聖剣3 カップリングなし

きっと、いつか




 その声を聞いた瞬間彼の顔が蒼ざめたのは、急に陽がかげったせいではなかった。

「ウェンディの兄ちゃん、こんにちは!」





「どういうことよ、それっ!」
 甲高い声と共に、どんっとテーブルを叩く低い音が響いた。お茶が並々と注がれた湯のみがわずかに浮き上がったのは気のせいではない。リースは思わず中身がこぼれなかったかどうかを確認してしまった。
 息も荒くテーブルの中央に拳を叩きつけたのは旅の仲間の一人アンジェラで、怒りのせいなのかいまだに同じ姿勢のまま一方向を睨みつけている。
 その視線を受けているのはこれまた旅の道連れの一人デュランで、腕を組んでこちらも憮然とした表情をアンジェラに向けていた。
 双方を結ぶ空間に火花の散る幻が見えるような気がする。なんだかどこだったかでも似たような光景を見たとリースは思い、それがつい最近、大地の裂け目の崖っぷちでだったことを思い出した。

「あたしとリースだけで買出ししてこいですって!? その間あんたは何してるつもりなのよ!」
 こっちはさっきから魔法使いっぱなしで疲れてるのよ、と怒気が形になるかと思われるような勢いでアンジェラが噛み付く。対するデュランはあくまで冷静な様子だ。二人が共に爆発すると穏やかな方法では解決せず、最後にはリースの雷が落ちる羽目になるのでまだいい方だろう。
「いろいろとやることあんだろ」
「あたし達に買い物されると碌なことにならないって言ったのは誰でしたっけ?」
 アンジェラの言葉にデュランは眉をしかめたが、反論する様子はない。

 確かに腑に落ちない、とリースはデュランに目を向けた。
 王女二人にははっきり言ってまともな金銭感覚はないのだ。それでもリースは多少ましになってきた方だが、女性二人で買い物に出るとあれやこれやと見て回り、予定外のものまで買って、結果デュランに「無駄使い」と評されることになる。
 路銀は有限のものであるわけで、必然的に金銭管理と物品管理、買出しはデュランの役目になっていた。
 その状態をわかっているはずのデュランが、そんなことを言い出すのだ。アンジェラの怒りはともかく、訝しく思うのも当然だった。

「デュ……」
 リースがそのことを尋ねようと口を開くより、アンジェラが動く方が速かった。リースの腕をつかんだかと思うと、引っ張ってさっさと歩き出す。
「いいわ、お望み通り買出しに行って来ましょ、リース。―――あとで文句言わないでよね!」
 テーブルの上に投げ出された財布を引っつかむと、アンジェラはリースを引きずったまま扉を開けた。デュランへ捨て台詞を残して。
 アンジェラにつかまったままのリースが見たのは、肩の荷が下りたとばかりにため息をつくデュランの姿だった。



 鬱憤を晴らしてやるとばかりにアンジェラはあちらこちらの店を見て回る。自由都市マイア、商業都市バイゼルと繋がっているだけあって―――最近その要であったつり橋は見事に落ちてしまったが―――、店の数も品揃えも他の国とは格段に違う。
 いかにも購買意欲をそそられる店先の売り物を冷やかしながら歩くうちに、アンジェラの怒りもいくらか冷えてきたらしい。服だとか靴だとかちょっとした小物を見る目が輝いている。
 買出しを忘れたようなアンジェラの姿にリースは苦笑したが、結局は一緒に楽しんでいた。
 ―――あの服にはさっき見た靴が似合うと思わない?
 ―――この髪飾り、アンジェラの髪の色に映えそうですよ。
 ―――あー、この小袋可愛い。おそろいで持ってたら良さそうじゃない。
 今ある立場をほんのちょっと忘れて、二人で普通の少女のように語り合う。王女であったアンジェラとリースには街での他愛ない買い物など縁のないものだったが、最近はその楽しさに味を占めてもいたりする。

 実際に買いはしない。どんなにお洒落な服や靴を買ったところで、旅は歩き通しだし野宿になることもある。洒落っ気の欠片もない旅装束の方がずっと楽だということを二人とも身に沁みて理解している。
「ねえ、買い出し済んだら、さっき通り過ぎたお菓子屋さんで何か買っていこうよ。そのくらいはいいでしょ」
「そうですね。紅茶も買い足して、帰ったらお茶にしませんか?」
 街を楽しんで気も晴れたのだろう、アンジェラはにこやかな笑顔で提案してきた。リースも応じて早速行動開始する。既に買い出しをする店は決めてあるのだ。あとは適当に買っていけばいい。



「魔法のクルミはどうします?」
 買い物籠の中身を確認しながら、リースは少し離れた棚を物色するアンジェラに声をかけた。さほどかさばる物はないので、多少多めに買っても女性二人で運ぶのに問題はないだろう。
「あ、前より少し多めにしてくれない? 最近魔法使ってばっかりだから、すぐなくなっちゃうでしょ」
 リースの方に歩み寄りながらアンジェラは答えた。ついでにリースの持っていた籠に棚から持ってきた品も放り込む。
「全体的に多めに買っておいた方がいいんでしょうか?」
「うーん……そういうのはあいつに任せようよ。どうせあたし達じゃさっぱりなんだし」
 考え込んだかと思った途端に結論を出したアンジェラに、リースは思わず噴出した。ちらりと見やると彼女はちょっとむっとした様子で軽くこちらを睨んでいる。
「何よ?」
「だって、アンジェラったら、出てくるときはあれだけ『使い切ってやる』なんて言ってたのに」
「……あれは売り言葉に買い言葉よ。どうもデュランと話してるとそうなっちゃうのよねぇ」

 ふと、空気が動いた。
 天を仰いで嘆息するアンジェラを見てリースは苦笑……しようとして動きを止める。何かを見つけたような気がして、けれどそれが何なのかはわからなかった。気がつくとアンジェラが怪訝そうにこちらを覗いている。
「? どうかした?」
「……あっ、いえ、何でもありません」
 慌てて顔の前で手を振ると、アンジェラは釈然としない様子を見せたがそれ以上は追及してこなかった。実際答えようもなかったのだからよかったのだが。
 会計を済ませて荷物を詰めてもらうと、結構な量になってしまった。
 何とか持ちやすいようにと悪戦苦闘しているリースの隣でアンジェラは財布の中身を確認している。残金の事はあまり考えていなかったせいもあって、リースは恐る恐る尋ねてみた。
「……どうですか?」
「ん、まあ怒られるほどじゃないと思うけど? 装備整えるのにはちょっと足りないかもしれないけど、そこはデュランに考えてもらいましょ」

 ―――ほら、また。
 何かを空気の揺らぎが伝えてくる。今度こそ確かめようとリースが視線をめぐらせると、一人の女の子と目が合った。年の頃はきっとエリオットよりは年上だと思う―――ふとリースの心をえぐる痛み。
 肩までの淡い髪は柔らかで、その意志の強そうな瞳は驚いたようにこちらを見つめていた。
 誰かと、似ている。
 知っている。初めて会うはずなのに、彼女を知っている気がする―――。
 視線を交わしたのはわずかな時間だけだった。女の子の連れが彼女を呼び、そしてリースはアンジェラに肩を叩かれたのだ。
「どうしたの、リース。早く帰ってお茶にしよ」
「あ、はい」
 分けた荷物を持ってリースが振り返ると、先ほどの女の子と一瞬だけ視線が絡んだ。



 翌日。
 逃げ出しそうなほど嫌がるデュランを引きずって、リースとアンジェラは宿屋を出て街へ向かっていた。ちなみにデュランを引きずっているのはアンジェラである。
「だから、二人で買ってきてくれって言っただろう!」
「何言ってるのよ、大体一番の要はあんたでしょ! あんたの装備がまずかったらとばっちりを食うのはあたしとリースなんですからね!」
 往来だというのにかまわずやりあう二人に時々周囲から不思議そうな視線が飛ぶ。リースはなんとなく二人から距離をとりたくなったが、どうやらそれはデュランも同じらしい。向けられる注意を感じ取っては、非常に気まずそうな顔をする。
 それは、昨日フォルセナ城から城下街へ続く石畳の上で一人の少年に挨拶されたときと全く同じ反応だった。

 デュランはフォルセナの英雄王に仕える傭兵。
 アルテナに侵攻された折、数多くの若き犠牲者を出した夜にただ一人生き残った者。
 彼はひとつの誓いをして故郷を出奔したという。
 あの時仲間を焼き尽くした紅蓮の魔導師を討ち果たすまでは決して伯母と妹の待つ家へは帰らぬと―――。

「ちょっと!」
 アンジェラの憤慨した声に、リースは思考を遮断された。見れば、一軒の家の前を通りかかろうとしたところでデュランがぴたりと止まってしまい、アンジェラが引っ張られたせいらしかった。
 そして次に響いたのがデュランの声。
「悪い! ここの前だけは勘弁してくれ!」
「……何よ、急に」
 突然のデュランの態度の変化にアンジェラはいぶかしげな表情をする。両手を合わせて謝りそうな様子でデュランは言った。
「ここは俺の家なんだ。紅……いや仲間の仇を討つまでは絶対帰らないと決めた。妹には何も言わずに出てきたんだ。いくらなんでものこのこ姿を見せられねえよ……」
「ふうん……あんたも結構大変なんだ……」
 項垂れるデュランに、珍しくアンジェラも真剣な眼差しで彼を見ている。

 二人のもとへ歩み寄るリースの視線のちょうど正面には、デュランが自分の家だと言った一軒家の窓があった。そこに視線を向けて、リースは思わず立ち止まる。
 窓の向こうで影が揺れた。誰かがそこに立っている。
(あの、瞳は)
 レースの向こうからかすかに顔を覗かせる少女は、リースが昨日店で視線を交わした少女本人だった。食い入るような視線はリースを見てはおらず、真っ直ぐにデュランに向けられている。その瞳に、デュランは全く気がついていない。むしろ、自分の家には意図的に注意を向けていないというのが正しいのかもしれなかった。
 妹には旅立ちを告げずに出てきたと、デュランは先ほど言っていた。置いていかれた妹は、何を思うだろう。

 少女の顔がふと動く。めぐらせた視線がリースと絡み、彼女は驚いて口を開けたまま固まった。
 その様子にくすりと笑みを浮かべて、リースはアンジェラとデュランの傍へ近付く。先ほどまで深刻な顔をしていたはずの両名は、いつの間にか彼女はからかいの表情を浮かべ、彼は顔を紅くして喧嘩を―――じゃれあいの類の―――していたのだった。
「そんなこと言って、きっと見せられないものでも隠してるんじゃないの。えっちな本とか?」
「な、なにいってやがる!」
「まーたまた、恥かしがることないったら」
 リースがデュランの妹の存在に気づくまでの深刻な空気はどこへ行ったのか、既に二人ともここがデュランの家の前であることを忘れているような気がする。デュランのために、そして家の中で様子を伺う彼女のために、リースは仲裁に入った。
「はい、デュランもアンジェラもそこまでにしましょう。お店までは別の道を行けばいいんですから。デュランも早く家族のところに帰れるといいですね」
 そのためにも頑張りましょうね。
 リースが笑顔で言うと、二人とも呆気にとられて沈黙した。帰りたいのは、デュランだけではない。アンジェラも、そしてリースも、願いは同じ。
「……ん、そうね。ここで言い争いしてる場合じゃない、か」
「まだ始まったばっかりだしな」
 毒気を抜かれたように、アンジェラとデュランは言葉を口にした。願いをかなえるためにはここでのんびりしすぎてはいけないとあらためて思ったのだろう。準備を終えたらマイアを旅立って、バイゼルから船でパロへと渡る。精霊を探す旅はまだ始まったばかりなのだ。

 じゃあ武器屋に行くかとデュラン宅に背を向け歩き出した二人を見て、リースは振り返った。
 まだ窓の向こうには少女が立っている。心配そうな表情でこちらを見つめていた。デュランの存在に気付きながらも追いかけて外へ出てこないのは、きっと何も言わずに出て行った兄の心を汲んでいるから。それでも心配なのは当然だろう。
 前を行く二人と距離ができたところで、リースはそっと彼女に向けて口を開いた。
 音無き声で少女へと呼びかける。彼女の不安を拭えるように。この言葉が彼女に届けばいいと願いながら。


『大丈夫。きっといつか、すべてが終わったら、彼は貴方の元に帰ってくるわ』

 ―――そのときはどうか、素敵な笑顔で迎えてあげてね。


END
2006.3.21


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