時の円環-Reconstruction-




 しばらくして、神族の地に鳳族の皇位交代の噂が伝わってきた。
 かつての皇帝たちの誰よりも神族へ執念深く戦を仕掛けてきていた現皇帝が、皇女の伴侶である皇位継承者へ禅譲したのだという。
 深き眠りについていたはずの皇女の復活と、若き皇帝の誕生。もちろん、神族への戦がなくなるわけではない。鳳族にとっては、準備が整ったはずだ。
 つかの間の平穏の終焉。均衡は崩れたらしい。



 いよいよまた戦となるか、という話は、海苓たちの間でも随分と語られるようになっていた。 鳳族の譲位については、他の部族へも届けられているだろう。他部族との交流がまるでない神族に情報が伝わってくるには、さまざまな情報網を張り巡らせていたとしても間が空いてしまう。
 おそらく鳳族はすでに戦の準備を始めているだろう――秋の収穫を終え、冬ごもりを始める前に一度仕掛けてくるに違いない、というのが、もっぱら兵士の間で囁かれる話だった。

 海苓にとっても、鳳族との戦は現実味を帯びていた。領地外まで出て狩りをしている鳳族の人間を見ているのだ。狙っていたのがどうやらさまざまな薬の原料となる獣だった、となれば何が起ころうとしているのか簡単に予想が付けられる。
 いよいよ、すべてが動き出そうとしているに違いない。 

「ずいぶん仲良くなったらしいじゃない?」
 物思いにふけっていた海苓は、突然投げ込まれた刺々しい言葉を理解できず思わず振り返った。背後で椅子に腰掛けた清蘭が据わった眼でこちらを見つめている。今の唐突な言葉は、彼女が発したものだ。
「……は?」
 冷静に彼女の発言を咀嚼してみるものの、あまりにも足りない言葉にやはり意味が分からず、海苓は間の抜けた声を上げた。
「鈴麗とずいぶん仲良くなってるみたいじゃないの」
「そうか?」

 海苓は首をひねると、手に持っていた弓弦を弾いて音を鳴らす。単なる弓である。さすがに楽師のような美しい音を奏でるのは無理だが、不思議な振動が空気を揺らし、海苓と清蘭の間を漂う。
 その音を聞きながら、海苓は考え込んだ。確かに接触の機会は多いだろう。偶然と呼べるものも多いが、凍冶との医術関係のつながりで彼女と接したこともあるから、全く無関係でもない。
 鈴麗自体が海苓と行き合えば必ず挨拶をしてくるから、海苓も当然礼を返す。特別のことでもないように思うのだが。

 しかし、当の清蘭の表情はやわらがない。険しい目つきのまま、清蘭は椅子から立ち上がり、数歩分海苓に近づいた。
「知ってる? あちらこちらで女官たちが嘆いてるって話」
 明らかに機嫌の悪い清蘭は、またもや脈絡もなさそうな話を出してきた。話題の飛びっぷりに、海苓はついていき損ねてしまう。
「女官?」
「女性を遠ざけてばかりの海苓に、特定の相手ができたのじゃないかというもっぱらの噂よ」
「……いったいどこからそういう話に」
「兵士たちも言っていたわよ、海苓が自分から女性に話を振るなんて珍しいって」
 しかも特別の用もないのに。
 そこまで指摘されてようやく気がついた。兵士たちがと言うなら、それはきっと、あのときのことを指している。というより、そんな他愛のないところまで観察されているということか。なんとなく憂鬱になってきた。

 清蘭を除いては特に親しいと呼べる女性はいない。取り扱いに困るなんとも言えない視線を向ける女性たちに、戯れに世間話を交わす理由もそもそもなかったのだ。
 確かにあの賭け試合の後、見物人の中にいた鈴麗を見つけ、珍しいところにいると声をかけた。けれど、それも鈴麗が先に声をかけてきたからだ。もし彼女がこちらを見ていなかったら、彼女がいる理由を疑問に思いはすれど、そのままにしていたに違いない――と思う。
 一瞬、記憶が混乱した。鈴麗が声をかけてきたのは、自分が最初に彼女が居る方向へ向かっていったからだったか?

「まあ言われてみれば確かにそうだな。けど、それは清蘭と同じだろう?」
 女官にしても兵士たちにしても、海苓の先行きを噂するのは勝手だが、鈴麗を取り上げるならその前に清蘭の存在を考えるべきだろう。今まで海苓が親しくしてきた同世代の女性は、清蘭ただ一人だ。
 海苓がそう言うと、清蘭は痛いところを突かれたように言葉を詰まらせる。かすかに俯いた清蘭は、どこかから絞り出すように低く呟いたが、海苓は聞き取ることができなかった。
「清蘭?」
 俯いたまま無言の清蘭に困り、海苓は彼女に呼びかける。気を取り直したように清蘭は顔を上げたが、彼女の表情を見るにまだ機嫌が悪そうだった。
「思い当たる節はない? どうして鈴麗に話しかけたりしたの?」
「どうして、と言われてもな……」
 難問を突き付けられ、海苓は返答に窮する。

 海苓はその手に弓を持ったままだった。矢筒に用意した矢は十分に残っているが、今日はどうやらこれ以上鍛錬をするのは無理そうだ。それ以前に考え事で中断していたのだから、片づけて清蘭との話に集中する方がよさそうだ。
「凍冶たちの薬草採取に護衛として付き合ってるからな、まったく面識がないわけじゃない」
 そう答えながら、海苓は弓と矢筒を手に清蘭のそばを通り過ぎた。最初に彼女が座っていた隣には海苓の荷物が置いてあって、そこに道具がそろっている。海苓はしゃがみこんで片付け始めた。
「それだけ?」
「不十分か?」
 背後にいるから表情はわからないが、清蘭に納得した気配はない。

 最初は――どこだったろうか。見かけたのは、王城の中庭。顔を合わせたのもその日。
 凍冶に会うための研究棟での入口――そして図書館。護衛として薬草採取に付き合って、はぐれた彼女を探したのも、そんなに昔のことではない。
 快活に動き回る彼女の話もよく聞く。医術を教えられている凍冶を介して様々な話も聞かされる。街中で姿を見かけることも稀ではない。
 東屋で会って、どうやら考え方が似ているらしいことが分かった。
 ――その上でのあの場面だったと思うのだが。
 確かに、街中で存在に気づくことにしても、そこまで人を気にしたことがない。それをいうなら、そもそも――。

 記憶をたどるように巡らせた思考を、後ろからの清蘭の声が遮った。
「――過去世にでも、囚われたのかと思ったわ」
 明らかに悪意を持った響き。海苓はぴたりと動きを止めた。
 剣の鍛錬をしていなくてよかったと心底思う。もし今持っているのが愛用の剣だったとしたら、背後にいるのが女性だとか清蘭だとか関係なく、彼女の首元に切っ先を向けていたに違いないのだから。幸いにも、今手にあるのは巻き取った弦だ。
「……何か、言ったか?」
 海苓はゆっくり立ち上がった。絞り出した声は思うよりずっと低く敵意を隠し切れていなかったが、振り返った先にいる清蘭に堪えた様子はない。彼女も、こちらを貫くような視線で睨んでいた。

 あたりの空気が張り詰める。清蘭の攻撃的な雰囲気が空気を通してこちらに伝わってくるようだ。もっとも、海苓も自覚している通り、彼自身も鏡に映したように清蘭に向って無言の圧力をかけているのだが。
「違う? そうでもなければ彼女にこだわる理由なんてないはずよ。散々嫌っていた過去の記憶に侵食されてでもいるの?」
「それをお前が言うのか」
「あら、だって。そんな風に見えるわ、周りからは」
「!」

 過去の記憶。海苓の神族内での立ち位置を、生まれたときから規定してしまったもの。過去と、――そして未来まで一方向に決定してしまったもの。
 つまり、また自分は過去に飲み込まれているのか。あの時と同じ――定められるまま未来を選びとろうとしている。それは、海苓がもっとも厭ったもの。

「あなたと私は、共同体。あなたを縛る運命を変える。未来を変えるのでしょう? そうしなければ、何も始まらない」
 清蘭が縋るようにこちらを見つめた。まとっていた不機嫌さは溶けるように霧消して、瞳に寂しげな光が宿る。けれど、海苓の高ぶった心は静まらなかった。信じがたいことを発見したがために生じた苛立ちは、しばらく落ち着きそうにない。
「……ああ、そうだ。運命を変える。それは変わりない」


 清蘭と別れた後も、海苓の気分は最悪のままだった。
 過去に自分が乗っ取られることだけはごめんだ。そのために、自分は未来――運命を変えるのだと決めたはずだ。あのとき、あの場所で。それは誓いでもある。
 それが揺らいでいるとするなら、自分はもう一度あの場所で誓わなければならない。
 足元がふらつくような錯覚を感じながら、海苓はゆっくりと王宮の方向へ向かっていた。目的地は、王宮の奥、神殿を通り抜けた先、神族すべてのよりどころとなる石碑だった。
 渡り廊を抜けた時は気にならなかったが、森へ入ると緩やかに海苓の前髪が舞い上がる。どうやら風が強いらしい。ふと見上げると、薄暗い雲が空を覆い尽くしていた。
 土を踏みしめる音を聞きながら海苓がたどり着いた先――石碑の前に、誰かいる。
「――」
 この期に及んで、また会うか。海苓は嗤いたくなった。
 そこに立ち、石碑を見上げているのは、目を引く艶やかな黒髪の少女。
 鳳族の血も受けているというのに、純粋な神族ですら珍しい黒々とした髪を持つ娘――鈴麗だった。




 鳳族で禅譲が行われたらしいという話を、鈴麗は父から聞くこととなった。
(龍炎様が皇帝陛下、芳姫様が皇后陛下……無事お継ぎになったんだ……)
 きっと、盛大な祝宴が行われたに違いない。次期皇帝にふさわしいと誰もが賞賛したかの人を、皆歓迎しただろう。
 鈴麗はふと思い付いた。ああ、それならきっと。
(龍炎様と芳姫様の婚姻も、同じくらいに行われたんだろうな……)
 皇統を継ぐであろう二人が、祖神の加護を受け絆を深め、さらなる鳳族の守護を願う――それが鳳族の皇族における婚姻だ。巡り合う魂を結びつける儀式。
 どんな風に行われるのか、話でしか聞くことはできなかった。その前に行われたのが前皇帝のときなのだから数十年前。鈴麗と同じ世代に、それを見た者などいるわけがない。二十などとっくに過ぎ、適齢期を通り越しそうになっていた二人だからこそ、いつ行われるのかと護衛たちは心待ちにしていたのだ。
(二人とも奇麗に着飾ったんだろうね)
 見たかったなあ、と鈴麗はその日のために仕立てられたであろう衣装を身にまとって寄り添いあう二人を想像してみる。憧れ続け、けれどついに見ることができずに終わった姿だった。
 きっと、何より美しい光景だったに違いないと思うのだ。



 しかし、喜んでばかりもいられない。
 滞りなく皇位が次代へと譲られる。それで平穏に終わるはずがない。

 
 
 珍しく風が強い日だった。空は曇天ではないけれど、埋めつくしてしまいそうな雲が目に見える速さで流れていく。神族にとっての聖地である森の木々も、ざわざわと落ち着かない音を立てていた。
 風に飛ばされるのに辟易してひとまとめにした髪を揺らしながら、鈴麗は神域の奥へと続く道を歩いている。まっすぐに作られた道の先、森の開けたその場所に、石碑はあった。

『この地へ生まれ着いた者よ。更なる高みを目指し日々魂を磨き、いずれの日か、神々の元へ至らん』

 鈴麗の体よりはるかに大きいその前に立って、刻まれた文字を見上げてみる。
 神々の御許へ続く、魂の道――その途中にいるのだという神族。鈴麗はその一員だ。
「……」
 鈴麗はふと視線を下して自分の両手を見つめた。神族の父を持つこと、種族の特徴である黒眼黒髪であること、魔術の才を持つこと。それが自分が神族であることの証明。
 しかし。
 それは、数か月前までは共に過ごし、仲間として接してきた人々と完全に敵対することでもある。自分の気持ち、それから相手方の思惑は、仲間とはほど遠いものだったかもしれないけれど、それでも自分が守りたいと思う人たちは確かにいた。そして、その人々に対する人々を憎みはしないまでもそれなりの感情を向けていた。
 今は完全に逆転しているのだ。自分は今まで敵意を抱いていた人々の中にいて、大事だと思っていた人と敵対する位置にいる。
 きっとこれから少しずつ神族になじんでいくのだろう、大切だと思う人もできるのかもしれない。そして、自分は神族のためになるように行動するだろう。
 芳姫や龍炎の幸せを願うこととは完全に相反する。二人の婚姻や即位を喜んだけれど、きっとこれからは――。
 それは、鈴麗にとても複雑な気持ちを呼び起こした。芳姫も龍炎も、今の鈴麗を形作った人たちで、今なお鈴麗にとって重要な人たちであることに変わりはないからだ。
「私、……神族になれるのかな」
 父に話を持ち出された時、より明るい未来を探して心が動いたのは確か。芳姫と龍炎と敵対することになることは、母に指摘されるまでもなく理解していたつもりだった。けれど、こんなに迷うということは、覚悟が足りないのだろうか。
 自分が戦場に立つわけではない。兵士ではないから、せいぜいが後方支援で治療の手伝いをするくらいだろう。
 そうだとしても、耐えられるだろうか。自分の知っている人たちが、まだ知らない同族を攻撃することを。顔も知らぬ同族が、知っている人を傷つけることを。もしその傷つけられる人たちが、芳姫や龍炎なら。
(……わからない)



 背後で土を踏む音がする。枝が折れる乾いた音に驚いて鈴麗が振り返ると、ちょうど森が開け広場となる入口に海苓が立っていた。大きな荷物と背丈の半分ほどの細長い袋を持っている。あれはきっと弓だろう。
 いつものように挨拶をしようとして、鈴麗は言葉を飲み込んだ。
 ぱっと顔を見て、彼の機嫌が悪いと瞬間的に悟ったのだ。明らかに青ざめていて、顔色は悪い。それでもその瞳の光は強く、目は険しかった。何よりまとう雰囲気がぴりぴりとして鈴麗は思わず一歩後ろに下がりそうになる。
 こんな表情の海苓を見るのは初めて――否、二回目だ。初めて会ったときも冷たい目をしていた。ここまで怖いとは感じなかったのだけれど。それ以降は普通に優しく笑ってくれていたから。
 睨みつけるようなその冷たい視線。何故だろう、海苓の怒りは自分に向いているような気がして仕方ない。
 思い当たることは全くないのに。

 海苓が荷物をその場においてゆっくり石碑の方に向かってくる。これに用事があるのだろうと気づいた鈴麗は、慌てて横に退いた。
 海苓は鈴麗の方を全くかまわず石碑の前に進み出て、先ほど鈴麗がしたように文字を目で追うと、何かをかみしめるように目を閉じる。握りしめた拳を胸元へ持ってくる姿は、祈りを捧げているかのようだ。
 不吉にも聞こえる木々のざわめきだけが、二人の間を通り抜けていく。
 鈴麗は、静かにそこに佇む海苓から目を離す事が出来なかった。怒りを身にまとった相手を見つめ続けて、何を言われるかわからないのに、惹きつけられるように視線を動かせない。
 だからといって言葉をかけることもできず、鈴麗は立ち尽くすしかない。

「……間違いなく、戦は起こるぞ」
 その声は、風の向こう、どこか遠くから聞こえてきたように思った。空気は恐ろしいほどに張りつめたまま。鈴麗は思わず目を瞬かせる。まさか自分に向って話しかけてくるとは思わなかったのだ。
 海苓が振り向いてこちらを見下ろしていた。その瞳は射抜くような光をにじませたままだったが、鈴麗に対して何かを問うているような目だった。
 鈴麗が鳳族の皇女に仕えていたことは、どうやら知られていることらしい。海苓が芳姫にかけた魔術を解いたのが鈴麗だということも周知のようだ――神族の王も、海苓もそう言っていたではないか。
 彼は何を問おうとしているか。
「相手はかつての知り合いだぞ?」
「私は神族です。神族のためになることをします……たぶん」
 それを何故海苓が問うてくるのか、鈴麗にはわからなかったけれど。
 森を鳴らす風は、さらに強くなってきたらしい。海苓の髪が先ほどより舞い上がっているのが鈴麗の視界に入る。少し明るい色の混じる黒髪は、すっかり見慣れてしまったものだ。
「今まで使えた主が危険にさらされてもか?」
 たたみかけるような問いに鈴麗は言葉を詰まらせる。
 そう、そこが今もって鈴麗が悩んでいたところだった。芳姫と龍炎に何かあるとしたら、自分はどうするのだろう。さっきは、神族のためになることをすると言った。けれど、それが芳姫や龍炎の命や生活の安寧につながるとすれば――そう思うと、断言できない、即答できない。

 鈴麗の沈黙を返答ととったのだろうか、海苓がふと嗤った。その表情を見て、鈴麗は唖然とする――そう、嗤ったのだ……。
「――知っているか? 俺たちが鳳族と戦うのは、自分たちの居場所を守るためだ」
 嘲笑を浮かべたままで、海苓はすぐ傍にある石碑を見た。鈴麗もその視線を追う。
 それは、父に聞いた話だった。さまざまな部族がこの石碑を神々のところへ続く扉と信じて、神族に戦を仕掛けてくるのだと。その筆頭が鳳族。
「それなら相手を押し返せば充分だろう? それなのに、神族は鳳族の皇帝を打ち取るらしいぞ。今度皇位についた奴は、長生きしない」
 何かひどく嫌なことを聞いたと思った。それはつまり、皇位を継いだばかりの龍炎を、神族が討つということか? 何のために?
 鈴麗は思わず海苓を見つめた。気分的には睨みつけたような気がするのだが。
「……どうしてそれがわかるの」
 問いかける声が、思わず低くなる。
 少なくとも、現時点でそんな話は全く聞こえてこない。噂としても聞かない。鈴麗がまだまだ神族の中に溶け込んでいなくても、そんな大それた話なら、何か聞こえてきておかしくない。そもそも戦のことすら、正式に発表されてはいないのだ。

「皇帝を討つのは……俺なんだそうだ。そういう運命なのだと」
「……!?」
 忌々しげにつぶやかれた海苓の言葉に、鈴麗は絶句した。風の中、それだけははっきりと鈴麗の耳に響いた。瞬間的に、喉がからからに乾いたような気さえする。鈴麗はようやく声を絞り出した。
「何、それ……」
 ようやく一緒になれた二人なのに? 海苓の言うことが本当なら、やっと成就したであろう平穏は、すぐに崩れてしまうということになる。
「俺にとっても冗談じゃない。そんな運命なんかに従ってやるつもりはないが、――どうする?」
 海苓の問いに、鈴麗は迷わなかった。答えを出すのは一瞬だった。
 芳姫と龍炎に何かあるとするなら、自分はどうするのか――その答だ。

「させません。二人は私が守るもの、絶対に!」
 たとえ誰であろうと、二人の幸せを壊すことだけは、絶対に許さない。認めない。それがこの人であろうと他の誰であろうと。

 激情にかられた鈴麗の叫びに、海苓は表情を緩める。
 どうして――と思った。どうしてそんな満足そうに、この人は笑うのだろう。今日顔を合わせて、海苓は初めて普通に笑ってみせたのだ。
「そうか。期待しているぞ」




 一目散に神殿の方へ戻っていく鈴麗の後ろ姿を、海苓は静かに見送っていた。
 こちらの問いに沈黙したことで確信したが、思ったより反応が劇的で、笑いだしたくなる。
「そううまくはいってないようだな、龍炎……?」
 雲の流れていく灰色の空。遠い場所へ向かって、海苓は呼びかけた。



2008.10.10


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