時の円環-Reconstruction-


12



 鳳族の動きを追っていた者たちからの情報が神族にもたらされるにつれ、鈴麗の周囲も慌ただしくなってきた。
 着々と人と物が集められている鳳族領地内。行き交う人の様子も物々しくなっているという。
 ――間違いなく、鳳族は神族へ戦を仕掛けてくる。
 もう噂どころではなく確定した話として、どこへ行ってもその話で持ちきりだった。

 何、今回もわが部族の勝利に決まっている。
 けど、戦のたびに怪我人が増えていくっていうだろう。今回はどれだけの被害が出るんだか……。

 今まで気が遠くなるほど繰り返されてきた神族と鳳族の戦の中で一度として鳳族が勝ったことはない。けれど、何十回と犠牲を重ねながら、わずかではあるが神族へも打撃を与え始めていた――決定打を得られれば勝てる、というのがかつて鳳族の上層部が高らかに語っていたことだった。
 決定打というのは何だっただろう、と鈴麗はぼんやりと考えてみる。
 芳姫の護衛、という立場でしかなかった彼女では、その全容を知るはずもない。あるいは、鈴麗が魔術を使えるようになったと知られた時点で何かが提案されたかもしれないが。
(海苓様は、……わかるんだろうか)
 龍炎のものだという過去の記憶があるのなら。しかし、彼が鳳族の作戦を読めるのなら、神族の戦の被害が増えていくはずもないのではないか。そう思い鈴麗は首を捻る。

 鳳族の動きを受けて神族でも戦の準備が進められていた。今回は鈴麗も後方支援の一員として名を連ねる。法術師の助手としてだ。
 今まで神族の戦傷者が最小限に抑えられてきたのは、神族の強さもさることながら後方で待機する法術士たちのおかげだった。重傷を負った者は速やかに法術士のいる後方部隊へ送られる。術師たちが交代で治癒の術を施しているおかげで後遺症も残らず帰還することができるのだ。
 ――がしかし。最近になって鳳族の猛攻が目立ち始め、法術師たちだけでは手が回らなくなってきたのだという。当然ながら術を行使するには魔力を用い、使用者は疲労する。無限に術を使い続けられるわけではないのだ。
 どのような対策を取ることになったかというと、より重症の者から治療を行うということだけ。始め聞いたとき、あまりに初歩的な話に鈴麗は呆れたが、つまりそれだけ神族の被害は少なかったということでもある。より逼迫した状況にある者から救済する――鈴麗にとっては当たり前の事実が通用しない。
 前線から送られてくる負傷者の重症度を見極め、迅速な対応が必要な者から法術士に引き渡す、というのが今回の鈴麗の役割だった。


 
 数日後の午の刻――黄龍平原において、開戦。



 横に広くとられた陣形に合わせて、法術士たちを三か所に分け後方待機する。ともに助手として参加した鈴麗と光玉はそれぞれ別の陣に配される。法術士とその助手とで十数人。医書の講義や薬草採取で顔を合わせたことのある人を除いて見知った顔はいなかった。
 法術士である清蘭と一緒だったらと躊躇していたが、どうやら別のところに配置されたらしく姿はなく、鈴麗は少しだけ安堵する。
 海苓のことが暴露された日、清蘭もその場にいた。それで、鈴麗は治療院で彼女に睨まれた理由をなんとなく悟ったのだ。きっと彼女は海苓に好意以上のものを抱いている。その相手が過去の記憶を持っていて、それが別の女性と関連しているとしたら、面白くはないだろう、たぶん。


 鈴麗には前線の様子はわからない。鳳族の様子も、神族側がどんな作戦を考えているのかも知らない。
 だが、兵が出陣して一刻もしないうちに最初の怪我人が運び込まれると、治療所は一気に忙しくなった。床代りに引いた敷布の上に兵を寝かせ状態を確認しないうちに次の兵が運び込まれてくる。鈴麗にとってはそれほどでもなかったが、神族たちにすればかつてないことのようで、明らかにその場は混乱していた。
 誰が見積もっても重傷を負っている者はいい。すぐに法術士のいる天幕へ運び込まれる。裂傷ならば傷口の状況を確認して、応急処置をして再び戦場へ戻っていくから、これも当面の問題にはならない。下手をすれば包帯を巻く程度で終わる場合もあるが、どうのこうの言っていられない。
 問題となるのは、戦場へ戻るにはひどい傷だが、生命の危機に瀕しているかどうかの判断だ。

 鈴麗は、そこにいた助手の誰よりも俊敏に兵士の間を回っていた。包帯や薬草の入った籠を手に治療所を駆けまわる。
「少し傷が深いけど、切迫はしてないみたいです。毒が入らないように傷口を塞いで、待っていてもらえますか?」
「何、すぐ治してもらえないの」
 鈴麗が傷口を確認して告げると、兵士は不機嫌そうな口調で返してきた。
 ちらりと背後に視線を向けるが、法術士の待機するところへの出口はすでに担架に乗せられた重傷者が数人寝かされている。鈴麗の目の前の彼は再度戦場へ出ていくのは難しいけれど、今治療を待っている人々ほど優先されるような状況でもない。幸いにも止血が上手くいって今すぐ足がどうなるということもないようだ。
 しかし、動かすには激痛を伴うだろう。眉をしかめるその様子と傷口を見れば、鈴麗としても何とかしたいと思うのだが。
「ごめんなさい。治療が必要な人が多すぎるんです」
 結局のところ謝ることしかできなかった。周囲には彼と同じような状況の人はたくさんいるのだ。当の本人は若干不満そうな様子ではあったけれど、それ以上は何も言わず黙りこくる。たとえ何とかしろと言ってもどうにもならないとはわかるのだろう。
「気休めかもしれないですけど、応急処置をしておきますね。――ちょっと染みますけど」
 そう言って、鈴麗は横に置いた籠から塗り薬の入った器と包帯を取り出す。それを見た相手は何事かと顔をひきつらせたがかまわず作業に取り掛かった。毒が体に入らないように早く隠してしまった方がいいのだ。
 傷口と周辺にたっぷり薬草を練ったものを塗りつけて包帯で覆う。こんなもの法術が使えるなら何の意味も持たないだろうが、それができない今なら多少の役には立つだろう。思い切り冷やしておいたから、傷口の沈静にも役立つはずだ。
 手当が完了すると、兵士は不思議そうな顔をした。
「……冷たくて気分がいいようだ」
「これで少しはいいと思います。傷口が熱っぽくなってきたら、教えてください」
 それだけ言って、鈴麗は立ち上がる。こうしている間にもどんどん兵は運び込まれているのだ。しかも、向こうからは法術士が一人倒れたとの報告の声も聞こえる――これで兵士の治療は滞ることが確実になった。さらに力尽きた法術士が復帰するまでの間に他の誰かが離脱するのは間違いない。
(こんなに怪我人が多いだなんて……鳳族は本当に神族への対抗手段を見つけたの?)
 鈴麗はわずかに思考を巡らせたけれど、それ以上考えている暇はなかった。

「その人は骨が折れてます。添木と一緒に縛って動かさないで! あと、濡れた布で冷やして……」
「矢傷……出てるのがこの深さなら、抜いてしまった方がいいかも……」
「ごめんなさい、この薬を塗っておいて。少しでも熱が取れれば楽かも――」

 どれくらい動き回っただろうか。
 とにかく重傷者だけは見落とせないし、容体が悪化しないように手当もしておかなくてはならない。幸いだったのが、治療所に残っている怪我人が少しずつ鈴麗に協力してくれるようになったことだった。
「じゃあ、あとは俺がやっておくよ。包帯巻いとけばいいんだろう?」
「添木が動かないようにっつったら、このくらいでいいのか?」
「馬鹿野郎、さっき染みるって言ってただろ、このくらい我慢しろ!」
 することがないのと、周囲の切迫具合を感じ取ったのだろう。包帯を巻くのや骨折の処置を鈴麗の説明に従って手伝ってくれる。本来は法術を使ってしまえば大したことはないのだろうが、それも望めない状況というのは初めてなのかもしれない。
 戦況はどうなったのだろう。あたりを見てみる限り、治療所に運び込まれてくる兵の姿は途切れたようだった。あとはここに残る人たちに適切な診断と治療ができればいいだろう。


「なあ、嬢ちゃん!」
 突然後ろから声が聞こえて、鈴麗は振り返った。そこにいるのは二人の兵士。一人が、包帯を巻いた足を引きずるもう一人に肩を貸している。
「こいつ、さっきからおかしいんだ。別のやつに手当てしてもらって、法術使うほどじゃないって言われたらしいんだけどな……どうも足が変なんだよ」
 その言葉に合わせて包帯の巻かれている足を見て、鈴麗は思わず焦った声を出した。
「……っ、じゃあ、ちょっとそこを貸してもらって、寝かせてくださいっ」
 鈴麗の声に、周囲の兵士たちが共鳴したように動き出す。あっという間に一人分の場所が作られて敷布が引かれ、連れてこられた兵士が寝かせられた。
 問題は、その兵士の右足だ。矢を射られたのだという傷には包帯が巻いてある。
 皮膚を傷めないように、鈴麗はそっと包帯をはずしていった。この兵士を連れてきたもう一人の兵士に頼んで、なんでもない左足も靴を脱がせて足が露出するようにする。左右を見比べて、鈴麗は眉をしかめた。
(やっぱり……)
 一瞥しただけでは、右足にそれほど深いとは見えない矢傷があるだけだ。右足が赤く腫れているが、普通の人なら見逃すだろう。だが、鈴麗はこれと同じような状況を見たことがあった。足先の色がわずかに悪い。
「この人が運び込まれたのはずいぶん前ですか?」
「――ああ、たぶん一刻は経ってるはずだな」
 確定だ。まず間違いない。

 鈴麗が勢いよく顔を上げた向こうに、法術士のもとへ怪我人を運ぶ助手が見える。
「あのっ、すいません!」
 早く来てほしい、と鈴麗は焦れたが、声を聞きつけた相手の歩みはゆったりとしたものだった。いぶかしげな表情で鈴麗たちのもとへ近づいてくるが、その中心に横たわる兵士を見て、妙な顔つきになる。
「この人、重症者です。治療所の方へお願いします」
「もう治療されてるんじゃないのか?」
「確かに治療はされているんですけど、傷口から毒が入ってるんです。早く手当てをしないと」
「……只事じゃないのは確かだが、法術士待ちの方もだいぶ行列が出来ていたぞ……」
 寝かされている兵士の顔色は悪い。周囲の怪我人の誰一人として元気な顔はしていないが、その中でも彼は群を抜いていると言っていいだろう。
 その様子を見て、助手の青年はひどく困った顔で腕を組んだ。ちらりと治療所の方へ視線を向ける。
「時間が経てば経つほどひどくなるものなんですけど、早く治療はできませんか」
「いや、あっちも重傷者ばかりだ……だが事情を話せばどうにかなるか?」
 二人で色々考えてみたが、法術士に治療してもらうしか手はなさそうだ。
「一体何を騒いでいるのですか」
 するりと入り込んできた声に、鈴麗は助手の青年とともにその方向へ振り向いた。



2009.6.22


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