時の円環-Reconstruction-


29



 街は、無事に終わった戦とどうにか得られた豊作を祝う雰囲気に満ちているようだった。
 石畳を挟んで広がる露店には、周辺の村々から運ばれてきた品々がこれでもかと積み上げられている。家々に渡された紐には模様の描かれた布が結ばれ風に踊り、行きかう人々は多く気をつけないとぶつかりそうになったりする。時折鼻をかすめていくのは何かを焼く香ばしい匂い。
 祭かと思えるほどの賑やかさ。しかも二日前よりさらに賑やかになっている。
 凍冶はその中を一人歩いていた。
 時折不思議なものが見えるとそちらに目を向けつつも、目的地へと向かって人々の間を抜けていく。
 穀物や果物などの食品、あるいは衣類や装飾品。向こうに見えたのは何か生き物のような気もしたし、先ほど通り過ぎた店に山になっていたのは間違いなく本だった。
 神族の街にもむろんこういった商店街はあるし、様々なものが集まる市場もある。だが、これほどの種類と品数が揃うことはまずない。凍冶が今歩いているのは、神族の街ではなかった。
 売る人々も、買う人々も大部分は茶色の髪と瞳を持つ――鳳族。黒が神族を特徴づけるように、鳳族に属する者はみな茶色を示すのだ。中には赤毛や金色の髪を持つ人々もいるが、それは確実に隣国から訪れている商人のような人と決まっていた。
 他部族にも茶色の髪や瞳を持つ者はいる。ただし、黒髪黒眼を持つのは神族だけ。その特徴が否応にも神族の神秘性を増し、彼ら自身に優越感を持たせていることは否めない――と凍冶は思っている。
 神族がその姿を隠すのはしかしそんなに難しいものではない――特徴である髪と瞳の色を偽ればよい。そうして他部族と交流のない神族は各部族の街へ滑り込み、情報を集め孤軍奮闘する。
 凍冶は普通の旅装で歩いているが、傍目には茶色の髪と瞳を持つ人間に見えているのだ。人口の多い大都市、しかも異国の人々の出入りも多いとなれば、多少見かけない人物がいたところで怪しまれることもない。

 露店の通りを抜け、凍冶は目的の店の扉をくぐった。
「いらっしゃい!」
 先ほど露店を覗いていた時とは違う、薬独特のにおいが凍冶の鼻に飛び込んでくる。すっかり馴染んでしまったものではあるが、様々なものが混じってしまっているために人によっては臭いと嫌うかもしれない。
「すみません。一昨日に引き続いてまた来てしまいました」
 威勢よく迎えてくれた恰幅の良い主人に凍冶は手を挙げた。茶化して言うと彼からは豪快な笑いが返ってくる。
「ああ。ゆっくり品定めして買って行ってくれよ。うちは都一の品ぞろえだからね」
 主人はそう言って片隅にある卓と椅子を示した。前回来たときにかなりの時間をかけてやり取りし、相当な数と量の生薬を買い付けたのが功を奏したのか対応がいい。独学だけではなく鈴麗にも学んだ薬の知識が役に立った。結構な識者と思われたらしいのだ。
「今日はどの辺が御所望で?」
「そうですね。一昨日はそこまで行けなかったので今回は下薬を中心にお願いしたいのですが」
 主人の質問に答えながら、凍冶は卓に着き荷物を下ろした。前回の話を覚えていたらしい主人が奥へと引っ込むのを見送り、その壁に一昨日はなかった物を見る。

「あの壁の布は? 前はなかったようですが」
 戻ってきた主人に尋ねると、彼は何事かと示された方向を振り返った。
「ああ。昨日から鳳凰の祝賀でしてね、安産祈願と商売繁盛に飾ってるんでさぁ」
「鳳凰の祝賀、ですか」
 凍冶が尋ね返すと主人は不思議そうな顔を向けてくる。
「昨日からあっちこっちで騒いでたんですがね。旦那、気付かなかったんで?」
「何しろ初めて来たものですから昨日もあちこち回っていて。やけに賑やかと思ったらそれですか」
「それじゃ、わからないのも道理だ」
 困った風に苦笑して凍冶は誤魔化したが、主人の方も疑った様子はない。正しくは昨日凍冶はこの都には『いなかった』。買い付けたものと手に入れた情報を持って神族領へ戻っていたのだ。

 鳳凰の祝賀は、要は鳳族の祭なのだそうだ。鳳族の柱たる皇族は対の魂を持つ。それを鳳凰と呼ぶことから来た名だ。数日続くこの祭の初日、皇族からの加護が込められた布が希望者に贈られ、人々はそれを家や店に飾りそれぞれの繁栄を祈る。 
 店にとっての繁栄は商売繁盛。たいていの店や商人はこれを受け取り祭中飾っておくのが常識らしい。
「安産祈願というのは?」
「皇女様がご懐妊なされたって数月前に発表されましてね」
 飾られた布を人々は護符と呼び大事にするが、今回はその皇女の安産祈願も兼ねているものだという。世継ぎの誕生を願う人が多ければ多いほど皇女も護られるということらしい。
「皇女様は無事目覚められたし、即位された対の御方は下々のことも考えてくださる立派な方だし、これでお世継ぎが生まれたらもう安泰ってわけでさあ」
 主人はまるで自分のことのように誇らしげに胸を張る。手にしている生薬の箱もそのままに鳳族の自慢話が始まってしまった。実際のところ、一昨日凍冶が訪ねたときも交渉の時間より主人の自慢話の時間の方が長かったりしたのだ。これは今日も長丁場になると凍冶は覚悟した。



 昨日と同じくらいの時間をかけて交渉を終え、無事入手した戦利品を手に凍冶は店を出た。
 基本的に情報収集にもなるし話を聞くのも嫌いではないが、さすがにあの主人の話は長すぎる。外へ出て扉を閉めた途端に溜息が出たのも止むを得まい。
 袋に納められた品々を確認する。一昨日手に入れたものも含めて採取では手に入れにくいと聞いたものばかりだった。これだけあれば十分だろう。
 凍冶の潜入の目的はふたつある。ひとつは鳳族における施療院や医師のことを探ること。もうひとつは施薬院を創設するにあたって必要な生薬を揃えること。
 目的は達成されたと判断し、凍冶は早速戻ることにした。
 往来は相も変わらず賑わしい。神族の街並みとわずかに似ているようで全く違う鳳族の街並み。石畳も建物の作りも似ているけれど、街ゆく人とこの賑やかさが明らかに異なっている。

 この街で、鈴麗や光玉はどんなふうに過ごしていたのだろう。あるいは、海苓の過去世に当たる人も、高貴な身分を隠して街へ出たりしたのだろうか。
 凍冶は、人波の間にそんな姿を想像してみた。鈴麗や海苓から聞いた話程度では本当にささやかな幻しか描けず、今の賑やかさにあっけなく呑み込まれてしまう。それでも、この街が、この種族が、彼らを育んだことは間違いないだろう。

 主人から長々と聞いた話を思い出す。彼の話は多岐に渡っていた。鳳族が徐々にではあるが神族に勝ち始めている話、皇女の復活劇から対の即位式、お披露目、そして長く待ちわびた世継ぎの懐妊の話から、どれだけ都に様々なものが集まるか、果ては都の観光名所やらお勧めの酒場まで事細かに話された。王宮御用達の薬品店でもある主人は、不思議なほど王宮内での噂にも詳しかった。
(やはり、すべては『未来』につながっているのだろうね)
 戦神と呼ばれる新帝はしかし人当たりが良いともいわれる。燃え盛ると言われた先帝と比べると天地の差。臣下たちの不満の減少。即位式後から飛躍的に改善された王宮内の環境。
 そして待ちわびた即位の儀に、皇女の懐妊。世継ぎの誕生への期待。

 ――海苓は、過去世である『新帝』龍炎の戦場での死と引き換えに、今の生を得る。

 神族は他の部族の血脈を滅ぼしてはならない。
 しかし、今のままでは、鳳族の猛攻に対抗できない。神族は滅ぶしかない。
(ああ、なるほど)
 様々なものが符合する。今の状況は確かに、海苓が覚えている過去である『あの瞬間』へと繋がっているのかもしれない。

 海苓は焼きつくように残っている『あの瞬間』の記憶を何よりも嫌悪している。海苓の時間を否応なく一方向へ導き、海苓のすべてを縛り、時空の理を歪めるもの。
 幼い頃から凍冶はその話を聞いていた。海苓の過去世の話はとても面白かったし、他の神族とはできない話もとても刺激的だった。
『ところで、今の君はその娘のことをどう思うんだい?』
 そう尋ねられたときの海苓の表情を、凍冶は今でもはっきり覚えている。その答も、一言も違わずに覚えていた。
 どれほど過去の記憶があろうとも、今生きている者の想いより強いものはないのだと、凍冶は思っている。それは確信に近かったし、そう思う根拠もある。
 海苓と龍炎は他人なのだ。たとえ同じ魂という一本の線上にいるとしても。
 凍冶は、いずれ来るという『あの瞬間』の、その先の未来のことを思ってみる。それは、先ほどの過去と違って容易に想像できた。今凍冶が立っているのは違う街であるのに、神族の街並み石畳を彼らが並んで歩いて行く姿さえ、思い描けそうだ。
 ――様々なものの犠牲の上に成り立つその幻は、それでも海苓たちにとって良いものなのだと思う。
 



『"海苓"は鈴麗が大切なんだろうと、"龍炎"は確信してた。それは確かだ、今の俺にもわかる。"海苓"は、とても大切なものを見るように彼女を見ていたんだから』



2011.1.9


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