時の円環-Reconstruction-


28



 薬ができたことで、負傷者の治療は格段に進んだ。そのうち一部の法術士が休養から復帰し、術による治療を再開したことで、進度はさらに増す。
 鈴麗たちは少しでも動ける者を増やすべく治療所を走り回った。
 それからさらに時間が経って、ようやく神族軍の撤退が始まる。


 数日かけて領地へと帰る、その足取りは重い。多くの命が失われた事実が重く圧し掛かっていた。
 鈴麗のいた治療所だけでも数多の死者が居て、その数倍の怪我人が居たのだ。他二か所を合わせたら、どれほどの被害になるのか。
 荷を運ぶ人たちも顔ぶれが変わり、そして数が少なくなっている。もちろん、珱李(おうり)の姿はない。それが、馴染んだ人たちがもういないのだという事実を鈴麗に痛感させた。

 顔も知らぬ、あの青年の新妻という人を思ってみる。前回夫が死の淵から帰ったことを喜んだその人は、今度はどんな思いで珱李と対面するのだろう。
 ……鳳族を許しはしないだろう。
 戦いさえなければ、珱李たちが命を落とすことはなかったのだ。神族から他部族へ戦を仕掛けることはないと、鈴麗にももうわかっている。鳳族があえて触れようとしなければ、侵そうとしなければ、起こらなくてもいい戦だったはずなのだ。
 珱李だけではない。命を落としたすべての神族に、そうして待つ人が居るはずだった。鳳族の陣にいて、芳姫と龍炎のことだけ気を配っていた時は、考えもしていなかったこと――自分は、鳳族を自分の属する部族とは思ってもいなかったということか。
 今ならわかる。
 神族は鳳族を許すことはないだろう。彼らの行為を捨て置きはしない。ただ向こうの攻撃に対しての防御のみで解決できる範疇を超えている。
 鈴麗自身も、問われたら、憎いとまではいかなくても許したくないと思ってしまうだろう。
 ――悲しみも憎しみも、こうしてどこまでも連鎖していくのかもしれない。


 数日の行軍の合間、交わされる会話はごくわずか。運ばれる、あるいは自らの力で歩く負傷者を考慮して、移動速度は行きよりもはるかに遅い。力を温存して待機している法術士が多いから急変があっても何とかなることだけが救いだ。
 行きの倍の時間をかけ、幸いにも鳳族には見つけられることのなかった<道>を潜り、神族軍は人々の待つ領地へと帰りついた。




                       ☆       ☆



 
 亡くなった人は弔われ、今後の対策が王宮や軍部で話し合われる。戦場から戻っても、何もかもが終わったわけではなく、残ったままの傷跡もまだ大きい。
 特に、法術士たちの仕事は今からが本番といっていい。治療院の寝台は収容された負傷兵ですべて埋まり、溢れた者は自宅療養中。前回の戦よりも強硬な日程で法術士たちは治療を行っている。
 その中で鈴麗に与えられた仕事は、法術を待つ間の処置として手当てを行うことだ。薬を作り、自宅で安静している兵士のところへ届けに行くのもそのうちのひとつ。

 寝台に眠る兵士が交代で運ばれていくのを横目で見ながら、鈴麗はひたすら薬を作る作業に没頭していた。材料となる生薬の量と治療状況との折り合いをつけながら、その日その日予定量を作り、それが終わったら今度は薬を届けに回る、ということの繰り返しだ。
(はー……終わった)
 手当てに当たっている人々を見守るために兵士たちの寝ている部屋で作業をする羽目になっている。急遽衝立で各々の兵士の区画が作られてはいるものの基本的には広いひとつの部屋だ。大声を上げるわけにもいかず、鈴麗は心の中でそっと思う。
 その代り勢いよくすり棒から手を離し、大きく伸びをした。少し休憩したら、今度は配達係にならなければならない。
 出来上がった薬を鉢ごと看護助手へ渡してから、鈴麗は作業着代わりの上着を脱いだ。さすがに外へ行くのに汚れた姿ではまずいので、しっかりと体や手についた薬草片を落としていく。
 身だしなみを整え一息ついている間に、看護助手の方では薬をとりわける作業をしていてくれるのだ。治療院で使う分をとりわけ、残りを携帯用の薬入れに移し替える。それと患部にあてるための布と薬を塗るための木べらを持って、兵士たちの家を回るのだ。

 ただ薬を持っていくのではなくて、往診も兼ねている。だから鈴麗を始めとしたある程度診立てのできる数名が分担していて、その中に光玉も居た。
 今回の被害は、すべて鳳族から受けたものだ。神族の男と結婚し子供を産んだとしても、鳳族の象徴たる栗色の髪を持つ光玉が各家を回ることに人々は難色を示した。憎んでも憎み足りない鳳族の女が丸腰で家を訪れたとしたら、どう反応するだろうか――。光玉はそんな中平然として各家を訪問し、きちんと医師として仕事をしていた。実際に危い事態にもなりかけたらしいが、当の怪我人が家族を諌めたのだそうだ。
『きちんと正しいことをしていれば、受け止めてくれる人は必ずいるわ』
 いつもの笑顔でさらりと流す光玉を見て、我が母ながらすごい人だ、と鈴麗はしみじみ思った。
 実際、あちこちを訪問した鈴麗も、ひどい言いようをされたこともあったのだ。得体の知れないものを持ってきたとか、目の前にいるのが華瑛と光玉の間に生まれた娘だと知っている人からは、やはり鳳族に関する言葉を投げかけられたりもした。
 それでも、薬を待っていた当の本人が、温かく鈴麗を迎えてくれた。
 そして、鈴麗が嬉しくなるような言葉をかけてくれた人もいる――。



 用意された品を肩駆け鞄へ納め、訪問する怪我人宅の一覧が書かれた紙を手に、鈴麗は治療院を出た。これから夕暮れまでかけて数軒を回る。
 軍部棟から街へ出る通路を辿りながら、ふと鈴麗は時間を確かめる。この仕事に出るのはいつも同じ時間だ。今日もほとんど変わらない時刻だった。
(今日はどうかな?)
 昨日は、いなくて。一昨日はいた。その前はそこを通らなかったから、わからない。
 治療院から街へ出るための通路はいくつかある。その分岐点の角で立ち止まって、鈴麗はきょろきょろとわかれ道を見比べた。
 片方は少し遠回りになる。少し考え込んだ後、鈴麗はそちらの道へと歩き出した。
 その通路は、王宮よりを回っていくつかの建物と訓練場をつないでいる。遠回りの代わり、そこを通ると見えるものがあるのだ。
 すれ違う人々に挨拶をしながら鈴麗は急ぎ足で歩く。やがて、二つ目の建物を抜ける頃、遠くから矢が的に当たる音が聞こえてきて、鈴麗はそっと歩く速度を緩めた。
 石畳の敷かれた道。植え込みで遮られた向こうの敷地は、弓の修練場なのだった。音が聞こえるということは、誰かが練習をしているということだ――もちろん、鈴麗が期待する人とは限らないのだが。
 まだ山々が紅葉し切らないというのに既に色あせ始めた植え込みの木には隙間が多く、しかも植えられた間隔も広い。もともと境界線程度のつもりなのか、覗こうと思えは修練場にいる人の様子を窺うことができるのだ。

 彼の予定など、知らない。けれど、この時間は何故かここにいることが多いようだから。
 ごくゆっくりと歩きながら、鈴麗は木々の向こうに見える人影を確かめた。
(……いた)
 矢をつがえ、ゆっくり型をとる青年の姿が見える。遙か向こうの的を見据える横顔は真剣そのものだ。
 弓の素養は鈴麗にはないが、その立ち姿も弓弦を引き絞る動きも無駄がなくて美しいと思う。思わず感嘆のため息が出そうになるが、慌てて口を塞ぐ。物音を立てたら、覗いていることに気付かれてしまうだろう――海苓ならきっと気付くと思うのだ。
 狙いを定める時間は一瞬。矢は綺麗な線を描き、小気味いい音とともに的の中央に突き立った。思わず拍手しそうになるのを鈴麗は辛うじて堪える。
 修練場には海苓の他に誰もいないようだった。響く矢音は海苓が放つものだけで、彼に声をかける存在もいる様子がない。
 腰の矢筒から、矢を取り出して番える。的を見据えて弓弦を引き絞る。一拍の間をおいて矢を放つ。
 一定の間隔で淡々と繰り返されるその動きを、鈴麗はずっと見つめていた。時折風が通り抜けていくが、それすらも取り込んで海苓の狙いは外れず、矢はほとんどが的の中央に集中している。

 手の中で同じ風に吹かれた書類がかさかさ音を立て、鈴麗は我に返った。
(今日は運がいい、かも)
 本当はもう少し見ていたいくらいなのだけれど、遠回りした分、今度は時間がなくなっている。それに道の真ん中で立ち止まりすぎて、誰かに見咎められるのも海苓に気付かれるのもよろしくない。
 少しだけ後ろ髪を引かれる気分で、鈴麗は本来の用事を果たすべく歩き出した。
 それでも姿が見れたことが嬉しくて思わず頬が緩んでくる。誰かに見られたら不審がられるに違いない。
 石畳はさらに別の建物の入口へと続いている。そこに入る直前、鈴麗はちらりと修練場を振り返る。
 植え込みの隙間から、先ほどと変わらない姿で矢を射続ける海苓の姿が見えた。
 その姿を、見られただけでも。



 いいことがあったせいで気分もいい。少しだけ皮肉めいた言葉を訪問先で投げかけられた気もしたが、鈴麗はその内容をほとんど覚えていなかった。
 各々の怪我人の状態を診て処置をし、薬を処方する。法術で治すのとは当然かかる期間が違うが、順調に治癒してきているようだ。
 順当に仕事を終わらせ、鈴麗は訪問予定の最後の家に辿り着いた。――ここの家は、今まで回ってきたところと比べて、鈴麗にとって少し複雑な立場にある。
 玄関先で訪問を告げると、まず出迎えたのは負傷兵の母親に当たる人。鈴麗に向ける顔つきは険しい。鈴麗の持ってくる薬が確実に効いている様子がなかったら、まず確実に叩き出されただろう。――この女性の兄が、鈴麗が最初に同行した戦で言い争いになった例の神官で、華瑛と真っ向から対立するので有名な人物らしい。
 この家には娘がいるが、一番初めの訪問で鈴麗をきつく罵ったきり一切出てくることはない。婚約まで交わした恋人を今回の戦で亡くした――あの最初の爆撃で命を落とし治療所にすら辿り着けなかった、文字通り「鳳族に命を奪われた者」だ――のだそうだ。
 当の怪我人本人は、鈴麗が訪れる度ににこやかに礼を述べてくれる。そして彼の祖母は、涙を流さんばかりの勢いで彼を助けてくれたことを感謝してくれた。
 この微妙な空気の中で鈴麗は診察を行うのだ。いつもはほんの少し気分が沈むが、今日に限っては頑張れそうな気がする。

 案内された部屋では、寝台に身を起こした青年が、揺り椅子に腰かけた祖母とともに鈴麗を待っていた。
「こんにちは。お加減いかがですか?」
 鈴麗の声に二人ともそろって笑顔を向けてくる。彼はその怪我の度合いから法術治療対象外とされていたのだが、幸いにも経過も順調でこのまま自宅療養で済みそうだった。
 怪我の様子を確認し、薬の塗り方なども確認する。薬を補充しようと容器を確認すると薬も布も予想外に減っていてほとんど空に近い。
(?)
 鈴麗たちの往診は定期的に行われており、薬もそれに合わせて補充されている。指導通りに行っていれば、余ることはあっても不足することはないはずなのだ。
「多めに塗っていましたか?」
 顔をあげて青年を見ると、ひどく困ったような顔で祖母と目を見合わせている。そして、彼はとても言いにくそうな様子で口を開いた。
「……ばあちゃんがさ、腰が痛くて動けないって困ってたんだよ。この薬、痛みにも効くって言ってただろう? いけないことだってわかってるんだけどさ……」
 この薬は傷病者へ軍から支給されているものだ。それを家族とはいえ本来使うべき者でない者に使うということは。
「いつもなら、法術士の人に診てもらうんですけどね。今はとても忙しそうだから……」
 彼の祖母は、遮るように呟くほどの小声で言った。実際、法術士たちはすべて戦傷者への治療で掛かりきりになっている。一般の治療へは手が回っていないのだ。
 もちろん、鈴麗がこの場で判断したりする権限はない。ただ、報告をしなければならないだけだ。
 実は、こんな話はこの家だけの事では無かったりする。
「とても良く効いて、おかげですごく助かったんだよ。俺の治療が少し遅れるくらいはかまわないし、罰ならば受けるから」
 結局鈴麗はその場では言葉を濁した。
 鈴麗にできることは、きちんと報告することだけだ。ただし、違反とは違う形で。



 往診を終え、治療院へ戻った鈴麗は早速医務官のもとへ向かう。法術士と鈴麗を始めとする医師・薬師や看護助手を取りまとめるのが医務官だ。自宅療養中の兵士の様子など、すべて報告することになっているのだ。
 鈴麗が何故か廊下の隅に作られた医務官専用の机がある場所に向かうと、そこには医務官のほか江普が居て何事かを話し合っている様子だった。
「ああ、鈴麗殿も戻られましたか」
 鈴麗が声をかける前に向こうが気付き、会釈してくる。慌てて鈴麗も挨拶し、早速書類の提出とともに内容を報告した。
「――なるほど、やっぱりそんな話があったか」
 話が最後の訪問宅の薬の件に及ぶと、医務官は困ったような顔で頭をかく。隣では何かの書類を持ったまま江普が苦笑していた。
「これで三十件を超えましたね」
「誤魔化して使わせてる奴もいそうだな」
「光玉殿や鈴麗殿でなければ、異常に気付けない可能性もありますしね」

 ――現状起きている問題。
 今、治療院は人々に法術を提供できないでいる。戦傷者の治療に忙殺され、そちらは完全に停止していた。自宅療養している兵士の中で、治療を受けられず困っている家族に支給された薬を使わせてしまっている例があったのだ。
 治療院が本来の役目のひとつを果たせていないことは問題ではある。しかし、軍から兵士へ与えられているものが家族へ結果として横流しされているのも看過はできないということだった。
 神族内において病も怪我もすべて法術により治療される。自らが法術を使えれば何ら問題は生じない。適性を持たない人や自分の力では及ばない人たちのためにあるのが治療院で、それが唯一の治療場所なのだった。
 街中にすら法術を提供するような施設がないのだ。そして法術以外の、薬などを使った治療を提供する施設も然りだ。鳳族の中で暮らしてきた鈴麗にしてみれば驚愕に値するが、神族の大部分が法術を使うために必要性がなかったという証明でもある。
 鈴麗からの報告を手元の書類に書きつけて、医務官は唸った。
「これはさすがに上申してもいいだろうな。今までと同じようなやり方ではなんともならん」



 鳳族への態度。医学や薬に対する見方。法術士に対する感情。
 この数カ月の間で、鈴麗を取り巻くものは目まぐるしく変わりつつあった。悪い方向へでは、たぶんない。



2010.12.24


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