悠久の絆

章間




 夏を迎えようとする太陽は鮮やかに煌めきまばゆい光を放っている。開け放たれた窓から入り込む風はぬるく心地よい。
 出窓に両肘をついて外を眺めていたミファエルは、背後で響いた扉を閉める音を聞きつけると弾けるように振り返った。少しいらついたような足取りでこちらへ向かってくる自分の片割れを見つめる。

「どうだったの、ノーベラ」
 おずおずと話しかけると、彼女はため息と共に頭を振った。
「だめ、詳しいことはよくわからないわ。とにかく昨日連れてこられたのは重罪人だということだけ」
「重罪?」
 ミファエルが尋ねると、ノーベラは傍にあった椅子を出窓まで引き寄せ、ミファエルの隣に歩み寄った。
「何をしたのかは教えてもらえなかった―――見張りの兵も知らないみたいだけれど。今は地下牢に入れられているみたい」
「地下牢!?」
 双子の妹の言葉にミファエルは思わず目を見開く。一度だけ覗いたことのある、冷え切った石壁を思い出す。眉をしかめるほどの奇妙な臭いはあとでカビの臭いだと知った。寒気を起こすほどの静けさと暗闇。けれど―――。
「今は使われていないのではなかった?」
「ええ。それは間違いないはずよ。地下牢に罪人を入れただなんて聞いたことが無いでしょう」
「それなら、どうして」
 ミファエルが尋ねるとノーベラは肩をすくめた。苦虫を噛み潰したような表情で呟く。
「さあ。当の見張りに訊いてもわからないのだもの。グレイス殿下の命令ですから、この一点張りよ」
 思い当たる節のある固有名詞に、ミファエルもまるっきりノーベラと同じような顔になった。
「兄上……?」
「何か裏で動いているのは間違いないみたいね」
 ノーベラの言葉にミファエルが思い出したのは、あの冬の日の兄の言葉。

『いずれ王位継承権は私がいただくぞ。それまではせいぜい優越感に浸るがいい』
『ルシータから一人の娘が逃げた。誰よりも力の強い<アレクルーサ>を手に入れれば、私が王位継承権を得られるだろう』

 グレイスが何か事を起こすとすれば、あのとき断片的に語られたことしか考えられなかった。ただし、重罪人が牢に入れられることとの関連性は全くわからない。
「一体何なの……」
 忌々しげに呟かれた言葉にミファエルが傍らを見上げると、ノーベラが悔しそうに唇を噛み締めていた。彼女の気持ちはミファエルにはよくわかる。

 ため息をついて窓の外を見たミファエルは不思議なことに気がついた。
「……なんだか、精霊の姿が多くなってきたみたい」
「本当ね……今まで見たことない数」
 ミファエルの声にノーベラも気がついたらしい。驚いた様子で外を眺めている。二人が見ることができるのは精霊の姿だけなのだが、それでもいつもより格段に精霊の数が多い。すぐ傍を森に包まれているとは言え人の多く住み開けたライゼリアではありえない光景だった。
 窓の外を過ぎていく精霊の数は二人の両手の指では到底足りない。素早く飛び去るもの、おたおたとひとところを飛び回るもの、数人でまとまり留まるもの。普段見かけるのは踊るように楽しく飛んでいる様子ばかりなのに、ずいぶんな混乱ぶりだ。
 聞こえはしないけれどざわめきでも聞こえてきそうな光景の中、ひどく慌てた様子で下へ向かおうとする一人の精霊がミファエルたちの方向を見た。
 目が合った、と思ったのは気のせいではない。

 ―――たすけて。

 確かにそう言われた気がした。
「精霊の声!?」
「嘘、どうして!?」
 叫んだ途端言葉が重なり、ミファエルは思わず隣のノーベラと顔を見合わせる。当然の疑問だった。二人とも精霊と会話を交わすことなどできなかったのだから。
 呼びかけてきたであろう精霊は、今や窓の前に留まり二人を見つめている。
「何か……伝えようとしているの?」
 二人が感じ取ったのは、言葉、ではなかった。おそらく会話などできるわけではないだろう。それでも精霊が伝えようとすることはなんとなくわかるような気がする。
 ミファエルはじっと精霊を見つめた。限りなく女性のような姿をした相手は、目の前の二人の姿勢を感じ取ったのだろう、ゆっくりと口を動かし何かを伝えようとする。

 助けて。この下にいる、あの人を助けて。

 それは空気が震えたのか、それとも二人の心に思いが届いたのか。ミファエルには確かにそう聞き取れたのだった。今まで聞くことのできなかった精霊の声を聞けたことは感動に値するが、そんな場合ではないようだ。
 謎かけかと思える内容。
「この下?」
「待って、ノーベラ。地下牢のことではない?」
 ミファエルが迷ったのは一瞬だけだった。先ほど片割れに聞かされた話が脳裏に閃く。
 重罪を犯したものが牢に入れられたという。助けなければならないとすれば、きっとその人ではないのか。
 人々と繋がりを失った精霊が助けようとする者とは一体どのような人物なのだろうとミファエルはふと思う。
「そう……そうね」
 納得のいった様子のノーベラがこちらを見た。彼女が何を思っているか手に取るようにわかる。ミファエルは決意を込めて頷いていた。
「……行きましょう」


初出 2006.12.3


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