時の円環-Reconstruction-


それはすべての始まりか






 ―――この、叶わぬ想い。もし、叶う方法があるのなら。








 果てが霞む広大な平野に鬨の声が響き渡る。
 数人を乗せた戦車と騎馬とが入り乱れ、戦場は混沌としていた。ぶつかり合うふたつの大軍のうちの片方では羽根持つ馬に乗った兵士が空を舞って地上を燃え上がらせ、片方からは地上から天へ向かって無数の矢と巨大な石とが打ち込まれる。
 馬と人とが倒れ伏し、そこを飛び出した騎馬が走り抜けていく。
 両軍がぶつかり合ってからはや幾時間。戦況は五分。このまま長期戦となるかとも思われたが―――。
 天を舞う騎馬の一体から、地上へ一筋の矢が放たれ。
 戦場を一条の光が貫いた。



「そうか、そういうことか……」
 ただ一言呟き、彼は空駆ける馬に跨ったまま、呆然と自分の手のひらを見つめていた。



 彼の足元では、勝利を祝う歓声が轟き、果てない草原を揺るがしている。
 それに追われる様に、はるか彼方では今しがたまで彼の属する軍と争っていた部族の軍勢が大慌てで撤退していくところだった。
 何度も戦場の舞台となった平野はすっかり荒れ果て、荒涼とした大地が広がっている。踏み荒らされ焼き払われ、ようやく芽吹き始めた緑は再び灰と化していた。辺りには役目を果たし終えた武具の数々が討ち捨てられ、命を落とした兵が累々と横たわっている。
 すでに後方支援の法術士たちにより治療が始まっているから、放置されてしまった人々は彼の軍に属するものではない。要を失い退却した相手軍に救われることなかった者たち。自軍の治療が一段落すると法術士たちはすべての終わった戦地へと赴き遺された敵軍へ癒しと弔いを与える。そして、生き残った者は捕虜として囚われるのだ。



 だが、自分の手を凝視したままの彼には地上で繰り広げられる光景も響く音も何も届いてはいなかった。
 しばらくして、彼の口元から静かな忍び笑いがもれてくる。響く声音はどこか自嘲めいていた。



 戦場を横切った光は彼の仕業だった。
 慣れた手つきで弓を絞り呪力を込めて打ち込んだ矢は、狙い過たず敵軍の中で果敢に味方を鼓舞している一人の女性の胸元を貫いたのだ。彼女に達した矢は瞬時に込められた術を解放し、女性はあっという間に倒れ伏した。
 本来、女性一人倒れても戦局に影響はさほどあるまい。だが彼女は、敵軍の要とされる女性だった。彼が聞かされた情報によれば、唯一の後継者たる皇女であり、部族守護の神女だという。
 守り神たる神女を失い、敵軍の統率は呆気なく乱れ―――そして撤退にいたる。
 命を落としたわけではない。
 いつ目覚めるとも知れぬ深い眠りを与えられただけだ。彼の属する部族のみが扱うことのできる高等魔術によって。万が一目覚めが訪れれば再び戦は起こるだろうが、長を失うことで部族の統率が乱れるのなら、しばらくは争いは避けられるだろう。
 この部族とはすでに長い年月何度も戦いを繰り返している。業を煮やした彼の部族の長たちが今回の戦略を提案し、そして彼が選ばれた。
 期待された通り、彼は見事に目的を達成した―――のだが。
 


 彼は肩を震わせて笑った。もし彼の仲間が気付いていれば怪訝な顔をしていたに違いないが、地上では彼を余所に撤収の準備が始まっており、幸か不幸か誰も気がついていない。
(全部、予定通りというわけだ……)
 皇女が眠りに落ちることも、それを行うのが自分であるということも。
 彼の中にある『記憶』と、つい先ほど目の前で展開した光景が完全に一致した。こうなれば、彼はこれから先起こる未来を大部分予測できることになる。考えてみれば、術を放ったあの瞬間、眼下に見晴かした地上に『彼女』の姿がなかったか。
 すっかり失念していた。『記憶』の中でもとくに重要な部分は戦場であることが多かったから、細心の注意を払っていたつもりだったのに。
 まさか自分の起こした行動がこの結果に繋がるとは思いもしなかった。
 自分の中に刻み付けられているもの、それを丹念に手繰っていけば凡そ予測はついたはずだ。それなのに、行動を起こす前の彼はまったくその結論に達することができなかったのだ。
 誰かの手のひらの上で踊るように、結局はすべて既に用意されているということか。
「……!」
 ひとしきり笑った後、彼は虚空をぎろりと睨みつけた。その脳裏にあるのは、ずっと彼を苛み続ける『記憶』だ。
 彼が生まれ来た理由と存在する理由を、否応なく目の前に突きつけてくる残酷なもの。
 そして、彼の未来をある一定の方向へ引きずり込むものだった。
(歪みは……正されなければならない)
 自分の未来が決まっているということ、そうしなければ自分は存在できないこと。それが既に歪みなのだ。自分の存在と引き換えてでも、是正されなければならない忌まわしきもの。
 それが自分が存在するために必要だったとしても、そもそも自分が存在していることが間違いなのだ。
 自分は最後まで抗い続けるだろう。そして、必ず勝ってみせる。
 彼は吐き捨てるように呟いた。
「こんな馬鹿げた茶番……必ず終わらせる」






 もし、叶う方法があるのなら―――。




2007.11.25


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