時の円環-Reconstruction-


24



 ――何が起きた。
 治療所に居た誰もがそう思ったはずだ。凄まじい音と、一瞬遅れて届いた足元の衝撃と焦げた空気を含んだ風と。鈴麗であっても体験したことのない状況だった。神族での陣だけではなくて、鳳族の陣に身を置いていた時も含めてだ。
 しかし、鼻をかすめていった嫌な臭いに覚えがある気がして、鈴麗は眉をしかめる。
(ああ、なんだっけ、これ。嗅いだ事がある……)
 少なくとも、鳳族からの攻撃か何かだ。そのうち怪我人が運ばれてくるに違いない。
 若干放心気味だった法術士たちも我に返り、すぐさま持ち場の天幕へ散っていった。清蘭を始めとする人々の背中を見送り、鈴麗も腰に止めた鞄の中身を確かめて走り出す。
(あの音、その後の煙、この臭い……)

 まず予想できるのは、多数の怪我人がいるだろうことだけ。天幕に収まり切らない怪我人をひと時休ませるための敷布を母親と一緒になって増やしながら、鈴麗は必死になって考えていた。これを読み解ければ次に起こることが分かるはず。
 向かい合う光玉の向こう側が、戦場だ。
 その空に誰かを抱えたと見える天馬の姿が見えたとき、鈴麗の中で何かがひらめいた。
 焦げた臭いの中に混じるもの。鉱石特有の臭い。それ自体は鈴麗にもなじみがあるものだ。
 見つけ出したら、すべてをつなげるのは簡単だった。
「火薬……!」
 敷布を広げるために向かい合っていた光玉がその言葉を聞いて頬をひきつらせる。
 二種類の鉱石と炭を混ぜ合わせたもの。薬を扱う者ならば効能も取り扱いも知っている。火の気が近くにあったり擦り合わせてしまったり、扱いに失敗すると爆発してしまい、そのために火傷などを負った人を診たこともあった。
「まずいわ、火傷では薬が足りない」
「水を運ぶ? それとも優先して法術?」
「どちらもよ!」
 舞い降りてきた天馬のもとへ光玉と共に走り寄る。辿り着く前に見えたものに思わず呻きそうになった。火傷で確定だ。それも、体の半分に達しようかというほどの広がり。
 取り扱いに失敗した薬師と同じだ。どう考えても爆発を至近距離で受けているとしか思えない。
 振り返った母親と目が合い、鈴麗は頷いた。駆け寄ってきた人々に即座に兵士を天幕に運んで治療するように伝え送り出す。息をつかないうちに、次々と空から地上から人々が運ばれてくる。
 誰もかれもがひどすぎて、ふるいにかけるどころか即座に天幕行きだ。おそらく、応急処置で済む程度の者はここへ来ない。そして本当に命にかかわる重症の者は運ばれることさえひどいはずだ。
 半身に火傷を負った一人を運んできた兵士は、自らも軽く火傷を負っているというのに手当ても受けず戻って行った。――まだもっとひどい奴がいるという不吉な一言を残して。
 その言葉を体現するかのように瞬時に天幕は埋まり、敷布もあっという間に治療を待つ兵士だらけになった。必死になって鈴麗と光玉が増やしたというのにそれでも足りない。
 外で待機する助手たちは法術士の治療が済んだら即座に怪我人を運び出し新たな人を運び入れる役割があるが、すべての天幕が治療中の今はほんの少しだけ時間がある。
 その間に少しでも兵士を休める敷布を増やす。今のところ運ばれてくる大部分は火傷の者ばかりだから、鈴麗は頼んで消毒用の大釜にとりあえず水を運んできてもらうことにした。

 今までの戦でも火矢が使われることはあったし、鳳族側は空中攻撃用に火薬を使うこともあった。火傷を負うことが決してないわけではなかったから、鈴麗の鞄の中にも治療所の端に置かれた荷物の中にも火傷に効く膏薬は入っている。しかし、あまりに量が足りない。
 誰からこの薬を使うべきか――この中でより重度な者か、それとももっと軽度の者で法術の順番が回るのに時間がかかりそうな者からか。限られた薬を手に、鈴麗は思案する。
 その間にも一時ほどでないにしても兵士は運ばれてくる。戦場からは遠く戦の音が響き、終わることはないように思われた。
 鈴麗が目の前の光景を見て悩んでいる間にも、光玉は兵士の間を歩き少しでも火傷の程度を計って誰を運ぶべきなのかを人々に告げている。そうするうちに天幕のひとつが幕を開き、治療の終了を知らせた。
 薬は、後だ。水が運ばれてくるのを見て、鈴麗は身を翻した。
 肌を傷つけないようにできる限り武装を解き、衣類を取り去り、とにかく冷やす。水の量に比べたらわずかしかないが、火傷に効く薬を混ぜてから布を浸して冷湿布を作って回った。
 釜だけでなく、水を入れられる入れ物全部を使って運んでこないと間に合わない。水を扱う魔術を心得た者も居たのだが、持ってくる方がよほど効率的だ。
 次々と天幕の人々が入れ替わる。あとは法術士たちの体力がどこまでもつかだ。天幕内に焚き込めた<煙薬>も鈴麗が用意した膏薬もどれだけ効果を発揮するのかわからなかった。
 光玉が怪我人の振り分けをしているのを見て、鈴麗は残っている者たちの治療に回ることにする。


 火傷の原因は、おそらく火薬が爆発したことによる熱だ。入れ物の破片による怪我がないのが不思議なくらいだった。
 鳳族でひそかに話されていた対抗策とは、これのことだったのだと今になって思う。
 火薬自体は多用されていた。神族ではあまり浸透していないようだが、鳳族では対神族戦にあたって天馬砲撃用の火薬弾を使ったり、より遠くを攻撃するために使ったりしていたのだ。
 ただし、火薬は少し取り扱いを間違うとすぐに爆発する。戦の前には必ず薬師の怪我人が続発した。だから発射用の火薬はともかく、爆弾としての火薬は積極的には使われていなかった。投げたり打ち出すときに失敗すれば自軍に被害が及ぶ。
 これだけの怪我人の多さから見て、どれだけの量の火薬が爆発したのか考えるだけでも恐ろしい。しかも、この兵士の装備から見るに、彼らは後方部隊の兵士なのだ。一緒に荷車を運んでくれた兵士たちの姿が脳裏をよぎる。戦場全体の中でより強力な遠投兵器でなければ届かないところで火薬が爆発した。鈴麗たちの居る場所まで衝撃や臭いが届いたのはそのせいだ。

 鳳族は、安全に多くの火薬を遠くへ飛ばす術を得たということなのだ。それはきっと、神族にとって――否、おそらく鳳族以外のどの部族にとっても脅威。
 神族が護るという扉を求めて戦いが起こってから幾星霜。どれだけ自らの部族の命を失おうとも、戦うのを止めない。それは既に血にまで染み込んだ執念といってもいい。
 最後に拝謁した元皇帝の様子を思い出して、鈴麗は戦慄する。彼の人は、その執念を体現したような人だった。
 たとえ帝位が龍炎へ譲られたとしても、その方向性が変わっていくわけではない。芳姫も龍炎も慈悲深く優しい人だ。神族の血と容姿を継ぐ鈴麗すら受け入れてくれた。しかし、その優しさが命を落とす同族へ向けられることはあっても、敵対する部族へ向けられることはないだろう。
 どこまでも戦は続き、終わりが見えない。それを終わらせるには――。


 天幕の中から人は出てくるが、敷布に寝かされた人たちの動きはない。後から抱えられ運ばれてくる者の方が明らかに重症なのだ。結果待つことなく速やかに法術士のもとへ引き渡される。
 再度戦場へ戻って行った兵士の言葉は正しかった。重傷の上にすぐ運ばれてきた者と違って、戦場に居たままだったのだ。別の攻撃を受けている可能性もあるし、中には前線で攻撃を受け、ようやく助け出された者もいたらしい。
 この人たちに法術士の治療が回ってくることは難しいと踏んで、鈴麗は手元にある薬を使い始めた。数名しかいない手の空いている者にも手伝ってもらい、患部に膏薬を熱く塗り包帯で覆っていく。
 別に用意された火傷用の膏薬を任せて、鈴麗は残りの荷物の中をひっかき回して薬に使えそうなものを引っ張り出した。この薬もいくらか効果がある、これは外用すれば熱をとれるはず。知識のすべてを使って治療法を考える。
 できる限り全員に治療がいき渡るようにしたかった。目の前にいる限り、手が届かなかったと悔やみたくはない。
 すり鉢代わりの木椀で薬と水を練り合わせる。出来上がりとともに椀ごと引き渡し、空になった椀を受け取って再度同じものを作る。

 天幕内外でのやりとり、怪我人を運んでくる人々の声、遠く戦場の音。そのすべてを俯いて木椀に向かいながら聞いていた。今作っているのが、手元にある限り最後の薬だ。あとはひたすら水で冷やすか、どこかに使える植物があるか探すかだ。
「頼む、こいつ、かなり危険なんだ!」
「――はやく、空いている天幕へ」
「こっちもなんとかしてくれ!」
「こっちだ!」
 切迫した声が立て続けに聞こえてきて、鈴麗は一瞬手を止める。やり取りが聞こえた方向にかすかに視線を向けて、ぞっとした。
 数名が、先ほどまでと同じように順番も待たずに天幕へと運ばれていく。それ自体はもういい加減見慣れてしまった光景だ。
 しかし、運ばれていった兵士の腕に、数日見続けたあの緑の色彩がひらめいていたような気がして鈴麗は息をつめて振り返る。その人がどの天幕に連れて行かれたのか、確認する術はない。
 まさか――しかし彼は後方支援なのだと言った。前回危険にさらされたように、今回も怪我をしないという保証はないのだ。

 戦場にいる限り、誰であっても等しく危険にさらされる。
 かの青年、珱李だけではない。荷車を運んでくれた兵士たちも、凍冶も、そして海苓もだ。
 手を止めてはいけないはずなのに、鈴麗は作業を中断して周囲を見回した。
 少なくとも敷布に寝る人々の中に見慣れた顔はない。怪我をした者を運んでくることはあっても、天馬が怪我をしたという報告は今のところない。
 彼の記憶にある運命の出来事がいずれ来る未来のことならば、それまで彼は無事ということになるのだろうか。それでも前線にいるはずで、狙われやすい天馬部隊の一員だ。神族に大打撃を与えたあの爆弾の被害を、海苓が受けていないと断言できない。
 最前線で戦っているのだろうか、怪我人を助けたりしているのだろうか。他のどこかの治療所に運び込まれたりしていない?
 ――そんなことを考えている場合ではない。
 急速にわき上がってきた落ち着かない気持ちを振り払うように、鈴麗は作業に戻る。
 まだ数刻も経っていない。後どれだけの時間戦い続けるのだろう、その間怪我人はどれだけ増えるだろう。あるいは、誰かが命を落としてしまうだろうか。
 瞼裏にひらめく緑色。兵士の装備にその色はない。葉っぱか何かだったかもしれない、気のせいかもしれないと思ってみても、不安はぬぐえなかった。



2010.10.31


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