5
あの場所で、あの瞬間に経験したことは、
これから先、何を経験しても、色褪せることは、きっとないと思う。
いろんな意味で。
もし、もう一度ドラゴンズホールの奥へ行けと言われたら、デュランは迷いに迷うに違いない。
それくらい、彼にはドラゴンズホールでの記憶が曖昧だった。
最深部で紅蓮の魔導師に会い、望みを果たしたことも、覚えてはいる。
だが、どこか霞がかかったようで、実感が湧かないというのが実際のところだった。
理の女王を救い出したことを、アルテナの民たちに感謝されもしたのだが、どうも返事も頼りない。
最終決戦に行く前に少し休息をと、アルテナ城に置かせてもらっていたのだが、デュランの腑抜けっぷりは他の二人も心配するほどだった。
理由は本人にも二人にもわかっていた。
ドラゴンズホールの入口であったこと―――否、会った人と言うべきか。
竜帝と相討ち、亡くなったと思われていた―――というより、それ以外のことを普通考えはしないだろうが―――、デュランの父。黄金の騎士・ロキ。
デュランは彼と不本意ながら戦い、そして―――勝った。
だから、今ここにいる。
空虚ともつかない不思議な感情を抱えたまま、デュランはアルテナ城の中庭にたたずんでいた。
心なしか、フェアリーを助けに来たときより白さが増したような気がする。
城壁の外から雪が忍び寄り、城壁付近の草花はすっかり雪に埋もれ、中には葉を落とし枯れてしまったものもある。
見上げれば、灰白色の空。
初めて来たときは辛気くさいと思ったものだが、今は自分にふさわしいような気がした。
今にも雪が降りそうな重苦しさなのに、それでもただ曇っているだけ。
身を切るほどの悲しみに沈んでいると思ったのに、流れ出さない、涙。
(どうしてなんだ……俺は、この手で父さんを殺めたというのに……)
「デュラン……ここにいたんですね」
唐突に声をかけられ、デュランは振り返る。見れば、リースとケヴィンが連れだって傍に歩み寄ってくるところだった。
「デュラン、こんなところで、何してた?」
あまりに城壁の方を見つめていたため、挙動不審者にでも見えたらしい。ケヴィンが首を傾げて尋ねてくる。
「いや、別に何をしてたわけでもないが……」
「やっぱり、気にしてる、か?」
父さんのこと。
言葉には出さなかったものの、彼がそれを話題にしていることは容易に想像ができた。まったく、リースのときといい、この少年は普段は鈍いというのにこんなときは鋭く相手の気持ちを感じ取ってみせるらしい。
隠しても無駄なのだ。その理由を目の前に見た二人の前では。
「正直言うと……よくわからない……」
ぼそりと呟く。
何故、涙も流れないのだろう。あのときの彼女のように、溢れんばかりの感情が、ない。
むしろ心の中は、とても穏やかで。
少し離れた場所にいたリースが、無言でつかつかと歩み寄ってきた。デュランの目の前で、立ち止まる。
「リース?」
ぱぁん!
リースの両手が勢い良くデュランの両頬を挟み込んだ。
「悲しいときは泣いたっていいんです……!」
今日泣いても。明日涙が止まれば。もっと先、笑っていられれば。
そのリースの真剣な表情を見て、デュランは目を見開き。
―――そして笑い出した。
「な……」リースは憤慨の声を上げる。「なんで笑うんですか……!」
リースの後ろで、ケヴィンも心配そうにデュランをのぞき込んでいた。
「デュ……デュラン、何かおかしいぞ?」
ああ、そうなのか。
もう、俺は決めていたんだな。
こうして、三人でいる空間が心地よくて、ここを守ろうと、決めていたんだ。
だから、父さんとも対峙できたのか。
もちろん痛みがないわけではないけれど、でも大丈夫だ。
独りではないから。
たとえ泣かなくても、その痛みに呑まれてしまうことは、きっとないだろう。
何より―――。
まだ頬に触れているリースの両手をつかむ。
自分の手ではすっぽり包み込まれてしまうほど、小さくて、華奢な手。
けれど、今までずっとこの手が支えていてくれたことも真実で。
手の届かない人なのかと思った。
けれど、彼女にはこうして触れられる。触れ合うことを許される。
それは、彼女が人間で、「仲間」だから。
そっとその手を頬から離しながら、デュランはすぐ傍のリースの顔を見つめた。
「……ありがとう」
君が、傍に居てくれるのならば。