時の円環-Reconstruction-


19



 戦の傷も完全に癒え切らぬ神族に、再び凶報がもたらされる。
 鳳族に戦の起こる気配あり――
 彼らの領地周辺での動きなど他部族の動向を見張る者たちから伝えられる情報は、あまりに間隔の早すぎる再戦を示していた。神族ですら兵士が回復しきっていないのに、鳳族はどうやって兵を賄うというのか。治療の速度は格段に上がったとはいえ、未だに怪我人を抱える神族陣営からすれば予想外の展開だったようだ。
 

 鈴麗がかかわる新たな法術のまとめについても結論は出ていなかったが、鈴麗自身の中では少し進展があった。
 なんとなく、どう説明したらよいかがわかってきたのだ。それもこれも意外ではあったが海苓の助言のおかげである。
 そのとき聞かされた龍炎の記憶についての話はもちろん未だに鈴麗の心に影を落としてはいる。その未来を変えるためにどうしたらよいか考えるだけでも暗澹とした気分になる。
 しかしその後に何故か話の流れは別の方向へ逸れ、彼は鈴麗に新たな法術についての道筋を示してくれた。
 魔術や法術の本をひっくり返し父たちにも話を聞いて、彼が言った通り水の浄化を行う魔術について調べてみると、確かに鈴麗が作り上げた術に似ているような気がしたのだ。
 父に呪文の講釈をお願いし、それをひも解きながら自分が発動させた法術について考えてみる。似ている部分と違う部分を探し、どうしたら神族にうまく伝わるかを見つけ出そうとしてみる。
 ここ数日自室にこもりあれやこれやと試行錯誤しているせいで、室内は書き散らしだらけになっていた。

「……一度休憩して整理した方がいいんじゃないかしら」
 部屋も頭も。
 背後から響いた若い女性の声に驚いて鈴麗が振り返ると、彼女付きの侍女である愛林が差し入れらしい盆を持って呆れた様子で立っていた。
「あ」
「これではまとまっていないことがまるわかりだわ」
 そう言い切る愛林の顔に若干の青筋が立っているような気がしないでもない。鈴麗の自室と鈴麗自身を綺麗に仕立て上げることに情熱を燃やす彼女から見れば、なるほど放置しておける状況ではないだろう。
 かつては母・光玉の仕事であったはずのそれは今やこの愛林にすっかり引き継がれている。しかも、今まで以上の熱心さで以て。
 姉とも慕う愛林に睨まれ、鈴麗はわずかな恐怖と多大な申し訳なさに突き動かされて、作業を中断した。卓の下にまで広がる紙を一か所にまとめると、それでも少し人心地がついたようだ。

 しかし、それだけでは愛林の満足は満たされなかったようで、有無を言わさず彼女は鈴麗の解けて落ちかかった髪をまとめ始める。
「下を向いていても大丈夫よ」
 先ほどよりはだいぶ和らいだ口調でそうは言ってくれるものの、やはり首は動かしにくい。鈴麗はわずかに視線を書面に落として自分の書いた文章を追ってはみたが、どうにも集中できないので諦めた。代わりに背後にいる愛林に向かって提案してみる。
「愛林、この間聞いてもらった説明、もう少しわかりやすく考えてみたの。もう一回聞いてもらってもいい?」
「ええ、いいわよ」
 承諾を得て、鈴麗は積み重ねた書類の中から一枚を取り出した。それが、今のところ最善を尽くしてまとめた法術の流れだった。

 まず、ひとの体には血と気の流れがある、ということがすべての前提だ。その流れをある程度把握していなければ、そもそもこの術は成立しない。
 その流れは、臓腑も四肢も、人のすべての場所をつなぐ。問題になる傷口の毒は、そこを巡って全身に広がるのだ。
 鈴麗が行った方法は、その気と血の流れを辿って毒を探し出し、それを取り除いた上で傷口を癒す、というものだ。その取り除く、という部分がどうしても凍冶たちには伝わらなかったのだった。
 そこを、今度は海苓が教えてくれた水の浄化の魔術の解説を基に説明し直してみる。
 相手は魔術を知るとは言えど仕官している法術士たちとは立場が違う愛林である。少なくとも彼女にある程度伝わるくらいでなければ、神族たちには到底使えない。

「……っていう感じなの。うまく伝わる?」
 鈴麗の髪型が愛林の納得いく出来上がりに仕上がった頃、鈴麗の説明もちょうど終わった。鈴麗が首をかしげて尋ねると、愛林は少し考えた後で答えてくれる。
「そうね……この間のよりはわかるような気がするわ。でも、私は法術より魔術の方に適性があるからだけど、今のを再現できるかと言ったら難しいと思う」
「うー、これでも駄目かぁ」
 これでどうだ、とばかりに作った説明だったものだから、あまり芳しくない結果に鈴麗は頭を抱えるしかない。一体どうしたらいいだろう。
「前よりはわかりやすいと思うわ。法術士の方々なら、私よりも理解してくれるのではないかしら?」
「そうかなあ。……もう少し考えてみる。ありがとう、愛林」
「どういたしまして。でも考えるのは後よ。今はきちんと休憩をしてお茶とお菓子を補給すること!」
 本題とばかりに目の前に出された茶器一式とお茶請けに鈴麗は思わず笑った。ずっと考え続けているよりは、一息入れて一度問題から離れた方がいいのかもしれない。
 返答を聞く前にお茶の用意を始めた愛林を見て、鈴麗は卓の上の書類を一度片付けることにした。

 侍女、という体裁はとっているが鈴麗と愛林は一緒にお茶を飲む。お茶請けは愛林が腕を振るった得意の点心だ。
「今日は華瑛様も光玉様も帰りが遅いそうなのだけれど、鈴麗は聞いている?」
「うん、知ってる。今日と明日は、って言ってた」
「夕食も外で済ませるそうなの。今日と明日は給仕もお休みをいただいて人が少ないから、――一緒に食事にしましょうか」
「本当!?」
 愛林の提案に、鈴麗は目を輝かせた。こうして気安く話してはいるけれど、色々あってやはり立場上は主と侍女だ。めったにできることではない。そして、鈴麗にとっては両親以外の誰かと食事をするという機会は全くと言っていいほどなかったのだ。
「ええ。だから、夕食のときはちゃんと部屋から出てきてね」
 言い含めるような愛林の言葉に鈴麗は素直に頷く。愛林はその反応に満足そうな笑顔を見せると、話題を変えるように溜息をついた。
「それにしても、華瑛様も光玉様もこのところお忙しそうね」
「医学の講義中だから。今日と明日はそのせいだと思うよ」
 鳳族から持ち込まれた医学の知識が法術にどれだけ良い影響をもたらすか――先の戦で明らかになったため、医学に対する認識はいくらか改善した。今までは細々と行われていた講義の希望者が増えたのだ。もっとも法術士全体から見れば大した数字ではないが、それでも格段の変化である。
 華瑛と光玉はその講義のためにここ数日奔走している。何しろ講師はたった一人しかいないのだ。休む暇もない、と表現してもいいくらいだが、鈴麗の印象では両親ともに楽しんでいる様子だからまあ大丈夫だろう。
 鈴麗も講義の手伝いくらいはできる立場にいるが、まず彼女に与えられた大命は法術を完成させることであるから、後々駆り出されはするが今日明日のところはお呼びでない。
「あ、でもその後は私も一緒に出かけるから」
「聞いてるわ。薬草学……の実践だったかしら」
「うん、そう。どうしても人手がいるからって」
 実際のところ、鈴麗はそれを少し楽しみにしている。鳳族のところにいたときは母と良く生薬の採取に出かけたし、芳姫の使いで出かけたこともある。物騒になっていることと不慣れな地であることも相まって限られた場所にしか行くことがないから、実に久しぶりの遠出なのだ。
 明らかに眼の輝きが変わった鈴麗を見て愛林は笑う。それこそ姉のような眼差しだった。
「息抜きになっていいかもしれないわね」




 待ちに待っていた外出の日になったのだが、集合場所である外へ出るための城門へ両親と向かった鈴麗は、その光景に驚いて固まることになった。
 実際に講義を受けている人数を知らなかったとはいえ、初めて医学の講義をしたときとは比べ物にならない多さ。鈴麗の予想をはるかに超えていた。その中には清蘭の姿も見える。
 がしかし、鈴麗が固まる羽目になったのは、集まった参加者の中に凍冶はともかく何故かその隣に法術士ではないはずの海苓がいたからである。
 ――何故に。
 とっさに浮かんだ疑問に答えてくれる人は誰もいない。この数十人の人々の中、鈴麗が彼と会話しなければならない必然性は何らないのだから普通にしていればいいのだが、とりあえずそこから視線が外せなかった。
 華瑛と光玉の姿に気付くと、神族たちはそれぞれ挨拶を始め、凍冶たちの方でも気付いたようでこちらに近付いてくる。重ねて疑問を抱くしかないが何故か海苓を伴ってだ。
「おはようございます。華瑛殿、光玉殿」
「おはよう、凍冶殿。それから、海苓殿も協力ありがとう」
「いえ、大したことではありませんから」
 華瑛と二人との間でされるやり取りに、どうやら今回も海苓は護衛役を任されたらしいと鈴麗は理解した。よく見れば海苓は正装はしていないものの武官の章を胸元に着けていて、これが正式な武官としての仕事なのだとわかる。周りを見てみると、海苓と同じように武官の章を身につけ武器を携えた人々が幾人も混じっていた。
「軍部から協力を得られるというのは嬉しい話だね」
 この薬草学の講義が公に認められているということでもある。
「護衛など不要という話もあったのですが、鳳族も活発に動いているようですし、何より以前もはぐれかけたり獣に襲われかけたりした人がいるということで許可されたのです」
 そう語る凍冶の口調は実に楽しそうだ。海苓はやり取りの外にいる鈴麗には注意を向けていなかったのだが、凍冶が一息にしゃべった一瞬だけ、鈴麗の方へ視線を滑らせた――実に憐みのこもった目。
 実際それを聞いた瞬間の鈴麗の顔は確実に血の気が引いていたのだから。もう悪寒と眩暈にも同時に襲われたような心境だ。
 凍冶が語った人物というのは間違いなく鈴麗のことで、つまり海苓を始めとする武官が引っ張り出されるなどという大事になっているのは、完璧に鈴麗のせいだということだ。獣に襲われたのは鈴麗の責任ではないにせよ、採取に夢中になってはぐれたのは彼女自身である。
 鈴麗にとっては何とも言えない雰囲気の中、本日の講義は始まった。


 今回の第一の目的は、今後多用することになるであろう数種の薬草類の説明および採取方法の指導である。医学の講義の一環であり、かつ戦に備えるのであれば薬学の知識と技術を持つ者はいくらでもほしい。
 もう一つの目的は、ある処方のための材料採取だ。
 次の戦を控えて、問題になったことがある。今後ますます戦の被害が増えるのであれば、考えなければならないのが治療所の扱いだ。
 簡単な話だが、法術は重傷者に優先されるべきだ。傷口の管理や応急処置は当然として、軽傷者ならばある程度の治療で終わりにしなくてはならない。そうでなくてはあまりに法術士の負担が大きすぎる。
 それと同時に持ち上がったのが、法術士の疲労を早くに回復する手段はないものか、ということなのである。
 神族領内であれば、神殿の地下に神々の力が満たされた特別な空間がある。そこでなら疲労しきった法術士の回復も容易いだろう。魔術、法術も容易に為せると聞く。
 しかし、戦の合間では、法術士を自領に連れ帰り再び送り出すことなど無理だ。法術に対する能力は適性、素質等々に左右されるから、神族とは言え誰もが使えるわけでもなく、自ずと一度の戦で使用できる法術は限られる。
 その戦の間法術士の疲労を肩代わりするか回復する何かがあれば――それが今回の目的の二つ目につながる。
 鈴麗と光玉とで様々試行錯誤した結果、いくつかの処方を試してみることになった。材料をそろえなくてはならないが、今回講義の中で採取する薬草の群生地で採れるものもあったため、鈴麗がその採取を引き受けることになったのだ。ある程度講義の方が落ち着いてきたら、抜け出すことになっている。
 ほんの少しの量で充分なのだが、たくさんの植物の中に埋もれ少し見つけにくい。ある程度の経験がないと見分けにくいという問題もある。鈴麗が外に出るのを楽しみにしていたのは、これが一番の理由だった。


 まずはこの間も生薬を採取した場所へと移動する。大人数というのには知識を学ぶにもやや不都合だが、まともな講師役が光玉と鈴麗の二名のみという事態を考えると止むを得ない。
 一度講義を受けている法術士もいるにはいるが、冊子と首っ引きという状況だったりする。その中でも凍冶や江普といった面々は鈴麗たちには及ばないまでも指導役を果たせるほどには医学知識を吸収していた。
 光玉が探すべき薬草を示し、どんな特徴があるのか、採取するときどんなことに気をつけなければならないかを説明する。その上で実際に採取をして見せるのだ。
 必要な部分をそぎ落とすことなく手に入れることができても、その後の保管によっては効能がなくなってしまうものも多い。今回はそれほど厳重なものはないが、知識として説明される。
 離れていたため見えなかった者、もう一度確認したい者のため何度かそれを繰り返して、あとは前回のように実地で行ってみることとなった。鈴麗も含め、凍冶や江普といった前回参加者の役割は、うまくできていない参加者に一対一で教えることである。
 根や葉を傷つけてはならないために素手で土と格闘する人々を見て回るのは、結構滑稽で面白い。鈴麗自身もそんな笑われる期間を通り過ぎてきたからだが、あまりに困った状況になっている人には声をかけて説明する。

 そんなことを何回か繰り返していると、不意に背後から声をかけられた。
「これでうまく取れているかしら」
 今のところ全員がほぼ地面と植物ばかり見ていて、鈴麗たちを呼び止めるところではない様子だ。それが初めてのことで鈴麗は驚き思い切り振りかえった。
 そこに立っているのは、鈴麗がよく知る女性だ。手には根に大量の土が絡んだ薬草を手にしている。穏やかに笑みを浮かべているのは、清蘭である。移動時も講義中も、鈴麗からは距離を置き、どちらかと言うと護衛中の海苓に近い方にいたような気がする。
 鈴麗は差し出された薬草を検分した。折れてしまっている葉の部分は使えないし、全体の大きさを見ると根の一部分はとれてしまったと思われるが、初めての採取でこれなら十分だと思う。
「あとは、土を落とすんですけど、気をつけないと根が折れてしまうんです」
「教えてもらえる?」
 鈴麗は清蘭の後について彼女が作業をしていたらしい場所へ移動することにした。各々に配布された保存用の用具がそちらに置いてあるのだ。鈴麗も腰に止めた鞄に道具を持っているが、これは別の目的用である。
 土の落とし方を説明し、鈴麗はその後なるべく根を折らない土の掘り方や葉の守り方も説明してみた。そういうのを説明しても、彼女は聞いてくれると思ったのだ。治療院でも時々医学の話に興味を示すことがあったようであるし。
 鈴麗の説明もあり、清蘭は無事に薬草の採取を終えることができたようだ。
「もっと細い根なんかはどうするのかしら」
「そういう時は、化粧用の刷毛に似たので土を掃うんです。枝の先のを細かく裂いたようなもので」
「なるほどねぇ……」
 鈴麗の説明ひとつひとつに実に感心したような表情をする。彼女とは色々複雑な場面で出会うことが多いが、やはり興味を示してくれる態度は嬉しくて、鈴麗はなるべく丁寧な話を心掛ける。一通り話が終わると、清蘭はにっこりと笑顔を向けてくれた。
「ありがとう。やっぱりわかりやすいわね」
 そう言って立ち上がり、清蘭は軽く伸びをする。その彼女の視線の先を追って、鈴麗はふと息を止めた。
「――こういうときに『あんな話』もどうかと思うのだけどね」 
 清蘭の視線は動かない。彼女がまっすぐ見つめる先にいるのは、海苓だ。そして、彼女の声音はその瞳の真剣さと同じように、先ほどまではなかった緊張を帯びていた。
「あなたと、ずっと話したいと思っていたの。海苓の記憶のこと」


2010.7.5


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