聖剣3 デュラン×リース

ほっとみるく




 風が、リースの髪を幾筋かさらいながら雲を東へ運んでいく。空の大部分が重い雲に覆われて、空がわずかにのぞく程度だが、雲が流れていくのがわかる。
 夜も更けてすっかり雨は上がっていた。まだ空気には湿り気が残り地面は濡れているが、この調子なら明日は晴れ上がるに違いない。旅するにはいい日和だろう。


 朝も早いだろうから、本来ならばもう寝ていなければいけないはずなのだが、リースはぼんやりと外で景色を眺めていた。
 風呂に入り、食事もしっかりとって十分に身体を温めたはずなのに、寝付けない。
 昼間の戦いで疲れきったのだろうシャルロットやアンジェラの寝息を聞きながら、目はしっかりと冴えている始末。
 仕方ないので気分転換に、併設されている酒場から表のテラスに出てきたというわけなのだった。昼間の雨のせいで、設置されているテーブル席には誰もいない。中の酒場には、つい先ほどまでは数人が賑やかに酒を飲んでいたようだが、その喧騒も今は消えている。まだ明りはついているけれど、既に客はいないのかもしれない。


(こんなことで、寝付けないなんて……)
 リースはため息をついた。
 寝付けない理由は、ついている。それが、どうしようもない類のものだと知っているから、自分に呆れるしかない。
 原因は、昼間見た光景だ。


 それはまるで、遠い昔に読んだ物語のようだった。あるいは、美しい姫を守る英雄を描いた一枚絵のような。
 アンジェラを庇い護るデュランの姿が、そして護られるアンジェラの姿が、思わず一瞬武器を振るう手を止め見入ってしまうほど、綺麗だった。
 綺麗だと心から思えたのに、―――それでもどうしてか見ていてとても切なかった。


 その光景と共に焼きついた感情が心の奥に重く座したまま、動かない。
(馬鹿馬鹿し過ぎる……護られてみたい、なんて)
 たぶんアンジェラが羨ましかったのだと、リースは思った。『デュラン』に庇われているアンジェラが。
 護られている頼りない存在ではない、肩を並べて共に戦える。それでいいとずっと思っていたはずで、今も確かにそう思っているのだけれど。
 相反する二つの感情を抱えて、リースは今宵数十回目のため息をついた。




「リース?」
 雨の名残が残る空気に、やや低めの澄んだ声が響く。リースのよく知っている声だ。後ろから聞こえたその言葉に、リースは振り返った。
 起きぬけとわかる表情をした、茶色の髪の青年―――デュランだ。普段からあまり頓着せず、アンジェラに時々無理にとかされている髪には、わずかに寝癖がついている。
 リースと目が合うと、デュランは穏やかに笑った。この青年は、ごくたまにではあるが、こんな風に笑うことがある。戦うときやアンジェラやホークアイと言い争いをしているときとはまるっきり違う優しい笑みで、―――なんと言うか、心臓に悪い。


「やっぱり、リースか」
「?」
 デュランの言葉に、たまたま行き会ったとは違う響きが含まれている気がして、リースは首を捻った。
「いや、今酒場を通りかかったら、おばちゃんに『夜の逢引はほどほどにね』って言われてさ。一体何のことだと思ったんだよ」
 リースがいたからか、とデュランはいまさら納得したような顔をしている。リースは先ほど酒場を通ったときに見た酒場を取り仕切っていた恰幅のいい女主人を思い出す―――確かに言いそうな女性だ。
 リースは思わず笑った。頭の中で、今にも声付きで再現されそうだ。自分が聞いたわけでもないのに。


「こんな遅くまでこんなところにいて……。寝付けねぇのか?」
 デュランの問いに、リースは曖昧に微笑んだ。
「それは、デュランも同じでしょう。こんな時間に外に出てきて」
「俺はさっきまで寝てたんだよ。ケヴィンの奴、ベッドから落ちるときに思い切り足を蹴り上げたらしくてな。そのせいで起きたんだ。まいったぜ、いきなり腹に蹴りが入るんだから」
 言いながら、デュランは心底痛そうに右の腹をさする。……あの少年の蹴りを食らったら、確かに痛いかもしれない。
 食事前、女性三人で男性陣の部屋に彼らを呼びに行ったとき、部屋の中を少し見た。三つベッドがあったものの、あまり大きくない部屋に無理にベッドを置いたのがよくわかる部屋で、ベッドとベッドの間に人が寝そべる隙間はなかったはずだ。ベッドから落ちたケヴィンはどうなったのだろう。
「……ケヴィンはどうしてるんですか?」
「あいつなら、ベッドとベッドの隙間で器用に寝てるよ。戻してやろうかとは思ったんだが、腹に力が入んなくてな」
 その光景を想像して、再びリースは笑う。ほんの少し、心のつかえが取れた気がする。なんとなく気分が軽くなった気がして、リースはデュランの顔を見た。
「私は……少し考え事をしてたら、目が冴えてしまって……。ベッドにいても落ち着かないから、外に出てきたんです」
 そういうと、デュランは少し考えるそぶりをしてから一言言った。
「ちょっと待ってろ」




 一言だけ残して、デュランはさっさと中へと戻っていってしまう。一体何なのかと不安になったが、リースは黙ってそのまま待っていた。
 辺りは、さっきより幾分か明るくなっているようだ。
 音を立てて、一陣の風が吹く。突然の突風に、リースは思わず身をすくめた。
 だいぶ、身体も冷えてきているかもしれない。
 しばらくして、デュランは両手に何かを持って戻ってきた。湯気を立てる白いカップが二つ。
「おばちゃんに頼んで作ってもらってきた。身体が温まって眠くなるぞ」
 言いながら、デュランは片方のカップに口をつける。残ったもう一方をリースに差し出してきた。
 素直に受け取ったカップから、じんわりとリースの両手に熱が伝わる。中に入っているのは温められたミルクだった。
「ありがとうございます」
 デュランに礼を言い、いただきますも忘れずに言ってから、リースはカップに口をつけた。喉を流れるホットミルクの温かさが、ゆっくりと全身に広がっていく。
 長い間外にいたから、やはり身体が冷えていたのだろう。


「―――晴れたな、空。星が見える」
 デュランが上を見上げているのに気付き、リースも一緒に空を見上げた。いつのまにか雲は流れ、星空の比率が多くなっている。月があるから、少し星の数は少ないけれど。
「綺麗ですね」
 雲の合間に見える星空を眺めていると、ふと光が一筋横切っていった。
「あ、流れ星」
「え、どこだ?」
「今度はあっちに」
 今夜は流星群の見える夜だろうか。なるべく見て欲しいとリースは素早くその方向を指差し、デュランもそちらへ顔を向けるが、そのときは既に星の光は消えている。何度か繰り返したが、途中でデュランが投げ出した。
「―――あー、駄目だ。見えねえや。視力いいんだな、リース」
「捜そうって思うから駄目なんですよ。ぼーっと空全体を見ていた方がいいみたいです」
 憮然とした顔のデュランを見て、リースはまた笑う。いつの間にか、ため息をつくことも忘れていた。



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