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カラン……っ。
店員のありがとうございましたー、という声を背に、デュランとリースは店を出た。それぞれの手には材料と道具を詰めた袋が抱えられている。とはいっても、大部分はデュランの抱える大きな袋に入っており、入りきらなかったわずかな残りの包みをリースが持っているのだった。
「……ケーキひとつ作るのに、随分材料が要るんだな」
自分の抱える袋を見直して、デュランは感心したような呆れたような呟きをもらした。女性ばかりで居心地の悪い場所を抜け出して、すっかり気分が楽になっている。
「結構、難しいんだろう?」
「そうでもありませんよ。確かに慣れないうちはちょっと大変かもしれませんけど。……面白くなさそうな顔してますね」
リースが笑いながら言う。デュランは表情をますます険しくした。
「そりゃあな、誰だって、今までバレンタインをやったことのない野郎が、まさか作る側にまわるなんて考えないと思うぜ」
しかも、作る相手は男である。
リースは目を瞬かせた。
「デュランは、チョコレートをもらったりしたことはないんですか?」
「……俺にそんな女っ気があるように見えるか、リース?」
「……ちょっと、そんな風には見えません……」
わずかな間の後、デュランからわずかに視線を逸らして、リースは実に言いにくそうに答えた。
確かに、妹や伯母からもらったことはあるが、たぶんこの場合、それは数に入らない。
もっとも、女ばかりのローラント城で十六年過ごしているリースも、男っ気のなさはデュランと張ると思うのだが。
デュランはその話を切り上げ、宿屋に戻ろうと歩き出したが、リースはその場に立ったまま、何か考え事をしている。
「リース、どうした?」
「ごめんなさい、デュラン、先に帰ってもらってもいいですか?」
デュランが振り返ると、リースは申し訳なさそうに胸の前で両手を合わせて言った。
「……何か忘れ物か?」
「いえ、ケーキの材料はこれで十分なんですけど、少し買いたいものが……」
「時間がかかるのか?」
デュランが尋ねると、リースは不思議そうに首をひねる。
「え? ……買うものは決まってますから、すぐに終わると思いますけど……」
「じゃあ、いいよ、そこで待ってる。どうせ、俺だけ帰っても、リースがいなきゃ何もできねぇし」
デュランは今出てきたばかりの店の前を示して言った。
ケーキの作り方をデュランはまったく知らない。リースがいなければ、それこそどれが何であるかすらわからないのだ。
リースはきょとんと目を丸くした後、笑い出した。その様子が……どことなく嬉しそうに見えなくもない。
「……はい。じゃあ、すぐ戻ってきますから、待っててくださいね。先に帰ったら、駄目ですよ」
「ああ、……ついでにその包みも持ってるよ、買い物するには邪魔だろう?」
持っていた小さな包みを預けると、リースは再び店の中へ入っていく。それを見送ったデュランは、店の前に立ち窓に背を向けると、雪国アルテナの空に似た灰白色の空から途切れることなく降ってくる雪を見上げた。
十分ほど経っただろうか。
吐く息は白い。防寒具をまとっているとはいえ、寒さはじんわりと体に染み込んでくる。荷物を持っている手は手袋も何もないため、ひんやりと冷えていた。
吹雪いていないとはいえ、雪もだいぶ降っている。明日はずいぶんと積もるかもしれない。
濡れないように時折紙袋と髪に積もった雪を払い落としながら、デュランは背後の窓から店内に視線を走らせた。
比較的金髪も多いフォルセナであるが―――商業都市バイゼルなら他の国出身の者もいるだろう―――、それでもリースの煌めくような金髪は容易にわかる。
デュランはすぐに、奥で会計をしているらしいリースの姿を見つけ出した。
まもなく出てくるだろう。
そう思い、デュランは空を見上げた。先ほどとなんら変わりない、灰白色の空。
雨と違い、雪が降るときは音がしない。
その上何故か、街そのものも音が失われてしまったように静かになる。人の歩く足音も、にぎやかな掛け声も、話し声も、全て降り積もる雪に吸い込まれてしまったようだ。
あまりの無音に、雪が降るときを表現するしんしんという音が、本当に響いてくるような気がする。
その無音をかき消すように鈴の音が響いて、店から飛び出してきた金髪の少女が、デュランに声をかけた。デュランが持っている二つの袋のちょうど間くらいの大きさの袋を抱えている。
「ごめんなさい、時間がかかってしまって……。寒くありませんでしたか?」
「結構寒かったけどな……待ってるって言ったのは俺だし」
デュランは口元にわずかに笑みを浮かべて答えた。
「じゃあ、早く帰りましょうね、風邪を引かないうちに」
応じて微笑み、歩き出そうとしたリースをデュランは引き止めた。
「それ、俺が持っていくよ」
「大丈夫ですよ、これくらい。それに、デュランばかりに持たせるわけにはいかないじゃないですか」
「いいよ、リースにはケーキの作り方を教えてもらわなきゃならないんだし。これくらいして当然だろ」
デュランはリースの手元からひょいと袋を持ち上げる。大きさのわりには、リースが言った通りあまり重くはなかった。
手ぶらになってしまったリースは慌てた様子でデュランの腕をつかむ。
「じゃあっ、せめて一番小さいのくらいは持っていきますから。それくらいは、いいですよね?」
リースの提案に、デュランは頷くと小脇に抱えていた包みを渡した。受け取って、安堵したのだろう、リースは歩き出したデュランの隣に笑顔を浮かべて並んだのだった。
「本当に重くありませんか、それ」
「大丈夫だって、たいしたことねぇよ」
そのまま二人は石畳を埋める雪を、音もなく踏みしめて宿屋へと帰っていった。
数時間後。
「……こんなもんか?」
最後の生クリームを搾り出した後、ゆっくりと袋を持ち上げたデュランは、その姿勢のまま、傍らにいるリースに尋ねる。
宿屋の主人に事情を話し、夕食の準備を始めるまでの間、台所を借りた二人は、早速ケーキ作りを始めていたのだった。そして、ケーキは出来上がろうとしていた。
「そうですね、綺麗に出来てますよ、デュラン」
最後の仕上げをデュランに任せ、使った道具を洗うなど片づけをしていたリースは、声に応じてデュランの手元を覗き込み、にっこり微笑んだ。
二人の目の前に、出来上がったチョコレートケーキがある。
スポンジケーキから焼き上げて、周りにチョコレートクリームを塗って、上には周に沿って白く泡立てた生クリームを搾り出して丸く並べて。
チョコレートは上からかぶせたように塗りむらがなくて、生クリームは全て同じ大きさで揃っていて。見た目はとても美味しそうだ。
「ケヴィンが喜んでくれるといいですね、デュラン」
「……美味いといいけどな」
大丈夫、とリースはデュランに太鼓判を押した。
夕食の支度が始まる前にここを空けなければいけない。デュランとリースは慌てて残っている片づけに取り掛かった。