時の円環-Reconstruction-


11



 初めて会ったとき、確かに龍炎に似ている人だと思った。髪や瞳の色、背の高さ、髪の長さ、そんなわずかな違いだけで、一瞬何故ここにいるのかと驚くほど酷似していた。
 魂が姿をつくるのか、そんなことはさっぱり鈴麗の知るところではないが、神族と鳳族という違いはあるにしても同じ魂を持つ存在なら、ここまで似た姿になってもおかしくはないのだろうか。
 この人が、いずれ鳳族の皇帝――龍炎を討つのだという。けれど、凍冶の話が事実なら、そこで龍炎が討たれるからこそ海苓がここにいる。海苓から転生のことを告げられたからこそ龍炎は神族になるために輪廻を繰り返し、そしてここに戻ってきた。
 それが約束されている未来と過去。
 凍冶が語ったことも断片でしかない。考えれば考えるほど鈴麗の頭は混乱していきそうだった。

(だって、それじゃあ、――運命の伴侶、は……?)
 龍炎と芳姫がどんな立場なのか、鈴麗は王宮に上がった頃からずっと聞かされてきた。
 それは、比翼の魂と呼ばれる対の存在。幾度生まれ変わろうとも、常に運命を共にする二人なのだと。
 初めて出会ったときから、龍炎と芳姫はそういう存在として鈴麗の前に在ったのだ。
 しかし、今目の前にいる人が龍炎の記憶を過去世として持つのなら。
(それなら、芳姫様に当たる人だっていなくちゃおかしい。ああ、でも遠く未来から戻ってきた……? それともやっぱり対の魂というのもないものなの……?)
 父が神族が生まれてくるための輪廻転生の理を説明したときに、すでに鳳族の中で語られる魂についての考えは否定された。それに続いて、対の魂の存在すら否定されようというのだろうか。

 鈴麗はすがりつくように胸の中の書類を抱きしめる。風が吹き抜ける向こう、石畳がまっすぐ伸びる向こう側に立っている海苓がこちらを見る瞳には、やはり冷たい光しかなかった。
「龍炎様の、生まれ変わり……?」
 かろうじてそう呟くと、諦めたように海苓が息を吐く。
「――ああ、そうだ。俺は、『龍炎』が何度も転生を繰り返した上で生まれてきた。この時代に神族として存在するために」
 海苓は凍冶が語った内容をあっさりと認めた。
「本当に……」
 そうなのかと、鈴麗は問う。転生を信じないわけではない。今まで刷り込まれてきた知識がすべて覆されたとしても、理のすべてを否定するわけではない。ただ、生まれ変わりだというなら、なぜ同じ魂が同時に存在できるというのか。

 鈴麗の問いに、海苓はおかしそうに嗤った。
「そうだな、なら、証拠を出してみようか。黄(こう)龍炎、生まれは彩夏(さいか)村。もっとも、すぐに皇女・芳姫の伴侶として選出されているからそこでの生活は知らない。額の傷は五歳のときに木に登った芳姫を助けようとしてできたものだ。左手の黒いあざは、十二歳のときの剣の稽古でできた痕――これは確か話したことがあったはずだな」
 一介の神族でも、将として恐れられた龍炎の名を知らないはずがない。名乗りを上げれば生まれを聞くこともあるか。それでも、体にできた傷やその詳細を知るのは、本人か少なくともごく身近な人物だけだろう。
 積み重ねられていく言葉に、鈴麗は蒼白になる。信じざるを得ない。額の傷にしても手の痣にしても、龍炎と芳姫との他愛ない歓談で聞かされた事実だったからだ。それを明瞭に語ることができるなら、やはり彼は――。
「本物――」
 では、凍冶の語ったことも事実。海苓が、あの石碑の前で告げたことも事実。
 いずれ起こる戦で、龍炎は海苓によって命を落とす。そのときに龍炎は、神族に生まれるための方法を知って、転生を始める。神族に生まれるためにはどれくらいの時間が必要なのだろう――やがて目的通り神族になった龍炎は、どうにかして時間の流れをさかのぼってきて、ここで海苓として生まれてきた。そういうことになる。
 いったい何のために。だが、その目的も凍冶は話していたではないか。
 つまり、鈴麗に神族として出逢うために?
(でも、あのとき言った)
 運命になんて従ってやるつもりはないと、海苓ははっきり言ったのだ。

 呆然として鈴麗は海苓を見つめたが、海苓は冷えたような視線を向けたまま変わりなかった。
「人は俺のことを敬うが、望んでこんな風に生まれたわけじゃない。生まれた時からすべてが定まっているなど、馬鹿げていると思わないか」
 だから、海苓は龍炎を討つ気はないと言ったのだ。そういう運命だと彼が言ったのは、残された龍炎の記憶の中に、海苓によって討たれる自分の姿があるからなのだろう。
 だが、あったはずの事を無に帰すということは、――つまりそれは海苓の存在を否定することになる。龍炎が戦で命を落とすという未来がなくなること、それは海苓の存在の消滅を意味しないか。
「『龍炎』が何を望んで転生しようと、俺の知ったことじゃない。この『記憶』が俺の存在に必要だというなら、すべてなかったことにするだけだ」
 海苓はひどく辛そうな表情で言った。定められた未来の出来事、自分ではないの人の記憶、想い、願い。それは、彼にとっては苦しみでしかないのだろう。鈴麗から返せる言葉は何もない。
「……」
「それとも、あのとき二人を守ると言ったのは、嘘か?」
「……嘘じゃ、ありません」
 海苓の質問に、鈴麗は絞り出すように答えた。龍炎と芳姫を守りたいという気持ちに、偽りはない。けれど、それは海苓という存在の消滅と同義。
 言葉を紡げなくなった鈴麗は俯いて海苓から視線を外すしかなかった。それ以上海苓の声は聞こえない。もう何か話す気もないらしい。石畳を踏む音がして、気配が近づいてくる。
 顔をあげると、海苓は鈴麗と凍冶の横を何も言わずにすり抜けていった。――わずかたりともこちらを見ない。そのあとを少し機嫌がよさそうな清蘭が続いた。
 鈴麗は遠ざかり建物の中へ消えていく一組の後ろ姿を黙って見送る。
(……ずっと、あの目のままだった)
 優しく笑ってくれたのが遠い昔のようだ。
 どうしてか、胸が痛い、と思った。





 建物の中に入ると、髪を舞い上げていた風が退いていく。響くのは、海苓と清蘭が廊を行く足音のみ。
 紙の束を抱えたまま愕然とした表情でこちらを見つめていた鈴麗を思い出して、海苓は薄く笑った。

 過去世の記憶、と呼ばれるものは、幼いときから海苓とともにあったものだ。
 物心ついたばかりの頃は、それは輪郭を伴わないおぼろげなものでしかなかった。子供だった海苓には、それが明らかに自分の経験したものではないのにもかかわらず『自分』のことだと確信できたのだ。
 見知らぬ風景や建物。見覚えのない服装や髪の色をした人々。交わされる言葉も今の自分が聞いている言葉ではないが、理解することができる。やがて、さまざまなことを学んでいくうちに、それが鳳族と呼ばれる部族の様子だとわかった。
 魂が経験を積み、神に近い存在へ近付いた証として生まれくる神族。昔からそう教え込まれていたから、海苓は誰もが自分と同じように過去の人生を知っているのだと思っていた。
 他愛ない会話の中でふとこぼした言葉に周囲が驚愕したことで、過去世の自覚があることが自分ただ一人なのだと知った。
 証明者――そう呼ばれるようになったのは、いつ頃からだっただろうか。海苓の中に残る、鳳族の青年の人生。『彼』の後、何度も何度も気の遠くなるような転生を繰り返して今ここに自分がいるのだという自覚が、神族にとっては拠り所となったのだ。
 歳とともに過去世の輪郭ははっきりしてくる。海苓が積み重ねてきた時間に合わせるように明瞭になっていく『記憶』は、やがて忌まわしきものに姿を変えた。
 過去の記憶の中に残る、定められた自分の未来のために。

『何故俺がお前とよく似た姿をしていると思う。長い長い旅路の果てに、お前の魂はここへ辿り着く――神族としてだ』

 海苓の抱く魂にとっては過去のことで、この世界では未だ存在しない時間。
 最期の場所は、戦場だった。
 それは何度も何度も繰り返されているであろう、神族と鳳族の争いの最中。広大な荒野。思い当たりすぎてどこなのか見当もつけられない場所で、『龍炎』は片膝をついたままその言葉を聞いていた。普段は馬で戦場を駆けていたはずなのに、何故かこのとき龍炎は地に降りていた。
 周囲は剣戟の音と人々の咆哮が響き渡っていて、おそらくは敵味方入り乱れている前線なのだろう。龍炎は鳳族の皇帝だ。そんなところにいるはずがなく、何よりも守られるべき立場の者だ。それなのに『海苓』は誰にも邪魔されることなく龍炎と対峙していたのだ。その手が握っているのは長剣。龍炎の手に剣の感触はない。
 そこで、海苓は龍炎にそう言ったのだ。その前後のやり取りの言葉は曖昧だけれど、龍炎が転生を繰り返した先が海苓なのだと暴露された。魂を磨き続け、神族になることを目指せば、いずれたどり着ける。鈴麗を独りにしないことができる。

『傍で護ることを選ぶなら、幾度生まれ変わっても常に己を高めることを止めないことだ。魂がそれに見合えば、たとえどれほどの時間を費やそうとも、いずれここに辿り着ける』

 もし、この叶わぬ想いが、叶う方法があるのなら。
 龍炎は望み、手を伸ばした。
 ――それは幾千年を耐えた願いか。あるいは、本当は誰もがそんな風に満たされなかった想いを託されて生まれてくるのだろうか。ただそれを海苓が思い出すことができるというだけで。
(託される方は、たまったものじゃないな)
 海苓は龍炎の想いを継がない。誰を想うのか、未来に何を行うのか、すべて定められてしまうのであれば、過去世の記憶などない方がずっと幸いであるはずだ。

 海苓の願いはただひとつ。過去と未来のすべてを縛る、捻じれた時の輪を断ち切ること。それがあって、この苛立ちは初めて解消されるのだ。
 ふと脳裏によぎったのは、黒髪の少女の笑顔――ここしばらくの間に見ることとなった、鈴麗の嬉しそうな表情だった。



2009.1.3


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