ローラントをナバールの手から解放した後、アンジェラたち三人は、英雄王のもとへ戻るため、パロから船に乗り込んだ。
二日もしないうちにマイアにたどり着く……はずだったのだが。
マイアにたどり着かないどころか、朝にもならなかった。
三人が乗った船は、幽霊船だったのである。
脱出する方法を探して、船の中を捜し回っていた折、ひょんなことで、アンジェラが幽霊になってしまった。
彼女を元に戻すために、デュランとリースは再び船内を探索することになったのだが……。
「いや、しかしまいったな」
フロア最後のモンスターを切り払い、動かないことを確認して、デュランは嘆息した。
攻撃魔法による支援がまったくないのは痛い。
旅の間に、デュランとリースが前線に立ち、アンジェラが後方から魔法で攻撃するという戦い方が定着していただけに、一人欠けている状態はかなりの不利だった。
「早く、アンジェラの呪いを解く方法を捜さないといけませんね」
「そうだな。……けど、どうすりゃいいんだ?」
「……そういえば、さっきは入れなかった扉がありましたけど、あそこに何か手がかりがないでしょうか?」
「そういえば入れないところがあったな。よし、そこに行ってみよう」
二人は気を取り直し、三人で探索していたときには入れなかった扉へと向かった。
デュランの斜め後ろを歩きながら、リースはふと思う。
早くアンジェラを助けなければ。フェアリーの宿主は彼女。マナの聖剣を抜ける唯一の者。アンジェラが元に戻らなければ旅が進まない。
しかし。
心のどこかで、この時間が、デュランと二人だけの時間が、少しでも長く続くことを願っていた。
(私、なんてことを考えているのかしら……)
仲間が助からないことを望むなんて。こんな願い、許されるのだろうか―――?
三人でいたときは不思議な力に押し飛ばされ、どうしても入ることのできなかった扉は、何事もなく二人を受け入れた。
扉の先は、前のフロアよりも更に暗く闇に沈んでいる。光源は窓から入るわずかな月明りと所々にある弱々しいロウソクの炎だけ。
しかし、二人は扉の先に一歩足を踏み入れて、そこがこれまでとは比較にならないほどモンスターがひしめいていることに気付いた。
肌に感じるほどの害意。身体の奥まで貫き通すような嫌な空気だ。
しかし、仲間を取り戻すには、―――進むしかない。
「行くぞ、リース」
「ええ」
こんな非常事態なのに、アンジェラを助けるために必死になるデュランを見ているのが辛い。
一瞬リースの脳裏をよぎった思考は、だが次の瞬間にはかき消えていた。二人が進み出して数秒もしないうちに、モンスターが殺到してきたのだ。
何を考える間もなく、二人は愛用の武器を抜きはなって、モンスターの中へ飛び込んでいった。
見る間もなく二人は傷だらけになる。モンスターを一匹倒すごとに傷が増えていく。ただ傷付けられるだけならいいのだが、毒を受ければ、血と一緒に体力も流すことになる。
廊下を駆け抜けるごとく強行突破したため、デュランとリースが甲板への出口である階段下にたどり着いたときには、二人はすっかりぼろぼろになっていた。
「リース、怪我は大丈夫か?」
「貴方のほうがひどいですよ、デュラン」
会話も必然的に息が荒くなる。確かにデュランの方が傷はひどいようだった。戦った数はおそらく同じ位なのだろうが、武器の間合いがリースの槍より短いせいか毒爪を何回もくらう羽目になったのだ。
残り少ない回復アイテムを温存しておく為に、デュランは回復魔法を唱え始めた。リースはそれを黙って見ていたのだが……。
そのとき、リースはどこからかわずかな音がするのを聞いた。
遠くから聞こえる波音、船のきしむ音、不気味な鳴き声。そのわずかな狭間から、それは聞こえてきたのだ。
しかし、気付いたときには遅かった。
音の正体を求めてリースが首を巡らせたとき、彼女が後ろに見たものは、尋常でない速度で肉迫してくる魔物だった。
槍を構えても、間に合わない!
―――だが、彼女は魔物の爪によって引き裂かれることはなかった。
横合いから手が伸びて、リースを抱え込むようにしてデュランがその背でその爪を受けたからだった。
リースの瞳に映ったのは、冷たく光沢を放つ白い爪と、それを染めるデュランの鮮血。
「……デュランっ!」
想像もしなかった自分の悲鳴を、リースは聞いた。その瞳の中に血の赤が焼き付く。
自分が早く気付いていれば、周囲への注意を怠っていなければ。
今まで抱いたこともない怒気が全身を貫いた。もしかしたら、槍を振り回して、全力で突進していたかもしれない。
持っていた武器に力を込める腕をやんわりと抑える、その手の温もりが無ければ。
「大丈夫だ、リース」
言うが早いか、デュランは体勢を立て直し、魔物に向かって駆け出した。すでに手には愛用の剣が握られている。
「でやああああっ!」
気合い一閃で魔物に切りかかる。一瞬のうちに刃が二度翻って、魔物の息の根を止める。床に倒れ伏した魔物は闇に沈み見えなくなった。
さすがに限界が来たのか、デュランはその場にしゃがみ込む。
あまりの無茶に文句の一言でも言ってやろうとリースが駆け寄り顔をのぞき込もうとすると、その腕を突然デュランにつかまれた。
「……デュラン?」
行動が理解できず、いぶかしげな表情を向けるリースを無視して、デュランは回復魔法を唱え始める。しばらくすると、右手にほんのり明るい光が現れ、暗闇の中二人を浮き上がらせた。
その光は瞬く間にリースの中に吸い込まれる。温かさが身体の中へしみ込んでいくにつれ、痛みは和らぎ、傷は塞がっていく。光が完全に消え、再び二人の姿が暗闇に沈む頃には、リースの怪我はわずかな傷を残すだけになっていた。
再び魔法を唱えようとするデュランをリースは制した。
「これ位の傷なら平気です」
「傷跡なんか残すなよ」
だが、デュランは聞き入れなかった。
結局リースの傷はデュランの回復魔法によりついたことも分からないほどに癒された。
「どうして私をかばったりなんかしたんですか?」
新めて魔法を唱え出そうとしたデュランにリースは尋ねる。しかし、帰ってきたのは気のなく、しかも言葉も少ない答えだった。
「……別に。身体が勝手に動いたんだから、仕方ないだろ」
「よくありません。怪我は貴方の方がひどかったんですよ!?」
「たいしたことないって」
「どこがですかっ!」
軽くかわすデュランに食い下がるリース。そのまましばらく押し問答が続くかと見えたが、ついにデュランの方が業を煮やした。
「あーもう、だからっ! 俺にはこれくらいしか能がないんだから、こんなときくらい護らせろよっ!」
叫んでおいてそっぽを向いてしまう。だが、リースは見た。
そっぽを向く瞬間、デュランの顔が赤かったのを。おそらく今も耳まで赤い。
始めは何を言われているのか分からなくて。
徐々にその言葉が染み込んでいって、心の中に温かさが広がっていって。
その余韻すら消え去る頃、リースは口元を押さえてくすくす笑い出した。
(女神様、……夢、じゃありませんよね?)
「なぁに、笑ってんだよ」
なんだかすねた様子のデュランに、まだ笑いながらリースは荷物からはちみつドリンクを取り出して手渡した。
「?」
「これ、私のですけど使ってください。私にだって、これくらいはできますから」
そう、魔法は使えないけれど、傷だらけの貴方に、持っている回復アイテムを渡すくらいは。
はちみつドリンクのおかげですっかり回復したデュランと、その光景を幸せそうに眺めていたリースは、しっかり休養もとったことだし、と先に進むことにした。
「きっと今頃フェアリー相手に愚痴こぼしてるに違いないぜ」
デュランのその言葉に、フェアリー相手に延々文句を言い続けるアンジェラが今目の前にいるかのようにまざまざと浮かび上がり、リースは苦笑した。「そうですね」
その扉の先、甲板は更に濃い闇の中。
(信じてもいいんですね、今日の言葉。……きっと、一生忘れませんから)
けれど、傍で光が煌めく限り、闇を恐れること―――闇に負けることは、決してない。
END
2001.5.14