勢いよく踏み出したスニーカーの靴底で何か細いものが転がり、望美は思い切り足を滑らせた。
「ぅわ……!」
「望美!?」
悲鳴も悲鳴にならず望美は体勢を整える暇もなく後ろへバランスを崩す。彼女を呼ぶ焦ったような声は朔かもしれない。
まずい、頭を打つかもと一瞬思ったが、何かにぶつかったものの何も衝撃は襲ってこなかった。
「ったく、相変わらず危なっかしい奴だな」
後ろから響いたのは、すっかりなじんだ幼馴染の、これまたすっかりなじんだ呆れを隠さない声。つまり、転びかけた望美を支えたのは彼で、未だ望美は寄りかかったまま、ということだ。
「ま、将臣くん!? ごめんっ!」
慌てて体を起こして振り返る。軽く手を合わせて謝罪すると、「ま、大したことねぇよ」といつも通りの声が返ってきた。
近くにいた朔も近づいてくる。望美の足元を見つめて、不安そうな視線を向けた。
「小枝でも踏んだのかしら……望美、足は何ともない?」
「あ、うん、大丈夫だよ。気をつけたつもりなんだけど、何か踏んじゃったみたい」
「まだ本調子ではないのだから、無理をしては駄目よ」
姉のように労わりの言葉をかけてくる朔に、望美は笑顔で応じる。
「うん、大丈夫!」
望美たちが歩くのは、熊野の山道である。本宮へ渡るための川を増水させている怨霊を封印するためにこうして歩き回っているというわけだ。
「んなこと言って、お前那智の滝でも足滑らせてただろ。本当に大丈夫なのかよ、俺の見てない所でもしょっちゅう転んでんじゃねぇの?」
隣の将臣はしかし容赦ない。その上彼とその弟しか知らないであろう事実を朔のいる前でばらしてしまった。
「そ、そんなことないよ! あれは岩場で濡れてたからだよ!」
「どうだかな」
「もう、将臣くん!」
二人が平和に高校生をしていた頃と同じような雰囲気で言い合いを始めたとき――すぐそばでくすくすと笑い声がした。朔が口元を隠して楽しそうな視線を向けている。
「ふふ、相変わらず仲がいいのね。――ごちそうさま」
二人でゆっくり歩いてくるといいわ。朔はそう言い残すとさっさと歩きだしてしまい、とっさに望美は言葉を返せずに対の神子を見送る羽目になった。
「ああ、まずいな、本当に置いて行かれちまう」
そう言って、将臣は自分の手を望美に向かって差し出してきた。
「また転ばれたら困るからな、手ぇつないで行こうぜ」
「もう転ばないよ!」
からかい交じりの視線に望美はふくれっ面で返す。けれど、差し出された手は拒まない。
久しぶりにつなぐ手は、年が離れた分、剣を握るようになった分、大きくて骨ばった手になった。まるで別人の手かと思うほどに。それでも、温かさはあの頃と変わらない、と思う。
(今だけだもん、いいよね、これくらい)
望美が手に力を込めると、同じように握り返される。海のこと、熊野のこと、ダイビングのこと、修学旅行のこと――昔のことや今のことをあの頃と同じテンションでしゃべり続けているのに、そのつないだ手だけがひとつ違う熱を持つ。
今だけ。つないでいられるのは今だけ、だ。いずれこの手はそれぞれの武器を握り、互いに向けられることになる。
どうしたらいいんだろう。今まで紡いだ運命をどれだけ遡って、どれだけ違う道を見つけ出して、――どうすれば、あの戦場で向き合わずに済むんだろう。それとも、どれだけ頑張っても、運命は変わらない?
だって、敵対したら最後に残るものは、決まっているではないか。どちらも残る、なんて方法はない。
誰も失いたくないと思ったのに、そのために戻ってきたのに、――どうして一番大事なものだけ、どうにもできないの?
将臣の声を聞きながら、閉じた瞼の裏に浮かんだ光景――ぶつかった二つの剣の向こうに見えた、将臣の茫然とした顔。
END
written by 瀬生莉都
2010.3.28