聖剣3 デュラン×リース

再会




 その日は朝から雲ひとつないいい天気。陽が昇るにつれ地面も空気も暖められ、ぽかぽかと気持ちいい。
 フォルセナ城下街の一角に居を構える家の主とその姪も、陽気にあてられ朝から家中の掃除を決行していた。
 一階の窓という窓を開け放し外の空気を迎え入れたところで、ウェンディは陽に透け茶色に輝く髪を揺らしながら伸びをする。窓から見える空はどこまでも高く鮮やかですがすがしかった。
「んー、気持ちいい!」
 叔母のステラと分担をして、ウェンディが割り当てられたのが玄関と一家団欒の居間。二人だけでやらなければならないから、のんびりしている暇はない。
 気合を入れ直すとウェンディは早速片付けに取り掛か……ろうとして、二階に通じる階段を見上げた。
 二階にはこの家のもう一人の住人がいる。こんな昼間からその人がいるのは、城仕えの仕事が休みだからだ。
 本当ならば掃除のひとつやふたつ手伝ってもらうところなのだが、今日彼は出かける予定があるため、ウェンディとステラの二人で掃除をしているのだった。正確には、その予定のために無理に休みを取った、というのが正しい。
 既に彼も起きているはずだが、二階で人が動く様子はなくしんと静まり返っている。
 ほうきで床を掃きながら、ウェンディは眉をしかめて呟く。心配してあげる義理は、別にないのだけど。
「お兄ちゃん、時間、大丈夫なのかなぁ……」
 ため息をついて見上げた窓の外の遥かな空の上。ウェンディの視界を、小さな小さな影が恐ろしい勢いで横切っていった。


 既に身支度を整えたデュランは、卓の上に置かれた封筒を前に自分の手を睨み続けている。
 その手に握られているのは、色鮮やかな若草のリボン。
 今回の用事には、別に必要なものではない。デュランはリボンを握り締めたままひらひらと手を宙に泳がせると、そのままそれを封筒の横に置こうとした。
「……いや、でもなあ……。持っていっても仕方ねぇけど……」
 リボンの尖端が木製の卓に触れるか触れないか、というところでぴたりと手の動きを止めて、また身体の傍に引き寄せる。しかめっ面で首を捻ると、手を伸ばして卓の上に置こうとして、またその手を引っ込めてリボンを見つめる。
 出かける用意は整っていて、本当は思い切り余裕を持って出発するつもりだったのだが、デュランは小一時間そんなことを繰り返していた。
 若草色のリボンは、デュランにとってはとても大切なもの。いつでも決して汚さぬように気を遣いながら、肌身離さず持ち続けているもの。
 それは、彼の大事な彼女の想いそのもの。常に携えていることで、彼女の心をすぐ隣に感じられるような気がするから。
 そんな気恥ずかしいことを平然と思えるのも、すぐ傍にその人がいないからなのだけれど。だからこそ、デュランはこのリボンを外出先にまで持っていくかどうか、散々に悩んでいるのだった。
 もしこれを持っているのを見られたら、なんと答える? さっき思ったようなこと? 冗談じゃない、そんな台詞は柄じゃない。
 どうするべきか困り果て、リボンを握り締めたままあーだのうーだの唸っていたデュランの耳に、不機嫌そうに階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
「お兄ちゃん、まだ行かないの!? もう時間過ぎてるよ!」
 派手に扉が開くのと同時に甲高い声がデュランを非難する。業を煮やしたウェンディがほうきを抱えたまま部屋に飛び込んできたのだ。
 妹の声にデュランは我に返り椅子を蹴って立ち上がる。すっかり予定は狂っていた。
(ああ、もうどうにでもなれ!)
 その手に宝物を握り締めたまま、デュランは荷物と封筒を引っつかむと、ウェンディの横をすり抜けて階段を駆け下りる。「もう、本当に……」と呆れた妹の声が聞こえたような気がしたが、横目で睨んでいる暇もない。
 そのまま奥で掃除をしているだろう叔母にも聞こえるように出掛けの挨拶をすると、デュランは勢いよく家を飛び出て街の外へ向かって駆け出した。


 フォルセナの城下街の門をくぐり、土の道が続くモールベアの高原を進む。道が開けて広くなった場所に辿り着いたところで、デュランの上に突然の影がさした。
 デュランがそこを見上げるのと、空から何かが舞い降りてくるのはほぼ同時だった。
 辺りを風が走り抜ける。遠くまで響く澄んだ獣の鳴き声がして、デュランの目の前に二対の翼を羽ばたかせながら一匹の獣が降り立った。
 その瞳がデュランの姿をとらえると、獣は嬉しそうに泣き声をあげる。
「久しぶりだな、フラミー」
 聖剣を捜し求める旅でずいぶんと世話になった聖獣にそう声をかけると、デュランはそのまま視線を上にずらし、その背に乗る人物に目を向けた。
 フラミーが巻き起こした風に、金色の髪が未だに踊っている。その額には王家の証たる翡翠色の宝石。紺碧の海の色をした瞳が、困ったようにデュランを見返していた。
「……お久しぶりです、デュラン」
 フラミーに乗っている少女は、照れた様子でデュランに挨拶をする。世界でたった一匹の聖獣をこうして救世の旅が終わった後も乗りこなすことができるのは、彼女がこの獣の守護たるローラントの王女だからだ。
 リースとこうして顔を合わせるのは、実に数ヶ月ぶりである。デュランは、彼女の姿を見たまま言葉もなく立ち尽くしていた。
 最後に逢ったときと、変わっていないと思う。
 けれど、ずいぶんと凛々しく変わったとも感じる。
 数年ぶりに会ったような、懐かしい気さえする。
 会えて嬉しいと素直に思う。
 けれど、デュランがリースを見つめたまま動けなかった理由は。
「あ、あの……わざわざ、持ってくるなんて、かさばるとは思ったんですけど……」
 リースは慌てた様子で言い訳めいたことを口にした。その顔は気のせいでなく赤みがさしている。
 彼女は、その両手に後生大事に一振りの剣を抱えていたのだった。今から戦いに赴くわけではなく、彼女の扱う武器は剣ですらない。余所行きの清楚な服装に古びた剣は見事なほどに不釣合いだった。
 それは、デュランが彼女に捧げた想い。いつも心は傍にあるという証。
「でも、その、上手く手入れできているか心配だったので、デュランに見てもらおうかと……」
 いつも肌身離さず持っていると知られるのは、少し恥かしい。けれど、いつも大事に持っているのだと、それほどまでに想っているのだと、気付いてほしい。
 リースの必死の言い訳に頷くほど共感できる気持ちを感じて、デュランは隠すように若草色のリボンを握り締めたまま苦笑した。
 もう一人の旅の仲間に、散々二人ともそっくりだと言われてきたけれど、今なら納得できる気がする。本当に、呆れるくらいに似た者同士だ。同じことを考えて、結局同じように行動して。
 急に笑ったデュランに、リースは拗ねたような顔をする。笑顔を浮かべたまま、デュランは手を上げて風に翻る若草色のリボンを示した。
 それを見て、リースもきっとデュランと同じことに気付くだろう。そして、二人とも同じように笑うに違いない―――。


「教えてもらってやってみたんですけど、やっぱり自信がなくて。槍の手入れとは勝手が違いますから」
 二人ともフラミーの背に乗り込んだところで、相手に託した大事なものを確認する。曇りなく磨かれた刃を鞘に戻して、デュランはリースに答えた。
「いや、これで充分だ。使うわけでもないし」
「はい。……デュランも、これ大事にしているんですね。汚れひとつありませんよ」
 その手に若草色のリボンを握って、リースは言った。ごまかすようにデュランは頭をかく。
「そりゃあ、な……」
 それ以上、デュランの言葉は続かない。そんな気障ったらしいことを言える性質ではない。でも、リースにはその心は必ず届く。
 託された相手の想いを大事にすること、それはきっと、相手を大切に想うこと。
 リースは嬉しそうに笑うと、デュランにリボンを手渡した。また、大切にしていてほしいのだと。
 応じて、デュランは鞘に収めた形見の剣を手渡した。
 心はいつも相手の傍にある。だから、遠く離れていてもお互いの顔を見ることがなくても、きっと寂しくない。


「デュラン、招待状は持ってきましたか?」
「ああ、もちろん」
 リースに問われて、デュランは荷物に入れずにいた封筒を示して見せた。
「これがないと、入れないだろ?」
「もし忘れたりしたら、あとでシャルロットにごねられますね」
 封筒の差出人はシャルロット、救世の旅の最後の仲間である。手紙の中身は、シャルロットの誕生会の招待状なのだった。
 誕生日を祝うだけなら、ささやかなもので構わない。だが、今回の誕生会は同時にシャルロットが光の神殿の神官として認められる儀式でもあるのだ。
 大事な旅の仲間の晴れの舞台に、行かないわけにはいかない。
 リースは国の復興に携わる王女、デュランは黄金の騎士の名を継ぎ英雄王へ仕える日々。どちらもそう簡単に休める身分ではない。それでも無理に休暇を取って、二人は出席することにしたのだった。
 離れ離れの想い人に逢えるからという気持ちも少しはあったに違いないけれど。
 シャルロットの思惑がどうであれ、彼女が二人に招待状を送ってくれたことに感謝するべきだろう。こうでもしなければ、顔を合わせることなど叶わなかっただろうから。
「遅れてもきっと怒られますから、出発しましょうか」
 リースの言葉にデュランは頷いた。フラミーに行き先を告げると、承知とばかりに涼しげな鳴き声が響き渡る。
 行き先はウェンデルの光の神殿。
 到着するまでわずかな時間ではあったが、二人が再会を喜ぶのには充分な時間だった。


END
2004.12.16


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