竜の王国シリーズ

竜珠の守護者たち




 会議用の一室に集まっているのは国王以下三兄弟とその竜珠の姫の五人。
 里珠の傷はすべて治癒済み。獅苑と悠那に両側から睨まれては、里珠も拒むことができなかった。
 魔物はすべて始末済み、『扉』も無事封じられ、ひとまず落着した――しかし、この場の空気は重い。
「問題は――悠那と里珠殿をこれからどうするかだな」
 天眞はため息とともに現状最大の問題を吐きだした。
 今回の方法を使えば魔物はたやすく城内に侵入できることが証明されてしまった。『魔物の巣』を放りこまれでもしたら混乱は必須だ。城の中には魔物から身を守る方法を持たない者も多い。
 実際のところ一番の問題は悠那、ということになるのだが。里珠の場合は武器を持っている限りなす術ないということはないからだ。ただし、竜珠が魔物の存在を知らせるのだから、この二人において不意を突かれるということはない――その目の前に突如現れるのでなければ。
「里珠は……武器を常に持ち歩くようにしていてくれればいい」
 獅苑はそれだけを言った。天眞も桜華も賛同する。たとえ一人で行動して魔物に遭遇したとしても、里珠ならば切り抜けられると判断されたのだ。さほど強くなければ一人で相手できる。誰かを応援に呼ぶとしても武器があれば凌ぐことはできるだろう。
 問題は悠那だ。赤子を連れているとはいえ、元気になったらすぐ外へ出るあたり、魔物と一人で遭遇する可能性は高い。
「悠那は、そうだな。誰かのいるところにいてくれればいい。俺のところでも、誰か兵のいるところでも、里珠殿と一緒にいるのでも構わないから、一人で行動しないようにしてくれれば」
 天眞にしても獅苑にしても伴侶の行動を制限する発言をしないのは、それぞれの性格を承知しているからだ。悠那は魔物の危険もあるというのに周囲の目を盗んで簡単に城外に出るくらいだし、城内に魔物が現れるなら率先して飛び出していきそうなのが里珠である。
 里珠も悠那も素直に頷いた。
 当面の対策として、巡回する兵士に対し、『扉』や『魔物の巣』がないかどうかも警戒するようにという通達を出すことと、神殿で結界について再考することをまとめたところで、部屋の扉が鳴った。

 天眞の応答で扉を開けたのは霞炎だ。その背後にラエルとミーナを伴っている。
「二人を連れてまいりました」
「すまない。ありがとう」
 霞炎に促されて二人は困惑した様子で室内に入ってくる。天眞が二人にさらに奥に来るようにと声をかけると緊張した様子でゆっくり近づいてきた。天眞は姿勢を正すと、兄妹に向かって穏やかに微笑みかける。
「まずは礼を言わせてほしい。君たちのおかげで竜珠も城の者も大事なく済んだ。ありがとう」
 もともとの生まれではないとしても、王に頭を下げられるというのは何とも言えない気分なのかもしれない。里珠から見ても、ラエルとミーナは明らかに狼狽していた。顔を真っ赤にして言葉に詰まっている。辛うじて声を絞り出したラエルは立派だろう。
「い、いえ……必死だったので……」
「報告してくれた兵も褒めていたよ。魔物に遭遇したというのに怯えもせず立派だったと」
「ミーナが俺のところに知らせに来てくれたのも有難かった。それに里珠に槍を届けるためにまた魔物のところに戻ってこれるその心は大したものだ」
 獅苑にまで褒められてすっかり委縮し沈黙した二人を見て、里珠は思わず笑った。おそらく魔物に慣れたのは魔物に出会いっ放しだった旅のせいだろうと思う。しかし、つい自分を基準にしてしまうが、ラエルとミーナのそれぞれの判断と行動は年齢から考えてみれば素晴らしいものかもしれない。
「ラエル、ミーナ。これからも悠那と里珠殿の傍にいてくれると私たちは心強いのだが、どうだろう」
「俺たちはどうしても傍にいて護れないことも多いんだ。竜珠を持つ二人を護ってくれるなら、頼もしい」
 そして続けられたのは、二人に悠那と里珠の部屋まで出入りできるよう許可を与えたい、という提案だった。そうすれば四六時中傍にいることができるし、何かあっても今回のように周囲に危険を知らせることができる。国王と王弟という後ろ盾があれば、周囲に何かを訴えるにしてもその言葉は力を持つはずだ。
 その発言に里珠は驚いた。それはラエルとミーナも、さらに入口に控える霞炎にとっても想像してもないことだったらしい。つまりはこの兄妹を竜族に等しいと見なすということだ。
「――それは、ずいぶんと異例のことと思うのですが」
 二人は竜族ではなく、もとより竜の王国の人間ではない。しかもまだ庇護されねばならない年齢である。霞炎があえて言葉を差し挟むのも無理のないことだった。里珠自身は、祖父と父の思惑なのか十にならないうちに武器の振るい方を覚えていたから、この場合参考にできない。
 異国からの客人に城の最深部に入る許可まで与え、もっとも重要な人物である竜珠の姫を任せる――。
 それは、二人を竜珠の守護のために利用するということでもある。兄妹たちが里珠や悠那の傍にいることを望んでいるからうまくいくが、今後魔物と遭遇する危険性が高くなるということでもある。そして場合によっては竜珠を護るために切り捨てられる可能性もあるのだ。
 同時に竜の王国の機密事項を異国人に知らせるということでもある。
 天眞は複雑そうな笑顔を見せた。
「そうだな。二人を竜族のしがらみに巻き込み、あまつさえ利用するということだ。けれど、二人とも悠那と里珠殿を守るべき者として振舞ってくれている。その心は竜族に等しいものだ。それを認めたいと思う」
 ラエルとミーナはお互いに顔を見合わせる。何かを決意したように二人手をつなぎ、まっすぐ天眞に視線を向けた。
「もし、僕たちが里珠たちの傍にいて、今日みたいなことをしたら……それはこの国のお役に立つことですか?」
「ああ、私たちにとっても、竜族にとっても、とても有難いものだ」
 そうして、二人はにっこりと笑う。その瞬間、兄妹は竜の王国内で確固たる立ち位置を得た。
「じゃあ――これからもそうします」




 魔物の侵入があった日以降、王城内は騒がしくなった。見回りをする兵士たちは増え、その警戒する雰囲気は重々しい。仕える女官たちの表情も不安めいている。里珠たちの周囲も警備が増えてなかなか羽を伸ばしにくくなった。
 それでも、良いこともある。里珠や悠那の私室まで出入りすることを許可されたラエルとミーナはにわかに活気づいて生き生きと駆け回っているらしい。竜族の最たる秘密が漏れるという懸念もあるのだが、当の本人たちが竜珠の姫たちに完全に懐いているのでさほど攻撃されることもないようだ。
 しかし、ラエルが自ら剣を習いたいと獅苑に申し出、また桜華によりミーナに魔術の才があることを見いだされて以降、意外と兄妹と一緒に過ごす時間が減っている。一人でいないように、武器を持つように、というお達しから、里珠と悠那が二人で時間を過ごすことが多くなっていた。

「えぇ? ――ラエルがですか?」
 お茶を淹れながら、里珠は獅苑の言葉に驚いてその手を止める。すっかり日課になっている獅苑の夜の訪ないでよく挙がる話題は、剣術を習い始めたラエルのことだった。面白がって獅苑も時々覗きに行っているらしい。
「俺から比べれば習い始めた時期が遅いが、筋がいいらしいぞ。詠真(えいしん)殿の再来――とまではいかないが良い剣士になれるだろうと言われていた」
「わぁ、そうなんですか」
 よし、今度こっそり見に行ってみよう――と里珠は決意を新たにする。里珠が稽古する時間を避けているようで、未だにラエルが剣を握っている姿に出くわさないのだ。
「ミーナも頑張って魔術の練習をしているらしいぞ。姉上が機嫌よく話していた」
「二人ともすごいですね」
 そんなに頑張っているのでは里珠や悠那の傍にいる時間が減るのも仕方ないかもしれない。竜の王国に来てからほとんど一緒に過ごしていただけに、ずいぶん変わったな、と思う。
「少し寂しそうだな」
「それはまあ、やっぱり」
 母親、では言いすぎにしても姉くらいの気持ちではいた。獅苑に含みのある笑みを向けられて里珠は苦笑する。


 夜眠る前のほんのひとときの時間。里珠が入れたお茶を飲みながら、他愛もないことを話したり、その日の講義でわからないことを聞いてみたり。最近は忙しさに拍車がかかったらしく、部屋の扉が鳴らされる時刻も遅くなり、里珠がお茶を入れている間に獅苑がわずかに居眠りしていることも増えてきた。
 疲れているのに毎日の訪問を欠かさずしてくれることが嬉しくて、それでもその時間が終わるときは少しもの寂しい。目前に迫っている婚姻の儀が終わったら、何か変わっていくだろうか、それとも今までと変わりない日々が続くだろうか。
 けれど、ここ数日ひとつだけ少し変化したこともある。
「そろそろ戻るか」
 獅苑のその言葉を合図にして、楽しい時間が終わる。里珠は必ず扉のところまで見送りに出るが、そのとき、必ず。
「里珠」
 呼ばれて軽く引き寄せられる。触れられるのは少し緊張するが、こうして抱きしめられるのはとても幸せだ。温かい気分になって、竜珠にも力が満たされていく気がする。それが里珠の錯覚なのか、本当なのかはわからないけれど。
 そうして獅苑の鼓動を聞きながら額に口づけを落とされるのが毎夜儀式のように繰り返される。それはきっと婚姻の儀を終えるまで続くのだろう。色々愚痴を言うことも多いけれど、基本的に獅苑は周囲の言うことを律義に守っているから。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 そのぬくもりが離れる刹那、眠る前の挨拶とともに向けられる笑顔に、里珠はいつも泣きたくなるほど心が震える。


 婚姻の儀まで、あと少し。


2009.12.21

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