時の円環-Reconstruction-




 次の日。鈴麗は今までと変わることなく王城へと上り、いつものように芳姫のところへ参上していた。
 佳人が眠り続けるのは私室ではなく廟。ただ眠り続ける芳姫を救うために鈴麗たちの他、医師や学者、数少ない術士たちがここへ上がりあらゆる手を尽くしている。
 が、この一月何の進展も見られない。
 廟の扉を静かに開けるとひんやりとした空気が外へ零れてくる。できるだけ部屋を冷やし身体を冷やすといいという誰かの提案で、夏を待つばかりの頃とは思えないほどに室内は冷やされている。
 入り口で一礼してから、鈴麗はそっと中へ滑り込んで扉を閉めた。日々大変な労力を費やして切り出される氷が部屋のあちこちに置かれているのだ。温かい外気はできる限りいれない方が良い。
「芳姫様。鈴麗が参りました」
 廟内の中央に置かれる祭壇にも似た寝台の上で、その人は静かに横たわっていた。その瞳は固く閉ざされ、この一月一度も優しく微笑んだことはない。顔は明かりを落とされているせいではなく青白く、頬はこけ、華奢だった腕はさらに細くなっている。あらゆる努力を尽くしても、彼女が弱っていくのを誰も止められないのだ。
 その姿があまりに痛ましく、鈴麗は表情を歪める。
 毎日毎日変わっていくその姿を見ているからこそ、鈴麗は焦らざるを得ないのだ。
 もう、限界なのではないかとさえ、思う。たったこれだけの時間でこんなに変わってしまう。それなのに何ひとつ方法が見つからない、手がかりさえもつかめない。
(誰にも、救えないの……?)
 芳姫を眠らせたのは、神族だけが仕える高等魔術。それを知ることが出来るのは鈴麗だけ。
 しかし―――。
 思考は昨夜から堂々巡りを繰り返していて、鈴麗はため息をつくしかなかった。

 かすかな音が反響し、鈴麗は顔を上げる。部屋がわずかに明るくなって、誰かが部屋に入ってきたのだとわかった。
 振り返ると、三つの人影が視界に映る。
「今日も早い出仕のようだな、鈴麗」
 呆れたような笑いを滲ませたような口調で声をかけてきたのは龍炎だった。今日は執務があるのか髪を上げ、朝服を纏っている。後ろに伴っている二人の青年は側仕えの護衛だった。
 鈴麗は芳姫の眠る寝台からわずかに退くと臣下の礼をとった。
 礼を返すと龍炎は静かに進み、芳姫の側へと立つ。その後ろで護衛の青年たちは無言で控えていた。
 ごく普通に芳姫に挨拶をする龍炎の姿。慣れてしまった様子に、きっといつもこうして訪れているのだろうとわかる。
「……返事がないのも、辛いものだな」
 哀しさと空しさとを滲ませて呟かれた言葉に、鈴麗は思わず目を見開いた。
 言葉なく横たわる芳姫と、そこにいつも声をかける龍炎と。
 一月繰り返されてきたに違いない光景。そして芳姫が助からなければ、ずっと続けられていくに違いない。
 ―――だめだ。それだけはなんとしてでも止めなくては。
 二人並んで笑っているあの風景をとり戻したいと思ってきた。そのためになんでもすると決めていた。だから。
(迷っていては駄目なんだ。父さんを、利用するくらいじゃなければ)
 そのくらいの覚悟がなければ、芳姫も龍炎も助けられない。
 しばらく黙って芳姫を見つめ続けた後、龍炎はそのまま身を翻した。
「鈴麗、あまり長居をすると身にこたえる、気をつけなさい」
 そう鈴麗に言い置いて、あっという間に部屋を出て行く。残った青年二人はその後を追うのかと思ったが、鈴麗の傍に寄って来た。

「どうだ、何かいい方法は見つかったか?」
「いいえ、まだ何も」
「そうか……」
 鈴麗が首を振ると、彼らはがっくりした様子で肩を落とした。どうやら他も進展は芳しくないようだ。
「他の連中も何も進展はないそうだ」
「神族の魔術だからな……せめてもう少し研究でもされてればよかったんだろうが」
「鈴麗は何か訊いたりはしてないのか」
 その言葉に反応して、鈴麗はぐっと拳を握り締めた。
「いえ、詳しくは何も……母でも知っているかどうか。魔術が使えるわけでもないですし」
「そうか、神族の娘だからって何でも同じというわけじゃないんだな……」
 青年たちはそれぞれに納得した様子を見せる。互いに頑張ろう、と鈴麗を激励すると彼らも慌しく廟を出て行った。賑やかさが去ると、途端に室内の冷気が身に沁みる。鈴麗は思わず身震いした。
 相変わらず龍炎の言葉は的を射ることばかりだ。仕事ができなくなっては困るので、鈴麗はもう一度芳姫に挨拶をすると廟を出た。
 

「……」
 卓の上に置かれている書籍は数冊のみ。どれもかろうじて神族について断片的に知ることが出来る。そのうちの一冊をめくりながら、鈴麗はぼんやりと文字を眺めていた。
 神々の住まう天界への道。その扉を護るように存在する種族を、神族と呼ぶのだ。
 姿は、人間とたいして変わりない。しかし、神々への道を守護するために、かの種族は強靭な肉体といくらか長い寿命と、そして人間の及ばない強い魔法の力を持つという。神々により戦いのために生み出された種族なのだ。
 そして神族を征することができれば、その力と神々の地へ続く道を手に入れることができる。
 地に生まれた人間の部族はそれを目指し神族へ戦を挑む。―――それが遙か昔からこの大地に争いが絶えない理由。しかし、神族という目標がなくなれば、人間の部族はそのうち互いに目をつけるようになるのだろう。
 鈴麗が手にしている冊子には、過去の神族との戦いの様子が記録されている。その魔法や武器に全く歯が立たず敗北していた時代の。
 見たこともない魔法を使う―――それは間違いない。
 空を駆ける馬に乗り、攻撃を仕掛けてくる―――これも何度かの戦で見た。
 強靭な身体で武器を振るう―――これは、あまりよくわからない。
 五年前の戦と全く変化のない兵士―――寿命のことを言っているのか、これも、ぴんと来ない。本当のことなのかも判別できない。
 鈴麗にはっきりと言えることはこれだけだ。別に、人間と変わりない。ただ高位の魔法を使えるだけだ。互いに、想い合うことができるのだ。その好例を、鈴麗は知っている。
 

 ふっと意識が浮上し、鈴麗は我に返った。ぼうっとしすぎて居眠りをしていたらしい。
 鈴麗は慌てて本を戻し書庫の外に出る。日は緩やかに傾き、ゆっくりと朱色に染まっていくところだった。どうやら閉じ込められる事態は避けられたようだ。
 もう書庫にめぼしい資料はないとわかってはいたが、少し時間を無駄にしたと鈴麗は反省する。
 方法は、ひとつしかないから。
 芳姫にかけられた呪とも思える魔法が何なのか、父である華瑛に聞いてみること。
 母が言ったように教えてもらえるのか、あるいは何か条件を出されるかもしれないけれど。
「よし、帰ろう。約束したしね」
 地平の下へ消えていこうとする太陽を見つめて、鈴麗は伸びをした。予定の時間よりは早いはずだが、折角だから母を手伝うことにしよう。
 そんなこんなで退出し、一目散に家に帰ると今度は目を見開いた光玉に出迎えられた。
「どうしたの、こんな早くに」
「……折角早く帰ってきたのに」
 昨日の今日でそれはあまりの言い草ではないだろうか。鈴麗は思わず拗ねた口調で返してしまった。
「いつも母さんばかり家事をしてるし、たまには手伝おうと思ったの」
「あら、それなら手伝ってもらいましょうね。今日は三人分作らなくちゃいけないから」
 光玉は朗らかな笑顔を見せて厨房へと引っ込む。鈴麗は自室に寄ってから母を追った。
 さすがに三人、さらに増えるのが男となると材料も増える。調理台の上に広がる食材に鈴麗は目を瞠った。腕まくりをした光玉が鈴麗を急かす。
「さ、これを華瑛殿が来るまでに料理しますからね!」
「はーい」
 大人しく従って、鈴麗も母の隣に並ぶ。指示に合わせて野菜の皮を剥いたり切ったりしていると、ふいに光玉が話題を変えた。
「珍しく早かったけれど、決めたの?」
 それは昨夜の話題の続きだろう。鈴麗はちょっとだけ詰まった後、静かに頷いた。
「うん。訊いてみようと思って。教えてもらっても、解けるかどうかはわからないけど」
 自分には、できない。ただ、鳳族の中にいる最高位の術者なら、魔術の理論がわかれば解くことができるかもしれない。もちろん、神族の高位の術者には及ぶべくもない程度の者しか存在しないのだろうけれど。
 ―――ただし、問題は。
 その魔術の理論がどこから出てきたものなのか問われたとき。
 光玉から伝え聞いたことにすれば、何故隠していたのかと母が責められる。
 神族から漏れ聞いたことにすれば、その繋がりを鳳族に狙われる。
「本当に、賭けだけど、ね」
 

 
 すっかり日も落ち、辺りが灯りなしには人の判別が難しくなった頃。
 遠慮がちに、玄関の鈴が鳴らされる。
 既に大きな娘もいるというのに、光玉は恋人を出迎える若い乙女のような上気した顔で玄関へと駆けていく。それをやや呆れ顔で鈴麗は見送った。
 仕方がない、と思う。
 本当は一緒に暮らすこともできたのに、彼女は鈴麗を伴って自分の部族で生活することを選んだ。争いあう種族同士で許されるはずがなかったから、父と母はこうしてひと目を忍び一月に一度あるかないかの逢瀬を重ねている。
 やがて光玉は玄関から豊かな黒髪の男性を伴ってきた。穏やかな笑みをたたえているが、その瞳の光は強い。鈴麗の髪とその瞳は父譲りだと、いつも母に褒められた。こうして向き合うと、そうなのだとあらためて思う。
「こんばんは、久しぶりだね、鈴麗」
「久しぶり、父さん」
 うっかり敬語が出そうになるのを堪えて、鈴麗は一月半ぶりに挨拶した。娘の言葉に、彼は嬉しそうに笑顔をほころばせる。
 この人が、鈴麗の父―――神族の華瑛、だ。
 何が違うのだろう、と思う。見た目だって、鳳族や他の部族と変わりない。一体何が、神族と人間を分けているのだろう。そして、それなら鈴麗は神族なのか人間なのか。 
 鈴麗たちは湯気を立てる器と鍋の並ぶ食卓へと着いた。一月半の空白に耐えかねたのだろう、会話の主導者は主に光玉で、とにかく息をつく暇もなく夫である華瑛に向かって話している。それに時々鈴麗が割って入ったり窘めたりして、華瑛といえばひどく楽しそうに母娘の光景を眺めながら相槌を打っているのだ。
 やっぱり、王宮に上がって仕事をするような娘がいる夫婦には見えない。めったに会うことができないからだろうか、とても若々しい気がする。
 あまり家の外には漏れないように、それでも賑やかに時間は過ぎた。

 いつもだったらわずかな瞬間すら惜しむのに、珍しく母が片づけを一手に引き受けて引っ込んでしまう。部屋には鈴麗と父・華瑛の二人きり。それが光玉が気を遣ってくれたのだと気付く。
 一度深呼吸をして、鈴麗は満足そうに茶を手にする華瑛に声をかけた。
「あのね、父さん」
「うん、なんだい」
 何から話したらいいだろうか。鈴麗の頭の中で、言葉がぐるぐると回る。
「眠りにつかせる魔法をかけられた人を、目覚めさせる方法って、あるのかな」
 鈴麗の言葉に、華瑛はその強い瞳をこちらに向けて瞑目した。わずかに空気が緊張し、鈴麗は息を呑みこむ。
「それは―――鳳族の皇女殿のことかな?」



2007.12.8


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