたりを調べて回るくらいならまあ大丈夫だろう。さて、出発するぞ」
 獅苑の一声で飛竜は大きく翼を羽ばたかせるとふわりと舞い上がった。
「わ……」
 足場がふわっと浮き上がり、つるされているような気分になる。足を引っ掛けておくところはあるが、その下は空。捕まるところはこの鞍しかない。万が一この手を離してしまったら……その先を想像して、里珠は必死に今つかまっているところを握りしめた。
「……大丈夫か、里珠殿?」
「……」
 前から獅苑の声は聞こえたが、とてもじゃないが返事ができない。捕まってるだけで精一杯なのだ。飛竜はどうもぐるりと旋回しているようで、軽く体が横に傾いたが、それだけで体が総毛立つ気分だ。
「なかなか見れない景色だから見てみるといい……と言いたいところだが、無理そうか」
 獅苑が盾になっているから風を浴びずに済んでいるが、これは相当だろう。巨大な魔物の上に乗っているときともわけが違う。少なくともあれは地面の上にいるのだし。
 ふいに獅苑が名を呼ぶ声が聞こえた。
「里珠殿、抵抗がなければ、俺につかまるといい。鞍にしがみついているよりかはいくらかいいんじゃないか?」
 確かに、鞍より頼りになりそう。一瞬そう思ったけれど、しがみつくのもどうだろうと迷い、数秒の逡巡の後。
「し、失礼します……!」
 里珠はありがたく獅苑の言葉に従わせてもらうことにした。頼るところがあるのは正直なところほっとしたが、それでも獅苑から問われて下を見下ろせるほど慣れるまでにはさらに時間を要したのだった。


 
「……で、これで最後か」
 ようやく景色を見下ろせるようになった里珠の案内で、彼女が関わった分の魔物の出現場所についての確認が行われる。地図の印を眺めていたときは脈絡がないような気がしていたが、こうして空から見て方向を確認していくと、だんだんと規則性が明らかになってきた。。
 今いるのは、数日前里珠が魔物を退治し、そして獅苑と出会った場所である。森の開けた場所だが、一方向に木々が倒れたり枝が折れていたりと明らかな跡があり、そこを魔物が通ったのだとわかる。
 そしてその方向も今まで確認してきた箇所と同じ方向に収束していくのだった。
「ちょうどいい、少し降りるか」
 飛竜を休めるには十分な広さ。獅苑はつぶやくが早いか手綱を繰ると飛竜を降下させる。
 ようやく地に足がついて里珠は安堵した。慣れてきたとはいえ宙に浮いているのはやはり心許ない。あとで祖父や父が里帰りしてきたら乗馬についても教えてもらおうかと思い直す。
 獅苑の方はといえば、里珠が飛竜から降りるのを手伝うと、適当なところに座り地図を広げた。
 地図に書き込んだバツ印のうちいくつかには矢印が書き加えられている。里珠の話に則り魔物が現れた方向を確認出来た分だ。最後に今確かめた分を書き足して一応完成する。
「ほかの集落の話も必要かと思ったが、これで何とかなりそうだな……」
 獅苑の言葉に応じて、里珠も傍に座って地図を除く。大まかにではあるが、矢印によって魔物が現れる一定の方向が示されていた。辿っていくと、それは森を抜け国境の方へと向かっていく。
「この方向に、何かあるんですね」
 あれだけの魔物が存在するだけの何か。しかし里珠の呟きに返答はない。隣の獅苑の顔を覗き込むと、険しい表情で地図を睨んでいた。
「……どうか、したんですか?」
「この方向だと捜索を続けるうちに越境する可能性があると思ってな」
 里珠が首を捻ると、獅苑は困ったように笑う。こういうときになんだが、よく表情の変わる人だと思った。
「里珠殿も村周辺に見慣れない者が来れば怪しむだろう。俺のように国の中枢に近いとわかる者だとその辺は厳しくなる。相手側に不審がられると余計なことになるからな」
 言われることは最もで、里珠は納得する。国境付近、関所でもないところで兵士がうろうろしていれば何事かと思うだろう。何か事を起こすのではと勘繰られる可能性もある。飛竜に乗っていれば嫌でも目立つし、王国の中枢だとまるわかりだ。
「それじゃあ、何もできない?」
「いや、手間だが許可を取ってくればいいだけだ。上が手続きを簡略化してくれれば一日かからないで動けるだろう」
 探索して国境手前で出直すことになるよりは効率的かもしれない、と獅苑は言った。里珠としてはそれに従うしかない。今から行けば夜中には戻れるというのだが――
 早速とばかりに飛竜のところへ向かう獅苑を里珠は慌てて追いかけた。
「今朝来たばかりなのに、それでは疲れてしまいますよ」
 いくらなんでも無理をしすぎだ。休んでから行ってもいいだろうと里珠は思ったが、獅苑は構う様子がない。
「いつものことだ。そんなに軟弱なつもりはないんだが」
「でも! 一日くらい違ったって、そんなに急がなくたって、大丈夫ですから! 飛竜だってずっと飛びっぱなしじゃないですか」
 里珠の言葉に一瞬獅苑の肩が落ちた――ような気がした。ふっと息をついた後、獅苑は傍らの飛竜を見上げて笑う。
「お言葉に甘えて、休ませてもらうか?」
 言葉を解するのだろう、飛竜は自分の主の頭に首を擦りつけた。そのままこちらへ首を伸ばすと里珠にも同じように擦り寄ってくる。どうやら懐かれたらしい。飛竜の反応に獅苑は笑った。
「どうやら里珠殿が気に入ったらしい。こいつにしては珍しいことだ……まあそれも仕方ないな」
 結局二人で西封へ戻ることになる。
 村長に説明し、一晩の宿を借りることにした。引き止めたのは自分だったから自分のうちに泊めるべきなのかとも里珠は考えたが、どのみち人に宿を貸せるのは村長の家くらいしかなかったのだ。
 獅苑の行動の早さに感謝した村長は里珠の願いを快く引き受けてくれた。




 都の人がもう出るらしいと朝一番に聞き、里珠は慌てて荷物を引っつかんで家を飛び出す。
 案の定獅苑は飛竜の鞍を整えて今にも出発しそうな状況だった。辿り着いたときにはすっかり息が切れていて、振り返った獅苑は驚きの表情で里珠を迎える。
「どうした、里珠殿、そんなに急いで」
「こ、こんな早くに……でるんですか……」
 まだ日が昇ったばかりだ。村人もようやく起き出してきたところで、当然のことながら獅苑は朝食ももらわずに辞してきたようだった。
 予想外の早さに里珠は急いで準備をしなければならずこの様なのである。
「少しでも早い方が、里珠殿はいいだろう?」
「どうしてそんなに、一生懸命になってくれるのですか?」
 里珠にはそれが不思議で仕方ない。国を守るべき人だとしても、ここは辺境の小さな村々。王のお膝元ではない。何か重要なものが採れる場所でもない。交通の要所というわけでもない。護るべき場所は多々あって、優先されなければならない場所でもないはずだ。
 だからこそ里珠たちは二年以上も苦しめられていたのだし、こちらから要請してもその間獅苑のような都の役人や兵士が来ることもなかった。それが、彼が来たことでこうして急激な変化を見せている。
 里珠の問いに獅苑が返したのは柔らかな笑みだった。ひどく優しい視線を向けられていることに気付く。里珠は獅苑を真っ直ぐ見つめたまま目を逸らすことができなかった。
「俺がしたくて勝手にしていることだ。里珠殿は気にすることはない」
 そのとき里珠は初めて気付く。この青年が自分の名を呼ぶときの響きは、何かが違って聞こえるということ。
 獅苑は踊るように鮮やかな動きで飛竜へとまたがった。はたと我に返り、里珠は手に持っていた包みを獅苑に向かって差し出す。突然差し出されたものに獅苑は目を丸くした。
「大したものじゃないけど、お弁当に」
「わざわざ?」
「戻る間に食べてもらおうかと」
「……そうだな。頂いていこう。ありがとう」
 礼の言葉と交換に、里珠の両手から包みが消える。受け取ってもらえたことが嬉しくて里珠はほっとした。
 休憩すら挟まずに魔物を何とかしてくれようとしたことに、何かお礼をしたくて仕方なかったのだ。
 飛竜は音もなく舞い上がり、あっという間に見えなくなった。

改稿版 2020.3.14

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