聖剣3 紅蓮の魔導師×アンジェラ

永遠に座する





 アルテナの雪が消える唯一の季節。
 その日、誕生日を迎えた娘を伴い、アルテナを統べる女王は古い紙の匂いが満ちる図書室の扉を開いた。

 彼女が若い頃と比べ、世界に満ちるマナは格段に減った。この幼い娘が大きく育ち、彼女のあとを継いでこの国を治める頃には、おそらくはマナは完全に消えてしまうに違いない。
 彼女も、聖剣の勇者の一人として強力な魔法を使いこなし旅したあの頃のような魔法は使えなくなっていた。それどころか、アルテナにも魔法を使える人材は数えるほどになり、アルテナの代名詞であった「魔法王国」は廃れつつある。

 この図書室は、その頃から変わらず魔法に関する文献を収めていた。魔法を使える人材がいなければ、ここを使う者はいない。ただ、過去の魔法を失われし文化として研究する若者が出入りする程度だった。
 ここの常連であったホセも既に引退し、時折中の図書を整理するものがいる他はほとんど締め切られていた。
 扉が開いたことに反応し、天上のランプが明りを灯す。外から光は差すものの、貴重な古書となったこれらの本を守るために、部屋は薄暗くなっているからだ。
 ランプの明りに照らされ、部屋は明るく広がった。壁を一面埋め尽くし、部屋を細かく区切る本棚と、片隅に用意されたいくつかの大きな机と椅子。
 女王がまだ王女と呼ばれていた頃と、なんら変わってはいなかった。


「お母様、ここは何をするところ?」
 生まれて初めて入った場所に、幼い娘は不思議そうに辺りをきょろきょろと見回す。天上まで続く本棚を、首を目いっぱい曲げて見上げていた。
 そんな娘の様子に微笑を浮かべると、女王は優しい言葉で答える。
「ここは、図書室よ。ほら、ヴィクターがよく火を起こしたりしてみせるでしょう。あんな魔法のことが書いてある本が、たくさんあるのよ」
 娘は一瞬考え込み、ふっと表情を明るくした。納得した様子だ。
 散々わめかれ泣かれ、途方にくれて最後の手段として魔法を使って娘をあやしていた自分の世話役を思い出し、女王は思わず笑う。もしかしたら、娘には魔法というよりむしろ不思議な手品、という認識程度なのかもしれないけれど。
「ここの本を読んだら、ヴィクターみたいなことできるの?」
「そうね。あなたがもう少し大きくなって、ヴィクターや他の人から魔法のことや他のことを習ったら、かしらね」
 女王の返答に、娘は目を輝かせた。今日歳をとったばかりだというのに、早く大きくなる、と俄然張り切っている。
 いつか、この娘も気付くのかもしれない。今は、世界中が魔法を失っていく過渡期であって、それぞれが魔法を失うことに喘いでいる時期だということに。
 女王は、ふと前を見る。本棚の隙間に置かれた、机。

 たとえ世界が魔法を失っても、変わらないものがある。どんなにマナが減っていても、失われないものがある。
 彼女と、そして『彼』の思い出の場所だけは。
 そこにずっと昔から変わらずある光景に、女王は微笑んだ。目の端に、涙が浮かびそうになる。
 今年も、そこには『彼』が座っていた。


 蜂蜜色の髪はランプの光を照らして煌めいている。足を組んで興味深そうに手元の本に視線を落として。彼の傍らには、数冊本が積み重ねられていて。
 それは、もうずっと前から変わらない。
 この雪が解ける唯一の時期。夏にだけこの場所に訪れる、ささやかな幻。
 ―――会いに来たわ、こっちを見て。
 本をめくっていた手が止まる。『彼』が顔を上げてこちらを見た。澄んだ瞳が、女王を見つめて、優しく笑う。


「―――お母様、あそこに座ってる人、誰……」
 娘の言葉に、弾かれたように女王は自分の娘をまじまじと見た。娘はじっと机の方を見つめている。
 見たことない人だなーと眉をしかめ考え込む娘に、女王は嬉しくなった。
(そう……あなたにも見えるのね……あの人と同じように)
「優しそうな人だね」
 娘は無邪気に『彼』に手を振っている。その娘に、『彼』は目を細め微笑み返した。
 たぶん、想像もできないだろう。ここに座る人が、この国をめちゃくちゃにしかけた人物であるなど。

 女王は、娘の様子を見ながらある日のことを思い返していた。
 その男は、図書室に入ってすぐに『彼』の姿を見つけ出した。「あれがあなたの大切な人か」と。拒否されるだろうか、怒り狂うだろうか、緊張しながら頷いた女王に対し、その数年後に彼女の伴侶となったその男は―――。
『まるで本物のようだ。あなたが彼をとても大事にしていることがよくわかる』
 それ以上、男は何も追及しなかった。『彼』との過去も、関係も。
 ただ、ずっと傍にいて、女王としてアルテナを治める自分を支え続けていてくれた。
 後にも先にも『彼』の姿を見ることができたのはその男だけ。きっと、そんな人と自分の娘だから、彼女にも『彼』の姿が見えるのだろう。


 女王は娘の手を引いて促し、『彼』の座っている机へと近付く。いつの間にか『彼』は本から顔を上げ、ずっとこちらを見つめていた。
「この子、私の娘なのよ。今日、六歳になったばかりなの。今日は誕生の祝いだからって、朝からはしゃいでいるのよ」
 紹介され、『彼』はその澄んだ瞳で娘を見つめる。ランプの明りを反射して不思議に煌めく瞳に見つめられ、娘は慌ててスカートをつまんで一礼した。
 そんな様子を見て、『彼』は楽しそうに笑う。
「私とそっくりでしょう。あの人にはちっとも似てないの、アルテナ王家は昔から女系なのね」
 『彼』がこちらを見る。何故だろう、酷く嬉しそうな様子が伺えて、不思議と女王は泣き出したくなった。
「また、夏になるときは会いに来るわ。―――だから忘れず、会いに来てね」
 あたしは、いつだって、待ってる―――。
 娘には聞こえないように小さな声で呟くと、女王は扉の方へ振り返った。
「もう行っちゃうの、お母様?」
 娘の手を引いて歩き出すと、不思議そうな声が返る。女王はずっと前を向いたままだ。後ろで、ばいばーいと弾んだ声が響いた。身動きしているところから見ると、大きく手でも振っているのかもしれない。
 外へ出て、扉を閉める直前、女王は自分にかけた禁忌を破って中を見た。
 姿はもうない。積み重ねてあった本ごと、『彼』の姿は消えていた。
 また、一年後―――。
 同じように、姿がないことに気付いたのだろう、娘が尋ねてくる。
「お母様、あの人とまた会える?」
「会えるわよ。また、この季節になったらね」
 小さな娘は、楽しみを見つけたように満足そうに笑っていた。
「そしたら、あたし、あの人と今度はお話しするわ」


 また会おう、この夏の日に―――。


 心は変わらないと誓ったあの日。
 あれから何年も経った。
 今は、伴侶がいてその人を愛していて、大切な娘がいる。

 それでも、やっぱりこの気持ちはずっと変わらない。
 忘れない、この命が尽きるその瞬間まで。
 心の一番奥に座する、あなたの存在は。


 きっと、永遠。



END
2003.9.22


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