聖剣3 カップリングなし

初めてのバレンタイン




 駒がチェス盤をたたく軽い音の後に、思い出したようなアンジェラの声が聞こえた。
「ねえ、そういえばホークアイはどこに行ったの? 姿を見かけないけど」
 デュランが本から顔を上げ声の主の方へ目を向けると、アンジェラがソファから振り返りこちらを見つめている。その向こうにチェス盤があり、そのさらに向こうにはソファに座るリースが同じようにこちらに顔を向けていた。
「あいつなら、買い出し。欲しいものがあるから、ついで行ってくるって。ケヴィンもシャルロットもそっちについてった」
「あー、道理で静かだと思った。あの二人もずいぶん前から見かけないものね」
 ひとり納得した様子で、アンジェラは姿勢を元に戻しデュランに背を向けると、さっさとゲームに戻ってしまう。応じてデュランも本に視線を戻して物語の続きを読み始める。


「うーん……、よし、ここならどう?」
「……はい、チェックメイトです」
「えっ? あっ、あーっ! ……ほんと、リースってばチェスとなると強いわよねぇ」
 背後に響く二人の声。どうやらゲームはリースの圧勝で終わったようだ。しばらくすると駒を片付ける音が聞こえてきて、チェスはお開きになったらしい。
「お茶、入れなおしましょうか」
「あ、あたしは今度ミルクティーでお願い」
「はい。デュランはどうします?」
 ふと声の向けられる方向が変わり自分に向かって投げかけられた言葉に、デュランは再び顔を上げた。
「俺にも頼む」
「わかりました」
 言葉少なく頼むと、リースはデュランの横の小さなテーブルに歩み寄り、空になったカップを取り上げる。砂糖をどれくらいとか、ミルクは入れるのかとは訊いてこない。彼女は仲間たちの嗜好をすべて把握していて、それに合わせてお茶やお茶請けを用意するからだ。
「でも、三人とも遅くありませんか? ずいぶん買出しに時間がかかってるんですね」
「ホークアイもいろいろ欲しいものがあるって言ってたからな。何でも揃うのはここだけだし、まとめて全部買ってくるつもりじゃないのか」
 荷物持ちもいるしな、と同行者二人を思い浮かべながらデュランはリースに答える。
 旅の間に必要なもの、武器の手入れに必要なもの、その他の日用的なもの……それらをまとめて手に入れるには、商業都市マイアが一番楽である。この街で扱われていないものはまずないといっていい。
 他の町で買出しするとどうしても不備が生じるため、フラミーに乗って旅をするようになってから、休息をマイアでとることが多くなった。今回も神獣を一匹倒したあとマイアに腰を落ち着けたのだった。
 ホークアイは小道具を使って戦うことが多いから、それらの補充や手入れの道具を捜しに行ったのだろう。ケヴィンやシャルロットが珍しく彼について行ったのも店の売り物の物珍しさのせいだと思う。
 デュランの言葉にリースは頷き、じゃあ三人の分は後からでもいいですね……と呟いたところで、にわかに外の玄関先が騒がしくなった。ただいまと帰宅を告げる賑やかな声が三人分。
 あまりのタイミングの良さにデュランとリースは顔を見合わせて苦笑した。これで彼女が入れなければならないお茶は六人分になったわけだ。


 扉が開いて、荷物をそれぞれ抱えた三人組が賑やかに入ってくる。そのままチェスを片付けたばかりのテーブルに勢いよく荷物を投げ出した。
「いや、さすがに一度に買ってくるのは大変だな。二人がついてきてくれて助かったよ」
「ホークアイしゃんたらひどいんでちよ。こーんなか弱い乙女にこんなでっかい荷物を持たせるんでちから!」
 疲れ切ってソファにへたり込み文句を言うシャルロットを横目に、荷物のところへ歩み寄ったデュランは袋の中身を簡単に確認する。頼んだものがひとつ無いことに気がついた。しかし、疑問を口にする前にすかさずホークアイから答が返ってくる。
「あ、お前に頼まれたあれ、今品切れだってさ。明日あたりにはまた入るからそのときまた来てくれってよ」
「そうか、わかった」
 デュランが頷くと、ホークアイは思い出したように尋ねてきた。
「そういや、デュランはフォルセナ出身だからわかるのかね」
「何を?」
 その場に立ち尽くし、デュランはソファに座るホークアイを見返す。唐突な質問に頭の中に浮かぶのは疑問符だ。間の抜けた視線を返され、ホークアイは袋から床へ転がった皮袋を拾い上げながら言葉を続けた。
「そこら中でバレンタインセールとか言ってさ、チョコレートがやけにたくさん売られてたんだよ。おかげでケヴィンとシャルロットを引っ張るのが大変でね―――なんか特別な意味でもあるのか?」


 デュランは不思議そうな顔をしているホークアイを見て固まった。
 バレンタイン。確かに日付を確認すると後二、三日ほどで当日だ。
 娘が好きな男へ、あるいは伴侶へ、はたまた親しく世話になっている男性へ、チョコレートを贈る日。特別な人へであれば、特別な想いが込められることもある。
 デュランが認識しているバレンタインとは、これである。
 ごく当たり前だと思っていたのだけれど、まさか。知らない?
「バレンタインって、あれでしょ。一族から反対された男女を祝福した聖者、恋人たちの守護者から名前をとった日、ってやつ」
 デュランが答えられないでいるうちに横からアンジェラが口を差し挟む。それに頷きで応じたのはシャルロットだ。さすがに光の神殿にいれば、そういった話には詳しくなるだろう。
「そうでち。その日に女神の下に誓いをあげると二人の絆はさらに深まるって、ウェンデルでは言われてるでち。今頃光の神殿は恋人同士とか夫婦だらけでちよ」
 その光景を思い出しでもしたのか、シャルロットは深々とため息をついた。
「へえ、そうなの。うちのあたりじゃ相手に感謝の気持ちとか心を込めたカードを贈りあうのよ。たまに贈り物がついたりするけど」
 二人の話を聞くだけで、ウェンデルにもアルテナにもデュランの知っている風習は無いということがわかる。ホークアイがわからないのも当然なのかもしれない。
「砂漠の方にはそういう風習ってないの?」
「聞いたことないな。バレンタインって言葉もさっき街中で初めて見たくらいだし」
「ふうん、場所によってまるっきり違うのね。ケヴィンは……獣人にはないか、そういう風習」
 アンジェラがケヴィンに視線を向けると、ケヴィンは困ったように首を振った。獣人の文化は人間のものとはまた違う。彼にしてみれば、今展開されている話題についていくこと自体が難しいかもしれない。
 扉が開いて、六人分のカップとお茶を持ったリースが入ってくる。テーブルは散らかったままで盆を置くような余地はどこにもない。デュランたちは一時話を止め、大慌てでテーブルの片付けに取り掛かった。


 テーブルの真ん中に広げられたクッキーやビスケットといったたくさんのお茶請けに、いい匂いを運ぶ紅茶。お茶の用意が終わったところで六人はテーブルを囲んで座り、再び先ほどの話題に戻ったのだった。
 早速クッキーをつまみながら、アンジェラがリースに話を振る。
「リースのところは、バレンタインには何をするの?」
「バレンタイン?」
 五人全員の視線を受け、リースは目を瞬かせた。彼女は何も話を聞いていなかったのだから、無理もないだろう。
「リースがいないときに、そういう話になったのよ」
「そうですね……ローラント全部かどうかはわからないですけど、麓の街の方では男の人から女の人に花とかキャンディを贈るらしいです」
 ローラント城は女ばかりだからあまり関係ないですけどね、とリースは笑った。守護神の護り手たるアマゾネスの守るローラント。女所帯の城では、恋人たちの行事を直接目にする機会は少ないだろう。
「ローラントは男から女に贈るのかあ。女の人からは何もないわけ?」
「うーん、そうですねぇ、あまり聞いたことはないですね」
 面白いね、とアンジェラは言った。まったく生まれの違う六人。同じ世界に住みながら、とある一日の意味づけさえそれぞれの場所でまったく違う。
 ウェンデルでは伴侶同士が互いの絆を深め祝福する日。
 アルテナでは想いあう男女が互いの想いを確かめる日。
 ローラントでは男性が伴侶たる女性へ感謝の気持ちと想いを捧げる日。
 ナバールや獣人の国ではそもそもその日に特別な意味を求めてはいなくて。
 同じマナの女神を奉りながらもこれだけ違う。だからこそ、互いに文化の違う者同士、争ったりできるのだろう。そして、逆に互いに違うからこそ絆を結ぶこともできる。
 そして、フォルセナにおいてこの日の意味づけは―――。


「じゃあ、デュランのところは?」
 紅茶を一口のみ満足した表情のアンジェラがこちらを向いて尋ねてきた。他の面々も興味津々の様子だ。それぞれの国の中でバレンタインの風習について話していないのはデュランだけだから。
 五人の視線を受け、デュランはひとつため息をつくとゆっくりと口を開いた。といっても、彼自身はその風習に強く縁があったわけではないから、説明し辛い部分もあったのだが。
「フォルセナじゃ、バレンタインには女から男に贈り物をして心を伝える風習があるんだ。特に何をって決まってるわけじゃないらしいんだが、たいていはチョコレートを贈ることが多い」
 デュランはそこで一端言葉を切る。次をなんと説明しようかと考えたところで、優雅な動作でクッキーをつまむアンジェラから茶々が入った。
「ローラントもそうだけど、一方からだけなの? 男からは何もないわけ?」
「いや、男から女に返す日は別にある。……で、これがたぶん他の国と違うところだと思うんだが、チョコレートを渡す相手が恋人や好きな相手だけとは限らない」
 え、と女性陣が目を大きく見開く。ホークアイは表情を変えずにデュランの話を聞いていて、ケヴィンは眉間に皺を寄せてなんとか人間の文化を理解しようとしている様子だ。
「普段から世話になっている人だとか、付き合いのある男友達にも贈る場合もあるな。だから一人が何人にも贈る場合があるし、もちろん男の側も複数もらう場合があるわけで……」
「それであんだけ街でチョコレートが売られている、とそういうわけだ」
 なるほど、と納得した様子でホークアイは身を乗り出してテーブルの皿からクッキーを掻っ攫った。
「ふぅん、恋人たちの守護者の日なのに、フォルセナじゃあずいぶん簡単な意味になってるのね」
 アンジェラが首を捻っているその横ではリースが苦笑している。
「まあ、チョコレートを贈って気持ちを伝えようと言い出したのはマイア商工会の面々だっていう噂も巷にはあるんだがな」
「商魂たくましい人たちでちねえ……」
 シャルロットが憮然として呟いた。ウェンデルにとってバレンタインにおける恋人同士の誓いと祝福は神聖なものであるから、俗っぽいものが混じるフォルセナのバレンタインは理解しかねるのかもしれない。


「やあ、でもそういう風習も悪くはないねぇ。もてる男ならたくさんもらえるってことだもんな、つまりは」
 ホークアイが楽しそうに笑うと、その向かいのリースがさりげなく冷たい視線を送る。
「あら、じゃあ旅が終わったらホークアイが始めたらいかがですか」
「そいつもいいね。けど、砂漠にチョコレートじゃ無理だな」
 にへらと笑うホークアイに、対面する女性陣の目は冷たい。
「ホークアイ、あんた下心見え見えよ」
「いったい何考えてるかまるわかりでちね」
 デュランも呆れてホークアイを見た。仲間―――特に女性への気配りの行き届いた彼ならば、確かにもてるだろうし、女友達も多いかもしれない。フォルセナの風習にのっとればチョコレートを多くもらえるタイプの人間だろう。
 ふとデュランは口を開く。何故だか無性に意地悪なことを言ってみたくなった。ホークアイなら毛ほどにも感じないだろうという気は多少したのだが。
「……ちなみに、男の方にはもらったものの倍返しという伝統もあるんだが」
「倍返し? つまり女の子からもらったもの以上のものをあげるってこと?」
「そう」
「あはは、フォルセナの男の人ってタイヘンなのね」
 ホークアイの表情が動くより先に反応したのはアンジェラだ。瞳には楽しそうな輝きが宿り何か良からぬことを考えているような気配がする。
 なんとなく嫌な予感がかすめたデュランの視界の中で、アンジェラが隣のリースを肘で小突いた。
「ねえ、リース。せっかくマイアにいるんだから、フォルセナ式バレンタイン、やってみない?」
「チョコレートのプレゼントですか?」
「そう。リースだけじゃなくて、シャルロットも一緒にさ。ずっと旅してる仲間なんだし、たまにはいいでしょ。火の番をしてくれる男性陣を労ったって」
 アンジェラは意味ありげな笑みを彼女らに向ける。一瞬の間のあと、リースはにっこりと笑って応えた。
「そうですね。いつも頑張ってもらってますから。シャルロットはどう思います?」
 言葉以外のものを介して、三人の間で何かが成立したような気がする。間をおかず、シャルロットからも肯定の頷きが返った。
「……というわけで、何がいいですか?」


 リースは微笑みを浮かべてホークアイに向かって問いかける。ん?と要領を得ない様子でホークアイは目を瞬かせた。
「ケーキとか、クッキーとか、チョコレートそのままがいいとか、あるじゃないですか。何か希望はありますか?」
「へえ、こっちの希望も聞いてもらえるの?」
 至れり尽くせりだね、とホークアイはにこやかに笑う。が、その目は何かを見透かすように輝いていて、ホークアイはリースの質問にはすぐに答えずにケヴィンに顔を向けた。
「ケヴィンは何がいい?」
「え、え……と、オイラなんでもいい」
 ケヴィンは困った様子でそう答えた。まあ、予想できる答ではある。
「じゃあ、次はデュランだな。お前の希望は?」
「俺は甘すぎなければなんでも」
「チョコレートはたいてい甘いものだと思うんでちけど……」
 間髪いれずにシャルロットの突込みが入ったが、さりげなく無視しておくことにする。二人の答を聞いたところでホークアイはおもむろに女性陣を見返した。
「俺はなんとなくケーキが食べたいな。これでいいかい?」
「ええ、じゃあバレンタインにはチョコレートケーキを作りますね」
「三人でとびきり美味しいの作るから、待ってなさいよ」
「シャルたちに任せるでちよう」
 贈り物が決まったところで、三人娘はとびきりの笑顔で応じる。先ほどの嫌な予感がなければ見とれてもいいくらいだったのだが。
 余韻も消えないうちにアンジェラの弾んだ声がデュランの思考を遮る。
「で、フォルセナ式バレンタインなんだから、もちろん男性陣からお返しはあるわよね?」
 アンジェラは心の底から楽しそうな表情で笑った。隣でリースも同じように微笑んでいる。
「お返しは倍返し、でしたよね?」
 彼女の口から出たとどめの一言は、デュランの予想通りだった。つまりはそういうことなのだ。


「……やっぱりな」
 彼女たちへの答の代わりに、デュランはひとつため息をついた。ホークアイはソファの背もたれに腕を絡めながら苦笑する。
「まあ、なんとなく予想はついたけど。どう考えても女のコに有利な条件でしょ、その倍返しってのは」
「???」
 未だに状況を呑み込めずにいるケヴィンの肩をホークアイがぽんと叩く。
「まあ、つまりだ、ケヴィン。三人が俺たちに美味しいケーキを作ってくれるから、俺たちはそれにお返しをしなくちゃならない。それもとびきりのお返しを。そういうことだよ」
 色々な要素を取り去って、ごく細かく噛み砕くとそういうことになるだろう。瞬時に理解したとみえて、ケヴィンの目がきらきらと輝き出す。
「そうか、そういうことか。うん、オイラ、頑張ってお返し、する」
 嬉しいことしてくれる人にお礼言うの、当たり前だもんな―――とケヴィンは言った。彼にとって、美味しい料理なりお菓子を作ってもらえることはとても嬉しいことになるのだろう。
 言われてみれば、そういうふうに考えてみるのも、悪くはないのかもしれない。
 そこに込められるものが悪意でなく、そして過ぎた好意でなければ、贈り物をされるのは素直に嬉しいものだ。そんな気持ちにさせてくれたことに対するお礼なら、ごく普通に生まれてくる。
 ……今の問題は、それが「倍」にならなければいけないということなのだけれど。
 どんなケーキを作るのか早速談義を始めた女性陣を視界の隅に入れながら、デュランはふと思った。
 こうして彼女たちが楽しんで作るチョコレートケーキは絶対に美味しいものになるに違いない。そしてそれを囲む時間もとても楽しいものになるはず。
 悪くないと思うのは、そうして六人で過ごす時間をデュランが気に入っているからだ。
 一ヵ月後にホークアイとケヴィンとで「お返し」を考えるのも楽しいかもしれない。それは彼女たちを楽しませるものになると思うから。
 三人で頭を悩ます姿も容易に想像できたのだけれど、デュランは口元に笑みを浮かべて皿に残っていたクッキーに手を伸ばした。


 Have a nice time! 


後日談はこちら


END
2005.2.10


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